林幸秀の中国科学技術群像
トップ  > コラム&リポート 林幸秀の中国科学技術群像 >  【22-10】【現代編14】サミュエル・ティン~新しい中間子の発見でノーベル物理学賞を受賞

【22-10】【現代編14】サミュエル・ティン~新しい中間子の発見でノーベル物理学賞を受賞

2022年04月11日

林 幸秀

林 幸秀(はやし ゆきひで)
国際科学技術アナリスト ライフサイエンス振興財団理事長

<学歴>

昭和48年3月 東京大学大学院工学系研究科原子力工学専攻修士課程卒業
昭和52年12月 米国イリノイ大学大学院工業工学専攻修士課程卒業

<略歴>

平成15年1月 文部科学省 科学技術・学術政策局長
平成18年1月 文部科学省 文部科学審議官
平成22年9月 独立行政法人科学技術振興機構 研究開発戦略センター 上席フェロー(海外ユニット担当)
平成29年6月 公益財団法人ライフサイエンス振興財団 理事長(現職)

はじめに

 今回は、米国で生まれ中国に帰国して台湾で基礎教育を受け、再度米国に渡ってノーベル物理学賞を受賞したサミュエル・ティンを取り上げる。

生い立ちと教育

 サミュエル・ティン(Samuel C.C.Ting、丁肇中)は、1936年に米国ミシガン州アナーバーで生まれた。父・丁観海は山東省日照市の出身で、山東大学などを卒業してアナーバーにあるミシガン大学に留学し、土木工学で修士号を取得している。丁観海がミシガン大学の大学院で出会ったのが、王隽英という心理学専攻の山東省出身の女性である。両親はアナーバーで結婚したが、ティンが生まれる前に父が先に帰国し、ティンが生後2か月の時に母とともに中国に戻った。

 翌1937年に日中戦争が始まり、中国大陸沿岸部の主要都市が日本軍に占領されたため、両親は大陸で疎開生活を続けることになり、ティンはしっかりとした基礎教育を受けることが出来なかった。1945年に日本が敗れ中国大陸から撤退したが、両親が国共内戦を避けて台湾に渡り国立台湾大学で教職に就いたため、ティンも台湾に渡りそこで中等教育を受けた。

両親の母校であるミシガン大学に留学

 1956年、20歳となったティンは、両親の母校であるミシガン大学に留学し、3年後に数学と物理学の学士号を取得した。引き続きミシガン大学大学院で物理学を専攻し、1962年に博士号を取得した。

欧州や米国で研究や教育を行う

 博士号を取得したティンは、以降原子核の研究を続けることになり、1963年にスイスのジュネーブ郊外にある欧州原子核研究機構(CERN)で研究を行い、その後1965年には米国コロンビア大学で教鞭を執るとともに、ドイツハンブルグにあるドイツ電子シンクロトロン(DESY)でも研究した。1969年には、米国のマサチューセッツ工科大学(MIT)教授に就任した。

ジェイ・プサイ中間子の発見によりノーベル物理学賞を受賞

 ティンは1974年に、素粒子物理学における新しい粒子であるジェイ・プサイ(J/ψ)中間子を発見する。ティンが率いていたMITの研究チームとエネルギー省ブルックヘブン国立研究所(BNL)の共同研究チームが、高エネルギー粒子物理学の新しい領域を探索していたときの出来事であった。ほぼ同時期に、バートン・リヒター(Burton Richter)率いるスタンフォード線形加速器センター(SLAC)とエネルギー省ローレンス・バークレー国立研究所(LBL)のグループも同じ粒子を発見した。ティンのグループは新しい粒子を J粒子と呼び、リヒターのグループはψ粒子と呼んだことから、最終的に2つの呼び名を合わせてジェイ・プサイ(J/ψ)中間子と呼ばれることになった。

 ティンとリヒターは、ジェイ・プサイ中間子発見の2年後の1976年に、ノーベル物理学賞をともに受賞した。

image

国際宇宙ステーションでの実験

 ティンは、ノーベル賞受賞後も素粒子物理学の研究に従事しているが、その中で最も著名なものが国際宇宙ステーションへのアルファ磁気分光器の設置とそれを用いた実験である。

 1980年代に米国で高エネルギー物理学の実験を行う巨大装置として構想され、1989年頃からテキサス州で建設が開始されたのが、超伝導超大型加速器(Superconducting Super Collider、SSC)である。しかし、SSCの建設予定費用が膨大なものに膨れ上がり、他の国の協力も得られなかったことから、クリントン政権下の1993年に計画は頓挫した。

 この素粒子物理学の危機にティンは、アルファ磁気分光器(Alpha Magnetic Spectrometer)計画を提案した。アルファ磁気分光器は、宇宙線を測定して様々な種類の未知の物質を調査することを目的とするもので、このアルファ磁気分光器を用いた実験により宇宙の構造がより明確にされ、暗黒物質や反物質の性質を解明する手がかりになることが期待される。

 ティンは、自らこのプロジェクトの責任者となり、1995年に連邦政府の承認を得ると、このアルファ磁気分光器を開発し、国際宇宙ステーションに装着する計画を進めた。

 当初は、1998年にスペースシャトルで打ち上げられて観測を開始する予定であったが、機器の開発に手間取り、さらに2003年にコロンビア号の空中分解事故が発生したため、スケジュールは大幅に遅れた。最終的には2011年にシャトル・ミッションSTS-134で打ち上げに成功し、国際宇宙ステーションに設置された。

 2013年4月には同機器を用いた観測により、宇宙線の中から暗黒物質(ダークマター)の証拠を検出した可能性があると発表した。現在も引き続き観測が実施されている。

中国の若手物理学者の育成

 ティンは、中国の若手の素粒子物理学者の育成にも力を注いできた。ノーベル物理学賞を受賞する前の1975年に安徽省合肥にある中国科学技術大学の名誉教授となって以降、度々中国を訪問して、若手物理学者の育成に当たっている。1994年には、中国科学院の外籍院士となっている。

 その後も、上海交通大学、ハルビン工業大学、四川大学などで若手物理学者との交流を続けている。

関連記事

書籍紹介:近代中国の科学技術群像