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【09-001】チベットにおける高エネルギー天体現象の観測-四半世紀を超える日中共同研究-

2009年1月5日

湯田 利典 

湯田 利典(ゆだ としのり):神奈川大学 特任教授

1939年11月 生まれ
最終学歴: 名古屋大学大学院理学研究科物理学専攻課程修了  理学博士 
経歴:日本学術振興会奨励研究員、神奈川大学助教授、東京大学宇宙線研究所助教授、教授、附属乗鞍観測所長、名古屋大学太陽地球環境研究所教授などを経て、現在 神奈川大学工学部特任教授。東京大学名誉教授。

 宇宙線は宇宙から絶えず地球に降り注ぐ放射線である。その殆どは陽子、ヘリウムであるが、炭素から鉄に及ぶいろいろな原子核も含み、他にごく僅かの電子、陽電子、反陽子やガンマ線も含んでいる。地球に入射する宇宙線のエネルギーはおよそ109eVから1020eVの11桁以上の範囲に亘っている。

 宇宙線はV. F. ヘスによって1912年に発見されたが、100年を経た今日に至るも、その起源と加速という根源的な問題は未解決のまま残っている。高エネルギー宇宙線が大気に入射すると大気中の窒素や酸素などの原子核と衝突し多数の二次粒子を生成する。これら二次粒子はさらに核及び電磁相互作用を繰り返しながら数を増やし、やがてエネルギーを失って急速に減衰していく。このような現象は空気シャワーと呼ばれる。例えば、1016 eV程度の宇宙線は4000―5000m上空でその数が最大(約1000万個)になるが、このようなエネルギーの高い宇宙線は大気表面には1㎡当たり一年に一個程度しか降ってこない。したがって、このようなエネルギーの宇宙線を観測するには、高山に大型の装置を設置することが必要となる。

大気中の空気シャワー発達の様子

大気中の空気シャワー発達の様子(鉄の原子核が入射した場合)
(http://www.mpi-hd.map.de/hfm/CosmicRay/Showers.htmlより)

 大型の人工加速器がなかった1960年代までは、宇宙線は素粒子的な研究に重点が置かれていた。霧箱や原子核乳剤など飛跡検出器で観測された宇宙線現象に中に数多くの新粒子が発見され、これらはその後の加速器実験で確認され、素粒子物理学の発展に大きな寄与をした。湯川の予言したパイ中間子、ディラックの予言した陽電子(電子の反粒子)や2008年度ノーベル物理学賞受賞の小林・益川理論で有名になった“CP対称性の破れ”の発見へと導いたK中間子などの素粒子も最初は原子核乳剤や霧箱に記録された宇宙線飛跡の中に見出されたのである。ヨーロッパ、米国の大型加速器が稼動を始めた80年代に入ると、宇宙線の研究はその起源と加速問題の解明を目的とした天体物理的な側面が強くなってきた。これに拍車を掛けたのが、83年のドイツのキール大学グループによる白鳥座X-3からのPeV (1015 eV)ガンマ線観測の報告である。もし、彼等の観測結果が本当だとすると、白鳥座X-3程度の天体が数個あれば銀河内の宇宙線はほとんど説明でき、宇宙線最大の謎が解けてしまうからである。世界の宇宙線研究者達は、“ついに宇宙線の起源を突き止めたか?”と、新たな実験計画を立案し、観測の準備を始めた。結局のところ、白鳥座X-3からのガンマ線観測は新たに稼動した観測装置よって確認されなかったが、これにより宇宙線研究が一気に活性化し、後の高エネルギーガンマ線天文学誕生のきっかけを作った意義は大きい。これが中国と宇宙線の共同研究を始めた頃の世界の動きであった。

