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【14-06】中国の中等職業教育の発展段階と改革動向(その2)

2014年10月22日

陸 素菊:華東師範大学職業教育・成人教育研究所副教授
職業教育研究センター副主任

略歴

 蘇州大学政治学部卒。江蘇省教育委員会政策研究室科長研究員を経て、2003年名古屋大学大学院教育発達科学研究科博士学位取得、東京大学教育学研究科客員研究員。現在、華東師範大学職業教育・成人教育研究所副教授、上海市教育学会職業技術教育研究会事務局長、日本産業教育学会理事。専攻は学校職業教育・成人職業訓練。

その1より続き)

中等職業教育の発展段階(2)

 中等職業教育の調整期と高等職業教育との連携(1998~2002年)

 1998年3月、教育部、労働部、国家経済貿易委員会が共同で「『職業教育法』を実施し職業教育を速やかに発展することについての若干の意見」を発布した。そこで明示されたのは「2000年までに、中心都市の大きい業界およびすべての県ごとに1~2ヶ所の基幹職業学校を建設する目標」であった。それは、中等職業教育の発展が規模の拡大から重点的に発展する道へと変わったことを示し、その後、市場化への体制作りが行われ、1990年代後半から2002年前後にかけて、中国の中等職業教育は調整期に入った。

 その背景には、1990年代後期に中国の高等教育が急速に拡大され、普通高校の募集が圧倒的に増加し、もとより募集難に陥っていた農村部の職業高校の規模が減るなどの事情があった。それに、市場経済の進展によって、長年の計画体制に優遇されていた中等専門学校と技術労働者学校の「統一募集と(技術幹部として)統一配分」制度は大学の募集と配分制度改革とともに廃止され、市場化が既定路線となった。また、1998年に国務院機構の改革では、元の機械工業部、石炭工業部、冶金工業部など9部門を国家経済貿易委員会が所管する9つの国家管理局に改組された。これらの部門に所属していた211学校のうち、93の普通高等教育機関、72の成人高等教育機関と46の中等専門学校や技術労働者学校の管理体制の調整が必要とされた。1998年7月国務院公布の「撤退部門に所属する学校の管理体制の調整についての決定」により、46の中等専門学校や技術工学校は地方管理に振り替えられ、従来のいくつかの部門学校としての優位性が失われました。それから、中等職業学校の学校運営体制は一本化し、中等専門学校、技術労働者学校と職業高校は同じスタートラインに立ち、同じ身分や待遇で労働市場に入ることになった。図2に示したように、調整期の中等職業学校数は大幅に減少した。

 中等職業教育の所管部門とその職責の調整が行われ、中等職業教育がより一層統合化する方向になった。1998年3月、国務院の改革案の採択によって、国家教育委員会は教育部と改名され、部門の統合や人員の調整を実施した。職業技術教育司、成人教育司、都市・農村教育総合改革推進室が「職業教育と成人教育司」に統合された。その職責は中等職業教育、成人識字教育・技術教育と、農村・都市と企業教育の総合的な改革の管理に及ぶ。それによって、1998年以降、成人教育であった成人中等専門学校を中等職業教育の範疇に組み入れ、中等職業教育は職業高校、中等専門学校、技術労働者学校と成人中等専門学校の四種の学校形態から構成された。それまでの中等専門学校は技術幹部を養成、技術労働者学校は技能労働者を養成、職業高校は事務職を養成すると、それぞれ異なった目標を掲げたが、2001年から、中等職業学校は経済発展に必要な質の高い労働者と技能労働者を養成する目標に統合した。それと同時に、高校段階の職業学歴教育を実施する中等職業学校の名称は「××職業技術学校」に統一されることになった。

図1

図2 中国の中等職業学校数の変化

出所:関係年度の「全国教育事業発展統計広報」の統計により作成。

 この時期は、中等職業教育は量的拡大が落ち着く一方、市場化の体制を取りつつある中等職業学校は、合理化を目指す専門分野の整備、能力を本位とする教育課程の改革が進められた。そのなか、ドイツのデュアルシステムをはじめ、カナダのCBE(Competency-based Education)、ILOが提唱したMES(Modules of Employable Skill)などを学んで導入しつつ、中国独自の「基礎を広くし、専門教育内容を弾力性のあるモジュール化する」いわゆる「寛基礎、活模塊」のカリキュラム改革実践も進められた。その共通点は生徒の職業能力の養成を重視して、座学と実技を柔軟に組み合わせるものである。

