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【08-04】他山の石もって玉をおさむべし~日本遊学で感じたこと~

田 慶立(立教大学法学研究科留学生)  2008年2月20日

 近代以降、多くの中国人留学生が次々と日本へ遊学し、救国救民の真理を探求した。それから既に百年余りの歴史を持つ。中日両国の関係は古く、日本は歴史上 ずっと中国を「手本」として尊敬し、中華文化から栄養を汲み取り、自らの消化・吸収を経て、独自の特色を持つ日本文化を形成した。明治維新以降、日本は西 洋に学ぶようになり、短期間のうちにアジアで一番となり、昔は先生だった中国もこれに追い付くのが難しかった。中国の教育史上、注目すべき日本留学ブーム が遂に出現したのである。中国に対する日本のこうした「文化の恩返し」現象は確かに深く考えさせられ、覚醒を促すものだ。大量の遣隋使、遣唐使の中国への 派遣から、数世代の中国人留学生がそれぞれの動機と目的を胸に抱き、日本に渡って学問に励むまでの時の流れは、中日両国の盛衰の移り変わりを反映してい る。2007年4月、筆者は幸運にも日本の立教大学に留学し、日本留学ブームにおける一滴の水玉となった。遊学期間中、留学の先輩諸氏に多くの共感を覚え たのは無論であるが、自身のささやかな体験もあった。一滴の水玉に屈折された世界を通し、自らの留学生活を振り返って見ることは、個人にとって、また、社 会にとって幾らか役立つかもしれない。

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1 科学技術のエンジンとしての役割

 日本が戦後の経済発展で収めた誇るべき業績は、「日本の奇跡」と称賛されたことがある。日本経済の飛躍を促した要因については当然、国際環境、政治体 制、経済政策等と密接に関係しているが、否定できないのは科学技術が果たすエンジンとしての役割が日本の成功の謎を解くカギであることだ。資源とエネル ギーの利用率から言うなら、中日間には著しい開きがある。石油換算1,000g当たりの単位エネルギー消費で生み出される国内総生産(GDP)を計算する と、中国は約0.7米ドルで、先進国よりも低いばかりか、インドなど多くの発展途上国よりも低い。一方、日本が同じエネルギー消費で生み出すGDPは 10.5米ドルに達し、世界一であり、中国の約15倍に相当する。同じ資源とエネルギーで、日本は中国の15倍の生産額を生み出すことができるのだ。現 在、巨大な中国経済体は高度成長期に差し掛かっている。しかし、2004年の経済成長を見ると、全力を尽くしたのに、GDP総量は世界の4%を占めるにす ぎず、それに引き換え、石油消費は既に世界第2位となり、発電量の消費は世界全体の13%を占める。この他、鋼材消費は世界の27%、セメント消費は世界 の40%、石炭消費は世界の31%を占めている。(『中国と日本の開き−−認めざるを得ない事実』網 易商業フォーラム、2005年3月1日。)このことから、中国経済はかなりの程度、エネルギー消費が多い粗放型の発展を基礎に成り立っていることがわか る。資源問題は今後の中国経済の発展を制約するボトルネックとなるであろう。この問題を解決する抜本的な方策は中国自身の努力に依拠し、先進国の先進技術 に学び、省エネ・汚染排出削減を通じ、資源とエネルギーの有効利用率を絶えず高めていくことしかない。東の隣国、日本は正にこうした面で私達が学ぶべき手 本である。1970年代の石油危機以降、日本は資源とエネルギーの供給先の多様化に力を入れ、省エネ・消費低減の技術水準を高め、そのエネルギー効率が 30%向上した。日本政府は更に2030年にはエネルギー効率を現在よりも30%引き上げるとの目標を設定した。その上、省エネの重点も産業部門から最終 製品へ切り替える予定である。例えばパソコン、プリンタ等の事務機器の省エネ、及びテレビ、冷蔵庫等の家電製品の省エネである。中国は後発の発展途上国で あるため、経済の発展段階と資源・エネルギーの利用面で、60年代、70年代の日本と多くの類似点があり、日本の経験と教訓は中国が提唱している節約型社 会を築く上で間違いなく重要なヒントを与えるであろう。

