世界が注目する研究成果を発表する「構造生物学界の才媛」
2018年4月30日 銭煒(『中国新聞週刊』記者)/神部明果(翻訳)
「クライオ電子顕微鏡革命」により、大きく進歩している構造生物学の世界。その中でも、昨年華々しい活躍を見せたのが顔寧だ。これまでの科学者のイメージを一新する彼女に、中国が、世界が注目している。
「天気もいいし、外で話しましょう!」
青いニット帽、ショート丈のトップスにスウェット、スニーカーという出で立ちで現れた顔寧(イエン・ニン)は、顔を合わせるなりこう切り出した。歩きながら話しつつ、帽子の両側にぶら下がる毛糸のボールを両手で触り、はつらつとした口調で言う。「この帽子は妹からの誕生日プレゼントで、大のお気に入り」。その様子は、今をときめく科学者というより、戦利品をお披露目する女子大生のようだ。
写真1:顔寧 構造生物学者、清華大学生命科学学院特別教授。昨年、かつての留学先であるプリンストン大学分子生物学科の終身特別教授に招聘され、中国国内でも大きな話題となった。撮影/張沫
研究者といえば「刻苦奮闘、控えめで慎重」がお決まりだが、彼女はあるがまま、自分に正直に生きている。微博ではドラマについて熱く語り、微信の公式アカウントの責任者としても活躍。ネット上で納得のいかない投稿があれば率直に物申す。こうした「余暇活動」と、メディアで流れる「顔寧研究チーム、またも科学的新発見」というニュースがあいまって、彼女のパブリック・イメージができあがっている。
鋭い学術的判断力と効率の高さ、力強い実行力
「家族や友人から冗談交じりに『美人さん』と言われるぶんにはいいけれど、知らない人から言われると反発を覚えることもありますね。尊重されていない感じがする。『女性科学者』という言い方にも、性差からくる差別感が潜んでいると思います」
彼女は研究成果を次々発表している実力派科学者だ。2009年以降、責任著者として三大科学学術誌(『ネイチャー』『サイエンス』『セル』)に19本の論文を発表。その研究成果は、2009年と2012年に『サイエンス』誌の年間十大ブレークスルーとして引用され、一昨年には『ネイチャー』誌で「サイエンススター・オブ・チャイナ」の1人に選ばれた。このほか、米ハワード・ヒューズ医学研究所の世界若手科学者賞、呉階平‐ポール・ヤンセン医学薬学賞など、数多くの賞を受賞している。
「鋭い学術的判断力と効率の高さ、力強い実行力」。清華大学生命科学学院の副研究員・周強(ジョウ・チアン)は、自らの「ボス」に話が及ぶと、しばし考え、こう語った。構造生物学の分野には研究価値のある課題が多い。ここ数年、顔寧はグルコース輸送体と電位依存性イオンチャネルという2つの難題に取り組み、瞬く間に目を見張る研究成果を挙げた。科学界の重要課題が何であるか、最良の結果を得るためにはいつ研究に着手すべきか、はっきりわかっているのだろう。
昨年2月、彼女の研究チームは世界で初めて真核生物の電位依存性ナトリウムチャネルの構造を近原子分解能で解析したと『ネイチャー』誌上で報告した。7月には、よりオーソドックスな電気ウナギの電位依存性ナトリウムチャネルの構造を『セル』誌に発表、βサブユニットをともなう真核生物の電位依存性ナトリウムチャネル(以下「Naチャネル」)複合物の活性化状態と考えられる構造を、クライオ電子顕微鏡で初めて捉えた。
Naチャネルは細胞膜上に存在する、あらゆる動物の電気信号の主要な起動スイッチだ。電気信号は神経活動や筋収縮など、一連の生理機能を制御している。国際的な製薬企業の多くがNaチャネルを重要な研究ターゲットとしており、その構造は学術界・製薬界の注目の的だった。「今回の発見は10年にわたる研究の成果。一朝一夕で得られるものではありません」。2007年に中国に帰国して以来、Naチャネルの構造解析を目指してきた彼女だったが、長らく技術的な壁に阻まれていた。
今回の成功は、清華大学のクライオ電子顕微鏡を中心とした設備環境によるところが大きい。さらに、試料作製に関して研究チームが蓄積してきた大量の経験だ。「声を大にして言っているのは、優秀な構造生物学者になりたいなら、まず優秀な生物化学者になりなさいということ。いちばん大事なのは事前段階。設備が立派なだけじゃだめ。試料作製を成功させてこそ、結果がついてくるのですから」
