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中国最新鋭の量子暗号衛星「墨子」―シリーズ・21世紀のスプートニク・ショック(1)

2019年8月20日 ニッポンドットコム編集部

「21世紀のスプートニク・ショック」といわれる衝撃的な事態が宇宙で起きている。連載の第1回は、ハイテクの粋を集めた量子暗号衛星「墨子」を打ち上げ、米国を凌駕しつつある宇宙強国・中国の動向について、宇宙法の第一人者で、日本の宇宙政策にも関わる青木節子・慶應義塾大学大学院法務研究科教授に聞いた。

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地球の周りを回る人工衛星のイメージイラスト(MIyabi-K/PIXTA)

宇宙でも米中対決の時代

----米中対決の時代です。その舞台はいまや宇宙に移りつつありますね。

青木 21世紀版「スプートニク・モーメント」(※1)といえる事件が3年前に起きました。重要な出来事なのですが、日本ではあまり知られていません。

----「スプートニクの瞬間(モーメント)」というと、ソ連が1957年に「旅の仲間(スプートニク)」と銘打った人工衛星を打ち上げた。米ソどちらが先に人工衛星を成功させるか競っていたさなか、先を越された米国が、瞬間、凍りついたことですね。負けるはずがない。そう高をくくっていたソ連に負けたと知った時の、米国人が受けた集団ショック状態。あれの再来みたいな事態が3年も前にあったのですか。

青木 「量子科学衛星」、英文頭文字でQSSという、それまで誰も打ち上げたことのなかった衛星を、中国は2016年8月、軌道に投入しました。申し上げているのはまさにそのことです。その後、米国は後追いできていません。

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世界初の量子暗号衛星「墨子」の打ち上げ=2016年8月16日(新華社/アフロ)

----そのQSSには、名前はあるのですか?

青木 それが意味深長なのです。「墨子」(※2)と名付けられました。英文だと、MiciusまたはMozi。諸子百家のうち墨子は非戦と博愛を唱えた人だそうです。これを名前に選んだ北京の意図はさておくとして、中国が「墨子」衛星で試したのは、今後の通信を担う基幹中の基幹技術でした。安全保障上、これに成功すれば、中国は米国に頭ひとつ抜け出す、そんな新鋭技術です。

 具体的に言うと量子通信を可能にする基礎技術の試験と開発を担うのが「墨子」号で、いまこの瞬間、宇宙空間に浮かんで地上と量子暗号のやり取りをする衛星は他にありません。米国ですら中国の後塵を拝しています。

 それは人工衛星の打ち上げ競争でソ連に先を越されたことに優るとも劣らぬ深刻な事態です。21世紀版「スプートニク・モーメント」だったのではと、言いたくなります。

----米国から反応は出ているのですか。

青木 それが、沈黙を守っています。科学的に込み入った説明が必要なこともあってか、スプートニクのように大衆レベルでショックが広がった形跡がありません。

 事実はといえば、軍事や外交に関わる機密情報のやり取りに最も向いた通信技術の開発で、中国が先んじた。ワシントンの沈黙に、むしろ雄弁なものを感じます。

----QSSは本当に通信の機密を守れる技術なのですか。

青木 あらゆる計算機の能力をもってしても、解読ができません。物理的盗聴は、どんな形であれ不可能とされています。テクノロジーによって、そういう状態を実現するのではありません。量子論が説くところ、もともとそうなのです。

 ただし、信号のやり取りは距離との勝負といいます。ですからいま、日本も含め、なるべく遠距離の2地点間で、量子暗号の送受信ができないか、試験をしているところでした。中国はいきなり衛星と地上で量子暗号のデリバリーに成功し、世界をあっと言わせたわけです。このまま量子衛星を増やしていくと、誰にも読み取れず、誰にも破られない量子コンピューティングのネットワークが、完成に近づきます。

量子暗号衛星 量子暗号通信技術を搭載した人工衛星。この通信技術は光の粒子の性質を利用したもので、いかなる計算機でも解読できず、原理的に盗聴・傍受が不可能とされる最先端通信システム。中国はこの技術の確立で、「理論上、情報セキュリティーの問題を永久に解決できる」としている。この技術は今後、軍事分野などにも活用されるとみられる。

日本を凌駕した中国の宇宙開発

----中国は長期的に何を目指すのか。北京の意図は読み取れるものなのでしょうか。

青木 この連載で、後に中国の戦略には詳しく触れたいと思います。中国の宇宙開発は質・量の両面で、日本を凌駕しているだけではありません。一例として挙げた「墨子」衛星がそうだったように、いまや部分的には米国をすら上回りつつあります。

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「墨子」衛星の打ち上げ準備(新華社/アフロ)

----まず「量」から教えていただけますか。

青木 分かりやすいのは、衛星の打ち上げ回数です。2012年の上半期、中国は初めて世界一になりました。通年で言うと、18年に38基の打ち上げに成功し、米国を抜いて世界一になりました。日本は6回です。追い付きようのない差がついてしまいました。

