第178号
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北京電子陽電子衝突型加速器:高エネルギー物理学分野の「資源」の衝突

2021年07月05日 崔 爽(科技日報記者)

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上空から撮影したBEPC II(画像提供:取材先)

今思えば、BEPCを建設したのは、当時できることとしては、最善の選択だったと言える。BEPCのおかげで、中国は、世界の高エネルギー物理学の分野で一定の地位を占めるようになり、世界レベルのチームが育ち、中国国内の他のビッグサイエンス装置の建設も促進された―王貽芳(中国科学院高エネルギー物理研究所所長、中国科学院院士)

 北京電子陽電子衝突型加速器(BEPC)の重大改良プロジェクトである予備超伝導加速器システムの鑑定会が4月18日、中国科学院高エネルギー物理研究所(IHEP)で開催された。北京大学や中国科学技術大学、清華大学などからの専門家等によって構成される鑑定チームが、カギとなる設備である予備超伝導加速器システムの鑑定を行った。

 これは、毎年数多く重ねられていく改良の一環に過ぎない。何といっても、中国初のビッグサイエンス装置としてのBEPCは稼働30周年を迎えた。IHEPの所長を務める中国科学院の王貽芳院士は、「こんなに長く稼働するとは夢にも思っていなかった」と語る。

 そして、「今思えば、BEPCを建設したのは、当時できることとしては、最善の選択だったと言える。BEPCのおかげで、中国は、世界の高エネルギー物理学の分野で一定の地位を占めるようになり、世界レベルのチームが育ち、中国国内の他のビッグサイエンス装置の建設も促進された」とし、「BEPCの寿命はまだあと10年あり、今後も科学の探索が続く」と感慨深く語った。

一進一退を繰り返しついにBEPC建設へ

 IHEPのホールに入ると、左側の壁に大きな字で、「これ以上遅らせてはならない」と書かれている。これは、周恩来総理の親筆で、落款には1972年9月11日と書かれている。

 これは、一進一退を繰り返したBEPCの建設をついに前進させた一言だ。同年8月18日、中国科学院原子力研究所の元副所長である張文裕氏ら18人が、周総理に手紙を送り、高エネルギー物理学を発展させるためには、高エネルギー加速器の建設が絶対に必要で、中国独自の素粒子物理学実験拠点を建設するよう提案した。

 9月11日、周総理は返事の手紙の中で、高エネルギー物理学研究や高エネルギー加速器の研究開発に関する指示を出し、「これ以上遅らせてはならない。高エネルギー物理学研究や高エネルギー加速器の研究開発は、科学院が最優先する主要プロジェクトの一つになるべきだ」と綴った。

 そこにたどり着くまでの道は決して平坦ではなかった。中国国家最高科学技術賞受賞者であるIHEPの研究員・謝家麟氏は以前、「50年代後半から、何度も計画を練り、下準備をした」と振り返る。

 1956年という早い時期に、中国は、高エネルギー加速器を建設する計画を立てていた。BEPCの建設が正式に始まる前、高エネルギー加速器プロジェクトは一進一退で、計画を立ててスケジュールが制定されたかと思えば、さまざまな原因により、何度も立ち消えになっていた。

 当時の中国を振り返ると、加速器が必要か、どんな加速器を開発するのか、建設後の用途はどうするのかなどについて、はっきりとした考えを持っている人はあまりいなかった。

 1980年代初めになって、鄧小平氏が、方毅副総理に、高エネルギー加速器建設に関して、中国内外の科学者から広く意見を求め、しっかりと論拠を固め、ガイドラインを制定するよう指示した。そして、方副総理は、中国全土の10以上の研究・工業機関の専門家60人以上が論証を繰り返した。

 謝氏は、「各方面の提案をまとめ、李政道氏や呉健雄氏、袁家騮氏、米国スタンフォード線形加速器センター(SLAC)のヴォルフガングK.H.パノフスキーセンター長などの提案に、皆がほぼ同意し、まず、2×22億電子ボルトの電子陽電子衝突型加速器を建設することになった。ガイドラインが制定された後、鄧氏自ら書面で、『私は同意し、許可する。これ以上迷うことはない』と指示を出した」と振り返る。

 こうしてことが決まった。1988年10月16日に、BEPCは電子・陽電子の衝突を実現した。それがカバーするエネルギーエリア内で、大量のチャーム物理学の最先端研究を行うことができるようになった。

チャーム物理の領域で30年間先頭を走り続けるBEPC

 北京の天安門広場から西に約15キロの位置にあるBEPCは、バトミントンのラケットのような形で、北から南に向かって伸び、長さ202メートルの線形加速器1基、長さ200メートルのビーム輸送ライン1組、周長240メートルの蓄積型加速器1基、高さ6メートル、重さ700トンの大型スペクトロメーター「北京譜儀」、シンクロトロン放射実験機14台などからなっている。

