服部健治の追跡!中国動向
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【14-04】上海の街角にて―帰納法から一般化へ―

2014年 8月 6日

服部健治

服部 健治:中央大学大学院戦略経営研究科 教授

略歴

1972年 大阪外国語大学(現大阪大学)中国語学科卒業
1978年 南カリフォルニア大学大学院修士課程修了
1979年 一般財団法人日中経済協会入会
1984年 同北京事務所副所長
1995年 日中投資促進機構北京事務所首席代表
2001年 愛知大学現代中国学部教授
2004年 中国商務部国際貿易経済合作研究院訪問研究員
2005年 コロンビア大学東アジア研究所客員研究員
2008年より現職

 本年4月下旬から「特別研究期間」という大学の制度を活用し、復旦大学の招聘を得て上海にて調査研究に従事している。調査研究の基軸は現下の中国市場の解析と中国ビジネスにおける日本企業の競争優位性を探ることにある。日々日系企業へのヒヤリングや研究機関、行政機関を訪問している。上海以外にこれまでに北京、天津、合肥、南京、昆山も訪問した。今後南通、蘇州、常熟、寧波、大連、河南省、河北省などを視察する計画でいる。

 上海に逗留して3カ月以上が過ぎた。東京では気にしない青空は上海では貴重なのだ。コバルトブルーの空をといった贅沢は言わないが、せめて靄のかかったスチールグレーの色から解放されたくなる。

 群青の空に入道雲がむくむくと湧きあがり、天空が真夏の盛りを謳歌するがごとく青と白のコントラストで広がる光景を瞼に受けて、灼熱の太陽光の反射を浴びながらも思わずカメラを空に向け、今しかこの状景はないといった焦燥を伴いシャッターを押した。7月下旬に企業訪問で寄った上海近郊の嘉定区での出来事である。それほど空の青と白に飢えていた。

 しかし、その利休鼠の空模様の眼下に広がる上海は、空の色彩などものともせず活気に満ちている。2~3日のショートステイでなく、中長期に上海の空気を吸い、上海の人々と接し、上海の街々を散策すると、中国経済の躍動と鼓動が如実に感得できる。これはまぎれもない第一の印象である。

 振り返ってみると、"貧しさに耐える社会主義"の毛沢東時代を放擲し、"豊かさを求める社会主義"である「鄧小平モデル」のもとで中国は改革・開放を推進した。北京の胡同(フートン)には人情味があふれ落ち着きはあったが、貧しく不便な1970代、80年代の北京の生活を知っている筆者から見ると、改革・開放の実施以来この30数年、中国は確実に豊かになった。これは鄧小平の功績であり、賞賛するにやぶさかでない。

 人々の考え方も多面的になり、ライフスタイルも多様化した。なによりも経済規模が巨大化し、世界経済との一体化、グローバル化がますます強まり、中国経済の動向が世界に与えるインパクトも拡大してきた。名目GDPは世界第2位で2010年に日本を抜いて、わずか3年で日本の2倍近くにまで成長した。今や貿易総額は昨年4.16兆ドルで米国を抜いて世界第1位に躍り出てきた。外貨準備高にいたっては昨年末で3兆8000億ドルをゆうに越し世界一。日本の3倍である。さらに、「走出去」、つまり中国企業の対外進出や資源獲得の対外援助も活発化している。

 90年代より中国は「世界の工場」といわれ、2001年のWTO(世界貿易機構)加盟以降、国内市場の規制が緩和するにつれて、「世界の市場」と推奨されてきた。最近では、BPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)の推進で「世界のオフィス」とも称される。

 以上のような事柄は多くの中国関連の書物に記載されている。だが実感することが大切なのだ。実際に見て聞いて嗅いで、味わって触ってみることが肝要である。経済や市場などは何よりもその感性を踏まえないと掌握できない。その把握の手立ては「帰納法」であるが、それを原資に「一般化」「普遍化」を追究することが求められている。中国経済の巨大な跳躍は、規模の大きさ、多様性、そして激しさの3つから構成されている。

 規模の大きさは、各都市に林立するマンション群、開発区に群がる工場群、港湾の埠頭に高く積み上げられたコンテナ群(先般天津港内を視察した)を見れば明瞭である。先日安徽省の合肥市、上海市近隣の昆山市を訪れたが、膨大な建築群に圧倒された。都市の概観はもとより、市中に存在する巨大なショッピングモールをみれば物量の豊富さは一目瞭然である。上海の地下鉄金沙江路駅に近接する壮大なショッピングモール「環球港(グローバル・ハーバー)」を観察したとき、日本の地方都市に佇むシャッター街を想起すると悲しくなってきた。経済規模の大きさを押し上げているのが、都市の再開発と農村の都市化政策であろう。

