【08-001】中国科学技術進歩法の改正の概要について
2008年1月11日〈JST北京事務所快報〉 File No.08-001
中国には1993年に制定された「科学技術進歩法」があったが、2007年12月29日、第 10期全国人民代表大会常務委員会第31回会議において、この「科学技術進歩法」の大幅な改正案が可決され成立した。この改正後の「科学技術進歩法」は、2008年7月 1日から施行される。
この法律改正案は、これまで長期間にわたり審議が行われ、2007年3月には改正案原案のパブリックコメントも行われた。審議の過程で、新聞等に改正の方向等についての報道がなされることもあった。現行の「科学技術進歩法」は、基本法的な精神規定を中心としたものであるのに対し、成立した改正後の「科学技術進歩法」は、税制優遇措置や研究者の処遇等についてかなり細かい点を規定した部分もあり、「改正」とはいってもほとんど「新法の制定」と入ってもよいほどの大改正である。またパブリックコメント時に公表されていた内容や条文の順番などがかなり異なる部分がある。また審議過程で「盛り込まれる方向で検討中」と報道されていた項目の一部が最終的には盛り込まれなかったなど、審議過程で出されてきた情報と異なる部分もあるので、そういった審議過程についても解説することとする。
改正後の「科学技術進歩法」は、8つの章、75条からなるが、多くは「国家は科学技術の振興を奨励する」といったいわゆる「精神規定」である。そこで、ここでは今回の改正法の成立により科学技術活動に実質的な影響な出そうな規定、及び「精神規定」の中でも特徴的な部分について絞って解説することとする。特徴的なことは、企業における研究開発活動にも重点を置き、中国の経済社会の発展に伴い研究開発に対する金融についても規定するなど、かなり幅広い内容を含んでいることである。
なお、法律文全文(中国語)は、全国人民代表大会のホームページの以下のページで見ることができる。
(1993年7月 2日第8期全国人民代表大会常務委員会第2回会議通過、2007年12月29日第10期全国人民代表大会常務委員会第31回会議修正)
http://www.npc.gov.cn/npc/xinwen/lfgz/zxfl/2007-12/29/content_1387791.htm
また、1993年に成立した現行法、2007年3月に発表されたパブリック・コメント・バージョンは以下で見ることができる。
(科学技術部のホームページに掲載されているもの)
http://www.most.gov.cn/flfg/fl/200710/t20071025_56667.htm
「科学技術進歩法改正案」のパブリック・コメント・バージョン
http://www.chinalaw.gov.cn/jsp/contentpub/browser/contentpro.jsp?contentid=co2095133217&Language=CN
以下、解説の冒頭に掲げる【 】で括った条文番号は、改正後の科学技術進歩法の条文番号である。
1.重要と思われる条文についての個別の解説
【第17条】では、国の関連規定に基づき以下の活動には税制上の優遇措置を受けるものとすることが規定されている。・技術開発、技術移転、技術コンサルタント、技術サービスに従事すること
・国内で生産することができなかったり十分な性能のものが得られない科学研究や技術開発に必要な製品を輸入すること
・国家の重大な科学技術プロジェクトの実施のために、国内では生産できないキーとなる設備や部品を輸入すること
・科学研究、技術開発及び科学技術を応用する法律や国の関連規定に規定されるその他の活動
ただし、具体的にどういう活動を対象としてどういう形の税制上の優遇措置になるかは「国の関連規定」が制定されないとわからない(中国の法律では、このように法律では大まかな方針だけが示され、具体的な適用方法は「国の関連規定」に委任されていて、結果的に関連規定を制定する行政機関が大きな権限を持ち、その行政機関がどのような規定を設けるかで法律の実際の運用が異なってくるケースが多い)。
【第18条】では、「国は、金融機関が知的財産権に質権を設定して貸し出しを行ったり、ハイテク産業の発展のために貸し出しを行ったり保険商品を開発することを奨励する」「政府系金融機関は、その業務の範囲内で科学技術を応用したりハイテク産業を発展させたりするための金融業務を提供しなければならない」旨の規定がなされている。一種の「精神規定」であるが、この規定は現行法にはない規定であり、最近の中国の経済発展に伴い、科学技術の発展に対して金融が果たす割合が大きいことが重要視されるようになったこを反映した規定だ、ということができる。
