嫦娥3号のランダーの精密な測位および精度に関する分析(その1)
2018年1月31日
曹建峰: 航天飛行動力学技術重点実験室、北京航天飛行制御センター
博士、エンジニア。宇宙飛行における動力学の研究に従事。
張宇、胡松傑、陳明: 航天飛行動力学技術重点実験室、北京航天飛行制御センター
黄勇: 中国科学院上海天文台
概要:
嫦娥3号の月面軟着陸の実施は成功したが、ランダーに対する精密な測位の実施が科学データ分析の基本的要求であった。本稿では、月面におけるランダーの測位における精密な観測・モ デリングと統計的測位の方法を記述した上で、嫦娥3号のランダーによる現存の観測データについて測位計算を行い、月面標高モデルと光学画像データを利用して測位結果について比較を行った。その結果、ラ ンダーにより計算された位置は標高モデルによる標高の方向差は4.5mであり、光学画像により解析された三次元位置との差は100mを下回った。そして、最 終的には共分散分析理論に基づいて現行の測定条件下におけるランダーの測位能力を分析した結果、測距データのシステム偏差が測位精度を制約する主な要素であることが分かった。測 距データのシステム偏差をなくすことができれば、10mの測位精度を実現できる。
キーワード:嫦娥3号ランダー、統計的測位、月面標高モデル、共分散分析
嫦娥3号(CE-3)探査機は2013年12月2日午前1時30分(北京時間)に打ち上げられ、約5日間の月遷移軌道と4日間にわたる高度100kmの月周回軌道、さ らに4日間の100km×15kmの楕円軌道の飛行を経て、12月14日夜に月面の虹の入江に着陸した。軟着陸後は、ランダーはローバーを切り離して実地探査を行い、ローバーは移動観測を行った。ラ ンダーは自身に搭載されている科学機器による探査が可能なだけでなく、通信中継機としてローバーの探査データを転送することもできる。
ランダーの精密な測位によってローバーの相対的測位に基準を提供することができることも、測位制御システムの基本的要求である。文献[1]においては慣性航法により動力下降段階における運動規則を研究・確 定しており、文献[2]においては測位制御網の現状に基づいて月面ランダーの測位能力をシミュレーション分析し、かつ、シ ョートアーク条件下にいて数値標高モデルを利用して先験的制約を設定する精密な測位方法を提起している。
本稿においては、統一Xバンド(unified X-band, UXB)と超長基線電波干渉法(very long baseline interferometry, VLBI)に よる測定データを使用してランダーについて統計的測位計算を行い、かつ、測位精度を分析する。
1 ランダーの統計的測位方法
1.1 精密な測定モデルの構築
月は地球の重力の影響が及ぶ範囲内にあるため、理論上、測定モデルの時間尺度においては地球時または太陽系力学時を採用することができる [3,4] 。しかし、月の位置は、一 般的には米国のジェット推進研究所が提供する月・惑星の暦(development ephemeris, DE)により得られるため、月 面探査機の観測モデルの構築は太陽系座標系において完成させるのがより適しているため、相応の時刻系として太陽系力学時を採用する。
本節では、三程測距を例として観測モデルの構築を記述する。双程測定,三程測定モデルにおいてはアップリンク・ステーションとダウンリンク・ステーションが異なり、形 式上は三程測距による計算は式に表すことができる(1) [5] 。双程測定モデリングは同じアップリンク・ステーションとダウンリンク・ステーションを設定するだけでよい。
式中の下付きの1、2、3はそれぞれ信号のアップリンク、転送、ダウンリンクに対応している。また、TTは地球時、cは光速、下付きのSTA1、STA2はそれぞれアップリンク・ス テーションとダウンリンク・ステーションを、SATは衛星を、rは相応する地球重心天文座標系の位置ベクトルを、DRLTは重力による時間の遅れを示している。式(1)中の右端の第1、2項は直線距離を、第3、4 項は相対性理論における重力による時間の遅れを示し、月面探査に対するこの影響は数メートルに達する。第5項は時間システムの違いを示し、測定ステーションの位置と関係し、時 間の差により引き起こされる三程測距の変化は数10メートルに達しうるが、双程測定においてはこの影響は無視できる。このほか、精密な観測モデリングにおいては、潮汐によるステーションの位置への影響( 10cmオーダー)や広義の相対性理論における地球基準座標系と地球重心天文座標系との差(10cmオーダー)、地球と太陽による月面の潮汐への影響(10cmオーダー)も考慮しなければならない。
