日中交流の過去・現在・未来
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【19-05】「お互いの良さを認め合って尊敬し合う」日中両国の若者に期待―元三菱商事中国総代表・元日中友好会館理事長 武田勝年氏が語る中国

2019年10月10日 竹山燦(アジア太平洋観光社 取材・文)

ビジネス面、文化面から30年以上にわたり中国と関わりを持ち続けた武田氏。中国語を自在に操り、経験豊富で中国に対する理解も深い武田氏に、中国とのつきあい方のヒントや日中の若者へのメッセージなど、お話をうかがった。

中国との出会い

 大学1年生のときに第二外国語として中国語を選択しました。その理由は、日本語と英語のほかに、国土面積が大きく人口も多い中国の言語を習得すれば、少なくとも世界の半分ぐらいの人々と直越対話ができると思ったからです。また、地理的に日本のすぐ西側にある中国と仲良くしなければ、日本の安定的な発展と存続はありえないと思っていました。

 1966年に三菱商事に入社した後、1968年から企業派遣語学研修生として台湾師範大学国語中心に留学し、2年間国語(台湾では標準語を国語と呼びます)を学びました。その後、中国大陸に最初に行ったのは、広州交易会に参加した1977年です。会社から指示された商品を購入するため、中国貿易公司の販売担当者を見つけるのが私の仕事でした。特に印象的だったのは、会場の業務開始のときに流れていた「歌唱祖国」という曲です。この曲が大音量で流れ始めると入口のロープが外され、参加者はバーッと一斉に会場に入って行きました。その光景は今でも鮮明に覚えています。

ビジネスの視点から見る中国

 中国でビジネスをするときは、中国企業の理念や、中国人社員の考え方を理解することが必要です。中国企業と日本企業では、そもそも「会社が何のために存在するのか」という根本的な考え方が違います。日本企業の企業理念には「伝統を守り、従業員を大事にする」考え方が含まれている場合が多いですが、中国の民営企業や華僑企業は「家族・親族を豊かにし発展させる」ことを重視する経営者が多いと感じます。また、中国人社員と日本人社員では、仕事に対する考え方が違います。よく日本の企業では「ほうれんそう(報告・連絡・相談)」という言葉があるように、上司と部下はコミュニケーションを頻繁に取ることを重視しますが、中国人社員はこのようなやり方をあまり好みません。中国人社員は「上司や同僚に報告・連絡・相談しなくても、全部自分でできます」という気持ちが強い人が多いですね。さらに、中国は地域によって人の考え方が全く違うため、ビジネスの相手がどの地域出身かを頭に入れておくことが重要です。私は状況が許せば、ビジネスの相手に必ず「あなたはどこの出身ですか」と聞いていました。たとえ同じ内容を話していても、東北地方等の北方人と広東省等の南方人では全然受け取り方が違ってくるからです。

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写真①:インタビューを受ける武田氏。

30年間にわたる中国の変化

 初めて中国に行ったのが1977年、そして三菱商事を退職後日本に帰国したのが2007年なので、30年近く中国ビジネスに携わっていました。その間、中国は非常に大きく変化しましたね。たぶん中国人自身も「えー、こんなに変化したの!」と驚いていると思います。例えば文化大革命を経験した1940年代生まれの人と、1980年代以降に生まれた人では全く考え方が違うと思います。1950年代生まれで大学に進学できなかった人から見れば、外国に留学したり大学院に進学することができる現在の若者は同じ中国人とは思えないほど住んでいる世界が違いますよね。街並みもだいぶ変わりました。私は1980年代によく北京に行っていたのですが、当時の北京の道路は自転車が溢れあまり車を見かけなかったし、地下鉄も開通したばかりでした。スカートを履いている女性はほとんどおらず、みんな青いズボンを履いていました。現在では、北京・上海・広州などの大都市では日本より多くの高層ビルが林立していますし、多くの市民が自家用車や地下鉄で通勤しています。

日中友好活動の視点から見る中国

 日本に帰国した後、2010年8月に日中友好会館の常務理事になり、公益法人となった2012年4月から理事長を4年間務めました。日中友好会館の主な事業は3つあります。1つ目は後楽寮という中国人留学生のための寮の運営です。この寮には常時約200名の中国人留学生がいるのですが、彼らがしっかり勉強し、日本の社会に触れ合う環境を整えることが大事な仕事です。2つ目は、日中の青少年交流を推進することです。毎年、1〜2,000人の中国の青少年の日本訪問視察を受け入れています。3つ目は、日中友好会館の美術館で、中国に関係するさまざまな展覧会を催して文化交流を促進することです。中国で日本工芸品の展覧会も開催しています。

 このような日中交流活動において重要なことは、お互いの良さを認め合って、尊重し合うことです。ビジネスにおいても同じく大事な点ですが、青少年交流や文化交流においては更に重要になります。今後日本と中国が友好関係を発展させる上で、やはりお互いに良く知ることが大切だと思います。「日本が嫌いだ」「中国が嫌いだ」という人はたいていメディアなどによるイメージが先行して、相手国の実情を良く知らないことが多いのです。政治、経済、文化など、全ての面で相互理解を深めるために努力することが重要だと思います。

中国と関わり続ける理由

 私が中国と関わり続ける理由は大きく3つあります。1つ目は、中国に駐在している間、能力、品格共に優れた素晴らしい中国の方々に出会うことができたことです。尊敬できる方々との出会いは、私にとって財産であり非常に幸せな思い出ですね。2つ目は、中国の悠久の歴史です。中華民族の何千年にもわたる歴史の積み重ねは、私にとって大変魅力があります。3つ目は、中国の人に仕事の上で何度も助けられたことです。私は多少中国語を話せますが、中国の国情は複雑ですから、ビジネス上で分からないことがたくさんあります。そのような問題に直面した時、中国人社員や知人が「武田さん、この問題はこうすれば解決出来ます」と教えてくれたのです。さらに親しくなると、プライベートでも「武田さん、今晩時間ある? 今から飲みに行きましょう」と誘ってくれました。多くの中国の友人に助けられ、支えられた思い出が、今でも中国とお付き合いを続けたい大きな理由の1つですね。

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写真②:長年にわたる中国との関わりについて語る武田氏。

日中両国の若者に送るメッセージ

 日本の若者に対しては、中国の文化や歴史を学び、機会があれば中国に行って下さいと伝えたいですね。中国は非常に奥深くて面白い国なので、中国の良さを多方面から知ってもらいたい。中国の若者に対しては、日本文化また日本人に対する理解を深めることを期待します。中国人から見ると、日本人の思考や行動は理解できない点が多いですよね。例えば、日本人にとっては「礼儀正しい」と思える行動も、中国人にとっては「はっきりものを言わない」曖昧な態度と捉えられることもしばしばあります。このような状況に直面した時も、「だから日本人は嫌いだ」という思考に陥るのではなく、「あ、そうか。日本人はそう考えるんだ。確かにそういう考え方もあるな」というように、受け入れてほしいと思います。

(写真提供/武田勝年)

武田勝年

武田 勝年(たけだ かつとし)

略歴

1943年、大阪生まれ。1966年、東京大学経済学部卒業後、三菱商事(株)入社。1968年から2年間、台湾師範大学国語中心で中国語研修。1977年初訪中以来20年以上にわたり中国ビジネスに携わる。中国(北京、上海、広州)駐在は合計16年。2001年~06年、三菱商事(株)中国総代表。2012年~16年、(公財)日中友好会館理事長。


※本稿は『月刊中国ニュース』2019年11月号(Vol.93)より転載したものである。