 日本の省エネ技術は世界をリードしており、一連の効果的な管理措置・手段が既に確立した。70年代以降、エネルギー供給における天然ガスと原子力の増加に 伴い、日本の石油依存度は70年代のピーク時の80%近くから近年の50%の水準へと下がった。しかし、日本政府は更に2030年までにエネルギー消費に おける石油依存度を40%に下げるべきだと考えている。この他、日本は工業分野と電力業界で石油から天然ガス及び原子力へのエネルギー転換を基本的に実現 したが、今後は一段と厳しい試練に直面することになろう。それは交通輸送分野における石油の代替と節約をいかに進めるかである。日本政府はハイブリッド 車、電気自動車、バイオ燃料等を大いに発展させる措置を通じ、2030年までに、輸送部門の石油依存度を80%に低下させる計画である。発電の面では、現 在、日本の発電総量に占める石油発電の割合は既に5%まで下がり、原子力発電が25%を占めるようになった。日本政府の目標は2030年までに、発電量構 成に占める原子力発電の割合を30%ないし40%に引き上げることである。(劉麗軍:「『新・国家エネルギー戦略』から日本の石油政策の動向を見る」、 『国際科技動態』2006年第12号)日本が資源とエネルギーの改善、更新・世代交代で歩んだ道のり及び将来を見据えた発展構想は、中国のエネルギー戦略 を策定する上で参考テキストとなる。

 鄧小平氏は「科学技術は第一の生産力である」と提起したが、この言葉は日本の経済発展において顕著な形で現れた。科学技術の発展にはこれを支える巨額の資 金が必要となる。R&D(研究開発)経費がGDPに占める割合は、その国の科学技術活動の規模及び科学技術への投入度合いを判断するのに用いられ る国際的な重要指標であり、国の経済成長の潜在力と持続可能な発展能力がある程度、反映されることになる。2000年、この指標における中国の支出は 896億元となり、GDPに占める割合が史上初めて1%に到達した。日本の第1期科学技術基本計画(1996〜2000年)における投入総額は17兆円で あり、GDPの3.21%を占めた。2001年にスタートした第2期科学技術基本計画では、科学技術経費の投入総額が24兆円となる。(張■海:『国外の科学技術法と科学技術イノベーションの機能』、『中国科技成果』2007年12月号)1990年以来、日本のGDPに占めるR&D経費支 出の割合はずっと世界トップの座にある。これは日本の経済発展と国家富強の秘訣が科学技術を根本に据え、科学技術でリードすることにある、との点を1つの 重要な側面から示すものだ。新聞やテレビ番組等を通じ、日本の科学技術者が何らかの分野で重大な発見をしたとのニュースをしばしば目にするが、こうした状 況の出現は決して偶然ではなく、それは国が技術イノベーションを大いに重視し、且つ一連の奨励メカニズムと資金サポートを実施したことによる当然の帰結な のである。

 無論、日本の科学技術が辿ってきた道には教訓もある。例えば、応用技術研究を過度に重視・追求し、基礎科学研究を軽視したことであり、米国の「基本特許」 を参考にして「周辺特許」を開発することが多く、これによって生まれた特許の多くは「派生物」となる。中核技術をマスターしなかったため、米国から制約を 受けることになった。このため、日本は中核技術の開発に力を入れるようになったのだが、これも開発途上国の中国にとって今後の戒めとすべきものである。

2 産学官一体化のモデルは参考に値する

 日本は世界第二の経済大国として、非常に先進的な先端技術と管理体制を持っているが、これは主に国の主導で実施した科学技術イノベーション政策によるもの である。日本は「科学技術創造立国」を打ち出し、第1期科学技術基本計画をスタートさせた。該計画を実施してから、政府は研究開発への投資を徐々に増や し、研究の競争環境が形作られ、産官学連携が強化され、科学技術体制面で大胆な改革が進んだ。しかし、21世紀に入った後、日本は人口の減少、国際競争の 激化及び国民が科学技術への興味を失う等の様々な変化に直面している。2006年度から、日本は科学技術イノベーションを一段と重視する第3期科学技術基 本計画をスタートさせた。日本の科学技術研究開発体制は技術イノベーションを重視・奨励する他、科学研究成果を実際に役立て、社会に直接貢献できる現実的 な生産力へと具体的に転化することを一層重視している。日本の技術イノベーション・メカニズムでは応用性が高い次元へと引き上げられた。研究成果から重大 な発明を生み出し、斬新な革新的技術を編み出し、競争力を増強するため、基礎研究を実用化技術に近づける研究開発では、論文の数にこだわるべきでなく、実 際の意義がある技術イノベーション能力を持つことを一段と強調しなければならない。上記の要求に応えるため、日本は「技術革新型公募資金制度」を定める計 画である。この制度の中には、既存の技術成果と具体的な応用・用途との結合、及び技術革新を目標とした技術の実行可能性の検証が含まれる。基礎研究の段階 で高い応用性のポテンシャルを備えた技術を育てるのみならず、基礎段階からその技術の革新性を明確にし、研究の進展と同時にその技術を具体的な応用と結び 付け、技術の革新性を確立すべきとしている。

