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【14-05】黄土高原で緑化協力に取り組む(その1)

2014年10月21日

高見邦雄

高見邦雄(TAKAMI Kunio):認定NPO法人緑の地球ネットワーク 事務局長

1948年生まれ。東京大学中退。日本と中国の民間交流活動に従事した後、1992年緑の地球ネットワークの設立に参加し、中国・大同市における緑化協力を担当、事務局長。著書『ぼくらの村にアンズが実った』(日本経済新聞社)は、中国版と韓国版も出版されている。友誼奨(中国政府)、栄誉市民(大同市)、緑色中国年度焦点人物(全国緑化委員会、国家林業局等)、外務大臣表彰、JICA理事長表彰など受賞

雨が砂漠化を加速する?

 緑の地球ネットワークは、山西省大同市の農村で1992年から緑化協力を継続している。大同市は黄土高原の東北端に位置し、北京の水源であり、風砂の吹き出し口にもあたることから、中国の環境を考えるうえで重要な地域である。

 年間降水量は平均400㎜と少ないが、さらに問題なのは年ごとの変動が大きいことである。多い年は650㎜ほどになり、少ない年は200~250㎜に落ち込む。

 季節的な偏りも大きい。年間降水量の3分の2以上が6月半ばからの3か月に集中し、植物が芽生え育つ4~5月の雨がとくに少ない。地元に「春の雨の貴いこと油の如し」という言葉があるくらいだ。

 暑い時期の雨は狭い範囲に短時間、集中的に降り、私も1時間あたり70㎜以上の雨を何度か経験している。黄土高原は長い歴史のなかで森林が失われ、植生が貧弱になっている。そのようなところに激しい雨が降ると、表土が流され、雨水もそこに止まることがない。中国では「水土流失」と呼んでいる。

 水土流失がつづくと土地が劣化し、作物や植物が育たなくなる。それが黄土高原における砂漠化で、皮肉なことに雨が砂漠化を加速しているのである。

マツを植え、防護林をつくる

 私たちはこの23年間にさまざまな形での緑化を進めてきたが、その中心的事業は水土流失と砂漠化を防止するための防護林建設である。風砂の防止にも役立ち、将来は用材林として経済効果も期待されている。

 植えているのはアブラマツ(油松)とモンゴリマツ(樟子松)である。カラマツ(華北落葉松)も植えてきたが、海抜1600m未満のところでは生育がよくないため、面積は小さい。

図1

図1 マツを植える

 アブラマツは在来の樹種で、仏教寺院や道教の廟などに樹齢数百年の古木がみられる。

 モンゴリマツはオウシュウアカマツの変種で、緯度にして10度ほど北から導入された。幹が真っ直ぐで、生育が速いため、大同市の北部ではよく植えられているが、導入後まだ30年しかたっていない。緯度や海抜が高いところのものを低いところに移すと、小さいときはよく育つけれども、大きくなってから変調をきたすことがあるので、まだ安心はできない。

 2000年ごろまでは、アブラマツは2年生、モンゴリマツは3年生の地上部が10~15cmの小苗を植えてきた。裸根苗で、1本が0.2~0.3元(1元=約15円)、そのころは日当も10元ほどだったので、1haにマツ苗を3300本植え、さらにヤナギハグミ(沙棘)やムレスズメ(檸条)を混植しても、費用は日本円で2万円ほどだった。

 その後、事情が変ってきて、地上部が40~50cmの大苗を植えるようになった。この大きさになると裸根では活着しにくいので、ポリ袋に培養土を詰めて育てた苗になる。これによって活着率が向上したので、1haあたりの本数は半数の1650本になった。

 大苗を植えるようになった最大の理由は、ノウサギの食害を回避するためである。植林がはじまると、その一帯の放牧が禁止され草が伸び、ノウサギがエサに困らなくなって増えるのである。

 食害が深刻なのは春先である。草はすべて枯れ、青いものはマツしかない。ノウサギがそれに向い、鋭利な刃物で切ったように苗を噛み切るが、食べられるものではない。そこでやめればいいのだが、次の苗、次の苗へと向い、全滅させられることもあった。そこで簡単には噛み切ることのできない大苗を植えるようになったのである。

 もう一つの理由は人件費の高騰である。小苗を植えているときは、現場での管理に人手がかかった。たいへんだったのは越冬のための土伏せである。10月末から11月にかけて、苗を土で覆うのである。苗木は休眠しているので、光がなくても枯れることはない。それをしなかったら、乾燥した寒風のために苗木は水分を飛ばされ、枯れてしまう。

 日射しが強まる4月中旬、苗を覆っていた土を取り除く。葉が黄色っぽくなっているが、2週間もすればもとの緑色を取り戻す。その作業を最低でも最初の年、丁寧なところは2~3年もつづける。30haを植えると10万本に近いので、その作業は容易ではない。労賃が高騰して負担が大きくなったため、あとの管理が少なくてすむ大苗の植栽へ変わった。

