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【21-008】造語「市場主体」の意義について

2021年09月22日

御手洗 大輔

御手洗 大輔:早稲田大学比較法研究所 招聘研究員

略歴

2001年 早稲田大学法学部卒業
2003年 社団法人食品流通システム協会 調査員
2004年 早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了 修士(法学)
2009年 東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学
2009年 東京大学社会科学研究所 特任研究員
2009年 早稲田大学比較法研究所 助手(中国法)
2012年 千葉商科大学 非常勤講師(中国語)
2013年 早稲田大学エクステンションセンター 非常勤講師(中国論)
2015年 千葉大学 非常勤講師(中国語)
2015年 横浜市立大学 非常勤講師(現代中国論)
2016年 横浜国立大学 非常勤講師(法学、日本国憲法)
2013年より現職

世の中は「具体」と「抽象」を繰り返す

 私は「法」をつうじて社会を見る、その視点を日中比較に応用しているだけなのですが、現代中国の動向を観察しようとする場合に「法」を基点にすると1つの共通項を再確認できます。それは、日本社会であれ中国社会であれ、「具体(化)」と「抽象(化)」を行き来しながら世の中が変化・適応していくという共通項です。

 現代中国の場合は特にその立法過程が政治化しがちです[1]。また、合法性の要求を前提とする法制を擁していますから[2]、その法動向の「具体(化)」と「抽象(化)」の往来は前提がぶれない分、日本の動向と比べ現代中国の動向は比較的正確に把握することができます。例えば、現代中国において何らかの社会問題が衆目を集め、早急に対処しなければ政府に対する信用失墜に直結するものであればあるほど、特定の場合に対処するだけの具体的な立法が公表されます[3]。一方、その社会問題が人々の行動を制約しがちになるという意味で関心を集め、その対応が政府に対する信用回復ないし増大に直結するものであれば抽象的な立法を公表するという具合にです。

 今回は昨年夏あたりにパブリックコメントに付されていた行政法規の1つ「中華人民共和国商事主体登記管理条例(草案)」(以下「草案」とする)が[4]、「中華人民共和国市場主体登記管理条例」(以下「市場主体登記管理条例」とする)として、今年7月27日に国務院より公表されましたので、この立法過程から読み解いてみたいと思います。

「市場主体登記管理条例」に対する評価

 今回、この「草案」から「市場主体登記管理条例」への変遷から読み解いてみようと思った理由は、両者のコントラストから中国社会の現在を読み解きやすいかもしれないと感じたからです。まず、「草案」は6章102条も提示されていましたが、採択された「市場主体登記管理条例」は6章55条と単純に見積もってほぼ半分に圧縮されたことが分かります。次に目次構成の点で、「草案」は章-節の段落分けを採用して整理していましたが、「市場主体登記管理条例」は節の段落を設けず章のみで整理するほど抽象化しました。最後に、法主体を把握する概念の点で、「草案」は「商事主体」とし称しながらも個人事業主、有限責任会社、株式有限会社およびその他の企業法人、農村合作社等の特別法人、パートナー企業、外国企業などと従来より分類してきた自然人、企業法人およびその他の経済組織を網羅する形で立法していましたが、「市場主体登記管理条例」は「市場主体」として総称したことが見て取れます。

 要するに、「市場主体登記管理条例」は抽象化へと振れた行政法規であり、前述したようにこの立法は人々の行動を制約しがちになっているという社会問題に対して、政府が対応することによって政府に対する信用回復ないし増大を意図したものであると推測できます。

 実際のところ、例えば今年8月には、劉凱湘(北京大学法学院・教授)が「市場主体登記管理条例」について、異なる市場主体の登記規則に係る共通因数を最大限に抽出して規律化し統一したことによって市場主体の登記処理コストが低減できていると評価し、また、休業制度を立法(=合法化)したことによって、以前は登記機関により取り締まられたり否定されたりするために(事業者にとって)避けるべき行為とされていた「休業」を、市場主体が自らの経営計画に基づき主体的に選択できる休業(すなわち合法的な休業というプラスの意味を与えた)へと転換したものであると肯定的な評価を与えています[5]。そして担当部局である国家市場監督管理総局の許新建(法規司・司長)は、「市場主体」概念が「草案」で提示した法主体の全てを網羅したものであると言明します[6]

 そして、管見の限りで恐縮ですが、「市場主体登記管理条例」55条において言明された同条例の施行日(2022年3月1日)に「中華人民共和国公司登記管理条例」、「中華人民共和国企業法人登記管理条例」、「中華人民共和国パートナー企業登記管理弁法」、「農民専業合作社登記管理条例」および「企業法人法定代表人登記管理規定」を同時廃止することについて、中国各地の管轄部門のホームページ等で肯定的に評価する報道や記事の掲載が多いように感じます。ゆえに、現代中国の市場が今、具体化から抽象化へと振れていると俯瞰しておくのが合理的でしょう。