 日本が産学官一体化のモデルで講じた具体的措置は、1.持続的に発展する産官学連携を推進し、研究成果の社会への還元を促進すると同時に、公共研究機関が 新しい技術を弾力的に運用するのを促す、2.創造性を備えた高効率の研究開発体制を構築することである。現在、日本には様々な競争的資金制度があり、これ らの制度には研究経費の規模、研究期限、研究体制、評価方法及び推進方法が含まれる。競争的資金の拡充により、研究者は外部資金を得るチャンスが増えた が、競争的資金の採用率は依然として高くなく、研究者の需要を満たすことができない。このため、日本政府は競争的資金制度を充実させ、競争的資金の運営管 理を強化し、公正で透明性の高い評価システムを確立すべきだと考えている。また、その他の制度の改革としては間接経費の拡充、若手研究者の起用、制度の運 用改善、電子システムの導入、研究経費の過度な集中と不合理な重複及び不正使用の防止等がある。

 科学研究成果の普及と推進の面で、民間企業は価値を生み出し、生産性を向上させる役割を発揮している。大学と公共研究機関はイノベーションの分野で重要な 地位を占めているが、開発された成果を実用化し、新しい製品とサービス形式で市場価値を生み出し、イノベーションを最終的に実現しようとするなら、やはり 民間企業に頼らなければならない。このため、民間企業はイノベーションを促進・推進する上で非常に大きな役割を果たしている。科学研究成果の転化について 言うなら、日本の産学官一体化の協力モデルは、特に先端の科学研究成果を実際の操作レベルに転化する段階で、成熟した運営メカニズムと管理理念を持ってい る。民間企業と大学、研究機関、科学研究院・研究所との緊密な協力関係及び意思疎通のメカニズムは、科学技術イノベーションに力を入れる中国にとって手本 とするに足りるモデルを提供している。日本の一部の専門家は、日本には科学技術イノベーションの面でなお多くの問題が存在していると指摘した。

具体例:

  1. リスク資金の供給不足。研究開発、ソフト開発、高等教育への日本政府の投資がGDPに占める割合はまだ非常に少ない。
  2. 科学技術成果の産業化を支える制度が持続性に欠けている。日本の公共機関には科学技術振興機構、新エネルギー・産業技術総合開発機構等があり、科学研究活動を支援しているが、民間では科学技術イノベーションの促進に対する態度がまだ消極的であり、官民の温度差が大きい。
  3. 過去5年の間に、80%の企業が研究開発に成功したが、研究成果は産業化されておらず、そのうち70%の研究開発は企業の中に眠っている。
  4. 陳超:『創造的成果は社会に対し、形のある貢献をしなければならない:日本の科学技術イノベーション政策』、『科技日報』2006年2月6日)。

3 実用的な教育理念

 戦後の日本経済の高度成長は、教育重視と人材の育成重視によるところが大きい。日本の荒木万夫・元文相は以前、「明治から今日に至るまで、わが国の社会と 経済の発展、特に戦後の経済発展には目を見張るものがあり、世界から重視されている。こうした状況をもたらした大きな原因は、教育の普及と発展に帰するこ とができる」と指摘した。米国の著名な開発経済学者、シュルツ(Theodore W. Schultz)は「戦後の日本は物質的資本のストックがほぼ跡形もなく消え失せたが、その国の財産の中の重要な部分−−知的レベルを備えた人材がなお大 量に存在していた」と述べている。日本の福田赳夫元首相が施政方針演説で「人はわが国の財産であり、教育は国政の根本である」と語った通りである。これは 日本が台頭し、奇跡を起こした根源だと言えよう。

