【14-06】中国の大学入試
2014年 6月25日
柯 隆:富士通総研経済研究所 主席研究員
略歴
1963年 中国南京市生まれ、1988年来日
1994年 名古屋大学大学院経済学修士
1994年 長銀総合研究所国際調査部研究員
1998年 富士通総研経済研究所主任研究員
2005年 同上席主任研究員
2007年 同主席研究員
日本では、秋入学の導入は重要な教育改革として称賛されている。日本の新学年の始まりは諸外国と違い、4月からである。これは日本の会計制度と同じようなものでカレンダーイヤーではなく、日本独特の3月決算が多いためである。しかし、秋入学を導入することで留学を希望する学生や外国人留学生の進学にとっては便利になるが、教育の質的な向上とは直接関連しない。日本の大学教育改革の基本は「入口」(進学)のハードルを引き下げ、「出口」(卒業)を厳格にし、教育の質を高めることである。教育は人材を育成する百年の計であり、社会に役立つ人材を育成することがその使命である。たとえば、英文科の学生の場合、英語が話せなければ、卒業させてはならないということである。そこまで厳しくしなければ、日本の教育システムのブランド力が確立しない。
一方、中国の「改革・開放」政策は何から始まったのだろうか。それを知っている中国人も少ないはずである。実は、最高実力者だった鄧小平氏は復権したあと、「改革・開放」政策を推し進めるが、最初に着手した改革は経済改革ではなく、教育改革だった。鄧小平は、中国経済がなぜ立ち遅れたかについて、科学技術に精通する人材が不足しているからと考えていた。当時、中国政府が国民に呼びかけたのは工業、農業、国防と科学技術の近代化という「四つの近代化」だった。この四つの近代化を実現するためには、人材を育成することが急務だった。
1.毛沢東時代の教育システム
毛沢東は戦略家として革命に精通していたが、国家建設を指導する指導者としては不適格だった。毛沢東の秘書、護衛と主治医たちの回顧録を読むかぎり、毛沢東は本心から知識人を軽視し、知識に反するものだった。文化大革命の時期(1966-76年)、「造反有理」という言葉が流行していたが、それは学生が先生に対して造反することから生まれたものである。知識を軽視する民族は明日が明るくない。文化大革命は暗黒の十年間であり、文化を革命するごとく知識が根っこから否定されたからだ。
文革についていえば、毛沢東の罪の一つは大学入試を廃止したことである。それを罪というのは、何世代もの若者の人生が台無しにされたからである。大学入試は試験を以て受験生の学力を判定し、合格ラインに達した学生が大学に進学しさらに勉強するという仕組みである。しかし、毛沢東の時代、大学入試が廃止され、若者の出身や共産党への忠誠心などを基準に大学に進学する学生が選抜されていた。このような推薦制度では、資本家や地主の子供は大学への進学資格がはく奪された。それに対して、学力のない労働者や農民の子供が優先的に進学を認められた。その結果、大学の教育レベルは一気に下がってしまった。なぜならば、小中学校の基礎教育に合格していない学生がいきなり大学に進学しても、何も勉強できない。こうした学生の多くは勉強よりも先生に対する造反に熱心だった。
毛沢東の晩年になると、中国経済は破綻寸前になった。経験豊富な技術者や知識人は職場でいじめられ経済建設に本領発揮できなかった。なによりも、その後継者の若者はほとんど育たなかった。教育が荒廃すれば、経済も後退するというのはいつの時代も同じ真理である。リアリストの鄧小平は当時の中国社会の悲惨な状況を目のあたりにしてまず大学進学の推薦制を廃止し、大学入試を復活させた。
2.問われる教育の意義
中国人の教育に対する熱心さは、先進国に比べても決して負けてはいない。このことは、中国社会が幾度もの戦乱や動乱に巻き込まれても奇跡的に立ち直ったという背景があるからだろう。鄧小平が大学入試の復活を決めた直後の大学進学率(大学進学者数÷受験者数)は3%程度だった。当時の若者にとって大学進学は人生のジャンプ台に乗ることである。当時、高校も卒業していない、農村に下放された多くの青年は受験の教科書もないなかで手当たり次第本を探して勉強に励んだ。
