第130号
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上海から生まれる最先端の認知症対策

2017年 7月11日

森田 知宏

森田 知宏(もりた ともひろ):相馬中央病院医師

略歴

 1987年大阪市生まれ。2012年3月東京大学医学部医学科卒。千葉県鴨川市の亀田総合病院で2年間初期研修を受けた後、2014年5月から福島県相馬市の相馬中央病院で内科医として働いている。

 世界中の人口が高齢化するなか、認知症の患者数は4,700万人を超えた。認知症にかかる費用は、約100兆円に膨れ上がっている。しかし、認知症の治療法、予防法は確立しておらず、大 きな研究課題となっている。このようななか、世界の認知症患者のうち20%を抱える中国が、本格的な認知症対策に乗り出した。私は6月に上海へ行き、上 海市静安区で行われている認知症対策について復旦大学との共同研究を行った。その結果をご紹介したい。

 中国経済の成長により、中国の国内総生産(GDP)が世界に占める割合は15%となった。しかし、それ以上に世界シェアを高めているのが認知症患者だ。国際アルツハイマー病協会によると、認 知症患者は現在世界に4,700万人以上いる [1] 。このなかで、中国の認知症患者は約920万人 [2] と、約20%を占める。ちなみに、同じく高齢化が進行する日本の認知症患者が占める割合は10%( 460万人)だ [3]

 従って、中国での認知症の対策は急務と言えるが、認知症を発症した後の有効な治療法は見つかっていない。そこで現在期待されているのが、認知症の前段階である軽度認知障害(MCI)と 呼ばれる状態のうちに適切な治療を行い、認知症への進行を予防することだ。MCIに対しては運動や描画などの活動も有効だという報告がある。まずはMCI段階にいる住民を把握することが重要である。

 しかし、MCIを含む認知機能低下を対象とした調査は欧米のものが多く、中国にはない。認知機能を評価するには、MMSE、MoCAなど様々なテストが考案されているが、いずれも簡単な計算や記憶、図 形のテストを用いて評価する。人種、言語、文化が異なる地域ではテスト結果が異なる可能性がある。認知機能低下の割合を正しく把握するためには、各国での認知機能調査のデータをさらに蓄積し、社 会背景や文化も踏まえて考察する必要がある。

 そこで、私が行った調査についてご紹介したい。私は、2017年6月1日から6月30日にかけて中国の上海に行き、復旦大学公衆衛生大学院の趙根明主任教授にご指導を受けながら共同研究を行った。研 究対象は、上海市静安区で行われているMCI調査だ。静安区は、上海市の中で最も裕福な地域だ。2015年に閘北区と合併する前には、1人当たりGDPは4万米ドルを超え、上海市の地区でトップだった( 合併後も1人当たりGDPは2万ドルを超えている)。

 マンションが多く、人口密度は1平方キロ当たり約3万人と東京都のどの区よりも高い。一方、不動産価格が高いため若年層の人口流入が起きにくく、高齢者の割合も高い。今 回調査が行われた静安区江寧路街道という地域では、人口7.8万人のうち3万人(39%)が60歳以上だった。

 調査は、高齢化対策として、静安区政府が主導して行ったものだ。中心となったのは、現在、上海市静安区予防医学会会長で、当時は静安区衛生局副局長を務めていた丁暁滄氏。丁氏にも、今 回の滞在中は終始お世話になり、調査の詳しい内容を伺った。まず、江寧路街道に住む60歳以上の高齢者3万人を対象に、静安区政府がウェブサイト、地方新聞、テレビニュース、地域集会、広 告などを通じて呼びかけを行った。調査には2,911人の住民が自発的に参加し、MoCA中国語版を用いて認知機能障害があるかどうかが評価された。その結果、半数弱の1,392人が認知機能低下と診断された。 

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復旦大学の共同研究者たち(右から5人目趙根明主任教授、6人目丁暁滄氏、7人目筆者)

 さらに、認知機能低下と関連のある因子を調べたところ、年齢が高いほど認知機能低下のリスクは上昇していた。例えば、60歳から64歳では33%、65歳から74歳では40%、7 5歳以上の参加者では68%が認知機能低下と診断された。教育年数が長いほど認知機能低下のリスクは低下し、性別と認知機能との関連は認められなかった。

 この結果を過去の研究と比べると、認知機能低下の割合は少し低い。米国のダラスで2,653人を対象に行われた研究では、参加者の66%が認知機能低下 [5] 、日 本の福岡県篠栗町で1,977人を対象に行われた研究では83%が認知機能低下と診断された [4] 。今回の研究で認知機能低下の割合が低かった例を探るため、参加者の教育レベル、年齢について調べたが、こ れらの違いが結果に大きな影響を及ぼしているとはいえなかった。

