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【14-10】日中関係の再構築とその展望

2014年11月27日

柯 隆

柯 隆:富士通総研経済研究所 主席研究員

略歴

1963年 中国南京市生まれ、1988年来日
1994年 名古屋大学大学院経済学修士
1994年 長銀総合研究所国際調査部研究員
1998年 富士通総研経済研究所主任研究員
2005年 同上席主任研究員
2007年 同主席研究員

プロフィール詳細

 日中関係の展望を題とする日中産学官交流フォーラムに参加した。概ねの印象として日本の役人と研究者は中国人との対立を恐れているのか、いうべきことを言わず、日中友好の重要性ばかり強調し、これまで日中関係がなぜ悪化したかの論点整理をしていた。全体的に守勢だったという感がある。それに対して、同フォーラムに参加した中国の幹部や研究者は日中関係の重要性を強調しつつも、日本政府に対して歴史認識や領土・領海の問題において約束を守るように釘を刺した。

 日本人も中国人も日中関係について「政冷経熱」と表現する。つまり、政治と経済の二つの軸で日中関係を片付けようとしている。そこで忘れられているもう一つの軸は文化である。振り返れば、1980年代の両国関係を支えた主軸は政治ではなく、経済でもない。文化だった。11月10日に亡くなった俳優高倉健は日中文化交流の主役だった。無論、高倉健は自ら日中文化交流を積極的に取り組んだわけではないが、健さんが主演した「君よ憤怒の河を渉れ」という映画は中国で上映され日中関係の改善に大きく貢献した。

1.間違った位置づけの代価

 日中関係がなぜ悪化したか、日中双方の専門家は異口同音に「歴史認識の問題と尖閣諸島(中国名:魚釣島)を巡る対立によるもの」と指摘する。おそらくすべての専門家はこの二大問題は簡単には解決しないと分かっているはずである。では、なぜ両国の政治家はこのような解決しない問題にあえて頭を突っ込んでしまったのだろうか。日中関係が悪化した一番の原因は互いに相手のpositioning(位置づけ)を間違えたからと思われる。70年前に日中戦争はとっくに終わっている。25年前に冷戦も終結した。にもかかわらず、日中は互いをライバル視している。政治・外交上の敵対心は年を追うごとに強くなっている。この動きに日中両国の国内で台頭しているナショナリズムが拍車をかけている。

 近代政治の基本はポピュリズムである。政治家にとっては、先見の明より世論に迎合することがその政治生命を大きく左右する。今、日中の世論はナショナリズムのほうに大きく傾いている。

 安倍首相は日本にとり日中関係が重要であり、その基本は戦略的互恵関係であると述べている。しかし、どのような関係が戦略的互恵関係なのかは不明である。安倍首相はかねてから日中が価値観について違うことを強調している。すなわち、中国は一党支配の政治体制を堅持しているが、それに対して日本は民主主義である。中国政府は国民の言論の自由を犯している一方、日本は法によって言論の自由を保障している。このような価値観のまったく異なる国はどのような戦略的互恵関係を作るというのだろうか。これは安倍首相の本音かもしれない。そういう意味では、北京APECに参加し、こわばった習近平国家主席と握手を交わした安倍首相はよく耐えたといえる。

 結論を先取りすれば、日本の政治と外交において一番の間違いを起こしたのは中国がこんなに早く台頭してきたのを予測できなかったことではなかろうか。台頭した中国は必ず拡張戦略を展開する。この動きは専門家がほとんど予測できなかった。今となっては防波堤を作れないうえ、中国と対話したくても、中国政府が提示してくる条件を飲むことはできない。

 他方、中国自身も国力がここまで強くなるとは夢にもみなかったはずである。中国は世界二番目の経済大国であるのに、G7に入っていない。しかも、OECDのメンバーでもない。経済統計では、中国はとっくに中所得国になっているが、中国の政治家と研究者はいつも途上国と自称する。彼らは途上国だからグローバルコミュニティにおいて先進国が果たすべき役割と責任の一部を果たさなくていいという。中国はそのような独特な価値観と言語をもって国際社会に登場してきた。

 無論、途上国と自称する中国人はアフリカや東南アジアの途上国と肩を並べるつもりなど到底ない。中国人は心のなかですでにアジアの王であり、アメリカと対等に話ができると思っている。その結果、日本をみる目線は下からではなく、水平でもない。上からみるようになった。その傾斜は日本のことを知らない中国人ほどきつい。

2.政治、経済と文化の三本柱

 おそらく中国の国力はいわれているほど強固なものではない。同様に、日本は失われた20年を喫したが、実力を完全に失ってはいない。互いがあまりにも知らなさすぎる結果、相手を見間違ってしまっている。政冷経熱論の間違いは、経済的に互いを必要としているから経熱だということである。そのロジックに沿って考えれば、いつか中国経済は独り立ちするようになり、日本との経済協力を必要としなくなれば、政冷経冷ということになってしまう。このレトリックは明らかに間違っている。

 経済関係は共通の利益を享受できれば、悪化しない。政治は、先見の明を持ち相手を正しく位置づけ切磋琢磨し、共存共栄の関係を構築することである。こうしたなかで絶対に忘れてはならないのは文化の力である。文化は精神面の支えである。現在、日中の文化交流は明らかに80年代に比べ貧弱になっている。文化は互いの国民が相手国を知るチャネルである。経済には先進後進の違いがあるが、文化には優劣はない。政治が国益を守ると政治家はいつも強調するが、多くの場合は政治家自身の支持と票を固めるツールになっている。おそらく政治家ほど信用できないものはいない。政治は往々にして人々の心をバラバラにするが、文化は磁石のように人々の心を一つにする。

 今回のフォーラムで中国からきたある研究者に、「あなたは南京の出身であり、日本人が南京大虐殺を否定していることをどう思う」と休憩のときに聞かれた。私の答えはこうである。まず、南京大虐殺記念館の壁に書いた犠牲者の数字(300,000人)は間違っている。戦争のときの虐殺が30万人ちょうどということは絶対にない。おそらく実数は今となって分からない。せめて「約300,000人」と表記すべきであろう。ただし、今、実際に何人殺されたかを論争するのは愚かである。戦争が中国で起きた以上、侵略戦争であり、一人も虐殺されていないとする主張は無責任である。人数は別として虐殺が行われたのは間違いない史実だろう。

 靖国神社の問題だが、中国人や韓国人が参拝しないように求める以前に、相手の気持ちに配慮すべきである。すなわち、日本人が自分の先祖の霊を祭る神社を参拝すること自体は誰も反対すべきことではない。しかし、A級戦犯という特殊な存在を考えれば、中国と韓国などの戦争犠牲者およびその家族に対していささかの配慮があってもいいのではないだろうか。何人もの日本の総理大臣は中国を訪問したとき、中国政府が催す式典で謝罪の言葉を述べた。この謝罪は重要なことだが、もう一つの考えは直接戦争犠牲者の遺族の代表に謝罪したほうが日中の相互理解により貢献すると思われる。

 安倍首相は未来志向という言葉が好きなようだ。歴史の負の遺産をきちんと処理して前向きに進むべきである。