 日本の高度な発達は完備した教育システム及びその中で養成された資質の高い国民によるものであり、その実用的な教育理念は各レベルの優秀な人材を養成する 指針となった。日本の比較教育学者、南亮進氏は中国の初等教育は日本の1905〜1910年の水準に相当し、85年遅れ、中等教育は日本の1915〜 1920年の水準に相当し、75年遅れ、高等教育は日本の1920年の水準に相当し、70年遅れ、また、教育経費は日本の1925年の水準に相当し、65 年遅れているとの考えを示した。中国の工業分野で働く人のうち、高級技能工は2%、中級技能工は24%を占め、初級技能工が74%を占める。一方、同期の 日本の高級技能工は32%、中級技能工が43%を占め、初級技能工は25%を占めるにすぎない。高・中・低級技術職の割合を見ると、中国大陸は 1:7.4:20.3だが、世界の平均は1:3:6であり、先進国は2:4:5となる。こうした技能工の人材構成のアンバランスは中国の工業製品の中で、 不良品が年間2,000億元もの損失をもたらす主な原因となっている。(「中国人必覧!必読!」) 近年、中国は数百億元の教育経費を少数の名門大学に投入し、このため、基礎教育、普通教育、職業教育、技術教育は泣きっ面に蜂で進退窮まり、職業教育と技 術教育の発展が遅れ、この種の人材がひどく不足している。一方、多くの大学卒業生は学んだ専攻に制限があることから職に就くことができない。これは恐らく 中日両国の教育理念の違いに起因し、即ち中国はエリート教育を尊重し、日本は庶民教育を重視している。中国人は伝統的な観念の影響と束縛を受け、大学に学 んでこそ頭角を現し、立身出世できると考えており、子女を職業学校や専門学校に学ばせることを潔しとしないのである。その結果、中国は生産の第一線で人材 が不足することになった。一方、日本では教育体制が完備し、各種の専門学校が各分野の需要に見合う専門人材を養成している。全方位の系統的な庶民志向の教 育理念のお陰で、各人がその才能を十分に発揮しており、各業種の需要に適う有用な人材を育てることができる。中国の人材養成方式は実情から離れたエリート 式の教育であり、日本は実用重視の庶民式教育である。しばらく前、中日両国の小学生を対象とした将来の就職先に関するアンケート調査の結果が新聞に発表さ れた。中国の小学生は科学者、技師等のエリート志向の職業を選んだ人がかなりの割合を占め、一方、日本の小学生は一般庶民志向の職業を選んだ人が多かっ た。ここには両国の異なる教育理念の下での小学生の人生観と価値観が集中的に反映されている。このような顕著な違いが現れた要因は非常に複雑であるが、日 本の小学生のこうした実情を重んじる自己の位置付けは確かに社会の発展動向と一致している。社会の中で、エリートは少数なのであり、学校で養成された全て の人材がエリートになることは望むべくもなく、多くの一般庶民こそが社会の秩序ある正常な運営を支える土台なのだ。各業種の需要に適う資質の高い専門人材 を養成することは教育の重要な使命であり、これには疑問の余地がない。近年、中国の大学卒業生は就職難のため、やむを得ず卒業後に職業技能学校に通い、専 門技術を学んでおり、中国のエリート式教育路線の弊害が目立つ。

 中国深■市教育局が手配した深■小学校の5、6年生12名と教師9名から成る訪日教育交流団が、石川県石川郡野野市野野小学校など3校で5日間の訪問交流活動を行った。野野小学校の北村校 長は訪日交流団に対し、現在の日本の教育界で良い生徒と考える主な基準は身体が健康で、自主的能力が高く、内面の世界が豊かで、国際協力の精神と環境保護 意識を持つことであると紹介した。同市富陽小学校の校長室の目立つ位置に掲げられていた生徒の養成目標は情感・思考・独立である。このことから、日本の良 い生徒の基準は抜群の学業成績によって推し量る中国の基準とは全く異なることがわかる。日本の学校の教師と父兄の中で、子供の学業成績が最も重要だと言う 人はほとんどおらず、子供の心身の健康が一番大切だと考えている。これは日本の教育理念が人格の独立と心身の資質の育成を非常に重視していることを示すも のだ。一方、中国は進学率をひたすら追い求めており、生徒は悲鳴を上げ、父兄は薄氷を履むが如し。中国の関係定期刊行物が発表した調査資料によれば、高学 年になるほど、心理面で不健康になる割合が高く、特に大学生の自殺が増えている。これは恐らく基礎教育の中で心身の健康に関する教育が不足していることと 関係があるのではないか。現在、中国は日本等の先進国の教育養成目標に見習い、新たな「カリキュラム改革」を全面的に推し進めている。しかし、中国の複雑 な国情により、これを普及するにはなお長い道のりを歩まなければならない。

