林幸秀の中国科学技術群像
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【22-07】【近代編32】金善宝~小麦大王と呼ばれる農学者

2022年03月24日

林 幸秀

林 幸秀(はやし ゆきひで)
国際科学技術アナリスト ライフサイエンス振興財団理事長

<学歴>

昭和48年3月 東京大学大学院工学系研究科原子力工学専攻修士課程卒業
昭和52年12月 米国イリノイ大学大学院工業工学専攻修士課程卒業

<略歴>

平成15年1月 文部科学省 科学技術・学術政策局長
平成18年1月 文部科学省 文部科学審議官
平成22年9月 独立行政法人科学技術振興機構 研究開発戦略センター 上席フェロー(海外ユニット担当)
平成29年6月 公益財団法人ライフサイエンス振興財団 理事長(現職)

はじめに

 今回は、中国の小麦の品種改良に貢献し、「小麦大王」と呼ばれている農学者金善宝を取り上げる。

生い立ちと教育

 金善宝は清朝末期の1895年に、現在の浙江省紹興に生まれた。父親が私塾を開いており、そこで中国の古典を学んだ。13歳の時に父親が亡くなったが、母親の強い勧めを受けて地元紹興の中学校で学業を継続した。22歳となった1917年に、故郷の浙江省から江蘇省の南京に行き、南京高等師範学校農業専修科(現在の南京農業大学)に入学した。成績が優秀だったため、授業料と食費が免除されている。

 1920年に南京高等師範学校を卒業し、同じく南京にある東南大学の農事試験場の技術員に採用された。金善宝はその後6年の間、農事試験場で小麦、トウモロコシと大豆の栽培研究に従事するとともに、東南大学の農学部にも通い勉学に励んだ。農事試験場は小規模で種まきから収穫までほとんど一人で行う必要があったが、この経験が将来につながっていく。その後、浙江省杭州にある杭州労農学院(現在の浙江大学農学部)の教員となった。

米国への留学

 金善宝は、浙江省教育庁が実施していた派遣留学生制度に応募して合格し、35歳となった1930年に、米国のニューヨーク州にあるコーネル大学に入学した。同大学で植物生理学と植物遺伝学を学んだ後、米国中西部にあるミネソタ大学で細胞学と土壌微生物学を学んだ。

帰国後、小麦の品種選定を開始

 金善宝は1932年に米国から帰国し、浙江大学農学部副教授を経て翌年から中央大学(現在の南京大学)農学部教授となった。

 1937年に日中戦争が勃発し日本軍が南京を占領したため、中央大学は南京から西の重慶に疎開することとなり、金善宝も他の教員や学生と共に重慶に移動した。戦乱の中、人民の食糧確保が重要な課題となり、重慶のある四川盆地に適した小麦品種が求められたため、金善宝はこの業務に携わり、国内外の3000に上る小麦品種を研究し、1939年にその中から四川盆地と長江中下流領域に適した品種として「中大2509」と「中大2419」を選定した。この小麦の品種は、抗日戦線を戦う上で貴重な食糧を提供した。

新中国建国と文化大革命

 1945年に日本が敗戦となり中国大陸から撤退したため、中央大学も重慶から南京に戻り、金善宝は同大学の農学部長に任命された。金善宝は、台湾に逃れた国民党政府からの誘いを拒否し、教育や研究活動を続けながら新中国の南京市副市長も務めた。1957年に中国農業科学院が設立されると北京に移動し、やはり高名な農学者ですでにこのコーナーで取り上げた丁穎 (ていえい)院長を補佐する副院長に就任した。その後、1965年からは院長に昇格している。中国農業科学院時代には、中国全体の食糧事情を好転させるため、小麦の品種選定とその普及を進めた。金善宝は、中国農業科学院のスタッフや学生とともに中国全土をくまなく歩き、約5500の小麦品種を収集して研究した。

文化大革命での迫害と晩年

 文化大革命が始まると、70歳になっていた金善宝は知識人の一人として「車だけ引いて道を見ない」、「反動学術権威の毒瘤」などと糾弾されたが、小麦育種が屋外かつ都会から離れたところでの業務であることや、食料生産が革命派にとっても必須の業務であったことから、他の知識人と比較して風当たりは少なかった。文革の最中の1967年の国慶節で金善宝は、周恩来首相から「中国農業科学院の将来は君の尽力に掛かっている」と声をかけられている。この周恩来首相の励ましを受けて金善宝はさらに研究に励み、広範な適応性を持つ春小麦「京紅号」を開発している。

 文革終了後の1982年に、中国農業科学院の院長を退任し、翌年に名誉院長となった。1997年、金善宝は北京で老衰のため死去している。享年102歳であった。

科学的な業績

 金善宝の科学的な業績は、長期間にわたる小麦品種の改良である。米国留学から帰国後、日中戦争に直面して品種選定した「中大2509」と「中大2419」や、文化大革命の時代に選定した春小麦「京紅号」は、現在の中国の重要な小麦品種となっている。

 また金善宝は、小麦品種についての学術的な優れた論文や著書を残している。1934年に出版された「実用小麦論」は、小麦生産の理論と実践の組み合わせを論じた中国初の農業書である。戦後の1961年に出版された「中国の小麦栽培」や、1964年に出版された「中国の小麦品種」は、中国における小麦栽培の記念碑的な著述と言われている。

中国は世界第一の小麦生産国

 2019年のFAO(国連食糧農業機関)の統計によれば、現在中国はインド、ロシア、米国などを凌駕して、世界第一位の小麦生産国となっている。中国大陸での主たる生産地は、華東、中南、華北など長江の北の地域である。現在の小麦栽培の発展に大きく寄与した金善宝は、中国で親しみを込めて「小麦大王」と呼ばれている。

参考資料