 2004-08年に大きな改良プロジェクトが実施されていた期間と、毎年約2ヶ月にわたりメンテナンスが行われる間を除けば、BEPCでは電子と陽電子がほぼ常時衝突しており、各種粒子が発生し、衝突エリア周辺に設置されているスペクトロメーターでそれを検出することができる。科学者はそれらを分析して、科学研究を行う。

 なぜ電子と陽電子を衝突させる必要があるのだろう?宇宙は、基本的な素粒子でできており、衝突型加速器は、新しい素粒子を検出するための最も一般的なツールというのがスタンダードな説明だ。加速した高エネルギー粒子をターゲット物質や他の粒子と衝突させると、新しい基本的な素粒子を発見できる可能性があるのだ。

 IHEPの研究員・張闖氏は、2匹のリスがクルミを持って加速器の両脇に立っているイラストを見せながら、「クルミを地面に投げつけても恐らく割れないが、二つのクルミを高速で衝突させると割れるだろう。衝突型加速器は、粒子を衝突させて割り、中に何が入っているかを見るようなものだ。速度が速ければ速いほど、衝突の衝撃が大きくなり、新しい素粒子も発見しやすい」と説明した。

 多くの成果がBEPCの性能を物語っており、チャーム物理の分野のほとんどの正確な測量は、BEPCの功績だ。例えば、1988年10月にBEPCが完成して以降、タウ・チャーム物理のエネルギーエリアの性能が、世界で最も高い衝突型加速器となり、1990年に国家テクノロジー進歩特等賞、2016年に国家テクノロジー進歩一等賞を受賞した。また、タウ・レプトンの質量を正確に測量し、従来の国際平均値を3倍の標準偏差に修正し、レプトン普遍性の議論にピリオドを打った。また、2013年3月には、同装置はテトラクォーク物質を発見し、アメリカ物理学会によって同年度の重要な成果に選出され、トップに立っていた。

 王氏は、「BEPCの学術成果は、国際学術界公認の注目の成果となっているものの、一般社会にとっては、馴染みが薄い。しかし、科学というのは、科学界が進歩し、問題を一つ一つ解決した時に発展するものだ。どんな設備であっても、どの世代の人であっても、どんな実験であっても、それぞれが何かに貢献している」との見方を示す。

疑いの余地のない確かな収穫

 謝氏が言及しているように、「BEPCが成功した効果の一つとして、私たちはビッグサイエンス研究プロジェクトの実行能力に対する自信を深めることができたことだ。中国の工場でも、世界レベルの部品を製造することができる。BEPCの蓄積型加速器の四重極磁石に使うプレスは、最初はスピードを求めて、海外に発注していた。同時に国内で試作を行い、国産のプレスの対称性や精度は海外製を上回ったことが分かった。また、BEPCの線形加速器の加速チューブは、加工の精度や製法に対する要求が極めて高く、国産品の性能は非常に高く、複数の国に輸出するようになっている。米国の幾つかの大型実験室でも、中国製の加速チューブが使われており、国のために数多くの外貨を獲得した」と説明する。

 王氏も、「BEPCの成果集を作るなら、科学的成果はその一章に過ぎない。それがきっかけでできた中国初の電子メールシステムや製造企業の技術レベルの向上、人材チームの育成、グローバル化した科学研究環境づくりなどは、どれもが特筆すべき成果だ」と強調する。

 そして、「科学的意義のほか、BEPCの存在により、多くの人が開放的な考え方をするようになり、海外に行って、外の世界を見たり、世界の一流の科学者と交流したりするようになった。その過程で、中国にも世界で名を馳せる加速器建設チームができた。科学的発見というのは、往々にして求めてできるものではなく、偶発的なものだ。しかし、それら全ては、疑いの余地のない確かな収穫となる」との見方を示す。

 王氏によると、BEPCの建設費は2.4億元(約41.3億円)で、大きな改良に6.4億元(約110億円)がかけられたため、合わせて8.8億元(約151億円)が費やされてきた。そして、中国の高エネルギー物理学者らがBEPCを30年間活用して、これまで毎年30--40本のペースで論文を執筆し、世界的なビッグサイエンスの協力モデルとなってきた。

高エネルギー物理の「超大型加速器」の時代を迎える

 時代が移り変わると共に、高エネルギー物理学研究の目標も変化している。長期的計画が特徴のこの学科にとって今、30年先、さらには50年先の方向性について考える良い時となっている。

 王氏から見ると、2019年の中国の基礎研究費は1,335.6億元(約2.3兆円)で、研究開発(R&D)費に占める割合は6.03%に達し、史上初めて6%を突破した。一方で、欧米諸国の同割合は長年、15--20%をキープしている。

