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【08-005】中国科学院の植物・農業関連研究所訪問

2008年6月 2日〈JST北京事務所快報〉 File No.08-005


 最近、中国科学院傘下にある2つの植物関係の研究所を訪問したので、概要を御紹介する。筆者が訪れたのは、北京市の北西の郊外・香山にある「中国科学院植物研究所」と河北省石家庄にある「中国科学院遺伝・生物学研究所農業資源研究センター」である。

 1.中国科学院植物研究所

(参考1)中国科学院植物研究所のホームページ
http://www.ibcas.ac.cn/

 この研究所は、北京市植物園と隣接しており、植物標本の収集と分類(博物学的分類研究)、植物の発育過程の研究、高収穫食用植物の研究、耐塩植物(塩分に強く塩分を吸収して土壌改良に役立つ植物)に関する研究、重金属吸収植物(土壌の重金属を吸収し土壌改良を行うための特殊なタバコ等)に関する研究、バイオ燃料植物(食用にはならないけれども燃料として使える植物)の研究等を行っている。

北京にある研究所本所には植物園、温室、室内生育施設などがあるが、このほかに内モンゴル自治区に5か所と黒竜江省、北京市郊外、湖北省、四川省の合計9か所の野外研究ステーションを持っている。

ここの植物標本保管室は系統・進化植物学に関する国家レベルの重点実験室に指定されている。この植物標本保管室では、中国各地のほか、世界中から植物標本を収集して整理している。整理中の標本の数は数え切れないが、既にデータベースとして掲載しているのは180万種類とのことであった。

具体的な標本は、下記のページ(中国オンライン植物標本館:中国語版及び英語版がある)で無料で検索できる。

(参考2)中国オンライン植物標本館
http://www.cvh.ac.cn/

2.中国科学院遺伝・生物学研究所農業資源研究センター

(参考3)中国科学院遺伝・生物学研究所農業資源研究センターのホームページ
http://www.sjziam.ac.cn/

 この研究所は河北省の省都・石家庄にあり、もともとは1978年に設立された「中国科学院石家庄農業現代化研究所」と呼ばれていた。中国科学院の中の機構改革に伴い、2003年に中国科学院傘下の「遺伝学研究所」「発育生物学研究所」と3者合併が行われ、石家庄の研究所は現在のような名称になった。組織的には、遺伝・生物学研究所の中のひとつのセンターという位置付けであるが、実質上は、従来通り、独立の研究所として機能している。

石家庄の市街地にある研究所本所と、山西省に近い山岳地帯の麓(ふもと)にある太行山ステーション、石家庄の市街地の南東約25kmの小麦畑が広がる場所にある欒城(Luancheng)ステーション、渤海湾に近く塩分の多い土地が広がっている場所にある南皮ステーションの3か所の野外研究ステーションを持っている。

石家庄は、河北省の主に小麦を生産している大穀倉地帯の真ん中に位置している。河北省の一帯は降水量があまり多くなく(年間降水量は400ミリ程度;東京の約4分の1)、小麦の生産に必要な水の7~8割は地下水の汲み上げによるかんがいに頼っている。しかし、近年、地下水位が年々低下する傾向にあり(この一帯では年間1メートル弱のペースで地下水位が低下している由)、穀物生産の維持のためには、有効なかんがい方法の開発や乾燥に強い品種の開発が必要である。この研究所は、そういった研究任務を担っている。

また、河北省の渤海湾沿岸地域は、山岳地帯から供給される地下水の量に比して蒸発量が多いため、もともと地下水に含まれていた塩分の濃度が上昇し、それが沿岸部に近い平原地帯に蓄積されて、塩分が多いために農業ができない広大な土地が広がっている(この河北省沿岸地帯の塩分は海洋起源ではなく、山西省などの山岳地域から流れてきた地下水起源であるとのこと)。この広大な土地を耕地として利用するため、塩害に強い品種の開発などもこの研究所に課せられた課題である。

筆者は、石家庄の研究所本所とともに、小麦の大穀倉地帯のど真ん中にある欒城(Luancheng)ステーションを視察した。研究ステーションの周囲の一般農家の畑では、極めて高密度に小麦が植えられていた。ちょうど収穫1か月前というタイミングの、小麦の穂が出そろったがまだ緑色をしている時期で、そういった小麦が高密度に植えられている小麦畑が大平原の見渡す限り地平線の方まで広がっているのを見て、中国の農業の生産力の底力の強さを見たような気がした。

