深圳最先端エリア 「粤海街道」の今と昔
2019年9月27日 楊智傑(『中国新聞週刊』記者)/神部明果 (翻訳)
羅湖区から福田区の華強北へ、さらに南山区にある粤海街道へ。深圳は40年という歳月をかけて産業高度化への道を西へ向かって歩んできた。
ここは深圳市南山区粤海街道の中心エリア。深圳湾を隔てた対岸は香港だ。ZTE、スカイワース、TCLなど名だたる企業の高層ビルが目前に広がっている。驚くべきことに、有名テック企業が15km2にも満たない区域に無数に密集しており、これが最近インターネット上で話題になっているのだ。
この狭小な地区からは莫大な利益が生み出されている。昨年、深圳市南山区のGDPは5,018億元(約8兆円)に達し、そのおよそ半分が粤海街道によるものだ。また今年6月の時点で、南山区にある上場企業156社のうち半数以上が粤海街道にあり、南山区のユニコーン14社のうち9社は粤海街道から誕生している。
粤海街道の意外な活況ぶりの裏には1つの興味深い法則が隠されている。深圳で最も活気ある地域は、40年という歳月をかけて深南大道沿いに東から西へと移動しているのだ。羅湖区から福田区の華強北へ、さらに南山区の粤海街道へ。現在ではこの粤海街道が最も熱いエリアになっている。
テンセントを始めとする有名企業が密集する粤海街道。写真/IC
深圳東部から西部へ
1997年、当時の粤海街道はまだ見渡す限りの「沼地」にすぎなかった。
初期の深圳で最も輝かしい発展をみせたのは東部の羅湖区だ。ここが深圳の改革開放の窓口となり、対外貿易は集中的に発展した。1985年には当時「中国一の高さ」とうたわれた地上160メートルの深圳国際貿易センタービルが完成した。「3日で1フロア」という建設スピードは全国的にも話題になった。
同じ年、深圳南西部にある深圳湾のほとりに中国初のハイテクパークである深圳サイエンス・テクノロジーパーク(以下、サイエンスパーク)が完成した。米シリコンバレーに示唆を受けた深圳市政府と中国科学院がそれぞれ1,000万元を投じて建設したものだ。その後深圳のハイテク産業はこの地を起点に発展していくことになる。
当時この地域はどの行政区域にも属しておらず、5年後の1990年になりようやく深圳市南山区が設置され、翌年には区画整備が進められた。サイエンスパークはちょうど粤海街道の管轄区域内に収まることとなった。これは当時としてはやはり「貧乏くじ」だったといえる。一帯は海岸に面した干潟で大部分が未開発だった。大雨のあと、あるいは満潮時にはたちまち多くの場所が水没する有様だった。
しかし、干潟の上にも次第に希望の光が見えてくる。鄧小平氏が1992年に南方談話を発表すると、深圳での改革開放の歩みが加速した。さらに「ハイテク技術産業都市の確立」という目標や、「三来一補(提供された原料、サンプル、部品を元に加工を行うことおよび補償貿易を指す)」を主軸とした産業構造の転換が明確に打ち出された。この年、ファーウェイの創業者である任正非氏は当時のメンバーを率いてサイエンスパークに移転しており、ビルの2フロアをオフィスとして研究開発に専念する決意を固めている。当時数十人から始まった企業が、数年後に中国テクノロジー産業の頂点に上り詰めるとは当時誰が予想できただろう。
潜伏期間にあった西部とは異なり、深圳東部での建設は猛烈な勢いで進められた。1996年には地上384メートルの地王ビルが竣工し、国貿ビルに代わりアジア一高いビルとなった。当時の中国に巻き起こりつつあったコンピューターブームに乗り、深圳の若者たちは羅湖区のすぐ西にある福田区の華強北にこぞって押し寄せた。1998年には馬化騰(マー・ホアトン)氏と彼の同級生4人がこの地でテンセントを創業している。
華強北には日々無数の人々が寄り集まり、店舗同士が数珠のように繋がり電子製品の一大サプライチェーンが形成されていった。電子関連ビジネスを手掛ける人がここを訪れれば、部品の調達から加工・製造さらには市場開拓まで一挙に解決したものだ。2007年には全国の携帯端末メーカーの8割が深圳に集まり、華強北は中国全土さらにはアジアの携帯端末取引の中心へと成長していった。