4 細かなところから精神を見る

 日本民族とドイツ民族には多くの類似点がある。例えば何事も厳格かつ真剣に取り組み、少しもゆるがせにしない点であり、且つ最善を尽くし、絶えず進歩を求 めるこだわりの精神を備えている。吉田茂は日本の戦後の最も有名な首相であり、晩年には情熱に溢れた言葉で「激動の百年史」を書き、日本民族が如何にして 困難に打ち勝ち、先見の明を持ち、向上心に燃え、巧みに学習し、完璧さを追求してきたかを総括した。彼は日本民族は最善を尽くすプロの精神を備えていると 言った。やるからにはベストを尽くす。これは日本民族の心に深く根ざしており、日本が明治維新と戦後の奇跡的な経済復興を経て、世界第二の経済強国に躍り 出る原動力となった。マネジメントの大御所、ドラッカー(Peter F. Drucker)は、戦後の日本経済の離陸では3人の指導者がいたと述べている。1人目はドッジ(Joseph M. Dodge)であり、彼は日本人に対し、経済を発展させるにはまず通貨と金融を安定させることだとし、円と米ドルの為替レートを1ドル=360円に固定さ せるよう進言した。2人目は総合的品質管理(TQC)の父と呼ばれるデミング(William Edwards Deming)である。ドラッカーは、品質管理は米国人が発明したものだが、完璧に運用し、入神の域に到達させたのは日本人であると言った。3人目はド ラッカー自身である。彼はどのようにして戦略を考え、目標管理を実施するのかを日本人に教え込んだ。ドラッカーは日本文化の精神についても造詣が深く、 70歳の時に東京大学に招かれて教授となり、日本の芸術文化を研究した。彼はこれを誇りにしていた。ドラッカーと吉田茂は共に傑出した人物であり、考え方 も大体同じである。3人の指導者はいずれも日本民族の真の凄さは最善を尽くし、完璧を求めるプロの精神にあると考えた。何をやるにしても、ベストを尽く し、脇目も振らず、絶えず進歩を求めるのである。こうした精神の背後にあるのは非常に謙虚な学習態度であり、永遠に怠ることなく他人の長所を吸収する開か れた心である。ソニーの創業者、盛田昭夫氏は「日本企業が短期間で飛躍的進歩を遂げることのできた秘密は、企業経営者が終始、日本は全ての分野で他国より も立ち後れていると考え、そこから緊迫感が生まれたことにある。彼らは欧米各国の生徒であることを自任し、授業料を払い、経営手法を学び、新しい技術を取 り入れたのだ」、「日本において、人々は常に怠ることなく効率と生産性の向上を追求し、たとえドライバーのような簡単な工具でも例外ではない。設計から加 工に至るまで、入念に考え、綿密に研究しないものはない」と述べている。(員栄平:『日本経済が台頭した原因と私達への啓発』)(訳注:現在この文書はイ ンターネット上で削除されている)この点において、中国は目先の利益にとらわれる浮ついた気持ちを克服し、日本人の最善を尽くし、絶えず進歩を求める勤勉 な精神を積極的に学び、参考にする必要がある。

 日本の自動車業界と米国の自動車業界の競争は、きめ細かさで勝利を得た格好の事例となる。自動車の発展の歴史において、米国の自動車業界は流れ作業の生産 方式で車を普及的な商品に変え、自動車の発祥地である欧州を打ち負かした。20世紀初頭から60年代末までその黄金期が続いたが、70年代の二度にわたる 石油危機の後、燃費のよい日本の小型車が頭角を現した。70年代から90年代にかけ、日本の自動車が破竹の勢いで米国に進出し、その自動車市場に大打撃を 与えた。米国が長年維持してきた自動車生産国トップの座も一度は日本に奪われることになった。その勝因は日本が「リーン生産方式」を編み出したことにあ る。日本はあくなき向上心と科学的な方法で自動車の設計・開発、エンジニアリング技術、調達、製造、保管・運送、販売、アフターサービスの各段階を制御・ 管理し、これにより、最小の投入で最大の価値を生み出す目的を遂げたのである。細部の各段階及び各段階の間のつながりは入念に計画・計算されたものだ。例 えば、米国の男性、特に若者が紙パックでなく、ガラス瓶詰めの飲料を好むことを知った日本は、ガラス瓶を冷蔵し、且つ安全に置くことのできるキャビネット を車内に設け、米国人に大いに喜ばれた。こうした微に入り細を穿つ経営理念とサービス意識が顧客の好評を博したのは当然のことである。

