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【20-036】中国民法典草案における生命倫理に係る条項について

JST北京事務所 2020年6月16日

概要

 中国における1年を通じて最も重要な政治イベントである全国人民代表大会が5月22日午前に開幕し28日午後に閉幕された。大会期間中、多くの法令が審議されたが、その中で「中華人民共和国民法典(草案)」(以下「民法典」)[1]が可決された。

 中国においては、これまで民事に関する法律が個別に制定されていたため、統一的な民法典の制定が長く望まれていた[2]。日本も法務省[3]やJICA[4]を中心に中国の民事法整備を支援しており、2016年の民法総則制定に代表されるように中国民事法の拡充に貢献している。

 今回制定された民法典は、「総則」、「物権」、「契約」、「人格権」、「婚姻・家庭」、「相続」、「権利侵害責任」の7編、1,260条で構成され、来年2021年1月1日に施行される。これまで個別に存在していた法令を一つの法令として統合したものであり、基本的には既存法令の内容を踏襲するが、法令の実務等を踏まえた修正等も行われた。また、新しい内容も追加されている。

 中でも「第四編 人格権」の「第二章 生命権、身体権及び健康権」(第千二条~第千十一条)を中心として、生命科学の急速な発展による多くの法的・倫理的・社会的問題に関する条項が含まれており、ヒトゲノム編集・臓器移植・臨床試験・インフォームドコンセントその他生命倫理に関して規定されている。

 民法典草案の策定に際しては、中国国内において活発な議論が行われた。

 日本においては、現代医学の進歩に伴い生じた生命倫理に係る規定は、一般法である民法よりは特別法や判例、行政機関が定めるガイドライン等により示されることが多く、比較法の観点からも興味深い。また当該生命倫理規定や提言の内容については、日本においても同様の議論が提起されている事項も多く、関係する条文及び関連する議論の例を以下に紹介したい。

条文別の提言

(1)自然人の死亡判断基準
第十五条 自然人の出生時刻と死亡時刻は、出生証明書と死亡証明書に記録されている時刻に基づくものとする。出生証明書又は死亡証明書がない場合は、戸籍又はその他の有効な身分証明書に記録されている時刻が優先される。上記に記録された時間を覆すのに十分な他の証拠がある場合、その証拠によって証明された時間が優先される。

【議論の例】
自然死と脳死の基準、死亡前の選択権、故人の生前の意思と家族の希望との関係の問題が含まれる。

(2)胎児の権利と遺留分
第十六条 相続や贈与の受理等の胎児の利益の保護に関しては、胎児は権利能力を持つとみなす。ただし、胎児が出産時に死亡した場合、権利能力は最初から存在しない。

【議論の例】
将来の実運用で発生する可能性のある生殖補助により生まれた児の生物学的な親と代理母との関係及びそこから発生する相続問題が含まれる。

(3)人格権と尊厳の問題 第九百九十条 人格権は、生命権、身体権、健康権、姓名権、名称権、肖像権、名誉権、栄誉権、プライバシー権等の民事主体が享受する権利である。

 前段落に規定された人格権に加えて、自然人は身体の自由・人格の尊厳に基づくその他の人格権益を享受する。

【議論の例】
第二項に規定される「人格の尊厳」、第千二条に規定される「生命の尊厳」をどう協調させるかという議論がある。

・ 「人格の尊厳」
慣習法、1982年憲法に由来する「人命の尊厳(human dignity)」と同意。人は目的そのものであり、手段や道具として捉えてはならず、差別、侮辱、いじめ、汚名を着せてはならず、更に罪のない人を傷つけ、殺戮してはならない。

・ 「生命の尊厳」
人間の身体と精神の完全性を尊重すること。そのため重要な外科手術、ある臓器や組織の一部分、乳房や卵巣の切除、切断、精神に影響を与える脳外科手術、臓器移植、心臓病患者へのブタ心臓弁の移植等に際しては、医師は慎重に検討し、本人の書面による合意を得る必要があるとの主張がある。
また、災害に遭遇した場合は優先的に人命を救うことが含まれているとの主張がある。

(4)生命の尊厳
第千二条 自然人は、生命権を享受し、自己の生命安全と生命尊厳を維持する権利を有する。いかなる組織・個人も他人の生命権を侵害してはならない。

【議論の例】
本条の規定は、将来の立法および司法解釈を通じて、論理的に特定のキメラ(ヒト臓器移植のようなヒト同種間キメラ、ブタ心臓弁の移植、ヒト胚発生中に少量の動物幹細胞が注入されたキメラ胚)、さらには意識のある高等動物にも適用される余地がある。

(5)法定救助義務及び例外
第千五条 自然人の生命、身体、又は健康に対する権利が侵害されている場合、又はその他の危険な状況において、法定の救助義務を負う組織又は個人は、速やかに救助しなければならない。

【議論の例】
痛みに耐えられず臨終状態にある病人が安楽死を要求し、医療衛生管理部門により規定された条件と手順に従い、無痛で平和的な安楽死を実施した医師に対する刑事責任免除の明文化が必要なのではないか。