「市場主体登記管理条例」から見る日中比較

 そこで、具体的に比較するために、次の2点を確認しておこうと思います。

 第1に「市場」という概念についてです。そもそも市場とは、限りある資源を前にして、私たち一人ひとりが、その需給に基づき交換できる仕組みをもつ空間のことを言います。そのため東京・豊洲市場のように目に見える空間もあれば、労働(力)市場のように求人倍率などの項目から措定する空間もあるわけです。そして、いずれの空間であろうとも、その空間が、買いたいという買い手と売りたいという売り手の相互作用により成立すると解釈・理解するのを「市場経済」と言い、逆にこの買い手と売り手の相互作用よりも有限の資源を前提にして、計画的に配分する空間として解釈・理解するのを「統制経済」ないし「計画経済」と言います。したがって、「市場主体登記管理条例」は現代中国の様々な市場で行動できる法主体・プレイヤーを確認する(=合法性を与える)行政法規・法令であると言えます。

 第2に、劉凱湘教授も指摘していた「休業(制度)」という概念についてです。日本語における休業とは、働く人の側から言えば、労働者が雇用者との間の労使関係を維持したまま業務を行なわないことであり、雇い主の側から言えば、お客に対して営業・業務を提供しないことを言います。一方、中国語における休業には「歇业 xiē yè」と「停业 tíng yè」があります。いずれも雇い主の側から見た表現ですが、前者は営業停止・閉業することを意味する一方、後者は一時的に休業することを意味するという若干の違いがあります。ちなみに「市場主体登記管理条例」が用いた休業制度は「歇业」(同30条)であり、かつ、コロナ禍における人々の行動制限の影響を鑑みてか、「草案」で2年以内の休業期間を合法としていたところを、3年以内の休業期間を合法とするという期間の延長を言明しています。

 この2点から「市場主体登記管理条例」を見てみますと、市場主体として登録を完了しなければ現代中国という市場で堂々と行動できる法主体であると言えないこと、すなわち合法性の要求という現代中国らしさを確認しつつ、その法主体に対してコロナ禍の中で人々は行動を控えるけれども休業するな、店は開いておけというダブルパンチで苦しませないこと、すなわち従来の法制の硬直的な適用の問題を解消する立法であると評価できます。

行政法規は罰則規定に注目せよ

 さらに、「行政法規」をつうじて現代中国の動向を見る際に重要な点を1つ付言しておきたいと思います。それは罰則規定(の意図)の読解です。そもそも行政は公共の事務を処理ないし管理することを意味し、立法権と司法権が所掌する以外の国家権力を所掌する統治機構を指し、その業務範囲は広範です。ゆえに、曖昧で線引きが難しいからこそ論理的には暴走しやすいと言えます。そのため、行政に対しては法に基づいて国家の意思を形成し、それを執行することが要求される反面、その根拠となる法の要請が実現されなければ求心力を失う性質をもつことは否定できません。したがって、行政は常に公平な対応を遂行し[7]、行政の要請に対する反抗に対しても公平な処罰を加える必要があります。

 ここにいう公平な処罰を担保するために不可欠なことは、罰則規定の意図に論理整合性が認められることです。そして、この点について「市場主体登記管理条例」の処罰規定は比較的高い論理整合性を確認できます。僭越ながら、中国版法治国家の急成長を目の当たりにしたように感じました[8]

 処罰規定について、「市場主体登記管理条例」はその第5章「法律責任」の43条から52条(計10条、「草案」は計16条)を用意しています。しかし、同49条は罰金の価額決定における行政裁量の方針について、同50条は公務員側の違法行為に対する処罰について、同51条は刑法犯の場合について、そして同52条は他の法令の処罰規定と競合する場合の運用についての規定ですから、実質上6条しかありません(下図参照)。

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 結論から申し上げますと、異なる市場主体に対する処罰規定を次に見る3つの共通因数から規律化し統一したことが分かります。

 第1に違法所得の没収の有無には合法性の要求が反映しています。違法所得の発生は市場主体として登録していない状態、たとえて言えば試合に出場する前に提出するメンバー表に名前がない状態ないし偽名等で登録した状態です。対戦相手からすれば提出を受けたメンバー表を前提にして試合をするわけですから、そのメンバー表に登録のない選手が出場することは公平でないと言えます。そのため、未登録のメンバーが試合で手にする利益は公平でない状態で獲得したものと評価できますから、全て違法となります。43条、44条および48条のみ違法所得の没収に関する言明があるのはそのためです。