「当時は国内外の商取引市場を開拓したければ華強北、研究開発をしたいのなら南山区という位置付けだった」。深圳大学管理学院の劉筱・副教授は、華強北とテクノロジーパークには当初から明確な性格の違いがあったと考えている。
「市場」の雰囲気が色濃い華強北と違い、テクノロジーパークは最初から政府の力に依拠して発展していった。深圳市政府は初期の段階で数十億元を投じ企業誘致と外資導入を進め、ハイテク産業の研究開発に重点を置いた。この時期にはフィリップス、マイクロソフト、サムソンなどの外資系企業に加え、ファーウェイ、ZTE、長城汽車などが相次いでテクノロジーパークに入居。ある統計データによると、テクノロジーパーク設立から3年でハイテク製品の生産高は当初の4.7倍にまで急増し、市全体の36%を占めるようになっている。
とはいえ、華強北と比べてしまえばテクノロジーパークが見劣りする場所であることに変わりはなかった。テクノロジーパークはきらびやかな深圳の中心地から20㎞先の辺鄙な場所にあり、まるで人里離れた田舎のような存在だったのだ。
だが華強北の栄光の時代は長く続かない。偽ブランドの携帯端末も2008年の金融危機後は鳴りを潜め、iPhoneが国内市場に進出すると、国産携帯ブランドも徐々に成熟していった。Eコマースが登場すると、政府はこれを受けて知的財産権の保護を強化、その結果、華強北の模倣・加工ビジネスは次第に立ち行かなくなり、十数年続いた絶頂期は衰退への道を辿ることになった。
これと対照的に、テクノロジーパークのある粤海街道は上昇気流に乗り始めたところだった。十数年の間にソフトウェアパーク、SZICC(国家集積回路設計深圳産業化基地)さらには複数のインキュベーターが相次いで完成し、テクノロジーパークの熱気は徐々に高まっていった。本来は他の地区に点在していたハイテク企業もこの地に集中するようになり、有名企業が続々と自社ビルを構えた。大疆(DJI)、柔宇科技(Royole)、テンセントクラウド、菜鳥(Cainiao)などのITベンチャー企業もこの地から大量に輩出され、いずれもユニコーンへと成長を遂げている。
こうしてこれまでの「田舎」は徐々に「都会」へと変貌を遂げた。当初から粤海街道で働くある職員は当時の様子をこう回想している。「昔は食事をする場所さえなかったので本当にお手上げでした。しかも夜まで残業すると辺りは真っ暗。一人では怖くて外に出られませんでした」。それが今や、斬新なスタイルの超高層ビルが林立し、時代の波に乗ったテック企業が軒を連ね、おしゃれなショップも数多く出店する若者にも人気のエリアとなっている。
深圳は40年という歳月をかけ、産業高度化への道を西へ西へと歩んできたといえるだろう。
「深圳DNA」
中国の行政体系においては、街道は郷や鎮と同じ行政レベルとして扱われる。民生部のある公報によると、中国全土には2017年年末時点で8,241の街道が存在する。
上掲の劉副教授によれば、昨今、粤海街道の存在感を高めるのに一役買っているのがテクノロジーパークだという。ファーウェイ、ZTE、テンセントなどの企業はいずれもここを拠点として大きく成長した。またこれら大企業により産業クラスターが形成され、テクノロジーパークは徐々に知名度と影響力のあるハイテク産業の中心として知られるようになった。
ファーウェイは1992年に粤海街道に入居し、10年後に本部を龍崗区の坂田街道に移したものの、粤海街道のオフィスはそのまま残していた。2004年7月に上場を果たした後は粤海街道の飛亜達ビルに移転したが、当時の従業員数はわずか760人前後だったという。現在では同社の二番目の自社ビルとなる濱海ビルが粤海街道に完成している。
南山区で誕生したユニコーン14社のうち、9社が粤海街道に拠点を構えている。「1つの大手企業は自身の事業を支える無数の川上・川下企業をもっている。例えば、元ファーウェイ社員が、ファーウェイの構築したサプライチェーンを利用して『ボス』であるファーウェイの業務を部分的に請け負うといったことだ」。大企業が産業集積を主導する重要な役割を果たしているというのが劉氏の考えだ。
