服部健治の追跡!中国動向
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【14-02】安倍総理の靖国神社参拝に想う(中)

2014年 4月 7日

服部健治

服部 健治:中央大学大学院戦略経営研究科 教授

略歴

1972年 大阪外国語大学(現大阪大学)中国語学科卒業
1978年 南カリフォルニア大学大学院修士課程修了
1979年 一般財団法人日中経済協会入会
1984年 同北京事務所副所長
1995年 日中投資促進機構北京事務所首席代表
2001年 愛知大学現代中国学部教授
2004年 中国商務部国際貿易経済合作研究院訪問研究員
2005年 コロンビア大学東アジア研究所客員研究員
2008年より現職

 本論の(上)では、大東亜戦争肯定論の立場に立ち、戦犯として裁かれた最高戦争責任者を合祀する靖国神社に日本国の総理が参拝することに対して、日本人自らが戦争を総括せず、いまだ責任はどこにあるかを追及していない現実のもとでは反対であると論述した。

 さらに続けて、参拝することに日本人として反対するのは、歴史的な視点からでもある。第1に彼ら最高戦争指導部は、軍人、軍属だけでなく多くの非戦闘員を非業の死に至らしめ、莫大な財産を消失せしめた。広島、長崎の原爆被災、沖縄の悲劇、さらに昭和20年3月10日の東京大空襲はじめ、日本全国の大中都市を焦土とならしめた。満州においても幾多の満蒙干拓団の方々が亡くなった。なぜ安倍総理は軍人だけが祀ってある靖国神社に拘泥するのか。死んだのは軍人だけではない(なお、米軍の原爆投下、都市無差別爆撃の罪に対して日本は譴責する権利を有する)。

 第2に彼らは近代化間もない若き明治の日本が艱難辛苦、多大の犠牲を払って勝ち得た領土を喪失せしめた。台湾、樺太がそうである。黄海の海戦、旅順203高地、日本海海戦等の歴史的戦果はすべて水泡に帰した。領土獲得は帝国主義だ、侵略だという議論があるのは承知している。私は日清、日露戦争は基本的に防衛戦争であったと判断している。日本がいつから侵略国家になったか諸説紛々である。日清戦争(1894年)から日本は侵略国家になったと主張する人もいる。ある人は朝鮮併合(1910年)からと、ある人は対華21か条要求(1915年)からだと。

 私は基本的には日本が侵略国家になったのは、宣戦布告なく満州に侵攻した1931年(柳条湖事件)からだと考えている。日露戦争の勝利以降、日本が傲慢になりアジア諸国を睥睨しはじめる。他国の主権を無視し、武力で長期に占領するのは満州事変からである。朝鮮併合、対華21か条要求は侵略の前段階ともいえる。満州事変以降の侵攻については押しなべて最大公約数の識者が「侵略」と認定できうるし、この事件が日中戦争、太平洋戦争への起因となった。

 ところで日本軍は初めから狂気の軍隊ではなかった。入隊前の日本の庶民は始めから「鬼」ではなかった。狂気の軍隊に変え、兵を鬼に変えていったのは、昭和に入り軍隊組織の量的規模の拡大により、より一層の統制が必要となったことと、対外侵略を本格的に始めたからである。そこに軍幹部の功名心と昇進競争が拍車をかけたのである。軍組織の徹底した非人格化と服従でもって戦闘力を向上させようとし、そのためには相互監視の“監獄”に変えざるを得なかった。その上捕虜は恥、死ぬことが栄誉と教育された。

 やたらに捕虜を刺殺することが胆だめしとなり、それが勇敢とみなされ、そうしないと仲間に入れてもらえず、いじめ、差別が実行される巨大排他武装集団が帝国陸軍であった。非行少年グループが人を殴打、殺傷させる心理構造と全く同じである。上官に対する絶対服従とおべっか、要領よさと利己主義、そこには人間性の欠落はもちろんのこと、物事を合理的、理性的に判断する素地はまったく培養されなかった。日本軍国主義はユダヤ人のホロコーストをやったナチと違うという論調があるが、中国大陸における日本軍にとってはナチと同様の心的状況に陥っていたと思われる。中国人を人間と思っていなかったからである。昭和の軍隊は明治の軍隊と違い根本的に変質していった。

 三つ目に彼ら軍部は天皇の権威を利用して皇室の尊厳そのものを失墜させしめた。昭和天皇は統帥権の大元帥として戦争の責任はある。本人はそのことを痛いほど認識していたと思う。しかし、実際の侵略を発動したのは軍部であり、天皇がナチのヒットラーのように全作戦を指導したわけでない。たとえどんな国事行為であろうと、天皇はそれを追従しないと国家の基盤が倒壊する。ましてや欽定憲法たる明治憲法下ではやむを得なかった。

 軍は明治憲法の弱点を利用し、軍事力の独立を保持したいがために統帥権干犯と脅し、結局二重権力構造を策謀していった。天皇はその構造の頂点にあって、権限を利用されていった。昭和天皇は新憲法が発布された時か、サンフランシスコ講和条約が発効した時点で皇位を降り、皇太子に継承させるべきだった。事態が複雑になるのは日本の戦後支配のために、今度はマッカーサーが天皇の権威を利用するのである。時はまさに冷戦の端緒であった。

