【20-02】新型コロナ危機と情報の正確さ
2020年4月14日
柯 隆:東京財団政策研究所 主席研究員
略歴
1963年 中国南京市生まれ、1988年来日
1994年 名古屋大学大学院経済学修士
1994年 長銀総合研究所国際調査部研究員
1998年 富士通総研経済研究所主任研究員
2005年 同上席主任研究員
2007年 同主席研究員
2018年 東京財団政策研究所主席研究員、富士通総研経済研究所客員研究員
新型コロナウイルスの感染が猛威を振るうなか、ウイルス感染拡大の実態について、いまだにわかっていない。中国政府の初動が遅れ、武漢市および湖北省を中心に感染が急拡大したが、その後、中国全土で厳しい都市封鎖と住民の外出制限により、感染の勢いが抑えられた。それを受けて、中国政府はウイルス感染がすでにピークアウトしたと宣言した。それを受けて、震源地の武漢市の都市封鎖も4月8日に解除された。しかし、ウイルス感染拡大の初期段階で情報を正確に公表していなかったため、中国で新型コロナウイルスの感染を完全に封じ込めたかが疑われている。少なくとも日米を中心に中国からの旅行客の入国制限がいまだに解除されていない。それだけでなく、中国政府も3月5日に開会される予定の全国人民代表大会(国会に相当)を延期したままであり、いつ開会するかについて未定である。全人代の開会は中国でのウイルス感染収束の最重要なバロメーターである。
多くの人々にとって、イタリアでの感染拡大と死者の急増は予想外の展開であろう。専門家によると、イタリアは財政難により、この10年間、多くの医療施設が閉鎖され、多数のウイルス感染者を受け入れられる施設が足りないから、感染が急拡大し、死者も急増したといわれている。納得のいく説明といえる。
一方、アメリカは、早い段階から中国人の入国制限措置を講じたが、イタリアをはじめとするヨーロッパの国々より少し遅れてウイルス感染が拡大した。しかし、その後の増加のスピードは予想以上に速く、感染者数は世界一となった。アメリカ人の専門家によると、アメリカで感染者数が増えたのは、ウイルス感染の全数検査を実施しているからといわれている。要するに、無症状の人も検査を希望すれば、病院で検査を受けられる。この説明が正しければ、アメリカで感染が急拡大しているが、ピークが過ぎれば、ウイルス感染は早く収束する可能性がある。
アメリカよりも、心配なのは全数検査を実施していない国であると思う。その一つは日本である。日本では、PCR検査を実施するかどうか、37.5度以上の高熱が四日間続いた場合といった条件を付けている。少なくとも、無症状の病原体保有者が十分に捕捉されていないと推察される。アメリカ駐東京大使館は、日本在住のアメリカ人に早期の帰国を促す文書をホームページ上に掲載している。その理由の一つは、日本では、ウイルス感染の全数検査が実施されていないからといわれている。
当初、科学者の一部は気温が上昇すれば、ウイルス感染がおのずと下火になると指摘していた。アメリカのトランプ大統領もこの指摘を信じて、記者会見で「このウイルスは怖くない、中国はよくやっている」と楽観的なコメントをしていた。なによりも、アメリカの疾病予防管理センター(CDC)は感染していない人にマスクをつける必要がないと言い続けていた。4月に入ってから、感染拡大の勢いが衰えないことを受けて、ようやくCDCは感染していなくても、マスクの使用を求めるようになった。それでも、トランプ大統領は、記者会見でマスクを使うかどうか、個人の自由であり、私はマスクをつけるつもりはない、と明言した。いくら自由奔放な大統領といっても、不適切なコメントといわざるを得ない。
こうしてみれば、新型コロナウイルスの感染に対処する方法については、国によってバラバラである。先進国のG7でさえ、医療崩壊に陥った国がある。また、経済対策を優先的にするあまり、ウイルス感染への対処に躊躇する国もある。結果的に、ウイルス感染が急拡大するだけでなく、予想よりも長期化すると思われる。
そのなかで、ウイルス感染拡大をすでに抑えたといわれている中国では、これまで無症状の病原体保有者の人数を公表していなかったが、最近になって中国政府はその人数を発表することにした。中国政府の発表によると、1000-2000人の無症状感染者が見つかったといわれている。しかし、本能的に中国政府の発表の信ぴょう性を疑い、もっと多いのではないかと思う人々もいる。
アメリカカリフォルニア大学リバーサイド校の中国問題の権威であるペリー・リンク教授は、アメリカの政府系メディアVoice of Americaの取材に対して、「中国政府が発表する統計数字の正確さを問いただすのはそもそも中国政府の文化を理解していない愚問である。中国政府は統計数字の正確さよりも、それを発表したときの社会的な反響と影響を優先的に考慮する。したがって、中国の統計数字の正確さを追及するのではなく、中国政府がその統計数字を通じてどのようなメッセージを発したいかを読むべきである」と述べている。さすがといわざるを得ない名言である。
1月末から厳しく実施されてきた都市封鎖は順次解除されている。4月4日の清明節の前日に、中国全土で新型コロナウイルス感染の死者の追悼式が執り行われた。こういった追悼式は中国では異例のことである。
中国政府にとって二つの心配があると思う。一つは、政府の初動の遅れと混乱に人民の不満と怒りが溜まっているため、少しでも親民的な姿勢を示して、人民の不満と怒りを和らげたい。もう一つの心配は、新型コロナ危機が収束したあと、アメリカをはじめとする先進国で中国に対する責任追及である。すでに、アメリカでいくつかの団体と個人は中国政府を相手にとり訴訟が起こされている。
中国政府は責任が追及されるのを心配してか、外交部のスポークスマン趙立堅氏は、新型コロナウイルスは米軍によって中国に持ち込まれた可能性があるとツイッターで述べている(中国では、一般的にツイッターにアクセスできない)。この指摘には科学的な根拠が示されていない。科学的な根拠を示さずに、軽々に可能性について言及すべきではない。ウイルスの病原体がどこから来たかを調べるのは、世界保健機関(WHO)の専門家をはじめとする第三者委員会によって行われるべきである。
歴史家によると、人類の歴史は、ウイルスとの闘いの歴史であるといわれている。この定義が正しいかどうかは別として、地球上に存在するウイルスの数の多さと人類によって属性がすでに解明されているウイルスの少なさからすれば、今回の新型コロナ危機は人間とウイルスの戦いの重要な一ページとなろう。