第183号
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量子ロックとキーの下で

2021年12月09日 AsianScientist

 中国は、「ハッキングできない」量子インターネットの確固たる基礎を築く量子鍵配送(QKD)技術で世界をリードしている。

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 AsianScientist プライバシーの確保に関しては、相手と同じ手段を用いて対抗せざるをえないことがある。現在、オンライントランザクションと機密データは公開鍵によって保護されているが、公開鍵は、素因数分解することで「ロック解除」される多数の鍵と考えることができる。

 しかし、量子コンピューティングが主流になるにつれ、そのような問題を解決することは容易になり、インターネット上での行動はハッカーに対して脆弱になっている。不思議なことではあるが、量子技術の別の形式である量子鍵配送(QKD)が量子コンピューティングによってもたらされる問題の解決策となるかもしれない。

 米国、日本、シンガポールなどの国々が数十年にわたってQKDに注目してきたが、中国は今日、長距離光ファイバーネットワークと衛星量子通信の両方をすでに展開しており、明らかにリードしている。中国はどのようにして世界をリードする専門知識を開発したのか? そして、このことは今後の技術にとってどのような意味を持つのか?

プライバシーの鍵

 QKDが意味するものと最終的に量子インターネットに期待されるものについて調べる前に、一歩下がってQKDがどのように機能するのか、そしてなぜ今まで実装が非常に困難であったのかを調べてみたい。

 量子情報だけが持つ特徴の1つとして、特定の条件下で「量子複製不可能定理」が適用されることが挙げられる。特別に作成された量子状態をコピーするには、視覚的に取り消すことのできない変更を行わなければならない。このため、量子状態の共有は秘密鍵を交換する完璧な方法となる。その結果、攻撃者が秘密鍵の送信をコピーしようとしても、侵入が警告され、続行することはできない。

 情報を送信する際に、最新の電子機器で処理される通常の電気パルスを使用してはこの量子暗号の機密性を有効にできない。量子暗号の情報は、量子ビットを使用して送信される。量子ビットとは偏光角などの特別な量子状態で情報を運ぶために作成された光子パケットである。

 量子ビットを構成するには、特定の方法で観測された特別なセットまたは「ベース」を使う。量子ビットの作成と観測が同じ方法で行われると、0または1の値を確実に返すことができる。ただし、観測方法が異なると、同じ量子ビットでも、前の状態が消去された状態で、ランダムに0か1を返す可能性がある。

 そのため、量子ビットを使用すると、送信者と受信者は、観測方法を公開して比較するだけで、同じ情報を受信したことを確認できる。観測結果は公開しない。

 ただし、通信が改ざんされていないことを完全に確認したい場合は、ランダムに選択した観測値のサブセットを比較することもできる。異常なランダム化は、システム内に転送中の量子ビットを観測しようとしている盗聴者が存在していることを示し、含まれる情報は取り返しのつかない状態に変換されてしまう。

 量子情報研究者は量子ビットを理論的に理解し、1980年代からベネット(Charles H. Bennett)とブラザード(Gilles Brassard) が1984年に提案したプロトコル(BB84と呼ばれる)やアーサー・エカート (Arthur Ekert) が1991に提案したプロトコル(E91と呼ばれる)など、堅牢なQKDプロトコルを考案してきた。しかし、これらは理論的に可能であっても、当時の技術をはるかに上回るものだった。

 量子ビット伝送では、光子は送信者から受信者に変更されずに送られなければならない。しかし、実際には、伝送媒体は「ノイズが多く」、通過する信号を吸収または変更することがある。 さらに、このノイズは、伝送距離が長ければ長いほど指数関数的に増加する。

 したがって、遠距離通信が存在する現実世界でQKDを実行しようとするならば、光子の量子伝送に使用可能な透明度の高い光ファイバーが現れるまで20年も待たなければならない。

研究室から宇宙へ

 世界初のQKDの先駆的な取り組みが行われたのは中国ではなかった。約20年前の2003年、米国内でQKDネットワーキングの最初の実地試験が、米国国防高等研究計画局(DARPA)によって実施された。翌年、このネットワークはハーバード大学、ボストン大学、および調査会社であるボルト・ベラネク・アンド・ニューマンのオフィスを接続した。

