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【09-11】予想を遥かに超える日中社会の相違―だからこそ相互理解を深める必要がある

柯 隆(富士通総研経済研究所 主席研究員)     2009年11月19日

 日中が国交回復してから30年以上経過しているが、相互理解が十分に進んでいるかといえば、残念ながらその答えはノーである。一つは、日中社会の相違は予想以上に大きい。日中の人類文化学者は双方の共通点を追い求めるために、日中の同文同種を強調するが、実際の国民性がまったく異なる点について目をつぶる傾向がある。もう一つは、これまでの30年間の日中官民の友好交流は共通点を求める表面的なものが多いといわざるを得ない。

 それゆえに、日中両国民はちょっとしたことで反目してしまいがちである。典型的な事例は、中国製冷凍ギョウザ事件によって日本で「中国が嫌い」という風潮が煽られてしまったことがある。同様の食品品質の事件や事故が日本でも多発していたが、国際問題になる、なぜか、メディアの報道が感情的になりがちである。同様に、小泉元総理の靖国神社参拝をきっかけに、中国で若者による反日運動が勃発し、なかには日本製品の不買運動まで引き起こそうとする動きが散見される。しかし、これらの若者の家で使われている家電製品のほとんどは日本製である。何ともいえない皮肉な現実である。正直にこれらはいずれもおろかな言動といわざるを得ない。

日中両国民の感情的衝動の背景

 最近の世論調査では、中国で、国民の対日感情がいくらか改善されているのに対して、日本人の中国感情はそれほど改善していないといわれている。世論調査を鵜呑みすることはできないが、日本での中国感情が改善されていないのは確かなようだ。問題は中国人の間で対日感情がほんとうに改善されているかどうかについて、もう少し考察していかなければならないと思われる。実は、中国人の対日感情が急に改善しているかどうかを解明することはそれほど重要ではない。重要なのは中国人が現在の日本をどこまで知っているかである。

 国際関係のなかで、国民の言動が感情的になりがちな背景として、双方は相手のことをあまり知らないことがあげられる。現実的に、日本人と中国人はどこまで互いのことを知っているのだろうか。30年前ならば、国民レベルでは互いにほとんど知らないといって過言ではない。現在の日本では、中国に行ったことがない日本人を探し出すことはそれほど簡単なことではない。同様に、中国の幹部と学者の多くは日本を訪問したことがある。

 百聞は一見にしかず。日中両国民の多くは互いの国をこの目で見ている。では、なぜ両国民の言動は感情的になりがちなのだろうか。その背景に複雑な要因があるのだろうが、簡単に整理すれば、2点ほど指摘することができる。

 一つは、歴史が残した負の遺産は双方ともきちんと処理していない。あの戦争の責任はいったい誰が負うべきか、の整理が成されていない。そのなかで、普通の中国人はあの戦争の責任について日本人を心から許しているかどうかについて、完全に忘れたわけではない。しかし、日中両国民が平時にこの問題から目を逸らそうとしているのは事実である。

日中の相違の再認識

 先日、中国の経済学者は国内のテレビで、「日本人は常に中国人を見下している。日本企業が中国で売っている日本製品のほとんどは2流のものであり、日本国内で売られているのはほんとうの1流のものである。だから、日本製の携帯電話は中国から退場させられたのだ」と放言した。この論理展開は明らかに間違っている。「日本人は常に中国人を見下している」かどうかは別として、日本企業は中国市場を開拓しようとすれば、なぜわざわざ売れ行きのよい製品を中国に持ち込まないのか。おそらくは、中国人の購買力を鑑みて、日本の1流の製品を中国で販売しても、値段が高いため、ごく僅かな富裕層しか買ってくれないかもしれないが、全体の売上げと販売コストを考えて、中国でもっとも売れるであろう製品を中国市場に投下したのであろう。ちなみに、日本製の携帯電話が中国市場での失敗は販売戦略の失敗というよりも、包括的な投資戦略の失敗によるものである。

 同様に、日本でも中国に関する誤解がたくさんある。あるところで講演を行う前に、その事務局長は自らが知中派であることを示すために、筆者に「最近、中国に行きました。大きく発展しましたね。びっくりしたのはパーティのとき中国人は紹興酒を飲まず、ワインを飲むようになった」と新発見を教えてくれた。残念ながら、彼の新発見は間違っているといわざるを得ない。実は、中国全土で紹興酒を普及させたのは日本人である。昔から中国人の食卓で紹興のある浙江省を除けば、紹興酒を飲む習慣はほとんどなかった。友達同士の会食のときは飲むなら「白酒」か葡萄酒が一般的だった。

疑心暗鬼を無くすことこそ友愛の日中関係

 鳩山民主党政権は友愛外交を旗印に、中国を中心とするアジアとの外交を重視する姿勢を示している。その最終的な目標は東アジア共同体の構築といわれている。しかし、東アジア共同体の具体的な内容は明らかにされていない。おそらく鳩山首相本人もそれについて明確にすることができないでいる。

 しかし、東アジア共同体の詳細な内容は別として、おそらく貿易と投資を促進する枠組みが骨格となるだろう。北米にはNAFTAがあり、ヨーロッパにはEUが形成されている。それに対して、東アジアには部分的・二国間の自由貿易協定(FTA)があるが、地域全体の経済協力枠組みはまだ構築されていない。

 21世紀はアジアが新たな成長センターになっていくといわれている。それを実現するには東アジア共同体のような協力枠組みの形成が必要不可欠である。その前で、まず日中の協力が求められている。協力というのはいかなる状況下でも疑心暗鬼を無くし、互いにライバル視しないことが前提である。国際関係において相手のことを常にけん制しようと思うと、共同体はいつまで経っても形成されない。

 振り返れば、1998年江沢民前国家主席が訪日の際、「人民服」(正式には中山服)を着て宮中晩餐会に出席したが、日本のマスメディアはこれが非礼ではないかとの報道が少なくなかった。実は、これはまったくの誤解に基づく報道だった。宮中晩餐会への出席は基本的に正式な民族衣装を着るのが前提で、それがなければ、スーツになると外務省から中国側に伝わった。それに応える形で、江沢民は「人民服」を着用したのである。本件は、そのすべてを把握している外務省も事後的に認めている。しかし、国民レベルの誤解はなかなか解かれない。

 2010年、中国のGDPは日本を抜いて世界2位になるとみられている。世界経済を見渡す限り、金融危機から回復しているのはアジアのみである。その原動力はほかではなく、中国経済の景気回復がけん引している。こうしたなかで、日中が相互信頼を醸成することは何よりも重要なことである。それを実現するために、まず、冷戦時代のパワーゲームの発想をやめる必要があり、ゼロサム・ゲームからプラスサム・ゲームに転換しなければならない。これまでの30年間、日中が歩んできたのは相互理解の道であったとすれば、これからの30年間は相互信頼を醸成する道程になると期待されている。