(6)臓器移植
第千六条 完全な民事行為能力を有する者は、法律に従い、その人体の細胞、組織、臓器、遺体を無償で献体することについての自主決定権を有する。いかなる組織や個人も献体を強要したり、欺いたり、誘導したりしてはならない。

完全な民事行為能力を有する者が前項の規定に従い献体することに同意する場合、書面又は有効な遺言状の形式によるものでなければならない。

自然人が生前、献体に同意しないことを表明しなかった場合、当該自然人の死亡後にその配偶者、成年子女、および父母が共同して献体することを決定できる。献体の決定は書面によるものでなければならない。

【議論の例】
本条第三項の規定により、第一項に反して当該自然人の生前の意思に反する判断がなされる場合があるのではないか。

(7)臨床試験及びインフォームドコンセント
第千八条 新薬、医療機器の研究開発、又は新たな予防法や治療法の発展、臨床試験を遂行するためには、法律に従い関連する所管官庁により承認され、倫理委員会により審査・同意を得る必要があり、被験者又は被験者の保護者に対して試験の目的、用途及び起こり得るリスク等詳細の状況を書面により伝え同意を得なければならない。

臨床治験を実施する場合、被験者に対して治験費用は請求されない。

【議論の例】
「新薬、医療機器の研究開発、又は新たな予防法や治療法の発展のため」という語句は比較的狭く、被験者に通知するための規定も簡素であるため、研究開発等の範囲や説明すべき事項について、以下の内容も含めより具体的に規定する必要性があるのではないか。

・ 研究開発等の範囲
人間の健康に関する研究(臨床研究、公衆衛生研究、治療研究および疾患の原因、発病メカニズム関する研究を含む)

・ 説明すべき事項
メリット、代替治療の選択の可能性、個人情報の保護、享受される権利、利益相反等

(8)ヒトゲノムの編集
第千九条 ヒト遺伝子、ヒト胚等に関連する医学及び科学研究活動に従事するにあたり、法律、行政規制及び国の関連規定を順守し、人体の健康に危害を加え、倫理道徳に反し、公共の利益を害することをしてはならない。

【議論の例】

① 「遺伝子」ではなく、遺伝子の総体としての「ゲノム」を研究対象の例示として明示すべきではないか。

② ヒトゲノム、特にその生殖系ゲノム改変に影響を与える医学及び科学研究活動の目的を明文化する必要性
(疾患の治療と人間の健康促進及びゲノム編集の危険性と利益を評価し、被験者とその子孫、将来の世代と人類の未来の福祉を危害にさらさず、遺伝病の患者に対する差別を防止する)

(9)第五編 婚姻・家庭 第二節 親子関係及びその他の親族関係
【議論の例】
本節中に、生殖補助技術で生殖系物質(精子又は卵子、胚を含む)のみを提供し、その扶養責任を提供又は履行しない者と、この技術を通じて出生した子との親子関係について規定が必要ではないか。

(10)医療責任
第千二百十九条 診断と治療の活動中、医療関係者は患者に対し、病状と医療措置について説明しなければならない。手術、特殊な検査又は特殊な治療が必要な場合、医療従事者は患者に具体的な医療リスク、代替医療等の詳細を説明し、明確な同意を得る必要がある。又患者に説明することができない場合や不適切な場合は、当該患者の近親者に説明し、彼らの明確な同意を得なければならない。

医療従事者が前項の義務を履行できず、患者に損害を与えた場合、医療機関は賠償責任を負うものとする。

【議論の例】

① 「患者に説明することができない場合や不適切な場合」を可能な限り明確にする必要がある。(手術、特殊な検査又は特殊な治療が必要な場合、患者が行為能力を有しない場合や行為能力に制限がある場合、心理医が必要な検査又は治療を行う際に患者が理性を保っていない状態)

② 医療責任の主体は医療機関に限定されるべきではなく、医療従事者も今後責任の主体にならないと、立法の空白が生じることにならないか。

(11)救急、拒否又は治療の中止
第千二百二十条 生命の危機に瀕する患者等の緊急事態において、患者又はその近親者の意見を得ることができない場合、医療機関の責任者又は権限のある責任者の承認を得て直ちに相応の医療措置を実施することができる。

【議論の例】

① 「患者又はその近親者の意見を得ることができない場合」を具体的に規定するべきではないか。
(患者が行為能力を喪失している場合や救急時に行為能力を失った場合、近親者が不明な場合又は近親者に連絡を取ることができない場合、或いは近親者が意見を表明することを拒絶した場合、合意に達することができない場合、近親者が生命の危機に瀕する患者の救急の必要性を理解できない場合。)

② 「患者が治療の権利を放棄又は拒絶」した場合について規定するべきではないか。

以上


1. 新華網2020年6月1日「中華人民共和国民法典
黒龍江科技大学6月1日「中華人民共和国民法典(正式版全文)

2. Science Portal China 2020年5月11日付「2019年末に公布された中国民法典草案について

3. 法務省法務総合研究所国際協力部「中国での「活動・成果紹介」」ページ

4. 独立行政法人国際協力機構「JICA法整備支援に関するポータルサイト 中国」ページ