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【20-05】ポストコロナ危機の日中関係

2020年8月14日

柯 隆

柯 隆:東京財団政策研究所 主席研究員

略歴

1963年 中国南京市生まれ、1988年来日
1994年 名古屋大学大学院経済学修士
1994年 長銀総合研究所国際調査部研究員
1998年 富士通総研経済研究所主任研究員
2005年 同上席主任研究員
2007年 同主席研究員
2018年 東京財団政策研究所主席研究員、富士通総研経済研究所客員研究員

プロフィール詳細

 2020年の年初、日中両政府は関係改善に向けて意欲的だった。当初の予定として、4月初旬に習近平国家主席は国賓として来日し、安倍首相との会談で関係改善に向けた具体的なロードマップを定め、大きな一歩を踏み出す計画だった。新型コロナウイルスの感染拡大により、習主席の訪日が延期になり、当初、秋に実現する話もあったといわれていたが、ここに来て、日中関係について雲行きは急速に怪しくなっている。

 日本国内では、新型コロナウイルスの感染が拡大するなかで中国からの輸入に依存しているマスクの供給は品薄になり、中国による新型コロナウイルスに関する情報開示が不十分と思われ、それに、中国公船が毎日のように尖閣諸島の接続水域に入域し、日本の漁船を追尾するなど攻撃的になっていることから、中国に関する日本の世論は徐々に悪くなっている。とくに、7月1日に、中国の全人代(国会に相当)で香港の「国家安全維持法」が施行され、50年間変わらないと約束された香港の「一国二制度」は1997年香港が返還されてからわずか23年で終焉するとみられている。日本政府はこれに対し遺憾の意を表明し、欧米諸国との歩調をあわせた。

 こうしたなかで、自民党の外交部会などは習主席を「国賓」として招聘すべきでないとする提案書を安倍首相に提出した。目下、安倍政権は新型コロナウイルスの感染を抑制することに奔走している。中国との関係をどのように再構築するかについて明確な方針が打ち出されていない。

 国際政治学者によれば、これまで長い間、米中関係が悪化すれば、日中関係は自ずと改善に向かうといわれていた。現在、米中関係が深刻な状況に陥っているが、日中関係の雲行きも怪しくなっており、これまでの通説と異なる状況になっている。日本は外交と安全保障をアメリカに依存していることから、アメリカに歩調を合わせるのはある意味では当然のことである。問題は中国との適切な距離感をどのようにキープするかにある。

 ポストコロナ危機の日中関係を展望する前に、米中関係を考察しておく必要がある。米中両国でナショナリズムが台頭していることが共通している。習政権になってから、強国復権の中国の夢が叫ばれている。「一帯一路」イニシアティブに代表されるように、対外的な拡張路線が展開されている。習政権は中国が絶対に対外覇権の道を歩まないと繰り返して強調しているが、諸外国からみると、東シナ海と南シナ海での拡張路線は明らかに対外覇権を狙ったものとみられている。要するに、北京から世界をみる風景と世界から北京をみる風景は大きく異なるものである、という点を北京はもう少し認識しておく必要がある。

 一方、アメリカでは、トランプ政権はアメリカ・ファーストを繰り返して豪語し、国際社会との協調路線よりも、アメリカを優先する方針転換を図っている。そのなかで中国はアメリカにとって最大の脅威として浮上してきた。国交回復してからの米中関係の歩みを振り返れば、アメリカ政府は中国を脅威と捉えず、中国が経済発展すれば、徐々に民主化すると思い、アメリカ政府は一貫して中国の経済発展に協力的な態度を取ってきた。エンゲージメント(関与)政策と呼ばれるアメリカ政府の対中寛容政策はトランプ政権になってから大きく転換した。要するに中国は経済が発展しても、民主化するどころか、むしろ、ますます強権化しているということである。

 トランプ政権は人権を重視するというよりも、アメリカの国益を最優先することから、対中経済制裁を実施しているようにみえる。安倍首相は自由、人権、民主主義と法治に関する価値観の共有をG7で提唱してきた。ここ数年、安倍首相は価値観外交をトーンダウンさせたわけではないが、中国との経済関係の改善を模索してきた。その結果、日中関係は一時期に比べ、いくらか安定しているようにみえる。しかし、日中関係の前に横たわっているさまざまな課題はほとんど解決されていない。

 習政権の外交戦略は江沢民政権と胡錦涛政権と比較すれば、予想以上に攻撃的にみえる。少なくとも先進国と周辺諸国からみると、そういうふうにみえる。中国の官製メディアの報道は往々にして、内外分離の原則を厳守している。すなわち、国内向けのメッセージと海外向けのメッセージを分けて情報発信している。

 1972年、ニクソン訪中の際、それに同行したキッシンジャー国務長官(当時)は北京の壁に「打倒美帝国主義」(米国帝国主義を打倒する)のスローガンを目にしてびっくりした。翌日、毛沢東主席との会談で、キッシンジャー氏は毛になぜこのスローガンを掲げているのかと尋ねた。毛は軽い口調で「あれは空砲だ」と答えた。毛はこのことについてアメリカの国務長官に聞かれるのを知らなかったため、適当にかわしたはずだった。当時の中国社会の実情を考察すれば、経済が極度な困難に陥っていた。ナショナリズムをあおることで人民を鼓舞する必要があった。しかし、これはあくまでも国内向けのメッセージであり、アメリカ国務長官の目に入るのは想定外だった。中国外交の基本は今も昔とほとんど変わっていない。

 ただし、今の中国経済は1970年代のそれとは月と鼈のように比較できないほどの規模である。中国は大国である。今は、強国を目指している。中国の外交方程式のなかで、日本は常に二次的な変数になっている。中国にとって対日関係はたいへん重要な関係だが、アメリカとのバランサーとしてみられている。すなわち、米中関係が悪化すれば、中国は対日関係を改善し、米中関係悪化のバランスを取るようにする。日本人からは、日本がいつも中国に利用されているのではないかとみられている。多くの日本人にとってできれば、振り返りたくない近代史の苦い経験は日中の間で横たわっている。

 今後の日中関係を展望するときに、一番重要な変化は、中国の政治指導者も日本の政治指導者も戦後生まれの世代になっていることである。双方はすでに無意識的に新しいスタートラインに立って、新たな日中関係を構築しようとしている。おそらく今の中国人の若い世代は日本の軍国主義者が再び中国を侵略するとは思っていないだろう。日本人の若い世代も中国とは普通に安定した外交関係を構築すべきと考えている。双方の国民は両国が武力を行使して領土領海の領有権問題を解決すべきと思っていない。

 とはいえ、目下の国際社会を鳥瞰すれば、米中対立はすでに新冷戦に突入しているようにみえる。また、世界の主要国でナショナリズムが急速に台頭している。新型コロナ危機によってグローバリズムが終焉したとは思わないが、国際社会を支える国際機関の改革が遅れたため、十分に機能していないのは事実である。戦後の国際秩序もその多くが守られていない。こうしたなかで、日本の国際戦略の基本形は、安全保障はアメリカに依存し、経済は中国に依存している。日本がどのように対中関係を再構築するかが問われている。同時に、新型コロナ危機をきっかけに、さらに香港「国家安全維持法」の施行によって中国は世界主要国との関係が大きくぎくしゃくしている。習政権にとって難しいかじ取りになっている。