 王氏をはじめとする科学者らは、高エネルギー物理の「超大型加速器」時代の突入に向けて努力を重ねている。

 2012年7月4日、ヒッグス粒子が検出された。同年9月、IHEPは、円形の超大型加速器(CEPC-SppC)の建設計画を打ち出した。

 2018年11月14日、CEPCは、「加速器編」と「スペクトロメーター・物理編」からなる「コンセプト設計報告」2巻を発表した。設計によると、「超大型加速器」建設の第一段階では、周長100キロ余りの円形の大型電子陽電子衝突型加速器(CEPC)が建設される計画で、予算は300億元(約5,160億円)以上という。さらに高エネルギーで、高輝度のこの加速器なら、さらに高い精度でヒッグス粒子の研究を行うことができる。

 これは、世界の高エネルギー物理学界の共通認識だ。2020年6月、欧州原子核研究機構(CERN)の理事会は、全会一致で欧州素粒子物理戦略2020(5カ年計画)を可決し、電子陽電子衝突型加速器に基づく「ヒッグス ファクトリー」を「最も優先度の高い将来の取り組み」として掲げた。そして、できるだけ高エネルギーの電子陽電子衝突型加速器の建設を期待するとしている。

 王氏は、「8年の議論を経て、CERNが建設を決めた円形の超大型加速器プランは、CEPCとほぼ同じで、どちらかが建設すれば、もう片方は自然と建設をあきらめ、それから数十年は相手の研究計画に参加するという形になるだろう」との見方を示す。

 それは非常に難しいが、しなければならない決定で、王氏の言葉を借りるなら、「勇気ある決断」となる。

「高エネルギー物理研究は、大型装置を使い、壮大な計画を立てる。世界各地の科学者が一緒に研究し、論文を発表する。そのため、今後何をするかよく考え、前もって計画を立てなければならない。通常、準備に10年、建設に10年かかり、稼働するのは20-30年。例えば、CERNの大型ハドロン衝突型加速器は、1970年代に計画されたもので、計画が正しければ、楽に60年間利用できる」と王氏。

 IHEPのホールの周総理の言葉が書かれた壁の向かい側の壁には、鄧氏の「過去にしろ、現在にしろ、将来にしろ、中国は独自にハイテクを発展させ、世界のハイテクの分野で一定の地位を占めなければならない」という言葉が掲げられている。それは、鄧氏が1988年10月24日に、BEPCを視察した時に語った言葉だ。

 王氏は、「もし、海外の人に衝突型加速器を建設してもらうなら、人類の自然に対する認知を拡大する分野の技術を自分のものにすることは永遠にできない。そして、本当の意味でオリジナルの世界レベルの成果を生むことも不可能になる。世界のハイテクの分野で一定の地位を占めるために、CEPCはベンチマーク的な機会を提供する」と、CEPC建設の価値を強調する。

 高エネルギー物理学者である王氏によると、CERNの建設は2028年に始まる計画となっているという。一方、CEPCは、2025年に政府の明確な支持を得ることができれば、CERNより2-3年早く建設を始めることができる。そうなれば、世界の高エネルギー物理学者は中国に集まって実験を行うようになる。

「CEPCは現在、初期段階のコンセプト設計が完成している。また、立地選定も進んでおり、地質調査をしている場所もある。最終的な結論がまだ出ていないため、全速で前に進むことはできないが、現在、技術の準備もしている。全体的に見ると、克服できない困難は何もなく、何でも実現できることを証明済みだ」と王氏。

 そして、再びそろばんをはじき、「CEPCの建設には300億元の投資が必要。設計通り30年稼働し、高エネルギー物理学者3,000人しか使用しないとしても、一人当たりのコストは年間30万元。それに運営費や人件費を加えても、中国国内のいかなる主要な研究分野の科学研究の予算水準を上回ることはない」とする。

 さらに、大型科学装置の主導権を握るというのは、海外の設備を使わせてもらって実験をするのとは全く違うというのは重要な点だ。王氏は「主導権を持つ人が、全ての決定をすることができるということ。そして、その決定のリスクも、自分で担わなければならないということだ。そのため、このことの良しあし、テクノロジープランのメリットとデメリット、リスクをはっきりと知っておかなければならない。もし経験したことがなければ、それらを学びとることはできない」と指摘する。

 そして、「中国の科学者に、CEPCを通してそれらを学びとってほしい」とし、自身も今後の「勇気ある決断」のために着々と準備を進めている。


※本稿は、科技日報「北京正負電子対撞机:撞出高能物理領域豊富"鉱蔵"」(2021年5月24日付5面)を科技日報の許諾を得て日本語訳/転載したものである。