1.2 統計的測位の原理
ランダーの測位計算は、統計的測位方法の採用により実現する。ランダーは月面に付着するため、潮汐による影響を考慮しないならば、その月面固定座標系下における座標は固定値であり、運 動方程式の構築は月面固定座標系と地球重心天文座標系の転換関係にしか関係しない。
月面固定座標系には、主軸座標系と地球赤道座標系(以下、「赤道座標系」という)が含まれる。赤道座標系は、国際天文学連合(IAU)の提供する地球姿勢パラメータモデルに基づいており、こ の座標系では月の平均極における運動のみを考慮し、章動を考慮していない。主軸座標系は、3つのオイラー角と天球座標系により関係が構築されるため、月・惑星の暦(DE)は 計算の転換に用いられるオイラー角を提供する [6] 。赤道座標系においては月の章動が無視されるため、その誤差は150mに達しうる [7] 。このため、測 位計算においては主軸座標系を採用してランダーの位置を記述する。
ランダー追跡データの測定方程式は、以下のように記述される。
式中のYiは第iグループ測定データであり、G(X,ti)は非線形関数であり、Viは測定ノイズを示す。その参考状態X*に対する線形化展開式は、以下のとおり。
式中、
である。
Φ(ti,t0)は軌道決定中の状態遷移マトリックスの統計であり、月・惑星の暦(DE)中のオイラー角により直接計算される。全体的な観測方程式は、以下のように示すことができる。
その線形の最小分散不偏推定量は式(5)で示される。式中のR-1は、観測データの果汁設定を示す。
対応する共分散行列は、以下のとおり。
式(5)を利用すれば、参考状態について改良を行い、統計的測位を実現できる。
2 ランダーの測位計算
2.1 測定データ
軟着陸後の約1ヶ月間におけるランダーの独立追跡時間は限定的で、14日と17日に行った2回の追跡の実であった。第1回目は軟着陸のすぐ後で、UXBとVLBIのいずれの装置も追跡に参加し、追 跡弧長は約1時間であった。UXBによる測定タイプは双程/三程測距と速度測定であり、VLBIによる測定タイプは時間遅延と時間遅延率であった。また、第2回目はUXB装置だけが追跡に参加し、追 跡弧長は2時間で、測定タイプは双程測距と速度測定であった。
深宇宙ステーションにおける大口径アンテナの建設と使用開始、ならびに測定周波数帯の上昇により、嫦娥3号の測定データの精度は第一期月探査計画に比べて大きく向上した。嫦娥1号のミッションでは、U SB測定データの統計ノイズは約1.5mであったが [8] 、深宇宙ステーションにおけるUXB双程/三程測距データの統計ノイズは1mを下回った [9] 。V LBI測定データは嫦娥1号のミッションにおいてもすでに使用されていたが、1号ミッション時と比較した装置におけるVLBIシステムの大きな変化は、ABBC(Analog Base Band Converter)の代わりにDBBC(Digital Base Band Converter)の技術を採用したことである。これにより、バンドパスにおける非線形効果が大幅に改善された。また、V LBI関連の後処理部分についても一部改善を行い、GPSデータを利用してVLBI測定ステーションのクロックレートを修正したところ、C E-1ミッションにおけるリアルタイムモデル下における時間遅延データのシステム差が時間に伴って変化する問題が改善されて測定精度が大幅に向上し、ノイズレベルが少なくとも1~2倍低減され、嫦 娥1号ミッションにおいては時間遅延ノイズが約1m(1σ)だったところ、嫦娥3号ミッションではノイズが0.15~0,45m(1σ)となった。電波源を採用して修正を行ったため、V LBI測定データのシステム偏差は非常に良く抑制された [10,11] 。嫦娥3号のミッションにおいては三程測定も採用したため、こ のモデルではステーション間の時間同期誤差が測距データにおける数十から数百メートルのシステム偏差にも組み込まれ、この偏差は軌道決定/測 位計算において解析できる。
2.2 測位計算