「質」に目を転じると、いついつまでに何を実現する、と彼ら自身の「白書」で公に明らかにしています。その後、実際にどうなったかを見てみれば分かるのですが、彼らの計画に遅延が起きません。むしろ前倒しで遂行しています。

 宇宙開発において、そんなことができた唯一の国が中国です。諸学横断型で、設計が込み入りがちな宇宙開発のような事業では、計画未達や遅延はむしろつきものです。その「常識」が、中国に限っては当てはまりません。2000年に出した第一次の宇宙白書で中国は、「2010年代終わりまでに人間を宇宙に送る」と書きました。実現させたのは、早くも03年の10月だった、というようにです。

次々と他国に地上局を造る中国

----先ほどの「墨子」衛星が地上と量子暗号をやり取りする場合、地上局は中国の領内にあるのですか。

青木 それらの通信実験に限っていうと、オーストリア、イタリアの科学者がそれぞれの国から「墨子」にアクセスし、実験を成功させています。

 軌道上を猛烈な速度で移動する衛星との交信を確かなものにしたければ、地上の多地点からさまざま角度の異なるチャネルを確立しなくてはなりません。それにはアフリカ、南米など、場所を変えた地上局への足掛かりが必要です。

----いろいろな大陸の、さまざまな地上局を中国が使っている。どうやって可能にしたのでしょう。

青木 通信衛星、リモートセンシング衛星といった静止衛星を中国がどこか別の国のためにつくって、打ち上げてやる。管理もしてやるということとの見返りです。

 ナイジェリアが2011年、次いでボリビアが13年、ラオスが15年、アルジェリアが17年という具合に、中国に衛星を打ち上げてもらい、その後の管理も委ねています。今年はコンゴが新たに加わるとみられます。

 中国は、ラテンアメリカやアフリカに、宇宙にある物体の位置や軌道を観測する宇宙状況監視(SSA)局も増やしています。米国とその同盟国の構築するSSAネットワークに対抗する意思の表明です。

----海軍力とは何か著した古典「海上権力史論」で著者アルフレッド・セイヤー・マハン(※3)は、海軍国として覇を唱えたければ港、港へのアクセスを手中にすることが欠かせないと言っている。大英帝国はアジアに来る際、コロンボ、シンガポール、上海と、港湾を押えました。ちょっとその再来という気がしませんか。地球上のいろいろな地点に置いた地上局へのアクセス抜きに、「宇宙覇権」は狙えない。そこを北京はよく分かっているのですね。

青木 今後、月からさらに奥、火星など「深宇宙」に探査を進めていこうとする場合、何をめぐっての競争になるだろうか考えてみます。

 一言で言うと、宇宙を自由に使いたい。自由に宇宙へものを送り込みたい。定住する場合、自由に場所を選び、活動にも自由を得たい。そういうことをめぐる競争です。

 こういう超長期の意思をもつ国は限られています。米国と中国、強いていえば、実行力を度外視すれば、共同体としての欧州。これくらいです。日本には能力はもちろん、発想がない。むしろ米国にどれだけ自国の能力を高く売れるか、それによって、日米同盟の強化につなげるか。そこを考えるという道なのかもしれません。

青木節子

青木 節子 AOKI Setsuko:
慶應義塾大学大学院法務研究科 教授

略歴

防衛大学校社会科学教室助教授、慶應義塾大学総合政策学部教授などを経て、2016年4月より慶應義塾大学大学院法務研究科教授。1983年慶應義塾大学法学部法律学科卒業、90年カナダ、マッギル大学法学部附属航空・宇宙法研究所博士課程修了。法学博士(93年)。専門は国際法、宇宙法。

(※1) ^ スプートニク・ショック 東西冷戦下の1957年10月、ソ連のスプートニク打ち上げ成功が米国を中心とする西側諸国に与えたショック。スプートニク・ショックを受け、米政府は宇宙開発を加速させ、米航空宇宙局(NASA)設立やアポロ計画策定を行った。

(※2) ^ 墨子 中国、戦国時代の思想家(紀元前5世紀後半~前4世紀前半)。武力による問題解決を否定して平和論を唱え、人々が利己主義を捨てて博愛を心掛けることを主張した。墨子を中心とする集団が結成され、儒教とともに戦国時代の主要な思想となった。

(※3) ^ マハン 米国の軍人、戦略家(1840~1914)。主著『海上権力史論』は海軍力の歴史的役割と影響力を分析した名著。大海軍主義を唱え、海軍力強化を主張し各国指導者に影響を与えた。


※本稿は、ニッポンドットコム「中国最新鋭の量子暗号衛星「墨子」|シリーズ・21世紀のスプートニク・ショック(1)」(2019年7月12日)をニッポンドットコムの許諾を得て転載したものである。
転載元URL:https://www.nippon.com/ja/japan-topics/c06501/