 他に考えられるのは、都市レベルの差によるものだ。静安区、ダラス、篠栗町の人口密度は1平方キロ当たり、それぞれ3万人、1,400人、800人と大きく異なる。これまでの研究では、都 市部よりも地方の方が認知症のリスクが高いことが報告されており、この原因は経済レベル、生活レベルの違いによるものと言われている [6,7] 。 従って、静安区の方が、他 の都市に比べて認知機能低下の割合が低い可能性は十分にあるだろう。

 静安区ではこの結果をもとに、認知機能低下住民への介入プログラムを開始した。具体的には、体操、ダンス、太極拳、料理、絵画、書道などの1コマ90分の講座を1日3コマ、月・水・金曜日の週3日、3 カ月間にわたって受けるというものだ。この介入プログラムの前後でMoCAを行い、認知機能が改善したかどうかを評価している。

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介入プログラム(塗り絵)に参加する高齢者

 この介入プログラムは2015年ごろから本格的に開始された。現時点で集まったデータによると、認知機能低下と診断された参加者58人のうち、86%(50人)が 介入プログラム修了後に認知機能の向上が見られ、41%(24人)が認知機能正常となった。

 ただし、比較対照のため介入プログラムを行わなかった参加者44人でも、77%(34人)が3カ月間で認知機能が向上し、23%(10人)は認知機能正常となった。静 安区政府が行っていた認知症調査の啓発キャンペーンや、参加者が自分の認知機能の状態を知ったことによって、介入プログラムを行わなかった住民も認知症への意識が向上した可能性がある。このことは、認 知症への啓発自体が認知症予防につながる可能性を示唆している。

 参加者のデータ数が少ないため、介入プログラム自体の追加効果についてはまだ決定的なことは言えず、今後のデータの蓄積が待たれる。しかし、今回の調査は世界的に価値があることは間違いない。こ のような調査は、効率の点から認知機能低下のある患者だけを対象に行われることが多いが、正確に効果を評価するには今回のように住民全体を対象とする方が適切だからだ。

 一方、日本ではどうか。認知症予防のプログラムを行っている自治体はあるが、予防効果の評価はほとんど行われていない。日本は高齢化率としては世界一だが、効 果的な高齢化対策を世界に発信するには至っていない。合理的な対策をすばやく実行していく中国が、この分野でも世界の中心となっていくのだろうか。


1. Prince MJ. World Alzheimer Report 2015: the global impact of dementia: an analysis of prevalence, incidence, cost and trends: Alzheimer's Disease International; 2015.

2. Chan KY, Wang W, Wu JJ, Liu L, Theodoratou E, Car J, et al. Epidemiology of Alzheimer's disease and other forms of dementia in China, 1990-2010: a systematic review and analysis. Lancet. 2013;381(9882):2016-23. doi: 10.1016/S0140-6736(13)60221-4. PubMed PMID: 23746902.

3. 朝田隆. 都市部における認知症有病率と認知症の生活機能障害への対応. 厚生労働科学研究費補助金認知症対策総合研究事業平成 23 年度~ 平成 24 年度総合研究報告書. 2013.

4. Narazaki K, Nofuji Y, Honda T, Matsuo E, Yonemoto K, Kumagai S. Normative data for the montreal cognitive assessment in a Japanese community-dwelling older population. Neuroepidemiology. 2013;40(1):23-9. doi: 10.1159/000339753. PubMed PMID: 23075757.

5. Rossetti HC, Lacritz LH, Cullum CM, Weiner MF. Normative data for the Montreal Cognitive Assessment (MoCA) in a population-based sample. Neurology. 2011;77(13):1272-5. doi: 10.1212/WNL.0b013e318230208a. PubMed PMID: 21917776.

6. Nunes B, Silva RD, Cruz VT, Roriz JM, Pais J, Silva MC. Prevalence and pattern of cognitive impairment in rural and urban populations from Northern Portugal. BMC Neurol. 2010;10:42. doi: 10.1186/1471-2377-10-42. PubMed PMID: 20540726; PubMed Central PMCID: PMCPMC2905352.

7. Jia J, Wang F, Wei C, Zhou A, Jia X, Li F, et al. The prevalence of dementia in urban and rural areas of China. Alzheimers Dement. 2014;10(1):1-9. doi: 10.1016/j.jalz.2013.01.012. PubMed PMID: 23871765.