 戦争責任の一端として、あるいは封建遺制の残滓として天皇制そのものの廃止を主張する人々には反対である。同時にかつての軍部のように天皇の権威を利用し、強化を目論む勢力は断固排斥すべきである。象徴としての天皇制は堅持されるべきで、それは日本文化の源泉であるからである。開かれた天皇制、敬慕される天皇・皇后、日本国民・日本文化とともにある天皇家の継承は、日本の伝統と繁栄に必要である。軍部はその源泉を破壊し、天皇制そのものに対して混乱をもたらした。

 第4に外交問題の視点から判断して、総理の靖国神社参拝には反対である。たとえばヒトラーの墓前にドイツ大統領が参拝したらどうなるか(ヒトラーの墓があるかどうか知らないが)。ユダヤ人はもとより欧米各国の国民が許さないだろう。中国人、韓国人にとって東条が祀ってある神社はそのように映るのである。アメリカのワシントンDCにある国立アメリカ歴史博物館の3階には第2次世界大戦のコーナーがあり、ヒトラー、ムッソリーニと並んで東条の写真が掲げてある。アメリカは自由のために彼らと戦ったと教育している。世界は東条をそのように見ているのだ。もちろん東条を頂点とする日本の軍国主義者にはナチズムのホロコースト、ジェノサイドといった思想はない。しかし、自国内だけに通じる超国家主義の論理で戦争を発動させたことは事実である。

 死刑になって罪をあがなったからいいのではないかという意見がある。それでは殺人を犯し死刑に処せられた犯人に対して、遺族は死刑にされたからいいと感じるのか。日本軍に殺された中国農民の遺族の気持ちも同じである。戦争と殺人事件は違うというが、日本は中国に宣戦布告なき戦争をやったのである。分かりやすくいうと、国家同士が正式に仕切って戦ったのでなく、日本軍が勝手に無理矢理中国大陸に攻め入り人を殺したのである。中国大陸で民間人を殺した日本兵は、殺人事件の死刑囚と同罪とみられても仕方ない。

 私は仏教のことは知らないが、死んだらみな仏とはならないと思う。だからこそ天国と地獄があり、生前悪いことをしたら地獄に落ちて閻魔大王に舌を抜かれ、八つ裂きにされる、そのために生前はいい事をしなさいと教えているのではないか。私はまた神道のことも知らないが、死んだら神になり平等だと、そんな都合のいいことを教えているとは思えない。

 参拝したら中国、韓国の批判があることを承知で参拝する意思には、総理の対中観、対韓観がある。口では“ドアは開けてある”、日中、日韓関係の重視というが、基本には異質のものに対する忌諱や軽視の真情があると思える。総理参拝を支持する人々の真意をもっと分析するなら、中国も偉そうなことを言っているが、中国共産党はこれまで一体何をしてきたのか、いずれ共産党体制も崩壊するだろう、ひとつ譲ると次々と譲ることになる、といった感情もあると思われる。

 その背景には戦中を知っている年齢層が少なくなり、世代の交代により中国に対する贖罪意識が希薄になってきたことが指摘できる。また、日中両国の接触が増えるに連れて、逆に嫌悪の感情が増殖されてきた側面も事実である。例えば増加する日本国内での中国人犯罪への憎悪、中国国内で駐在する日本人ビジネスマンが感じる中国社会の非合理性等である。その中国が台頭し、尖閣諸島の領有だけでなく、沖ノ鳥島は島でないと主張したり、2004年のサッカーアジアカップでの反日暴挙、そして2005年、2012年の反日暴動と中国に対する日本の普通の庶民の嫌悪は増大している。それらは右翼思潮でなく、日本人の素朴なナショナリズムが蠢動しているのだ。靖国参拝強行は、「衰退する日本、勃興する中国」という感情の中にある多くの日本人にカンフル剤を与えている。

 他方、中国においても世代交代が始まっている。実際日本軍と戦った毛沢東、周恩来、鄧小平の世代の人々は、日本の侵略に対する憎悪は当然あるものの、他方生の日本人を多く知っており、アジアにおいて初めて近代化を達成した国、日本に対して一種の畏敬の念を持っていた。そうした体験が日本軍国主義者と一般国民は区別しなければならないという考えを導き、それが賠償放棄に繋がった。

 しかし、90年代から始まる江沢民政権以降の世代は、経済力の勃興を背景にして、反日愛国教育の強化とあいまって、日本に対する畏敬はない。靖国参拝からくる憎悪の増幅と日本何するものぞといった排外主義的ナショナリズム感情の高まりである。

 日中両国はまさにミスマッチのトンネルにはまり込んだといえる。そのトンネルを抜け出すには、なによりまず靖国参拝をやめるべきである。外交は駆け引きであり、時には虚言、術数を弄する。公人たる総理が外交問題まで発展している靖国参拝を個人の信条レベル、国内問題として処理するには、その代償として国益の大きな損失をもたらす。中国、アジアをないがしろにして貿易立国たる日本は将来どんな展望が描けるのか。