 日本の製品が世界で称賛を受けたのは、日本人が細部の作業を少しもゆるがせにせず、絶えず進歩を求めたことと密接な関係があると思われる。トヨタ車のフ ロントシートを例に挙げよう。米ジョージタウンにあるトヨタの工場はフロントシートを取り付ける作業に対し、厳格な7つのステップを設け、車が生産ライン から安定した速度で労働者の前に来たら55秒以内に終えると規定している。もし労働者が第4ステップ(前部のネジ取り付け)の前に、第6ステップ(後部の ネジ取り付け)を行ったなら、それはその作業が要求に合わないことを意味する。同様に、40秒経った後、労働者が規定により31秒の時に終わらせるべき第 4ステップをまだ行っていたなら、それもミスが起きたことを意味している。問題点を見つけやすくするため、トヨタは更に労働者の作業区域を10のブロック に区切った。もし労働者が6つ目のブロックでまだ第4ステップを行っていたなら、グループ長は作業の遅れがわかることになる。トヨタの生産ラインの設計方 式により、各製品とサービスの流れはシンプルで標準化されたものとなっている。トヨタの労働者が過酷なまでに厳密な規則をどう学習するのかついて、ハー バード大学商学部のスティーブン・スピア(Steven Spear)教授は次のように説明した。トヨタのマネージャーは作業員やグループ長にどうやるのかを教えようとはせず、逆に、彼らは教える方も学ぶ方も共 に向上する方法を採用し、労働者が問題を解決すると同時に法則を見つけ出すのを認めている。「これは全く驚くべきことであり、トヨタの全社員が追求してい るのはどうすれば次の時によりよくできるかということである」と。正にこうした細部の所から手を付ける精神により、トヨタは世界で比類なき王者の地位を獲 得したのである。これは同時に又、微に入り細を穿つ日本民族の性格が企業の経営管理面で他の追随を許さない優位性をもたらしことを示している。

 中国の某メーカーが引き受けた日本からの設備輸入プロジェクトは、各検査が間もなく完了し、引き渡される予定である。これに先立ち、日本側は多くの担当 者をこの工場に派遣し、モジュールの継ぎ合わせと組み立ての検査を行った。検査の過程で、中国側の担当者を驚かせたのは、彼らが昼間でも懐中電灯を持ち、 1つ1つの溶接継目の確認検査を行い、しかも非常に真剣な表情で取り組んでいたことである。溶接個所にスラグがあるのを見つけると、彼らは自ら鉄製のへら で1つ1つ取り除いた。更に意外だったのは、そうした検査を行っているのが一般の従業員でなく、会社のリーダーであったことだ。仕事にきちんと責任を負う こうした態度こそ、設備の正常な稼働と製品の品質を保証するものであり、日本の自動車と家電製品が世界でよく売れる秘訣はここにある。また、リーダーが自 ら現場に駆け付け、体験・実践するのは率先垂範の手本としての効果がある他、万に一つの失敗もない設備の安全な運転に確かな保証を与えることになる。正に こうした細部にこだわる性格により、日本の企業は何事にも絶えず進歩を求めてきたのであり、彼らの製品はその確かな品質で世界に称賛されることになった。 企業について言うなら、常に顧客の立場に立って自社の製品を改善し、完璧で周到なサービスを提供することは、「メードインジャパン」の誇るべき資本となっ ている。

 日本人は最善を尽くし、絶えず進歩を求めており、「泰山は細壌を拒まず、故に能くその大を成し、江海は細流を択ばず、故に能くその深に就く」である。細部 が成否を決定する。日本が比較的短期間のうちに世界第二の経済大国となり、電子、自動車、工作機械等の製品が国際市場で強い競争力を持つようになったの は、こうした細かな所に着目する精神と切り離すことができない。

