【21-05】学習塾禁止令からみえてくる中国のポリシーメイキング
2021年08月27日
柯 隆:東京財団政策研究所 主席研究員
略歴
1963年 中国南京市生まれ、1988年来日
1994年 名古屋大学大学院経済学修士
1994年 長銀総合研究所国際調査部研究員
1998年 富士通総研経済研究所主任研究員
2005年 同上席主任研究員
2007年 同主席研究員
2018年 東京財団政策研究所主席研究員、富士通総研経済研究所客員研究員
国にとって、教育は百年の計とよくいわれる。それは教育の重要性を強調するための表現である。しかし、親にとって教育は自分の子供の人生である。同じように重要だが、意味は違う。往々にして子供本人は、例外もあろうが、自分が成人してから教育の重要性をはじめて自覚するものである。
筆者は1960年代中国で生まれたものである。当時の中国では、文化大革命(1966-76年)の最中であり、学校教育は完全に廃止され、当時の中学生と高校生は毛沢東を護衛する紅衛兵になり、みんなの腕に紅衛兵の腕章が巻き付けられていた。当時の中国では、知識人は毛主席の敵とされ、紅衛兵たちは毛を護衛する目的で学校の教師など知識人を追放し糾弾した。紅衛兵に殴り殺された知識人も少なくなかった。
毛が死去したのは1976年9月だった。それから約1か月経って、毛夫人の江青女史をはじめとする四人組が実質的なクーデターで逮捕され追放となった。そして1978年に改革・開放が始まった。実はその前に、重要な改革が行われた。1960年代以降、ずっと廃止されていた大学の入試が再開されたのである。それ以降、学校教育は急速に正常化していった。
むろん、厳密にいえば、学校教育は正常化したわけではなかった。なぜならば、受験科目には政治と歴史が入り、社会主義理論といったイデオロギーに関する出題が必ず含まれる。それでも、毛時代に比べ、「改革・開放」以降の教育環境が格段に改善されたといえる。
それから40年経過したが、振り返れば、この40年間、中国の教育システムは目を見張るほど激変を遂げた。まず、北京大学や清華大学といった中国名門大学は世界のトップ大学の仲間入りを果たした。中国では、こうした名門大学に進学するために、名門中学校と高校に入るために、受験生本人の学力もさることながら、親の経済力も試されている。
まず、名門の小学校や中学校に入るために、その学区に住居を構えることが条件になっている。名門小学校または中学校の学区にある、60㎡程度の2DKの中古アパートは日本円で1億円以上も値段が跳ね上がっている。しかも、日本の一人当たりGDPは3万ドル以上であるのに対して、中国の一人当たりGDPは1万ドル程度である。単純計算すれば、中国の家計にとって3倍の重荷になる。
そして、日本では、受験戦争という言葉があるが、筆者がみている日本の受験戦争は本物の戦争ではない。それに対して、中国の受験戦争は正真正銘の戦争である。昼間の学校が終わると、学生たちはすぐさま学生塾に飛んでいく。そこで、さまざまな問題の解き方を教わる。学校や塾でのテストの成績と順番はすべて公表される。学生本人にとってどれだけのプレッシャーなのかは容易に想像できよう。
ここで、指摘しておきたいのは一部の悪質な教師がいることである。本来は学校教師の待遇がかなり恵まれているはずだが、一部の悪質教師は本職のほかに夜、学習塾で兼職している。その結果、本職において真面目に教育をせず、夜の学習塾で名物教師となり、そこでの手当が跳ね上がる。
一般的に、北東アジアの三か国(日中韓)の一般家庭は教育に熱心といわれている。そのなかで、中国人家庭はとくに教育に熱心といえる。日本人の一般家庭に置き換えれば、子供を東京大学に進学させるために、3億円の中古アパートを買う親はほとんどいないと思われる。
こうした状況を鑑みると、目下の中国の教育システムは持続不可能と判断される。ちょうど今年5月、中国政府は人口センサスの調査結果を発表した。出生率が低くて、このままいけば、人口が急減する可能性がある。人口の減少は少子高齢化に拍車をかけることになるため、何としても出生率を上げなければならない。そこで、中国政府は矢継ぎ早に一人っ子政策から二人っ子政策にすでに緩和されていた計画出産政策を三人っ子政策に移行すると発表した。しかし、ネットの書き込みをみるかぎり、三人っ子政策は不発に終わりそうだ。なぜならば、「生活負担が重く、子供を産みたくても産めない」といった書き込みが多かった。
実状はこうである。現役夫婦のほとんどは一人っ子同士である。彼らはこれから4人の親の面倒をみる必要がある。ちなみに、中国に公的な介護保険はまったく整備されていない。そのうえ、住宅ローンや自動車ローンに加え、子供の教育費もかかる。これでは、二人目、そして、三人目の子供を産めるはずがない。
ここで、問われるのは政策決定(policy making)のプロセスである。日本では、道路や駅などのインフラ施設を整備する際、交通量の測定を必ず実施しなければならない。それを踏まえ、その施設が必要かどうか、あるいはその規模を決められる。また、行政は政令や省令を定めるとき、必ずパブリックコメントを集める。こうする目的は間違った政策を回避することである。むろん、それでも、ときどき政策は間違ってしまう。
中国は共産党による事実上の一党支配の政治制度であるため、政策決定のプロセスは往々にして透明性を欠いている。最近、中国政府は突如として学習塾や課外補講を一斉に禁止する決定を下した。その目的は明らかにされていないが、子育て家族の教育負担を軽減するためといわれている。しかし、学習塾と課外補講を一斉に禁止するやり方はいかにも中国らしいとはいえ、乱暴すぎるといわざるを得ない。仮に、学習塾の授業料が高すぎるとすれば、それを適正化するように制度を変更すればいい。一斉に禁止するやり方だと、社会に与える衝撃が大きすぎる。なによりも、大学受験に向けて、受験生は成績を改善したいニーズがあり、表面的に学習塾を禁止しても、富裕層家庭は個人の家庭教師を雇い、その結果、教育格差がさらに拡大してしまう恐れがある。
とくに、学習塾や課外補講を禁止する法的根拠はなく、いきなりそれを禁止するといっても、それこそ違法行為といわれるおそれがある。この問題を通して透けてみえてくる中国社会の病根の一つは、法律に基づく政策決定よりも必要性が認められれば、政策変更の正統性が認められるという考えである。すなわち、「出生率が上がらないのは教育負担が重いからで、教育負担を軽減するために、学習塾や課外補講を禁止する」というロジックである。しかし、それによって出生率がほんとうに上がるのだろうか。おそらくポリシーメイカーもわからない。事前に、パブリックコメントを集めれば、このような乱暴な政策が決定されないはずである。
このなかで一番深刻な影響を受け振り回されているのは学生である。この政策変更によるハードランディングは最低でも数百万人の若者の人生を変えてしまう恐れがある。だからこそ、政治は政策を変更する際、慎重に行わなければならない。