【第20条】は、いわば「中国版バイドール規定」とも言うべき新しい規定で、今回の科学技術進歩法改正の大きなポイントのひとつと言える。内容は「政府支出による資金で行った科学技術プロジェクトによって得られた専利権(日本でいう特許権、意匠権及び実用新案権)、コンピューター・ソフトウェアの著作権、集積回路の回路配置利用権、(日本の種苗法でいうところの)育成権は、国家の安全、国家利益または重大な社会の公共利益に影響するものでない限り、科学技術プロジェクト実施者が法律に基づき取得する」という規定になっている。列記された知的財産権の範囲は、2007年の通常国会で改正される前の日本の産業活力再生特別措置法第30条(日本版バイドール規定)に基づく政令で規定されている知的財産権とほぼ同じである。
(注)日本では、2007年に法律改正がなされ、「日本版バイドール規定」と呼ばれる規定は、産業技術力強化法第19条に移行され、対象となる知的財産権(政令で規定されている)も著作権
【第21条】では、国は政府支出による資金で行われた科学技術プロジェクトにより生み出された知的財産権をまず境内(中国大陸部)で使用することを奨励する旨の規定がなされている。この規定の後段では、上記のような知的財産権を境外の(中国大陸部以外の)組織または個人が独占実施する時は、その科学技術プロジェクトを管理する機関の許可を経なければならない、との規定されている。外国の研究機関が中国の人材や自然環境を活用しようと思って中国の研究機関と共同研究した場合で、中国の研究機関が政府支出資金を利用した場合には、得られた知的財産権を最初に外国で使用することが難しくなる可能性のある規定なので、中国と科学技術協力を行う外国の企業や研究機関にとっては要注意の規定であると思われる。
【第22条】では、国は、外国の先進技術や設備を導入することを奨励する、と述べつつ、政府支出の資金により導入した重大な技術や設備は、技術の消化・吸収及び新しいイノベーション(中国語では「再創新」)につなげなければならない、と規定されている。一種の精神規定であるが、外国からの技術導入に対する考え方がわかる規定である。
【第25条】では、境内(中国大陸部)の個人、法人その他の組織が自主的に研究開発した製品・サービスについては、政府が求める性能や技術基準を満たしているとの条件の下で、市場に最初に投入された時点で政府は率先して政府調達を行わなければならない、と規定している。この規定が厳格に適用されると、中国政府にいろいろな製品を売り込もうとしている外国企業にとっても、国内製品を買わざるを得なくなる中国政府自身にとっても、「重い規定」になる可能性がある。ただし、当然のことながら「要求される性能や技術基準を満たしているとの条件の下」という規定が付いているので、実際にはどの程度厳格にこの規定が適用されるかどうかが問題になってくるものと思われる。
【第28条】は、秘密保護の規定である。現行法にも規定があるので新しい規定ではない(現行法第51条)。ただ、前段の「国家は科学技術秘密保持制度を実行し、国家の安全と利益に関する科学技術上の秘密の保護を図る」は、現行法とほぼ同じであるが、後段の「国家は、希少な、あるいは絶滅のおそれのある生物品種の資源及び遺伝資源について、中国大陸部からの持ち出し管理制度を実施する」については、最近のバイオリソースに対する重要性の認識の高まりを背景にして「絶滅のおそれのある生物品種」「遺伝資源」といった言葉が追加されている。
【第33条】は、企業によるイノベーションを奨励するための規定で、「企業が新しい技術、新しい製品などを生み出すために行う研究開発のための費用については、国家の関連規定に基づき課税の際の控除に加算できるほか、企業の研究開発用機器や設備については減価償却を速めることができる」と規定されている。具体的にどの程度こういった優遇措置を受けられるかは別途定められる「国家の関連規定」次第であるが、こういう税制優遇制度の基礎が法制化されたことの意義はあるものと思われる。
【第34条】では、国が財政支出による基金を用いて、企業の自主的イノベーションや研究開発成果の産業化のために行う借り入れに対する利子補助や信用供与を行う旨が規定されている。現在、このような機能を実行している機関はないので、今後、既存の機関を利用してこのような業務を行わせるのか、あるいはこのような機能を担う新しい機関を設立することになるものと思われる。
