日中交流の過去・現在・未来
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【20-07】和敬清閑、一煎の温もりを心の温もりに―小笠原流煎茶道五代家元・小笠原秀道氏に聞く

2020年 7月09日 孫秀蓮(アジア太平洋観光社 取材・構成)

日々インターネットで膨大な情報にふれ、慌ただしい現代社会において、礼儀作法を通じて心のゆとりを伝える小笠原流煎茶道は、日本をはじめ世界中で、多くの門下生とともにもてなしの心を通して日本文化を伝えている。五代家元小笠原秀道氏に小笠原流煎茶道の理念、そして中国での交流などお話をうかがった。

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写真1:小笠原流のお点前をする小笠原氏。

小笠原流について簡単に教えていただけますか。

A 小笠原流は鎌倉幕府の初代将軍源頼朝に仕えた遠祖遠光氏が公達の誕生儀式をおこなって以来、その礼儀作法を今日に伝えています。もともと弓道、馬術、礼儀作法という大きな3つの流れがありました。足利時代の末期には伊勢家の掌っていた内向の礼法をも同時に包括してきました。三蓋菱定紋の由来は宗祖遠光が礼王の位を受け王の字を結んだものです。江戸時代に入る頃には、小笠原流といえば礼儀作法の代表語のようになるなど、一切の他流の礼法を支配して、今日に及んでいるといわれてます。昔の宮中の礼儀作法は非常に厳しく、それが庶民の中に浸透していったのですが、その流れを汲むのが私どもの小笠原流です。初代唐津藩、最後の城主が小笠原流煎茶道を作り上げ、世の平安を維持していこうというのが始まりでした。明治末期には小倉唐津城の城主が初代と一緒に小笠原流を確立しました。

日本の煎茶道と抹茶道に共通する精神とは何でしょうか。

A 日本には茶道、書道、剣道、柔道とすべて「道」がついています。それでは「道」とは何でしょうか。漢字をみると「首」と「しんにょう」です。しんにょうは道の形を表しており、首は人間にとって一番大切なことです。つまり、命をかけて歩くのが人の「人生の道」だと私は思うわけです。その決められた道の範囲内で勉強する。それを外れるから「道を外す」という言葉がある。又、「人としての道を外す」のは人間的ではないということですね。

 それに道を歩くのは1人より2人の方が、手をつないでたくさんの人と歩く方がよいでしょう? 手をつなぐということは、ある程度人間の謙虚さやお互いを大切にする気持ちが必要になってきます。仁という文字は人が二人と書きます。人は助け合い、かばい合いながら一緒に歩こうという意味が強く「仁」は儒教の精神にも一致しています。そのような意味で、煎茶道も抹茶道も儒教の心として、根本の精神は同じだと思うのです。

小笠原流煎茶道の基本理念を教えていただけますか。

A 「和敬清閑」が小笠原流煎茶道の基本理念です。つまり、「和を悟り、尊敬と信頼を深め、常に公平で、誠意に満ちた清い心と、肉体的、精神的にもゆとりを持つこと」ということで、「道」としての教えを持ちます。お互いに尊重しながら、ゆとりを持って人生を歩いて行きましょうというのが「和敬清閑」です。

 小笠原流煎茶道には「五ヶ条」があり、1つ目は「誠をもってのぞむこと」。これは何事も心をこめてしなさいという意味です。2つ目は「心技を奢らないこと」。私はあの人よりも腕が上手だとか、人をみくだすようなことをしないことです。3つ目は「華美を誇らないこと」。つまりきらびやか、美しいもの、高価なものを自慢しないこと。4つ目は「さびた中にも気品あること」。上等ではなく粗末なものでも、心をこめて全てのことをやりなさいということです。5つ目は「わが心を師とすることなく、心の師となること」。浄土宗の源信が「心を師とせざれ、心の師となれ」ということがあります。自分の心を先生としてはいけない、つまり自分の心の先生になりなさい。そして相手のことを考えるということですね。