ファーウェイが本部を移転して以降、「ファーウェイ系」創業者はテクノロジーパークや南山区に留まり、深信服科技(Sangfor)、麦格米特(MEGMEET)、藍海華騰(V&Tテクノロジーズ)などの企業を立ち上げた。現在その多くがすでに上場を果たしている。
「充実したサプライチェーンが技術革新を強力に後押ししている」。深圳市産業パーク発展促進会副秘書長で中科為集団産業発展センター総経理の葉青(イエ・チン)氏によると、サプライ能力が華強北から南山区に拡大したおかげで、華強北から1km2の範囲内では、携帯端末の企画からサンプル生産までにかかる日数はわずか7日だという。「深圳にはシリコンバレーさえも上回るほどの優れた製品化能力がある」
粤海街道のある南山区全体では、テック企業と政府がある種の「付かず離れず」の関係を保っている。
南山区政務サービスデータ管理局の張軍(ジャン・ジュン)・局長は「テック企業の南山区への集中は市場行為であり、その背景には複数の要因がある。南山区政府は市場ルールを尊重しており、企業の成長に干渉することはほぼない」と語る。
とはいえ、深圳市の潤沢な財政状況は、南山区に企業が集中した要因として重要だ。研究開発型ベンチャー企業では、初期の数年間は利益確保が難しく、政府の支援を必要としている。深圳の財政が、ハイテク・スタートアップ企業の資金や事業拠点に関する問題を創業初期から成長期までトータルに支えている。
金融の中心地である香港に隣接しているため、全国にある他のテクノロジーパークと比べ、粤海街道のテック企業は市場資金の獲得で絶対的に優位な立場にある。南山区にある156社の上場企業のうち、半数以上が粤海街道に集中している。2009年には中小企業に特化した「創業板〔ベンチャー企業向け投資市場〕」が深圳証券取引所に開設され、一定規模に成長した深圳のハイテク中小企業には資金調達のチャンスが与えられている。
劉氏の研究チームの比較研究により、深圳の機関投資家の数はIPOあるいは私募のいずれにおいても、北京や上海をはるかに凌ぎ全国一位であることが明らかとなっている。そのうえ深圳の資本環境においては独自の投資スタイルが形成されている。北京の多くの投資会社は国有資本を保有しているため、政策からなにがしかの影響を受けやすい。さらに、規模が比較的大きく市場が相対的に成熟した企業または技術に投資する傾向も強い。上海の資本の場合はより安定性を重視する傾向がある。これに対し深圳では投資に対する柔軟性が高く、中小企業ボードや創業ボードでのIPO規模は北京や上海をはるかに上回っており、ビジネスを果敢かつ大胆に進める深圳の気質を表している。葉氏の述べるとおり、南山区と粤海街道には、深圳の優秀な企業を引き寄せ、その後何倍にも成長させる強烈なパワーがあるのだ。
粤海街道を行き交う若い会社員。写真/IC
深圳IC産業の弱点
粤海街道の管轄区には現時点で900社以上のハイテク企業がある。バイオ・新医薬品技術、新エネルギー・省エネルギー、新素材技術、電子情報技術など「硬科技」と呼ばれる多くの分野をカバーしており、集積回路産業(ICチップ)はその代表例だ。
深圳市のIC設計業界の規模は引き続き拡大しており、ここ数年は全国トップの座を維持している。昨年の売上高は758.7億元で、2位の北京と3位の上海を大きく上回る。さらには深圳のIC産業の大多数が粤海街道一帯に集中している。
深圳市半導体業界組合の常軍鋒・事務局長は、深圳のIC産業の発展経緯は当初から他の地域と一線を画していたと述べる。北京の強みは大学や科学研究機関の多さだ。また上海を中心とする長江デルタは「909プロジェクト〔1996年に開始された半導体産業国家プロジェクト〕」や地方政府による融資の恩恵を受け、サプライチェーンが相対的に整備されている。一方で、民営企業が多く、基礎科学研究が脆弱で大学数も少ない深圳は、より実践的な成長路線を歩んでいる。