写真2:一昨年には、李克強首相も清華大学生命科学学院を訪れた(撮影/中国新聞社記者 劉震)
新たな環境を求めて「海帰」から「帰海」へ
昨年は、彼女のこれまでの研究人生におけるピークだった。かねてからの研究目標を達成したのみならず、清華大学生命科学学院の特別教授から、プリンストン大学分子生物学科の終身特別教授へと転身を遂げたのだ。彼女はこのニュースにより再び脚光を浴びた。世間は彼女を「帰海族(海外留学帰国組=「海帰族」が、再び海外へ戻る)」と呼び、「不満だから国外へ出ていくのだ」と解釈した。
実は、昨年11月28日、同年新たに選ばれた中国科学院院士のリストが発表されたのだが、多くのメディアがこのニュースを報じる際、「顔寧落選」との見出しをつけ加えていたのだ。だが、彼女はこの件について、少しも意に介していない。「肩書きではなく、研究成果こそが科学者の証し。選ばれようが選ばれまいが私は私。実を言えば、あの件があってから、自己紹介では名前を言うだけでよくなったから、ひそかに喜んでるんですよ」「不満で国外に出ていく」というネット上での憶測については、「まったくのでたらめ」と語気を強める。「母校のプリンストン大学で教鞭を執る。それがずっと私の夢だったんですから」。これはとっさに出た言い訳などではなかった。帰国して以降、彼女がプリンストン大学への思慕の念をSNS上にアップしたのは一度や二度ではないし、大学の歴史についてわざわざ文章を書いたこともある。
一方で感慨深げにこう話す。「清華大学の強力なサポートのおかげで、研究費などの心配はいっさいなかったですね。大学には若手研究者を対象とした特別支援計画があって、インパクトファクターの高い論文を発表すると、一定額の奨励金も出ましたし。ソフト・ハード両面にわたる最高のサポートのおかげで、帰国当初の予想を上回るほどの研究成果が得られました」
清華大学は彼女にとって「実家」のような存在であり、大学や学科の上司・同僚には心から感謝しているという。「趙南明(ジャオ・ナンミン)院長や施一公(シー・イーゴン)先生が研究費の問題を解決してくれたので、帰国間もない私たち若手は腰を落ち着けて研究に打ち込めました」
「2014年から、私を含めた数名の研究者がアメリカの一流大学に招かれていることが報じられました。私のプリンストン行きについては『追い出された』とか悲劇的なトーンで捉えられていましたが、まったくの誤り。自ら選んだ道です。最愛の母校・清華大学は居心地が良すぎるんですね。気づかないうちに、自分の知恵や才能を浪費していたんじゃないかって心配になって。だから、新たな環境で再チャレンジしようって決めたんです」
何事も恐れず未来へと歩み続ける性格
「インドア派でオタクっぽいんですよ。ほとんどの時間は実験室にいるし、時間のあるときは家でネットやドラマを見るか、あとは読書ですね」「子どものころから武侠小説を読み、芸能人のゴシップ好き。大学生のころにはよく映画館に足を運んだ」。友人はある文章で、顔寧についてこんなふうに書いている。学生会の会長に突然立候補し、ライバルを出し抜いて当選したこともあったという。
何者も恐れず未来を切り開こうとする彼女の性格は、アメリカ留学の際にもその威力を発揮した。当時、プリンストン大学でアジアからの留学希望者の面接を担当していた施一公に宛て、自分を売り込む手紙を書いたのだ。「私の能力はあらゆる面で優れていると思いますし、より価値のあることに時間を使いたいと考えています。出国申請には時間も費用も無駄にかかります。プリンストン大が私を受け入れてくださるなら、他の大学に申し込む余計な手間が省けます」。この手紙は施一公に深い印象を残した。そして、電話面接の結果、彼女は入学を許された。
写真3:プリンストン大学時代の「恩師」でもあり、清華大学生命科学学院の「同僚」でもある施一公(撮影/中国新聞社記者 陳驥旻)。
両親から何か特別な期待をかけられたことは一度もなかったという。妹と2人、健やかにすくすくと育ってほしい、それだけが両親の願いだった。穏やかで愛情溢れる家庭で育ち、まっすぐな人生を歩んできた。彼女の性格は、そんな環境のもとで形作られたのだろう。