 他の国の研究者もそれに続いた。2010年までに、ヨーロッパのウィーンではFP6プロジェクトがQKDバックボーン・ネットワークを運用し、東京の研究者たちはビデオ暗号化に十分な速度でQKDを運用できることを実証した。

 時を同じくして、中国の研究者たちは、QKD研究で独自のイノベーションの基礎を築いていた。2005年から2013年にかけて行われた一連の実験では、量子もつれと量子テレポーテーションが屋外でキロメートルの距離にわたって起こりえること、実験用熱気球プラットフォームから達成できることが実証された。これにより、衛星を使用した量子通信により、地球の大気の厚さを貫通できるQKDが実現可能であることが証明された。

 2016年8月、量子科学衛星である墨子号(Micius)が中国甘粛省酒泉から打ち上げられた。 その使命の1つは、衛星からのQKDを試験することだった。2017年、研究者グループは、墨子号が毎秒数千ビットの速度でQKDを介して秘密鍵を送信でき、その距離は1,200kmを超えることを発表した。

 このことは、中国とオーストリアの研究者チームが、北京の中国科学院の前会長である白春礼(Bai Chunli)氏とウィーンのオーストリア科学アカデミーの会長であるアントン・ツァイリンガー(Anton Zeilinger)氏の間で、世界初の大陸間量子暗号化ビデオ通話を可能とした。

 一方、中国科学技術大学は中国有線電視網絡有限公司と共同で、2013年に中国東海岸の主要都市を結ぶ陸上量子ネットワークの構築を開始した。2018年に完成した北京-上海量子セキュア通信バックボーンは、32の信頼できるノードが接続を拡張し、距離は2,000kmを超え、銀行、送電網、政府のデータセンターなど150を超える産業ユーザーにQKDサービスを提供している。

 2021年1月、中国科学技術大学の潘建偉(Pan Jianwei) 教授が率いる中国の研究者チームは、中国のQKDネットワークの現状についてNature誌に最新情報を発表した。チームは、墨子号の衛星リンクを北京-上海量子バックボーンと統合することにより、中国の東から西までのほぼ全距離に相当する約4,600kmの量子通信機能を実現させ、各リンクのQKD鍵生成レートは平均して毎秒10から70キロビットの間であったと発表した。

 このように広大な範囲を持つネットワークの存在は、中国が過去10年間にQKD研究で確固たるトップの位置を固めてきたことを示す。ちなみに、2番目に大きなQKDネットワークはオハイオ州コロンバスとワシントンD.C.の間の643kmを範囲とする計画である。現在米国で構築中である。

 しかしながら、この技術はかつてない長距離通信を可能にするものの、QKDテクノロジーにつきまとう弱点と研究の長い道のりも示すものである。

前にある道

 テクノロジーは十分に成熟してはいない。店に行ってルーターを購入して量子インターネットに接続できると思ってはいけない。克服しなければならない技術的課題が数多くある。QKDが持つ主な制限は、情報または量子ビットを運ぶために使用される量子状態の脆弱性である。攻撃者による量子ビットの複製を禁じる同じ量子複製不可能定理も、量子信号の増幅を非常に困難にしている。

 これらの難しい技術的問題があるため、たとえ最高純度の光ファイバーケーブルを使用したとしても、量子ビットを正常に伝送できる距離には根本的制限が存在する。

 世界中の研究者は、量子リピーター技術の開発に尽力を注いでいる。量子リピーターとは従来の観測を実行することなく、理論的には量子テレポーテーションを使用して情報を1つの量子ビットから次の量子ビットに転送できる技術のことである。しかし量子リピーターが可能なデバイスは今のところあまりにも遅すぎるため実用的なQKDネットワークに組み込むことはできない。

 中国の陸上QKDリンクはその代わりに、2つの離れたQKDステーション間に2ステップで安全なリンクを作成する、いわゆる「信頼できるリレー」によって繋がれている。リレーはまず、QKDを使用して各ステーションから1つずつ、2つの別々の秘密鍵を取得する。

