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【14-03】北京でPM2.5に遭遇

2014年 4月 3日

柯 隆

柯 隆:富士通総研経済研究所 主席研究員

略歴

1963年 中国南京市生まれ、1988年来日
1994年 名古屋大学大学院経済学修士
1994年 長銀総合研究所国際調査部研究員
1998年 富士通総研経済研究所主任研究員
2005年 同上席主任研究員
2007年 同主席研究員

プロフィール詳細

 さる2月24-26日、北京に出張したとき、搭乗した全日空機の機内から天津あたりを過ぎたところから下はまったくみえなくなった。機長からのアナウンスでは、「これから先、霞がかかっているため、軽い揺れが予想される」といわれた。霞と聞いて、とくに不安はなかった。しかし、実際に飛行機が着陸し、駐機スポットにアプローチしてみると、外の大気汚染は絶望的だった。数十メートル先は霞んでみえない。

 日本では、花粉の季節やインフルエンザの流行期になると、人々はマスクをつけて外出する。しかし、中国人はよほどのことがなければマスクをつける習慣はない。このとき、空港の飛行機整備士の多くはマスクをつけていた。このことから大気汚染は相当レベルまで深刻化していることがわかる。

 それから空港から市内に入る道路はいつもより空いていた。運転手に原因を尋ねたら、今回の汚染は一週間前から続いており、急用のない人は外出を控えているといわれた。市内に入ってみると、確かに歩行者は少ない。歩いている人がいても、ゆっくり散歩しているのではなく、みんなは何か急いでいる感じだった。車を降りてから事態の深刻さをはじめて実感した。風はほとんど吹いておらず、空気中はきつい匂いが蔓延してそれを吸い込むと、喉に何かが詰まる感じだった。これぞPM2.5だ。

1.なぜ大気汚染は深刻化したのか

 日本では、大気汚染の原因は石炭などの化石燃料や車の排気によるものと思われているが、北京の人になぜ大気汚染が深刻化したかについて聞くと、多くの人は原因が複雑でよくわからないとの答えが帰ってくる。確かに大気汚染の原因は複雑なものである。しかし、主要な「犯人」は明らかである。それは政府、企業と個人のモラルハザード(無責任)によるものである。具体的には、石炭を燃やすときに汚染対策がまったく講じられていない。モータリゼーションのなかで車が急増しているが、ガソリンの質が悪い。大気汚染の原因がよくわからないとする北京の人の態度からある種のあきらめ感が見て取れる。

 なぜ大気汚染など環境問題が深刻化するのだろうか。

 その答えは極めて簡単である。すなわち、汚染物質を排出する工場や個人は環境対策のコストを払わないからである。このことは経済学では環境コストの外部性という。環境コストを内部化しなければ、その責任者は無責任な行動をとる。日本の道路でも、中央分離帯などにたくさんの空き缶や弁当箱などのゴミが捨てられている箇所がある。それをポイ捨てする運転手にとりそうしたほうが一番簡単だからである。

 もし空気の供給を有料化することができれば、大気汚染はここまで深刻化しなかったのだろう。空気は公共財である。それをいくら消費して(吸って)も金がかからない。逆に、一般家庭や企業で汚れた空気を外に放出するのも金はかからない。工業化以前の人々の生活であれば、大気汚染の心配はなかった。ポスト工業化の人々の生活は一変し、より多くの汚染物質を排出するようになった。これは経済発展がもたらす環境負荷である。

 先進国でも歴史的に深刻な環境汚染に見舞われたが、市民の抗議活動の活発化により政府と企業は環境改善に取り組まざるを得なくなった。その結果、先進国は経済発展とともに環境も改善し再生した。このことを背景に、中国国内の専門家には、中国経済が発展すれば、環境が自ずと改善していくと主張するものがいる。先進国における環境改善は自然に起きたことではなく、政府、企業と市民がともに努力した結果である。今の中国をみると、政府、企業と市民のいずれも環境汚染のコストを払おうとしない。これこそ問題である。

2.責任の転換と環境問題の深刻化

 環境問題以上に深刻なのは政府が環境問題に直視していないことである。人民日報のあるコラムでは、「PM2.5のような大気汚染は必ずしも悪いことではない。PM2.5の深刻化により、国民の団結心が強まる」と述べられている。そして、中国国防大学のある教授は、「PM2.5はアメリカのミサイル攻撃を防御することができる。なぜならば、PM2.5が深刻化するなかで、ミサイルのレザー誘導システムは正確に機能せず、標的から外れてしまうからである」と主張する。まったく無責任な言論である。

 一方、PM2.5による大気汚染は危険なレベルに達しているにもかかわらず、政府はその被害のデータを国家機密として公表を拒んでいる。先日、清華大学のある研究グループにインタビューしたところ、北京市にあるすべての病院の気管支系の外来が超満員で、これ以上受け入れられないマヒ状態に陥っているという。そうしたなかで、2月、PM2.5が深刻なとき、習近平国家主席は突然北京のある下町を視察した。そのときの人民日報の見出しは「国家主席は人民とともに呼吸する」だった。習近平国家主席の勇気には脱帽するが、まずは大気汚染の原因となる工場などを操業停止にしなければならない。

 先日、フランスのパリでもPM2.5が酷くなった。フランス政府は果断に自動車規制を実施し、同時に、地下鉄などの公共交通を期間中に無料にした。たとえば、北京市はPM2.5が安全基準を上回れば、役所の幹部の公用車の使用をすべて停止すると発表すれば、状況は大きく改善するはずである。

 一般的に環境問題は技術の問題であると思われている。すなわち、優れた環境技術と設備を持っていないから、新興国の環境が悪化するといわれている。先進国の環境がいいのは優れた技術と設備のお蔭という。しかし、ほんとうにそうであるのだろうか。

 先進国には優れた技術と設備があるのは事実だが、同時に、優れた制度がある。制度と設備とを比較すれば、制度のほうが重要である。

 中国には設備や技術はまったくないわけではない。そうした技術と設備は十分に利用されていない。なぜならば、環境保全の設備を稼働させるには、かなりのランニングコストがかかる。企業は排ガスを撒き散らしても、そのランニングコスト以上の罰則を受けない。環境汚染の機会コストが低いことは環境汚染の深刻化をもたらしている。

 中国では、民主主義の政治改革が遅れているため、マスコミや市民は政府を監督することができない。人民日報は環境汚染の深刻さをまったく知らないはずはない。それを追求する記事を公表すれば、担当者と責任者が処分される恐れがある。結果的に、大気汚染によって国民の団結心が強まるといった風刺を書くしかなかった。中国の環境保全は待ったなしの状況にあるが、制度改革が遅れていることから、環境汚染はますます深刻化するものと思われる。