だが、自らに対しては、他人と比べず、自分のベストを尽くすことを課してきた。かつては「正義に燃える辣腕記者」を志したこともある。高校では文系クラスを選んだ。だが、当時は理系がもてはやされた時代。学年で成績トップだった彼女は、学年主任によって強制的に理系クラスに戻された。清華大学の生物学科を受験したのも両親の考えだ。自由で開放的な北京大学を志望していた彼女だったが、両親の考えに従った。「結果的に、清華大学に来たのは正解でしたね」「誠実で穏健、威風ある清華大学と、優雅で冷静、崇高なプリンストン大学、どちらも私の最愛の場所です」。2014年の清華大学卒業式での彼女の言葉だ。清華大学には彼女の思い出が詰まっている。ジョギングよりウォーキングを好む彼女は、実験や論文執筆に疲れると、よくキャンパス内を散策する。だからだろう、古びた建物の裏に育つ蝋梅のこと、季節ごとに異なる表情を見せる数々の庭園――彼女はここ清華園(清華大学校内)のすべてを知り尽くしている。
中国国内の研究環境の改善や女性科学者の研究継続にも尽力
一昨年5月、微信のある科学系アカウントに、某大学副教授によるゲノム編集分野の最新研究に関する記事が掲載された。国内の主流メディアは相次いでこれを報道、一部の院士を含む中国国内の生物学者も、その研究成果を高く評価した。
だが、顔寧は一貫して冷静だった。報道が熱を帯びていくなか、微博にこんな文章をアップした。「厳しい環境の中で研究を継続する姿には、心から敬服の念を覚えます。この機会に、中国国内の若手科学者支援に関心が注がれることを願います。研究については、すべてのデータが信頼に足るものであれば、大きな将来性がありますが、研究自体は革新的というより、過去の研究に追従したもの」
2カ月後、研究結果の再現性が否定され、論文は撤回された。「批判的精神が欠けていた結果でしょう。『常に批判的であれ』、これは科学研究に必須の態度。プリンストン大の授業では、生物学分野の代表的な論文を大量に読み、その欠点を指摘するという訓練を受けました。その訓練を通じ、疑うことの重要性を学びました。科学の世界では、権威に挑む疑いの精神なくして、革新はありえません」
このような環境で、指導教授である施一公とは学術的な問題について常に議論を交わしていたという。「考えが浅かったり背景知識がなかったりで、結局、彼が正しかったことが多かったですね。ただ、たとえ一介の学生にすぎなくても、権威に盲目的であってはならないのです」
写真4:昨年末に開かれた『中国新聞週刊』誌主催の「影響中国2017」で、科学技術部門のパーソン・オブ・ザ・イヤーを受賞した顔寧。撮影/中国新聞社記者 劉関関
中国国外の一流の研究体制を知る海外留学帰国組の1人として、彼女は国内の科学界についても独自の見解をもっている。性別によって差別されたことはないが、年齢がたびたび彼女の前に立ちはだかってきた。「国は若手研究者を対象にした助成計画を設けていますが、その年齢制限がかえってネックになっています。採用やプロジェクトの評価でみるべきは、年齢ではなく能力のみであるべきです」。このほか、彼女は中国国内の研究環境の改善にも可能なかぎり取り組んでいる。
いまや一人のすぐれた科学者に成長した彼女は、女性科学者のための活動にも関心を寄せている。当初は「女性科学者」と呼ばれると反感を抱くだけだったが、後に、なぜ女性であることがこれほど強調されるのかを考えるようになった。やがてわかったのは、博士号を持つ優秀な女性研究者の多くが、卒業後に研究に携わっていない、ということだった。こうした現状を変えるため、彼女はさまざまな場面で女性研究者の研究継続を後押ししている。
あるとき、博士課程の面接で男性の同僚が女学生に「将来的には、家庭と研究をどう両立させていくつもりですか?」と尋ねた。「その質問に答える必要はありません」。彼女は間髪入れず口を挟んだ。「みなさん、男性に対して家庭と仕事のバランスなんて質問しないでしょう?」「大衆がイメージする『科学者』とあなた自身はどこが違うと思うか」。そう聞くと、彼女が返す。「私がその『科学者』そのものだと思うけど?」彼女の答えはやはりひと味違っていた。
※本稿は『月刊中国ニュース』2018年4月号(Vol.74)より転載したものである。