2003年に粤海街道に完成したSZICC(国家集積回路設計深圳産業化基地)は、スタートアップ企業に向けたEDA(ICチップの設計に必要なツール)のリースサービスを提供している。チップのテストの際には費用面での優遇や支援も受けられるため、設計コストを大幅に抑えることが可能だ。このため、南山区のICチップ設計関連企業のほとんどがテクノロジーパーク一帯に密集している。深圳には昨年の時点で計170社のICチップ設計関連企業があり、そのうち設計企業47社とテスト企業3社が南山区にある。同区の企業数と売上高はいずれも深圳トップで、江波龍(Longsys)、敦泰(FocalTec)などのリーディングカンパニーが拠点を構えている。
昨年の「ZTE問題〔アメリカがZTEとの取引を禁止した事件〕」が発生して以降、中国産ICチップの「自立」という難しい課題が再び世間の注目を集めるようになった。これは事実、テクノロジーパークを代表とする深圳のICチップ産業が避けて通れない課題でもある。
SZICCの趙秋奇(ジャオ・チウチー)・副主任は以前、深圳のIC産業が抱える問題についてこう指摘している。「先進的で重要度の高いコア技術の研究、中小IC関連企業のイノベーション能力および継続的な成長のためのバイタリティが不足している。さらにICチップのサプライチェーンは不完全で、製造やテスト実施のプロセスは盤石とはいえない」
深圳のテクノロジー企業の技術的ハードルは高いとはいえず、基礎的で独自性のある開発ではなく、実際の応用を目的とした研究開発がメインとなっている。劉教授も、テクノロジーパークさらには深圳全体の基礎研究の弱さがいまだに課題だと指摘する。粤海街道の深圳大学とバーチャルユニバーシティパーク(虚擬大学園)は現在、基礎的な研究開発の強化に取り組んでいるものの、依然として応用型研究・応用型人材の輩出が多くを占めているという。「深圳の基礎研究は現在でも脆弱な段階にあり、北京、上海には遠く及ばす、武漢、成都、西安などの都市と比べても弱い。研究所の少なさや研究基盤の弱さはむろん深圳という都市の歴史と関係しているが、直近10年の深圳の政策をみても、基礎研究の強化は重要な方向性となっている」
南山区では90%以上の研究所や研究者が企業に所属しているうえ、研究開発資金のほとんどが企業により投入されている。集積回路設計産業においてイノベーションの主体となっているのも民営企業だ。
深圳市もこの問題を自覚しており、全市を挙げて改善に取り組む意向を示している。王立新(ワン・リーシン)・副市長は5月末に開催された「未来フォーラム・深圳技術サミット2019」で次のように語った。「当市は今年から過去の政策を改め、技術研究への資金投入を増やしていく。財政テクノロジー専用資金の3分の1を毎年拠出し基礎研究に充てる。さらに2年以内に2つの省級実験室、ノーベル賞受賞を目指す10の実験室、13の基礎研究機関を設置し、世界から科学者を呼び込みたい」
さらに深圳市政府は5月、集積回路産業の発展に関する2つの文書を続けて発表した。深圳のIC関連サプライチェーンの強化、重要基幹技術におけるブレイクスルーの加速、リーディングカンパニーの育成および集積回路の産業クラスター構築を目標に掲げた内容だ。
上掲の常氏は、深圳の集積回路産業が1つの転換点を迎えていると考えている。「集積回路産業は十数年の発展を経て、量から質へと新たなステップに踏み出しつつある。これまで不得意としてきたカーエレクトロニクスや工業エレクトロニクスなどのICチップでは、商業的な応用から研究開発へのシフトが始まりつつある。これがさらなる発展のチャンスにもなるだろう」
「研究開発へのシフト」がネット上でさかんに話題にされるのは、粤海街道にとっていいことばかりではない。海外との取引に影響が出来るからだ。輸出規模26年連続全国1位を誇り、海外にマーケットをもつテック企業が多い深圳にとっては当然の心配といえるだろう。
粤海街道の南側には、金融やIT分野でトップクラスの企業が続々と進出しており、バイドゥのグローバル本部兼研究開発センター、そしてアリババの国際本部やビジネスクラウドコンピューティング開発センターも完成した。深圳はこれまでも、そしてこれからもさらなる高みを目指し成長し続けるだろう。
※本稿は『月刊中国ニュース』2019年10月号(Vol.92)より転載したものである。