 次に、最初の秘密鍵を2番目の秘密鍵で暗号化し、結果を両方のステーションに送り返す。このようにすると、攻撃者に暗号化された送信のみを残しながら、両方のステーションが秘密鍵のペアを推測できる。しかしながら、この方法には、リレー自体が両方の鍵の記録を保持するという欠点がある。したがって、信頼できない場合、2つのステーション間の通信は脆弱になる。

 この脆弱性があるにしても、従来のネットワークは通信リンクのどこでも盗聴され危険にさらされる可能性があるため、 拡張QKDネットワークは従来のものよりも安全である。それでも、信頼できるリレーの抜け穴を塞ぐことは、研究を継続させるための1つの重要な分野である。

 中国の研究者たちはまた、「ツインフィールドQKD」の開発の最前線にいる。ツインフィールドQKDでは、鍵を共有しようとする2つのステーションが別々に量子ビットを中央検出器に送信し、中央検出器が共同観測の結果を発する。直接リンクしていないため、両方のステーションは2倍の距離でも通信できるが、高度なアルゴリズムにより、中央検出器が信頼できない場合でも、ステーションは安全な鍵を作成できる。

 中国の研究者たちは、この技術を使用して511kmの直接リンクをすでに実証しており、以前のQKD技術で達成できた伝送速度の10倍の速度で成功した。この分野についてヨーロッパの研究者たちはそれほど遅れをとっておらず、600kmの長さの光ファイバーケーブルでこの技術の試験に成功した。

 しかし、ヨーロッパは長距離リンクをシミュレートする構造に長いスプールケーブルを使用したが、中国のチームは遠く離れた都市間の実際の現場環境下で技術を展開することができた。

協力か競争か?

 QKDの開発を推進する要因は、商業使用だけではない。物理的に壊れない暗号化を実現することは国家安全保障にとって明らかな利点があり、QKD研究に地政学的な意味合いを与える。米国と中国の間で競争の緊張が高まりつつある中、QKD研究がもたらすものは何であろう?

 予測できる方向性の一つとして、中国と西側諸国がQKDの開発においてたどる道がますます離れていくことが挙げられる。たとえば、米国政府はファーウェイ製のハードウェアを5Gネットワーク展開から除外した。このように、米国は中国で開発されたテクノロジーの使用を躊躇しているが、それがQKDシステムにまで拡大し、情報や製品の国際交流が制限される可能性があると容易に想像できる。

 QKDの進捗の差が大きく、急速に拡大していることから、西側諸国の政府は、競争上の優位を求めてセキュリティ研究に関する他の手段へ資金を注ぐ可能性がある。事実、米国の国家安全保障局と英国の国家サイバーセキュリティセンターはどちらも、研究活動ではポスト量子暗号を優先している。

 米国と英国はQKDや量子暗号ではなく、量子コンピューターでの解読が不可能な古典的アルゴリズムの開発に熱心に取り組んでおり、国家秘密を安全に保つにあたり物理学よりも数学の方を実質的に信頼している。

 しかしながら、QKDの研究と商業化が加速するにつれて、競争ではなく国際協力の強化も考えられる。QKDのセキュリティは、暗号化のアルゴリズムではなく、量子情報の物理学に基礎を置いている。したがって、中国と西側諸国の研究者たちは、知識を共有しても安全なQKDシステムを解読することは容易ではないと分かってはいても、納得して共同研究を進めるかもしれない。

 さらに、QKDの使用が中国内外で事業を行う企業の間で普及するにつれて相互運用性の需要も高まり、共通基準の開発に拍車をかけ、それにつれて共通の研究テーマも増加していくであろう。

 最後になるが、衛星QKDにはセキュリティ上の大きな利点がある。衛星に物理的にアクセスして侵入することは非常に困難である。これは地上ステーションとは異なる点である。中国が衛星QKDの使用を拡大しようとするならば、通信衛星が宇宙空間で継続的なアクセス可能性と中立性を確保できるようにするために、西側諸国と共通する利益を共有することとなろう。

 おそらくは、狭い地政学的利益から脱却し、科学的知識の追求はすべての人類の進歩のためであることを考える時が来たのかもしれない。

 

原文記事(外部サイト):
●Asian Scientist
https://www.asianscientist.com/2021/10/print/china-quantum-key-distribution/

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