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【17-03】中国社会の上昇志向と日本社会の無力傾向の背景

2017年 5月30日

柯 隆

柯 隆:富士通総研経済研究所 主席研究員

略歴

1963年 中国南京市生まれ、1988年来日
1994年 名古屋大学大学院経済学修士
1994年 長銀総合研究所国際調査部研究員
1998年 富士通総研経済研究所主任研究員
2005年 同上席主任研究員
2007年 同主席研究員

プロフィール詳細

 筆者は長年、日本で生活して日本社会に完全に溶け込んで慣れている。たとえば、朝晩、満員電車で通勤する人々の無言と無表情の顔を目にして何も思わない。ときどき20年前の通勤風景を思い出すと、文庫本と漫画を読むサラリーマンがほとんどだったが、今は、10人中、8人、9人はスマホをいじっている。日本人は本を読まなくなった。夜遅く電車に乗って帰宅すると、疲れ切ったサラリーマンは電車で寝込んでいるが、それを見て荷物が取られる心配がないのは日本社会の凄いところといつも思う。

 日本の会社に行ってみると、電車の中の風景と同じようにほとんどの人は無表情でパソコンの画面に向かう。筆者は、大学の教授を兼務している関係で、たまに大学で講義するが、生徒の多くは無表情で私を見つめる。質問は、と聞いても、表情は変わらず、質問もしない。会社の廊下で同僚とすれ違っても、まるで互いに知らないストレンジャーのように挨拶もしない。唯一、日本のサラリーマンが活気をみせるのは同僚と居酒屋で酒を飲むときだけである。

 それに対して、中国社会は日本社会と比較してまるで正反対である。バスなどで寝る人はまずいない。それよりも人々の目つきをみると、恐ろしいほど鋭くて怖い。多くの中国人はまるで獲物を探し求める狩人のようなものである。なぜ中国人は鋭い目つきをするのだろうか。

地獄と天国のはざま

 今、中国では、社会保障制度の改革が行われている。しかし、多くの人が誤解しているのは、中国政府が日本のような、国民が全員参加する皆保険が整備されると思い込んでいる点である。中国では、すべての国民をカバーする皆保険の制度が整備されない。

 中国社会は、多くの同心円のような形になっている。同心円の中心は権力の「核心」である。その「核心」との距離によって配分される富が異なってくる。核心からもっとも離れている円は、農民と農家のグループである。中国社会では、農民と農家はもっとも不利な立場に置かれている。中国社会においてもっとも重要な「潜規則」(暗黙のルール)といえば、中国将棋でいう「丢卒保车」、すなわち、大を活かし、小を切り捨てるということである。中国社会では、いつの時代も弱者が救われるのではなく、切り捨てられる運命である。

 これについて日本人読者は残酷と思うのかもしれないが、自然界の摂理といえる。だからこそ中国人は生まれつきで弱者にならないように、家庭内教育で教わる。中国社会の上昇志向がどこから生まれているかといえば、地獄に陥る怖さから来る原動力があるからである。

 それから中国社会には天国もある。日本社会では、役所だろうが、普通の企業だろうが、出世したといっても、出世していない人との格差はわずかである。それに対して、中国社会で出世した場合、まるで天国に行ったような、贅沢な生活が生涯保障される。役所でいえば、局長クラス以上になれば、定年後も現役のときと同じ額の年金が支給される。病気になった場合、治療費と薬代の自己負担率はほとんどゼロに近い。

 中国の一般家庭では、親がいつも見る夢は「望子成龍」である。すなわち、自分の子どもが龍のようになるのを望むということである。繰り返しになるが、中国社会では、頑張れば、龍になる可能性があるが、人生の階段を踏み外せば、地獄に陥ることもありうる。

 もう一度、日本社会を眺めると、日本社会には、地獄もなければ、天国もない。日本では、人生が失敗したといっても大した怖い話ではない。頑張る意欲が湧いてこないから、日本社会では、フリーターやニートが輩出されている。また、一生懸命頑張っても、天国に行くことができない。それよりも、役所や会社では、仕事すればするほどリスクが大きくなるので、上司にいわれた仕事だけこなせば、たとえ失敗しても自分に責任がない。

 今、日本政府は一億総活躍社会を構築しようとしているが、実際は、無責任な社会になっているのではなかろうか。なぜ、地獄も天国もないのか。それは日本社会では、格差はすなわち悪との先入観が定着してしまったからである。

 実際は、格差には、合理的な格差と不合理な格差がある。たとえば、タクシーの運転手を例に取れば、一生懸命営業してより多くの売り上げを稼ぐ運転手と、適当に運転して売り上げがほとんど上がらない運転手がいる。その格差はまさに合理的な格差といえる。

 日本の財政は破たん状態にある。その結果、政府は徴税をますます厳しくしようとしている。総じていえば、日本では、働く人に対する徴税が重すぎて、さぼっている人が恵まれすぎるといえる。その結果、働く人は働く意欲が減退する。官邸主導で働き方を改革しようとしているが、改革するとすれば、働く意欲を喚起することに重点を置くべきではなかろうか。

 むろん、中国社会の格差が合理的なものとは言い難い。なぜならば、役所や職場などで不正が多すぎる。2018年は、「改革・開放」政策の40周年になる。35年前の中国では、金持ちが「万元戸」と呼ばれていた。当時、個人経営などに従事した一部の人は1万元の財産を手に入れ、人々に羨ましがられていた。しかし、今の中国社会では、富豪の個人財産はすでに兆単位に達している。

 経済学では、個人の合理的な報酬は限界労働生産性に相当するものといわれている。しかし、中国の富豪は巨万の富を手に入れているが、政治との癒着によって生まれた富がほとんどである。普通の中国人は富豪の贅沢な生活をみて、いつか自分も富豪になりたいと夢をみる。しかし、実際に夢から目覚めると、目の前に物乞いやホームレスなど地獄にいる人々をみて、冷や汗をかく。

 確かに中国人には頑張る原動力が強いが、今は頑張っても、夢が実現せず、むしろ地獄に一歩ずつ近づく可能性が高い。それがわかれば、人々は立ち上がる。これこそ中国社会が不安定化するリスクなのである。