日本の煎茶道と中国文化の関係についてご紹介いただけますか。

A 中国のもとの礼儀作法は孔子の時代に遡りますね。紀元前500年ごろに孔子の教え(儒教)が広まり、孔子の死後は『論語』ですよね。日本からは遣隋使、遣唐使、僧侶たちが中国で学んで日本にさまざまな文化を持ち帰った。つまり根本は儒教にあるわけです。明の時代は急須を使ってお茶を入れる時代でした。明の時代を模倣したわけではなく、宋、唐、明、清という時代の流れの中でちょうど明の時代が非常に盛んだったということです。茶葉を入れて飲む風習が日本に伝来し、煎茶道という道として完成し、わび、さびの意識が生まれ、それをいま私が中国に指導しに行くというのは「煎茶道の里帰り」だと私は言っています。

「煎茶道の里帰り」ですね。近年の先生と中国の交流について教えていただけますか。

A 初めて行ったのは1986年でしたが、まだ皆さん国民服を着ている時代でしたね。文化交流をしたいと考えていた頃に北京大学の先生が日本に煎茶を学びに来られており、一緒に北京に行くことになったのです。何十名か連れて杭州のお茶博物館や上海にも行きました。このときのことがきっかけとなり、博物館の館長から中国で煎茶道を指導してくれないかというお話があったのです。

 杭州博物館で研修会として始まった第1回が1996年でした。20人ほどと聞いていましたが、受講するのに審査があったようで、定員を超えても数名が帰らないで残っていた方もあり、一緒に学びました。皆さん熱心にメモをとっておられ、興味のほどがうかがえました。講習生の中には各地方からの方も多く、上海でも始めることになりました。2018年には上海総領事館でも研修をしました。この30年で中国は随分と変わり、いまでは半年経てば様変わりしてしまいますね。物価もいまでは日本より高いくらいで、すごい成長だと思います。

現代社会において煎茶道を世界に広める意義は何だと思われますか。

A お茶を飲むのは小さなお茶碗ですが、ぬくもりがあります。それは心の温もりだと思うのです。それはどんなに言葉が違っても、国境の壁があっても、乗り越えるものだと私は思います。人がいる限り、心と心は必ず通じるものだと信じています。アメリカ、フランス、イギリス、スイス、ポルトガル、オーストラリア......さまざまなところで煎茶道をお伝えしています。

 外国人は、まず、着物を着ていて魅力的、動作が美しいなど見た目の美しさに惹かれて入ってきます。そこでお茶を飲ませると、「おいしい、どうやって淹れるのか」と聞かれ、そこから教え始めます。それから、あの人が素晴らしい立ち振る舞いだなと外国人が見たときに、1つの憧れが湧き、あのような人になりたいなあと、つまり形態的にも精神的にも憧れが生まれてくることですね。

 お茶の大切さ、心のあり方の大切さを教えるのは私たちの使命です。2016年、小笠原流煎茶道は100周年を迎えました。昔の精神もいまの精神も変わらないので、いまの世の中がどう変化しようとも私たちは信念を貫いていきたいし、心を伝えていきたいです。

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写真②:上下)小笠原流煎茶道創流100周年記念祝賀会時の風景。

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写真3:小笠原流煎茶道の雅なお茶席。

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小笠原 秀道(おがさわら しゅうどう)

略歴

小笠原流は建久元年(1190年)、小笠原流の遠祖である遠光氏が鎌倉幕府の初代将軍源頼朝に使え、公達の誕生儀式を行って以来、その礼儀作法を今日に伝える。芦屋市を拠点に全国に8総支部、9地区63支部、南カリフォルニア、中国の北京・上海・杭州に支部を有し、平成3年に「財団法人煎茶道小笠原流瑞峰庵」を設立。平成30年4月より一般社団法人全日本煎茶道連盟副理事長。

※本稿は『和華』第24号(2020年1月)より転載したものである。