 第2に許可証の取消しの有無についてです。ここでも合法性の要求が反映しています。許可証の取消しは、たとえて言えば極めて悪質なプレーをするメンバーに対する退場処分と同じです。警告やペナルティを真摯に受け止めない選手を試合に残しておくことは審判員が試合を十分にコントロールできるのかに疑問符が付き、ルールに対する求心力を失う恐れが出てくると言えます。そのため、そんなメンバーを市場という空間に放置しておくことはできませんから、許可証を取り消して退場させるわけです。44条、45条、46条および48条に許可証の取消しに関する言明を確認できますが、いずれも「情状が重い場合」としているのはそのためです。ちなみに、43条にも「情状が重い場合」を規定していますが、44条は設立登記に関する条文ですから登録自体が終わっていない状態です。未登録の状態では取り消す許可証がありませんから、許可証の取消しという処分がないわけです。

 第3に、罰金金額についての裁量範囲です。この部分については、「草案」で提示された其々の法主体に対する罰金金額の範囲を基にして最大限の幅をとった形で規定しています。その中で興味深いのは、本条例に基づき記録処理せず是正命令を拒否する場合に5万元以下の罰金(47条)、許可証を所定の場所に設置せず是正命令を拒否する場合に3万元以下の罰金(48条1項)、そして許可証を偽造、改竄等した場合に10万元以下の罰金(48条3項)という罰金金額の範囲のばらつきが公平と言えるかどうかです[9]。この点についても合法性の要求という視点から言えば、記録処理をしないということが合法な市場主体でないことの確実な証明である一方で、法の指定する場所に提示しないこと自体は合法な市場主体であることを否定するものでないと言えることです。ただし、許可証の偽造や改竄、貸出や借用、譲渡といった行為は許可証そのものの真実性を動揺させ、制度自体に対する求心力を喪失させることにつながるため厳しく取り締まる必要があると言えることを鑑みると、公平なばらつきをもつ裁量範囲を言明したと私は考えます。

「市場主体登記管理条例」の成立・施行から予想できること

 以上より明らかなように、「市場主体登記管理条例」の成立は、現代中国の各種市場が「具体」から「抽象」へと重点を移行する必要に迫られており、それに対応する立法を中国政府が行なったものであると言えます。では、何故この移行に迫られたのでしょうか。

 まず、肯定的な休業制度の導入は確かにコロナ禍やポスト・コロナ禍を見越した政策であると評価することもできるでしょう。また、市場主体としての登録手続きの共通化を標準化の一環と見て、中国版グローバルスタンダードの試みであると評価することもできないことはないでしょう。

 次に、「草案」から「市場主体登記管理条例」へとブラッシュアップする様子から、現代中国の立法過程の進歩や論理的思考の成熟を見ることも間違いではないですし、合法性の要求という中国的権利論の堅持を確認することもできるでしょう。

 とはいえ、本コラムのまとめとして、より俯瞰的な予想を示しておきたいと思います。この「市場主体登記管理条例」の施行は、来年(2022年)3月1日とされています。大雑把に言えば約半年間の猶予があります。ちなみに本コラムでは言及しませんでしたが、同条例の公表が今年(2021年)7月であっただけで、国務院常務委員会における採択は今年4月14日に終えていました。つまり、社会的・対外的に公表する以前の3か月間に市場主体の登記機関について、中央と地方の分業や統制を内々に進めていたのでしょうし、その把握・確認を経て実効性を確保したうえで、向こう半年間の時間的猶予を現代中国の各種市場において活動するだろう法主体に対して提示したという様に見えます。

 そうすると、この時期の公表は、現行制度の制度的疲労にウンザリしている経済活動の動力源となる法主体(資本家、経営者など)に対して、刺激剤的な効果を確実に与える必要に中国政府が迫られているからなのではないでしょうか。言い換えれば、現在の中国社会は、私たちが想像するほど平穏でないばかりか、刺激剤的な効果を生む何かを貪欲に欲するほど政府に対する信用の増大が必要な何かのリスクに迫られているということです。

(了)


1. 立法過程の政治化については、拙著「立法過程」『よくわかる現代中国政治』ミネルヴァ書房2020年を参照されたい。

2. 例えば、拙稿「中国法との向き合い方を考える」を参照されたい。

3. 例えば、拙稿「[套路貸]をめぐる攻防と人間の成長」を参照されたい。

4. 国家市場監督管理総局ホームページ 参照、2021年9月12日最終閲覧。

5. 劉凱湘「市场交易有序化、效率化、诚信化的保障----评《中华人民共和国市场主体登记管理条例》」参照、2021年9月12日最終閲覧。

6. 許新建「《市场主体登记管理条例》解读」参照、2021年9月12日最終閲覧。

7. 例えば、拙稿「クリーンな公務員の作り方」を参照されたい。

8. 中国版法治国家については、例えば拙稿「行政と対決する時代に考えておきたいこと」を参照されたい。

9. なお、45条の1項および2項には「虚偽の登録資本金額の5%以上15%以下」を罰金とする場合の言明もありますが、こちらは市場主体として申請しその合法性を獲得する意思があると評価できないわけでもないわけですから、虚偽登録の再犯防止を目的とするものと解釈できると私は考えます。