【第36条】では、下記の企業については、国の関連規定に基づき、税制上の優遇措置が与えられる旨規定されている。
・ハイテク産品の研究開発や生産を行う企業
・中小のハイテク企業の創業に投資する企業
・科学技術の進歩に関連する法律や行政規則が規定するその他の企業
「活動」に対する税制上の優遇措置が第17条に規定されているが、この第36条では「企業」に対する税制上の優遇措置が別途規定されている。「活動」と「企業」に対する規定を別々の場所に別の条文で規定している意味についてはよくわからない。
【第37条】では、国は公共的な研究開発基盤の整備と科学技術仲介サービス機関の設立を支持する旨が規定されている。この規定が日本におけるJSTのような新たな組織を設立することを意味するのかどうかは、よくわからない。
【第38条】では、国は、法に基づき、企業が研究開発により取得した知的財産権を保護する旨が規定されている。当たり前の内容であり、現行法では、最初の方の第3条に、国の様々な役割のひとつとして知的財産権の保護を規定しているので、特段新しい規定というわけでもないが、改正法でここに改めてこういう規定を置いたのは、国は企業による研究開発の成果としての知的財産権はきちんと保護しますよ、という政策方針を改めてアピールしたかったからではないかと思われる。
【第39条】では、国有企業の責任者の業績評価に当たっては、その国有企業が新しい技術を導入したか、新しい技術能力を開発したか、新しい技術を有効に活用したか、の状況が考慮されなければならない、と規定されている。遅れがちの国有企業における新しい技術の導入や新技術の開発を奨励するための規定であると思われる。もっとも、これは国有企業の責任者の業績評価を行う際に国がそういう基準で評価すればよいことであって、法律に書き込む必要はない事項とも思われるが、この規定は、国のそういった政策上の姿勢を内外に示すために盛り込まれた、と考えるべきなのかもしれない。
【第42条】では、「国民、法人またはその他の組織は、法に基づき科学技術研究開発機関を設立することができる」「国外の組織や個人は境内(中国大陸部)で科学技術研究開発機関を設立することができるし、中国境内(中国大陸部)の組織または個人と共同で科学技術研究開発機関を設立することもできる」旨が規定されている。この規定は、現在でも、国内外の個人や組織が科学技術研究機関を設立することは禁止はされていないはずなので、この規定を改めて設けた意味は不明であるが、国としては、こういう科学技術研究機関の設立を奨励しますよ、という意思表示のためにこの規定が入れられたものと思われる。
【第54条】では、国は、国外で研究している科学技術人材を帰国させて科学技術の研究開発業務に従事させることを奨励する、と規定している。具体的には、財政支出により設立された科学技術研究開発機関や大学が外国にいる傑出した科学技術人材を帰国させて研究開発業務に従事させる場合には、仕事面と生活面において便宜を図らなければならない、と規定している。また、外国人の傑出した科学技術人材が中国に来て科学技術研究開発業務に従事する場合には、国の関連規定に基づき、法により優先的に中国での永久居留権を得ることができる、とも規定されている。
【第55条】では、「国の予算の科学技術経費の伸びのスピードは、国全体の経常的な収入の増加スピードより高くしなければならない」「社会全体の科学技術研究開発のGDPに対する比率は、逐次増加させなければならない」と規定されている。この規定の前段は、今後の国の予算配分を法律により縛るもので、日本などでは「予算編成の柔軟性を損なう」として、法律に盛り込まれることはあり得ない規定である。また、後段は、国として完全にコントロールすることができない社会全体(民間企業も含む)の研究開発費の対GDP比率に法律で枠をはめるものである。法律で規定しても、国にこれを実現させる機能はないはずである。この部分は本来は「国家目標」とすべきところであり、中国においては、「国家目標」と「政策方針の意志」と「法律」とがあまり分けて認識されていないことを示す条文であるということができる。
【第56条】では、リスクの高い研究開発プロジェクトに携わっている研究者に対しては、努力を尽くしていれば、そのプロジェクトが完成しなくても寛容に扱われなければならない、と規定している。