5 民間交流から本当の気持ちが見える

 中日関係には多くの恩讐が存在しており、両国関係はしばしば歴史問題等の影響を受けて確執・停滞が生じている。そうなったのには多くの原因があるが、1つ の軽視できない要因は、両国民間の交流と理解がまだ不足していることだ。両国関係の安定と友好的発展を維持することは両国民の共通の利益に合致し、これに は疑問を差し挟む余地がない。両国関係の順調な発展をどう実現するのか。「草の根レベル」の民間交流を積極的に促進することは両国関係の持続的かつ健全な 発展を力強く保証するものである。

 第1に、メディアは両国の間に橋を架け渡す重要な役割を果たしている。メディアは「第四の権力」と呼ばれ、「無冠の帝王」と称されている。現在、両国は人 的交流が比較的活発であるが、相手国で生活を体験する人はまだ少数であり、相手国に対する国民の印象は主にテレビや新聞の報道によって決まる。ジャーナリ ストの価値観は世論を誘導する大きな力があり、相手国のことを如何に正しく客観的に自国民に伝えるかはジャーナリズムの重要な使命である。マスメディア学 者は、メディア報道は大衆への影響が大きく、大衆が相手国を理解する主要ルートになっていると指摘した。しかし、メディアが相手国のことを百パーセント客 観的かつ公正に報道するのは難しく、作り上げられる相手国のイメージは往々にして実情と食い違うものになる。出来るだけ公正・客観的な立場であらゆる方面 から相手国の姿を正確に伝えることは、両国民が相手側を正しく認識する前提となる。

 第2に、「一面論」を捨て去り、「全面論」を提唱する。両国で論争のある多くの敏感な問題については、「立場を変えて考える」思考方法を常に用い、相手方 を理解すべきである。解決が難しい一部の問題に関し、相手方の立場に立って考えることは、問題の解決と誤解の解消に役立つかもしれない。双方に存在する 「一面論」の主な表れは自己中心的な態度である。即ち自分の立場だけで問題をとらえ、常に自分は正しく、反省する必要などなく、自分の至らなさも許せる事情があり、一方、相手側には全く道理がないと考えるのである。このため、自分のことを話す時は自分に有利な部分だけを取り上げ、相手のことを話す時は相手 に不利な部分だけを取り上げることになる。これは「事実に即して真理を求める」態度と掛け離れた思考方法である。こうした「一面論」を出来るだけ捨て去 り、客観的・公正・全面的に相手方を詳しく観察することは、両国民の真の友好を促進するのに大いに役立つ。

 第3に、民間交流のブームを巻き起こし、両国関係の発展を促進する。民間交流の功績は計り知れず、この点は両国の国交樹立以前に顕著な形で示された。グ ローバル化が進む現在、民間交流は特に貴いものに思える。民間友好団体と民間組織はこの面で独自の強みを持っており、双方が相手国で身近な体験をすること は相手方に対する誤解と偏見を取り除くのに役立つ。双方が一連の交流活動を行い、例えば、2007年実施された中国青少年の日本訪問は非常に大きな成果を 収めた。双方が文化芸術・科学技術展覧会の開催等を通じ、相手方に全面的に情報を伝えることは、相手国に対する印象を改善し、理解を深める上で実効性に富 み、目に見える効果を備えている。草の根レベルから民間交流のブームを本当に巻き起こすことができるなら、両国民の懇切な真情が必ずや明らかに示されるも のと信じている。

「他山の石もって玉をおさむべし」

 日本の科学技術体制、産業政策、教育理念、民族精神等は確かに中国の参考になるものが多い。日本は先進国として輝かしい道のりを歩み、多くの成功経験と 教訓を残した。これらの貴重な財産を如何にして効果的に汲み取るかは、中国の今後の発展にとって非常に大切なことだ。

田 慶立

田 慶立:

略歴

1975年7月、内モンゴルに生まれる。
2000年、内モンゴル大学人文学部歴史学科歴史学学士。
2000〜2002年、内モンゴル農業大学職業技術学部情報管理学科助手。
2005年、南開大学日本研究院日本史専攻修士。
2005〜2006年、天津社会科学院日本研究所、研究員補佐。研究分野は現代の中日関係であり、これまでに10編余りの学術論文を発表。
2006〜2007年3月、南開大学日本研究院の博士課程院生。博士論文のテーマは「1972年以降の日本人の中国観の移り変わり」。
2007年4月〜現在、立教大学法学研究科国費留学生。