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【19-07】香港問題の本質

2019年10月21日

柯 隆

柯 隆:東京財団政策研究所 主席研究員

略歴

1963年 中国南京市生まれ、1988年来日
1994年 名古屋大学大学院経済学修士
1994年 長銀総合研究所国際調査部研究員
1998年 富士通総研経済研究所主任研究員
2005年 同上席主任研究員
2007年 同主席研究員
2018年 東京財団政策研究所主席研究員、富士通総研経済研究所客員研究員

プロフィール詳細

 テレビの画面を通じてみえた香港は飲茶を楽しむ平和な町ではなく、中東のどこかの町を彷彿とさせる。長い間、日本人にとって香港はもっとも人気のある観光地の一つだった。筆者が最初に香港に行ったのは30年前のことだった。市街地にあった啓徳空港に降り立つと、香港の独特な匂いがした。当時の香港は清潔な町ではなかったが、外国人観光客を引き付ける何かの魅力があった。

 1997年7月、イギリスの植民地だった香港は中国に返還された。当初、一部の香港人、ミドルクラスの人が多かったといわれているが、は社会主義中国といっしょになるのを嫌って、カナダなどの英連邦に移民した。しかし、その後、IT革命、中国国内の不動産バブルと北京五輪(2008年)、上海万博(2010年)と中国経済は順調に離陸し、2010年に中国のGDPは日本を追い抜いて世界二番目になった。97年に移民した一部の香港人は再び香港に戻った。

 多くの日本人がご存知のないことだが、香港が返還されたあとも長い間、中国人は香港に旅行やビジネスで行くために、ビザに相当する許可を取らないといけなかった。2000年代に入ってから、中国パスポートを持つ人のビザ取得要件が緩和され、マルチの入境許可書が公布されるようになった。中国では、粉ミルクのメラミン混入事件などにより国産食品の品質問題は深刻な社会問題になっている。その結果、広東省の人々は香港に旅行するついでに、香港で粉ミルクや紙おむつなどを大量に買って帰って、中国で転売するビジネスを始めた。このことは香港人に嫌われていた。

 他方、香港返還以降、中国企業の香港進出が目立つようになった。人民元も香港で通用できるなど中国化が進んでいる。習近平政権になってから、中国では、反腐敗キャンペーンが繰り広げられた。そのなかで明るみに出たのは、香港は腐敗幹部にとって絶好な資金洗浄の場となっていることだ。

 中国共産党にとって、レッセフェール(自由放任)の香港はまさに無法地帯だった。とくに、共産党指導者の私生活を暴露する書籍は香港で自由に出版され、街中のキヨスクで売られている。これ以上看過できない中国政府は香港人の出版関係者を秘密裏に拉致し中国本土に連れて帰った。このことの正当性と手続きの違法性は大きな問題となって世界的に注目された。

 中国政府にとり、香港でのさまざまな違法活動をいかに取り締まるかは喫緊な課題だった。そこで考えられたのは犯罪者を合法に中国に引き渡す「逃亡犯条例」を制定することだった。本来は、逃亡犯を中国に引き渡すこの条例は香港人と無関係のはずだったが、その運用が恣意的になり、たとえば、共産党を批判する香港人が中国に引き渡されるなど、法の適用が拡大するのを恐れて香港の若者と市民は立ち上がって大規模な抗議デモを繰り広げている。

 中国共産党にとって予想外の展開となったが、香港政府も香港市民の不満を過小評価していた。その結果、中国政府は香港で起きている抗議デモは外国政府、主にアメリカの情報機関が扇動して起きたものと決めつけている。抗議デモ参加者にプレッシャーをかけるために、中国政府は隣接する深せんに大量の武装警察と軍用車両を終結させた。一方、その時点では香港政府も条例の採決を先送りしながらも、撤回を拒んでいた。

 最初に平和裏に行われていた抗議デモは徐々にエスカレートし、一部において暴徒化していった。最終的に香港行政長官ケリーラム氏は「逃亡犯条例」を撤回した。しかし、タイミングは遅すぎた。デモ参加者は「逃亡犯条例」の撤回のほか、行政長官の辞任と普通選挙の実施などもあわせて要求している。それには香港政府は応じられない。否、それはそもそも香港政府が決めることではなく、北京政府の所管事項である。

 では、香港問題の本質はいったい何だったのか。

 北京政府からみると、返還された香港の人々は自由すぎた。香港は中国の一部になった以上、中国のルールに従ってもらわないといけないという姿勢が感じられる。それに対して、香港人は中国政府とイギリス政府が約束した一国二制度がひっくり返されようとしているため、北京の約束違反に抗議している。

 喩えていえば、養子に出した香港は100年経過して、実の親のところに戻ってきた。いきなりは実の親の管理にはなれないだろうが、22年も経過して、そろそろ慣れてもらわないといけない。なぜならば、中国では、香港は末っ子の存在であり、その上に、北京、上海、広東など30人の兄弟がいて、彼らは香港ほど自由な生活をしていない。

 他方、中国政府として警戒していることの一つは香港問題が長期化していった場合、必ずや台湾に飛び火していく。習近平政権にとって台湾の統一は最優先課題となっている。ここでいえるのは、香港も台湾も人心はすでに離れていっている。

 さる10月1日、中国建国70周年の記念式典で習近平国家主席は短い演説を行い、「平和統一、一国二制度、高度自治」の約束を強調した。間違いなく中国政府はソフトランディングを図っている。しかし、中国政府にとってこれ以上引く余地がないのも事実である。香港で起きた抗議デモは「逃亡犯条例」の採決がきっかけだったが、本質的には逃亡犯条例の撤回を含む5つの要求を続けている。それを北京政府は受け入れるはずもない。

 結論的にいえば、香港は中国に返還された以上、中国化が避けられない。抗議デモは長期化するだろうが、いずれ沈静化するだろう。香港は植民地時代の香港に逆戻りすることができない。それよりも、北京、上海、天津と重慶に次いで、中国の番目の直轄市になると思われる。そして、香港は国際金融センターのステータスを失うことになる。現在の国際金融センターの役割はシンガポールが引き継ぐことになるだろう。

 1984年鄧小平とイギリスのサッチャー首相(当時)は約束した一国二制度は実質的に持続するのが難しい。イデオロギーの面で社会主義と資本主義は水と油の関係にあり、一つの国において両立することは難しいと思われる。10月1日建国70周年の記念式典で習近平国家主席は演説を行い、香港の高度な自治を保障すると明言した。これこそ香港問題を解決する出口と思われる。問題は習近平国家主席の提案が額面通りに実行されるかどうかにある。