ランダーの測位計算には使用可能なUXB及びVLBIデータがすべて利用された。測位計算における基本パラメータの設定については表1を参照のこと。JPLの発表したDE 421暦における月面軌道と月の光学的秤動の構築については月レーザー測距データに完全に依存してApollo 11, 14, 15とLunokhod 2のレーザー反射アレイによるレーザー測距、合計16 601組のデータを用いた。約30年間の測定データに対する分析により、DEにおける月の軌道精度はサブメートル級となり、なかでも地球姿勢の方向誤差はわずか数cmとなったため [6] 、測 位計算においてはDEにおける誤差を考慮しない。
プロジェクト | モデルと設定 |
月・惑星の暦(DE) | JPL DE421 |
座標系 | 月の主軸座標系 |
データ使用設定 | 双程測距:1m |
双程速度測定:0.3mm/s | |
三程測距:1m | |
三程速度測定:0.5mm/s | |
時間遅延:0.2m | |
時間遅延率:0.2mm/s | |
解析パラメータ | ランダーの月における固定位置 |
ジャムス双程測距システム偏差 | |
三程測距システム偏差 |
表2はランダー測位残差に関する統計情報であり、時間遅延と測距の単位はm、時間遅延率と速度測定の単位はm/sである。なかでも、昆明ステーションと関連のある時間遅延率の誤差がやや大きく、他 のベースラインとの差は2~3倍となる。これは、昆明測定ステーションの設備と関係する可能性がある。UXB測定データでは、ジャムス測定ステーションのアンテナ口径が比較的大きいため、そ の速度測定精度はカシュガルの倍の精度となり、月周回段階の精度状況と一致する。
データのタイプ | 測定ステーション | データ件数 | RMS | |
VLBI | 時間遅延 | 北京-昆明 | 576 | 0.248 |
北京-ウルムチ | 595 | 0.311 | ||
北京-上海 | 669 | 0.387 | ||
昆明-ウルムチ | 660 | 0.189 | ||
昆明-上海 | 2680 | 0.243 | ||
ウルムチ-上海 | 669 | 0.102 | ||
ジャムス-カシュガル | 600 | 0.158 | ||
時間遅延率 | 北京-昆明 | 414 | 0.465 | |
北京-ウルムチ | 653 | 0.065 | ||
北京-上海 | 665 | 0.084 | ||
昆明-ウルムチ | 1636 | 0.469 | ||
昆明-上海 | 415 | 0.465 | ||
ウルムチ-上海 | 666 | 0.148 | ||
ジャムス-カシュガル | 598 | 0.112 | ||
UXB | 測距 | 三亜-カシュガル | 2236 | 0.789 |
カシュガル-カシュガル | 3311 | 0.796 | ||
ジャムス-カシュガル | 3262 | 0.574 | ||
ジャムス-ジャムス | 6171 | 0.684 | ||
速度測定 | カシュガル-カシュガル | 3368 | 0.331 | |
ジャムス-ジャムス | 5967 | 0.150 |
表3では、ランダーの測位計算結果を示し、それぞれ主軸座標系と赤道座標系下における位置成分と経緯度を示す。ランダーの主軸座標系と赤道座標系における位置成分の差は約840mである。
主軸座標系 | 赤道座標系 | |
X/m | 1173283.1 | 1173880.1 |
Y/m | -416292.2 | -415907.6 |
Z/m | 1208101.1 | 1207653.5 |
高度/m | -2637.6 | -2637.6 |
経度/(°) | 340.4648 | 340.4907 |
緯度/(°) | 44.1394 | 44.1189 |
測定データのアークが少ないため、測距システム偏差の解析と測位結果によるデータ加重の設定は非常にデリケートである。この問題を回避するため、実 際の測位計算においてはカシュガルステーションにおける双程測距のシステム偏差を固定し、月周回段階におけるカシュガルステーション測距システム偏差の解析結果を使用した。
( その2へつづく)
参考文献:
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※本稿は曹建峰、張宇、胡松傑、黄勇、陳明「嫦娥三号着陸器精確定位与精度分析」(『武漢大学学報· 信息科学版』2016年第41巻第2期、pp.274-278)を『武漢大学学報· 信息科学版』編 集部の許可を得て日本語訳/転載したものである。記事提供:同方知網(北京)技術有限公司