大学受験が復活した直後の受験結果は実に意味深なものだった。同じように農村に下放された若者のなかで、まじめに共産党の呼びかけにしたがって労働に従事していた若者のほとんどは落第したのに対して、労働をさぼって暇を見つけては読書に励んでいた青年の多くは受験に成功し大学に進学した。いつの時代も同じことだが、政府や政治家のいうことを真に受けて聞き入れてはならない。この難しい世の中を無事に渡っていくためには、政府のいうことをできるだけ割り引いて聞く必要がある。
日本には中国政府が行う愛国教育に対する批判的な指摘が多い。おそらく日本人にとり不愉快なのは中国政府が進める愛国教育ではなく、反日教育ではないかと思われる。しかし、愛国教育だろうが反日教育だろうが、その効果を過大評価してはならない。振り返れば、政府が進める愛国教育を中心とする政治教育にもっとも洗脳されたのは、筆者のような今50台前後の中国人だったと思われる。なぜならば、当時(1970年代末まで)、海外からまったく情報が入らず、学校では、毎日のように共産党を愛さなければならないという「政治教育」が展開されていたからだ。家に帰っても、ラジオや新聞などは学校教育の延長線上にある議論ばかりである。しかしそれでも、中国人は完全に洗脳されなかった。あのような政治洗脳を支える経済発展は、結局実現できなかったからである。普通の人間にとり物質的な満足が得られなければ、精神的な幸せは定着しない。
現在の中国社会に目を転じればわかるように、若者の情報源はとっくに多元化し、価値観も多様化している。学生は受験のために、政治学習をせざるを得ないが、その中身は若者のDNAに入っていかない。大学に進学すれば、多くの学生(歴史学部の学生は別として)はすぐさま共産党が成立した意義などは忘れてしまう。教育はもはや政府が若者を洗脳する道具として機能しなくなった。
3.中国式教育の問題点
中国では、多くの若者にとり大学受験は人生のスタートラインそのものである。昔、儒教の教えでは、教育の基本は「望子成龍」、すなわち、子供が龍になるのと同じような登竜門だった。こうした教育に関する基本認識から大学受験の復活とともに、都市部を中心にたくさんの教育ママが誕生した。これらの教育ママにとり自分の子供が名門の大学に合格することはすべてである。その必然的な結果として受験生は家庭、学校と社会から想像できないほどのプレッシャーを受けることになる。
実は、中国の大学受験制度は日本と大きく異なる点として、日本のセンター試験に相当する全国統一試験しかなく、各々の大学は個別に入試を実施しない。したがって、この試験は受験生にとり年に一度の一発勝負となる。大学は教育部(文科省に相当)によって定められた定員を満たすように採用するが、実際はほぼすべての大学は定員以上の受験生を受け入れている。その事情とからくりは下記の通りである。
合格ラインに達した「定員」の枠内で進学する学生は公定の授業料を払えば進学できる。合格ラインに達していない受験生が進学を希望する場合、その不足分の点数を付加金で補って進学することができる。その実際の授業料は枠内の学生の数倍になることがある。これは「定員」の枠外にあるため、授業料とその付加金は大学のオフバランス取引であり、大学の先生と職員の福利厚生などに充てられる。
政府は大学が定員の枠を超えた受験生の受け入れについて見て見ぬふりをしている。なぜならば、このような措置は失業問題を緩和することができるからである。全国的に見た場合、大学の定員内と定員外の割合は1:1前後になっているといわれている。すなわち、本来、2万人の在校生を有する大学は4万人を受け入れているということである。こうした措置は政府にとり好都合であると同時に、大学にとっても増収増益が見込める。また、本来落第しニートになるはずの学生は「無事に」進学できる。問題は大学の教育資源(教授や教室)が2万人を教育するための規模しかないのに、4万人の在校生を抱えることで教育レベルが大きく下落してしまうことである。
日本でも大学の進学率を上げようとする動きがあるが、中国のこうした動きは日本にとり反面教師となる。中国の教育は産業化している。しかし、教育は産業ではなく人材を育成する崇高な事業でなければならない。教育とその関係者はモラルハザードを引き起こすと、その国と社会は次第に低落していくものと思われる。