 また、その時期に初等・中等・高等職業教育によって構成する職業教育体系が整備・改善された。職業中学校は学校職業教育の一部として、その発展は、農村地域の農業労働者の養成と義務教育の普及に積極的な意味を持っていた。中国の「高等職業教育」は、高等教育の一部として行政の主導的な推進のもとで1990年代後半に量的な拡大を遂げた。それによって、初等・中等職業教育の進展を積極的に行い、高等教育を経済建設や社会進歩に適応させる有効な試みにもなった。中等職業学校が積極的に高等職業学校との連携に取り組み、中等職業教育の質向上と社会的評価を高め、中等職業学校の生徒募集の対策として、量的な低迷を乗り越えようとした。

学校職業教育・短期職業訓練との協調的進展(2002年~現在)

 21世紀に入り、中国は全面的に「小康社会(ややゆとりのある社会)」を建設し、新たな工業化の道を歩むという発展目標が打ち出され、中等職業教育の新たな発展段階を導いた。中等職業教育は調整期を経て、学校運営の効率と教育の質向上を目指す「内的な進展」という時期を迎え、量的な拡張ではなく、質的な改善、また構造上の協調的な発展を目指した。

 2002年11月中国共産党の第16回大会の報告において、職業教育は全面的「小康社会」の建設を実現する重要な一部として、また経済成長と雇用促進の一環として強調された。さらに、「職業教育と訓練を強化し、継続教育を発展させ、生涯教育システムを構築しなければならない」、「職業教育を通じて、数億の質の高い労働者、数千万の専門的な人材を養成する」ことが述べられた。国務院が主催する国レベルの職業教育大会が2002年、2004年、2005年の三回にわたり開かれ、職業教育に関する重要な決定が2002年と2005年の二回ほど国務院によって発表された。2007年10月、共産党の第17回大会では、「教育を優先的に発展させ、人的資源の強国を建設する」という重要な戦略を打ち出し、「高校段階教育の普及のペースを速め、職業教育の推進に力を入れる」ことを明確した。中央政府の一連の改革措置によって職業教育を大いに発展する方針がいっそう固められた。

 表1と表2に示したのは一連の政策によって大きな進展を果たした職業教育体系における中等職業教育の現状である。2010年現在、中等職業学校は13,872校あり、67校の初級職業学校と1,246校の高等職業学校に比べて、全職業学校15,185校の91.35%とその大部分を占めている。また、その募集数は870.42万人、在籍生徒数は2,238.5万人で、それぞれ学校職業教育の73.64%、69.77%を占めて、大きな規模を有している。生徒数の変化は学校数の減少と違って、全体的に増加傾向にある。学校職業教育の生徒募集数と在籍生徒数は、それぞれ中等教育段階と高等教育段階の総規模数の約半分を占めている。

表1
表2

 同時期に、中等職業教育は失業者の再就職問題への対応も始めた。2002年10月に発布した教育部の「各類型の学校を動員して失業者に対して積極的に再就業訓練を行う通知」において、「各レベルの教育行政部門と労働保障部門が連携し、省レベル以上の重点中等職業学校あるいは一定の学校経営上の特色と条件を持つ普通大学と各レベルの成人学校の中から、「再就業訓練の拠点校」を選んで、各政府の認定によって再就職訓練基地を指定する」ことが要請された。さらに実施において、各地域の再就職の実際の計画とリストラされた失業者の特徴に合わせ、実情に合う実用的かつ効果的な職業訓練を行うよう要請した。2003年に中等職業学校が主体として行った各種類の職業訓練の規模は延べ558万人に達し、再就職訓練を受けた人数の三分の一を占める。結果的に、それまで基本的に単一な学歴教育を実施していた中等職業学校が次第に学歴教育と短期の訓練を並行して行う新たな学校教育体制を整えるきっかけになった。

 以上のように、政策の動向を中心に1980年以降の中等職業教育の発展過程を整理した。そこで明らかになったのは、

(1)20世紀80年代以降、中等職業教育は学校職業教育の主要部分となり、その割合は大きく増加し、その生徒募集数と在籍生徒数は高校教育の約半分を占めており、中国の高校段階の教育普及にも大きく寄与する成果があった。

(2)市場化の進展によって、中等職業教育をめぐる社会的状況が大きく変わり、経済部門や企業の所管であった中等専門学校や技術労働者学校は、職業高校と同じように地方政府に委譲され、統合された。

(3)中等職業教育に関する政策の重点は規模的な拡張から次第に質的向上に移行された。

(4)また、高等職業教育との連携、(成人)短期職業訓練との協調的な進展など構造的な動きが見られたことである。

その3へつづく)