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【11-05】パラダイムシフトと日本企業のグローバル戦略

柯 隆(富士通総研経済研究所 主席研究員)     2011年 6月17日

 週末には、ときどき高尾山を登ったりする。登山者の面々をみると、日本人だけでなく、外国人が多く登山を楽しんでいる。日本に数多く初心者の登山に適する山が存在するなかでなぜ高尾山にこれほど多くの外国人が来ているのだろうか。実は、高尾山はフランスのミシュランのガイドブックに掲載され、それをみた外国人は高尾山に来ている。

 ミシュランはもともとタイヤメーカーであるが、タイヤ製造とはまったく無関係のガイドブックの編纂に手がけ、観光スポットや高級レストランを選別し格付けする重要なビジネスになっている。しかし、ミシュランの観光スポットやレストランに対する評価の仕方をみると、必ずしもわれわれアジア人の嗜好にそぐわないところがある。でも、それはすでに観光サービス産業の価値基準を作ってしまったのである。

1.ビジネスの基礎は標準作り

 でも、世界各国が出しているガイドブックをみると、その情報量と使い勝手の良さなどから判断すれば、日本の「地球の歩き方」のほうがよほど便利かつ客観的と思われる。しかし、「地球の歩き方」は日本語や韓国語などに限定的に出版され、真のグローバル化したガイドブックになっていない。

 実は、グローバル化が遅れているというのは日本企業の弱点である。日本企業は世界を凌駕できる素晴らしい技術を開発しているが、それを国際標準にしていく力はなぜかほとんどない。ミシュランの観光ガイドブックのように、技術も何もないものだが、アイディアの一つで世界の観光サービス業を凌駕してしまう。

 似たような事例をいえば、腕時計では、精工やシチゼンの時間の正確さは世界一といえよう。しかし、世界を旅して、日本の時計メーカーの専門店はない。その値段も高いものでも、1-2万程度である。それに対して、スイス時計は世界を凌駕して、各主要都市にロレックスの専門店が点在する。

 日本企業の経営者とグローバル化について議論すると、口ではグローバル化に賛成するが、いざ変革を遂げようと思うと、現状維持を固執する。ここで、ぜひ目覚めてほしいのは失われた20年のうち、日本社会と日本企業の蓄えのほとんどが消耗して失われてしまったのである。

 では、日本企業はなぜグローバル化しないのだろうか。端的にいえば、日本企業の多くは本気にグローバル市場を攻略しようとしていないからだ。最近、中国に進出している日本大企業の部品製造部門を調査したが、設立してから10年以上経過しているにもかかわらず、そのビジネスモデルはほとんど変化せず、日本の本社に依存している。すなわち、現地で作る、たとえば、半導体部品などはあくまでも日本の本社に納品するだけであり、現地での売り込みはほとんどやっていない。ほんとうに信じられないことである。

 グローバル市場での販売が念頭になければ、その技術と製品はどのようにしてグローバルの標準になるのだろうか。日本企業は温水プールを作って自らがそれに飛び込んで、ぬるま湯のなかで競争力が知らないうちで失われているような状況にある。

2.パラダイムシフトの重要性

 人間は行き詰ったとき、どうすればいいのだろうか。困難を乗り切る一番いい方法は完全な発想転換を試みるパラダイムシフトがある。すなわち、今まで不可能やありえないことをいっさい否定せず、どんどんチャレンジしてみることである。

 日本企業の内部を覗いてみると、いつからか分からないが、成績を上げなくても、リスクを冒さない風潮ができてしまっている。ほんとうは、失敗してもいいから、どんどんチャレンジしていく社風を醸成しなければならない。日本企業で活力が失われたのはまさにこの点である。

 日本社会では、高齢化問題への注目が盛んだが、日本企業経営の問題についていえば、組織の硬直化が一番深刻である。すなわち、発想の転換ができない組織は活性化しないということである。

 この点について日本企業内部で「前例主義」が定着し、パラダイムシフトを邪魔している。たとえば、何か新しい提案をしようと思った場合、上司によくいわれるのは「今までこういうやり方でやったことがあるか」ということである。でも、経営というのは日々新しい問題の解決へのチャレンジである。

 かつて、中国の青島にあるシューズメーカー「双星」を見に行ったことがある。1ドルのゴム靴を大量に生産して中国の農村と発展途上国で販売し大成功した企業である。この企業の社訓は印象に残り、「敢為天下先」、すなわち、世の中よりも一歩先に行こうという意味である。会社は従業員にチャレンジ精神を奨励している。それに対して、日本の大企業の場合はおそらくちゃんとした社訓が徹底されておらず、唯一共通した社訓らしいものは「安全第一」という工事現場の看板だけではないだろうか。パラダイムシフトを実現するには、「安全第一」の「社訓」を撤廃し、従業員に「敢為天下先」を奨励する必要がある。

3.目標と危機感

 一般的に、日本人は心配性の傾向が強いといわれている。ほんとうは心配性というよりも、危険やリスクに備える意識が高いということである。しかし、こういう危険に備える意識は日本の安全神話を作ると思ったら、今回の原発事故から分かるように、危機に対応する能力は意外に低い。要するに、日々の消防訓練などの危機への対応はかなり形骸化していると思われる。日本社会を観察すれば、ほんとうの危機感はほとんどないことが分かる。

 先日、韓国のある企業団体に招かれ、講演のために、ソウルに出張した。二泊三日の旅だったが、韓国人の危機意識はたいへん印象に残った。韓国社会では、いつ北に攻められるか分からないという現実的な危険が存在する。その分、韓国人の顔の表情をみて、引き締まった緊張感が感じる。

 日本には、仮想の敵こそ存在するが、ほんとうの危機感と緊張感はほとんど感じない。日本社会は、長年の平和、繁栄と豊かさで競争力が失われている。裕福な生活は我々が努力する目標だが、同時に、われわれの闘志をダメにすることもありうる。モダンダンスの母と呼ばれているイサドラ・ダンカンはその自伝の最初に、「私たち(兄弟姉妹)が若かったとき、母がとても貧しかったことを私は感謝している」と記している。ダンカンが幼いころ、両親が離婚し、母が4人の子供を芸術家に育てた。「母は子供たちのために、召し使いや家庭教師を雇う余裕がなかった。そのおかげで私は気ままな生活を送り、子供として自分を思う存分表現するチャンスを持つことができた」と追記した。

 このように考えれば、貧しさは時と場合によっては必ずしも悪いことではない。しかし、人間は貧しさを好む者がいないはずであるが、日本社会では、豊かな生活を追求する気力すら若年層の間で失われつつある。学校の現場をみると、与えられる給食をもらうが、それを取りに行く積極性がない。

 このように日本の社会は、目標と危機感と手段を持つことができなければ、この社会の行きつくところはすでに自明である。この簡単な理屈は会社経営にも通じる。たとえば、パソコンを作る企業は今のパソコンを単純に再生産していくだけでいいのだろうか。ガイドブックは単なる観光地の情報を詰め込むだけではなくて、ある種のスタンダードや価値観を伝えることが重要である。

 最後に、日本にとって戦後の高度成長期がすでに終わり、新たなライフスタイルを提案し、その標準を提案していくのは日本企業が求められる使命である。それを実現するには、思い切ったパラダイムシフトが必要である。