(参考4)中国科学院遺伝・生物学研究所農業資源研究センターのホームページ内
欒城(Luancheng)ステーションのページ
http://www.sjziam.ac.cn/lcpage/index.html

現在、中国は13億人の人口を抱えているが、穀物については、生産量と消費量はほぼトントンである。年によって違うが、2006年については、米は若干量輸出、小麦は若干量輸入している。1998年頃をピークとして、2000年代に入って中国の穀物生産量は伸び悩んでいるが、いずれにしても、中国は膨大な人口を抱えているのだけれども、現在、穀物については、ほぼ自給ができている。中国は、こういう13億人の人口を支える農業生産がある、つまり「貧しい地区もあるが全国を平均すれば一応食べるものはある」という現状の基盤の上に立ってこそ「世界の工場」と言われるような急速な経済成長が可能だったのである。目立たないけれども、中国の農業生産力は、国家の基礎として極めて重要であることを、今回の視察で再認識した。

なお、この石家庄の農業資源研究センターでは「にんじんジュースの製造」「こんにゃく芋の栽培(従来、中国ではこんにゃく芋はほとんど注目されていなかった)」といった極めて「実用」に近い研究も行っている。そういった意味で、日本の企業関係者も含め、将来の日中間の協力の可能性を秘めている研究所だという印象を持った。


 今回訪問した二つの植物・農業系の研究所は、「ハイテク」研究、「最先端技術」研究とは、ちょっとイメージが違うどちらかというと地味な研究所であるが、農業生産を支える、という意味で、その重要性は極めて大きいと感じた。また、イメージは地味であるが、ライフサイエンス研究やバイオテクノロジーの応用という点では「最先端研究」とも密接に関係しており、今後、ライフサイエンス研究の進展に伴って、大きなブレークスルーの可能性もある分野である。「中国の高度成長」というと、どうしても工業分野や情報・ITC分野に注目が集まりがちであるが、こういった植物・農業系の研究も忘れてはならないと感じた。

また、いずれの研究所も「乾燥に強い品種の開発」「塩害地域で農業を行うための耐塩性農作物の開発」「土壌中の重金属を吸収する植物の研究」「食用にならないバイオ燃料植物の研究」など、中国が抱える社会問題を直接的な背景とした研究を行っている。その意味では「地に足の着いた研究を行っている」という印象を受けた。

また、石家庄の研究所において、河北平原における地下水位の低下(1980年代には地表面の下十数メートルのところにあった地下水位が、現在では地表面から35メートルのところまで低下してしまった)という話を聞いた時には、問題の深刻さを痛感した。現在は、青々とした小麦が極めて稠密に植えられそれが地平線まで続く大平原で栽培されているのであるが、地下水位がかんがいに利用できないほどに下がってしまった場合には、この大平原での穀物生産はどうなるのだろうか、との危惧を抱いてしまったからである。

中国統計年鑑2007によれば、2006年の中国の小麦の生産量は104,467千トンであり、これは世界の生産量605,946千トンの約17%に当たる。
(参考5)中国統計局のホームページ
中国統計年鑑2007-13-17「主要農産品生産量」
http://www.stats.gov.cn/tjsj/ndsj/2007/indexch.htm

(参考6)日本の統計局ホームページのデータ(出典はFAO)
http://www.stat.go.jp/data/sekai/zuhyou/0404.xls

 昨今の世界の食糧事情を考える時、中国の穀物生産量の問題は、ひとり中国だけの問題ではなく、世界の問題であることはすぐ理解できると思う。「乾燥に強く収穫量の大きい小麦の品種の開発」といった研究テーマは、日本にとってはあまり関心の高くないテーマであると思われるが、日本が持っているライフサイエンス研究の成果やバイオテクノロジー技術がこういった中国独自の研究と結びついた時、大きな成果が生まれる可能性も否定できない。日中双方が、それぞれの関心事項の枠に閉じこもることなく、オープンにやや窓口を広めにして交流を進めていけば、日中間だけでなく、全世界にとって有益な成果が生まれる可能性がある。

近年、研究成果が比較的短時間で社会に還元されるような研究ばかりが重要視されるようになっているが、どういう成果が出るかが現時点では予想がしにくい分野、特にあまり関係ないと思われる分野間でのいわゆる異分野交流も、長期的に見れば実は重要なのである、と今回の植物関係の2研究所を視察して思った。

(注:タイトルの「快報」は中国語では「新聞号外」「速報」の意味)
(JST北京事務所長 渡辺格 記)
※この文章の感想・意見に係る部分は、渡辺個人のものである。