 多様性とは階層・年代・地域によって異なる消費動態の変化を指している。富裕層と中間層(ボリュームゾーンといわれる層)では購買能力と消費性向が違う。当然ながら若者と年配の方々の消費動向も異なるが、中国市場は多様性を受け入れ増殖している。上海の書店で目につきやすい1階店頭に溢れているのは、海外と国内の旅行、美食料理、子供の教育、ファッション、室内インテリア、健康増進関連の書物や雑誌である。消費の多様性は生活様式の多様性の反映であり、個々人の生活空間の多元化を促進している。上海のような都会人の生活空間と政府のプロパガンダで満ちている政治空間との間の距離は確実に開いている。つまり政治的無関心層は増えていると想像する。第3次産業が第2次産業を越えていく時期の特色か。

 最後に「激しさ」とは何か。貧しい中国では少ないパイに多くの人々が群がるがゆえに、人々は我先にとがつがつする国民的性向と習慣があった。その性向は今も残っているが、パイが大きくなっているにもかかわらず、今度は独り占めし排除しようとがつがつしている。その"戦い"が経済の「激しさ」を生んでいる。

 一つの現象には正と反があざなえる縄のごとくからまり、対立を包含した矛盾となって現れる。プラス面か、はたまたマイナス面かどちらを強調するかは、その人の思想と感情による。中国の改革・開放の成果をどう見るかは、まさにプラズマ放電の如し。

 中国経済の成功モデルである「鄧小平モデル」は、"旗は共産主義、しゃべっていることは社会主義、やっていることは資本主義、地べたは封建主義"と揶揄できる。政治(党・行政)の関与による市場操作(国有企業保護など)と「戸口」(戸籍)といった社会的差別制度からくるいびつな分配構造のため、所得、地域の格差は拡大し、国民的連帯感は喪失してきた。習近平主席が「社会主義核心価値観」とか「中国の夢」を強調するのは、その裏返しである。高まる権利意識を未熟な法制度でしか処理できないがゆえに庶民の異議申し立てが頻発している。

 今日の繁栄は、資源・エネルギーの大量消費型の産業構造を基礎に、市民になれない膨大な農民労働力の民工化、外国からの資金と技術の利用、行政による土地開発と財政出動(財政の金融化)によって達成されたものである。"社会主義市場経済"の限界だ。

 何が達成できなかったのか? 一つは「市民革命」が根づかなかったこと。中国共産党のもつ歴史的特質、いわゆる"前衛党主義"によって、"遅れた民衆を助けてあげる、民衆は何々してもらう"といった関係の中でしか、社会的規範は醸成しなかった。個人と国家の関係を対等とみなす社会基盤が形成されなかった。民主、自由といった意識にはバルネラビリティー(攻撃を受けやすいこと。脆弱性)が高い。マックス・ヴェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で説く近代のエートスも希薄といえる。このことは、赤信号の無視に象徴される「公共」という秩序意識の低さ、公私峻別の欠如とも関連する。中国がかねてより提唱する「文明精神」からほど遠い。

 もう一つは、「産業革命」がなかったこと。労働に対する真摯さといった倫理感や効率を求める合理性が脆弱であったがために、企業のイノベーションは興らなかった。だから、メイドインチャイナは世界に溢れてもブランドが生まれなかった。

 では、アジアの国々は中国の経済発展から学ぼうとしているのか。残念ながら否。膨大な中国市場を利用しようとするも学ぼうという気はない。なぜか。それは中国経済の膨張には普遍的理念が欠落し、技術革新、堅実な企業家が少ないからである。汚染食品の輸出、ニセモノの横行、実態の伴わない特許申請の乱発、公害の垂れ流しなどなど。戦後、焼け跡焦土の上から石油を主とするエネルギー資源、小麦、大豆、トウモロコシといった農産物も欠如した日本が世界第2の経済大国に昇りつめたとき、アジア諸国は皆、日本から学ぼうと必死であった。その過程は、開発経済学では「雁行形態発展論」へと昇華していった。中国経済は今、公平、公正、公開への"止揚"が求められている。中国の現状をみると、権力の腐敗は蔓延している。だからこそ習近平主席は、「反腐敗キャンペーン」を展開し現状を変えようとしている。

 中国は大国で複雑、「群盲、象を撫でる」が様相。全体像はなかなかつかみにくい。確かに社会的矛盾の現象として経済格差は深刻だ。しかし、中国にはGDPに反映されない「地下経済」が存在する。筆者は悪い意味ではないことを込めて、「第二経済」と称している。人々は統計に反映されない収入を得ている。格差のために絶対的貧困があり、中国民衆の多くが苦しんでいると見るのは一面的だ。今後、1人当たりGDPが上がって階層分化が進み、中間層が固定化してくると、彼らがどのような行動をとるかが注目される。

 日本国内ではやし立てる「中国崩壊論」は、まず現場の中国を直視していない。ドラッカーのマネジメントを読む企業家(マネジャー)なら、巷に満ち溢れる、売らんがための俗論は唾棄すべきである。マイナス現象は万朶のごとくあるが、それでも上海は回る。