 大苗になると、苗代は高くなるし、運搬の費用もかかる。植え穴も大きくなるし、現場で苗を運ぶのもそれまでのようにはいかない。労賃も80元くらいまで上がっており、最近の植栽経費は以前の11倍にもなっている。

日本と中国の技術を結びつける

 最初のころ、私はグチばかり言っていた。「植林ほど割の悪い仕事はない。悪い結果はすぐ出て、春に植えて夏に行ってみると全滅していることもあった。良い結果がでるには長い時間がかかる」と。

 初期の緑の地球ネットワークのメンバーは素人ばかりで、植林の技術をもつ人がいなかった。現地の技術者に頼りきっていたのである。ところがその人たちも経験が乏しく技術水準が低かったのだ。たとえば彼らは、苗を植え、土を被せ、水をやったあと、苗木の周囲の土を足で踏み固めるよう指導していた。そうしないとすぐに水が蒸発し、苗が枯れるというのである。

 知り合ったばかりの専門家、立花吉茂前代表(故人)にビデオを見てもらうと、「これでは着くはずがない。黄土は世界でもまれな粒子の小さな土だが、水をかけたあと踏み固めたら、日干しレンガを作るようなもので、根が窒息して枯れてしまう」と指摘された。

 それを現地の技術者に伝えても、聞いてくれない。「ここの水不足のひどさを知らないからそんなことを言う」。口で言い争っても逆効果なので、あちこちで比較実験を繰り返した。一方に地元のやり方で植える区画をつくり、もう一方に立花さんの指導する実験区をつくる。絶対に踏まないようにし、粒子の大きな礫や石炭の燃えかすを加えて通気性を改善した。

 結果は一目瞭然だった。実験区の活着率が90%以上で、生育もいいのに対し、地元のやり方では70%を切っている。根の様子を見るために掘り起こしてみると、石炭ガラを加えたものは太い根がまっすぐに石炭ガラへと向い、ほかの根の発育もいい。

 技術者たちはまだ「石炭ガラには肥料分があるのかもしれない」などと話していたが、農民は大粒の礫などを準備して待つようになった。

 菌根菌の育苗への利用も、日本の専門家が現地で指導してくれた。これについてはしばしば紹介しているので、今回は割愛する。

 現場の草の根の技術に驚かされたこともある。マツを植えるための事前の整地は、前年の雨期にするのが望ましい。斜面の等高線に沿って、だいたい3m間隔に、幅60cm×深さ30cmほどの溝を掘り、その土を溝のすぐ下手に積み上げて土手を作る。すべてスコップ一本の人力で行うのだが、土が湿っているときのほうが作業しやすい。黄土は乾燥するとスコップの刃が立たないくらい硬くなるのだ。

 斜面のままだと、激しい雨が降った際に土が流され、水土流失が起こる。このように3m間隔に溝と土手があると、降った雨がまとまって流れることはなく、溝に集まって土中に浸透する。立秋をすぎると気温が低下して蒸発が抑えられ、10月中旬になると最低気温が氷点下になり、土中の水分は凍結して翌春まで保存される。

図2

図2 夏の雨がえぐる侵食谷

 植栽は翌年の3月末から4月中旬に実施する。植える場所は溝の底で、しかも溝と土手とがつくる壁に沿わせる。間隔は1mで、そのように植えると1haあたりの植栽数は3300本になる。

 苗を植えるころには地温も上がり、凍結していた前年の雨水が融け、苗を育てるのに役立つ。この時期、雨が降らず決定的に不足する水を、地中に蓄えた前年の水で補うのである。

 大同県の采涼山プロジェクトは1999年4月に起工式をもち、日本からのボランティアツアーも加わって、モンゴリマツを植えた。

図3

図3 采涼山起工式

 カウンターパートの「緑色地球網絡大同事務所」は、計画段階で大同市林業局の技術者に何度も助言を求めた。技術者たちは「あまりに条件が悪すぎるし、周囲の村が貧しすぎて、これでは管理ができない。ここは避けた方がいい」と話したという。

 技術者たちの判断は正しかったと思う。第一にここは南斜面である。乾燥地では南向きの日向斜面は乾燥がひどくて、木はもちろん草も育ちにくい。そうなると雨で土が流され、なおさら条件は悪くなる。悪循環である。

 私たちはここで1999年から6年間、毎年モンゴリマツを植え、全体の面積は230haになった。活着させ、それが育ったから、継続することができたのである。最初に植えたものは5m近くに育っており、少なくみても50万本はある。

図4

図4 采涼山のマツ

 このプロジェクトは大同の成功モデルとみなされるようになり、数年前、北京天津風砂源治理工程の全国規模の会議が大同で開催された際には現地見学会が開催され、それ以後もたくさんの視察・見学者が訪れるようになった。

 その後、国家プロジェクトが隣接地にやってきて、1000ha規模の植林が始まっている。私たちの成功が呼び水の作用を果たしたのである。

その2へつづく)