【第64条】では、国は、科学技術進歩の需要に応じて、政府主導により多部門が協力して制定するという原則の下、大型の科学機器や設備の購入・建設計画を制定し、財政支出による科学機器や設備の購入・建設について評議する業務を行う、と規定されている。大型の研究開発用の機器や設備を全国で効率的に利用するための規定と思われるが、具体的に国がどのようなシステムで大型施設・設備の購入・建設を調整するのかについては、この規定を見ただけではわからない。
【第65条】では、国務院の科学技術行政部門は、科学技術研究基地、研究装置や研究設備、科学技術文献、科学技術データ、科学技術に関する自然資源等の科学技術に関する情報システムを整備し、社会に対してそれらの利用状況などを発表しなければならない、と規定されている。
【第70条】は、科学技術活動における不正(盗用、データねつ造などの研究上の不正及び研究資金の不正使用)を禁止する規定で、政府の財政支出による資金を違法に得た者は、違法に得た資金を回収するとともに、悪質な場合にはこれを公表し、一定期間、国の科学技術基金や科学技術プロジェクトへの申請を禁止する旨が規定されている。
【第74条】では、国防科学技術とそれに関連する事項については、国務院、中央軍事委員会の規定による旨が規定されている。
2.審議過程で検討されていた事項について
2007年8月27日付けの「科技日報」では、当時審議の途中だった「科学技術進歩法改正案」について、ポイントとなる部分を解説していた。http://crds.jst.go.jp/watcher/
の2007年8月27日付け「科技日報」に関する記事「科学技術進歩法(改正草案)の概要を参照
そこで示されたポイントが実際に成立した法律ではどうなっていたかを列記すると以下のとおりである。
- 「中国版バイドール規定」→【第20条】として規定された。
- 「政府調達に関する規定」→【第25条】として規定された。
- 「リスクの高い研究開発プロジェクトに従事した研究者の履歴記録や勤務成績については、研究開発が完成しなかったことの責任やプロジェクトの結果が影響しないようにすべきとの規定」→【第56条】として規定された。ただし、審議段階では「プロジェクトの結果が影響しないようにすべき」と規定する方向で審議中と報道されてたものが、成立した法文では「寛容に扱われるべき」と表現が弱くなっている。
- 審議段階では「重大な技術設備の導入に当たってはそれが技術の消化、吸収、新しいイノベーションにつながるかどうか検討した上で行われる国務院関係機関の許可を必要とする」との規定が検討されていると報じられていたが、これは成立した法文では【第22条】で「国は外国の技術導入を奨励する」「政府資金により導入された重大な技術や設備は消化、吸収、新しいイノベーションにつなげなければならない」と審議中のものとは異なった表現になった。外国から重大な技術導入をするたびに国務院関係機関の許可が必要とするのは不適当、との議論があったものと思われる。
- 「研究開発等に対する税制上の優遇措置」→「活動」については【第17条】で、「企業」については【第36条】で規定された。
- 「国有企業の責任者の業務評価の際に新技術への投資やイノベーション能力の向上を考慮すべきこと」→【第39条】で規定された。
- 「科学技術に関する情報システムの整備と公表」→【第65条】として規定された。
- 審議段階では「海外にいる優れた研究者が帰国して研究開発活動に従事する場合は、戸籍制度の制限を受けないこととする」という案が検討されていた、と報じられていたが、成立した法文では、【第54条】で海外帰国組の研究者に対しては優遇措置を講ずべきことは記されているものの、戸籍の制限をはずすことに関する規定はされていない。戸籍制度は、現在の中国の重大な問題として別途検討すべき問題であり、国民の間に大きな不満のあるところであるので、優れた研究者だけを特別扱いにして戸籍問題で優遇することは好ましくない、という判断があったものと思われる。なお、優れた外国人研究者の中国での永久居住権取得の優遇措置については【第54条】に規定されている。
- 「研究開発活動における不正の禁止」→【第70条】として規定された。
- 「政府系金融機関におけるハイテク産業等への優先的な金融サービスの実施」→【第18条】として規定された。
※この文章の感想・意見に係る部分は、渡辺個人のものである。