日本と中国の宇宙線研究

 日本の宇宙線研究は古い歴史をもち、これまでに数多くの研究成果をあげ、世界をリードしてきた。本格的な宇宙線研究は53年8月に東京大学附属乗鞍観測所が乗鞍山頂附近(標高2700m)に設置されてからである。この観測所は固有の研究部門を持たず、全国大学の研究者のための共同利用研究施設であった。積雪が2mを超える厳冬期間でも滞在できる研究・実験棟、自家発電装置、暖房・給水設備、霧箱用大型電磁石などの設備を整え、世界的に見ても第一級の観測所であった。ここでは、空気シャワー観測実験、宇宙線強度変動の観測実験等が行なわれた。55年7月には東京大学に全国大学共同利用の原子核研究所が附置され(日本初の1 GeV(109 eV)電子シンクロトロン加速器が建設された)、翌年には三つの宇宙線研究部門も設けられ、日本の宇宙線研究の基盤がほぼ出来上がった。この研究所では気球による宇宙線観測、空気シャワー観測実験、宇宙線学の研究が行なわれた。エマルション・チェンバー(EC)観測装置(原子核乳剤・乾板、高感度X線フィルムと鉛板を交互に積み重ねた装置)はこの研究所の西村純等によって開発・発展されたもので、飛跡位置の決定精度が格段に優れているため今でも加速実験などで使用されている。76年には乗鞍観測所と原子核研究所の宇宙線部門を併合した6部門の新たな宇宙線研究所が東京大学の附置研究所として発足し(初代所長は三宅三郎教授)、ここを中心に大型宇宙線観測実験が次々と行なわれるようになった。標高3770mの富士山頂でのEC実験は70年頃から行われていたが、79年度からは宇宙線研究所特別設備費により大型EC観測装置が富士山頂に設置され、本格的な実験が開始され多くの研究成果を得た。ここで開発された観測技術と実績がチベットのカンパラ山(甘把拉山、標高5500m)での日中EC共同実験へと繋がった。

 中国での宇宙線研究も日本と同じくらいの古い歴史をもっている。47年に米国から帰国した肖健等が中心になって、53年に雲南省の落雪山(標高3180m)に観測所を設置し、最初の霧箱による宇宙線の研究をスタートさせた。58年には高度3220mの場所に移動し、大型霧箱を3段に重ねた宇宙線観測装置を建設し、宇宙線による多重発生現象の研究を行なった。この装置の2段目の霧箱は約7kGの磁場中に置かれ、荷電粒子の最大測定可能運動量は100 GeV/cであった。この霧箱で質量が20 GeV以上の重い粒子の検出など興味ある結果が得られた(この結果は78年に公表された)。しかし、66年頃から始まった文化大革命の嵐の波は中国の科学研究を10年以上の長期間に亘って完全に停滞させた。

  73年には北京に中国の高エネルギー物理の研究センターとして、中国科学院高能物理研究所が設立された。この研究所は電子陽電子衝突型加速器(BEPC、84年から建設を始め88年に完成)を中心とした職員数が1000人を超える中国最大規模の研究所である。初代所長は宇宙線研究者である張文裕教授であった。この研究所発足と同時に落雪山観測所の研究者の殆どはこの研究所に移った。文革後の荒廃の中で研究を開始することは非常に困難を伴っていたが、日本からの少ない情報を頼りにEC、空気シャワー装置などによる宇宙線研究を手探りで開始した。とくに、エマルション・グループは、医療用のX線フィルムを用いて小規模のECを製作し、チベットのカンパラ山やチョモランマ(エベレスト)の6400 mの場所に設置するなどして、その性能テストなどを繰り返していた。文革により若い世代がまったく育っていないため、40代の彼らが中心になって中国科学の復興を先導し、世界のレベルに達するために邁進した。文革後の新しい教育を受けた大学院生が研究所に入ってきたのは82年頃からである。

チベットでの日中共同宇宙線観測 - カンパラ山からヤンパーチンへ -

 日中国交正常化(1972年9月)後の70年代半ば以降、日本の何名かの宇宙線研究者が中国を訪問していたので、双方の研究状況はある程度は分かっていた。しかし、本格的な交流は78年9月に、高能物理研究所から霍安祥教授等5名の宇宙線研究者が日本を訪問してからである。彼等は2ヶ月間日本に滞在し、宇宙線研究所(当時は田無市にあった)の乗鞍観測所、明野観測所や関連する大学等の訪問を行い、その間にチベット・カンパラ山におけるEC共同実験の可能性が検討された。カンパラ山はラサ(拉薩)の南約90kmの距離にある。日本側は、富士山頂でのECの総露出量は1000㎡の規模に達し、この実験で得られた結果の検証と新たな発展のために、より高い場所での実験を必要としていたこと、中国側もすでにECのテスト実験を行い装置の大型化を望んでいたこと、ECは比較的簡単な装置で予算と場所が確保できれば中国でもすぐに実験を開始できることなどから、最初の宇宙線共同研究としてEC実験が最適であると判断された。当時の競争相手は、ソ連・ポーランド共同のパミール高原(4200m)、日伯共同のチャカルタヤ山(5200m)のEC実験であり、世界最高の高度で行なわれるカンパラ山のEC実験は物理的な重要さ(宇宙線現象の観測効率は富士山の約4倍)に加えて、チベットの実験を世界にアピールするには最も有効であると考えた。

カンパラ山(標高5500m)の1000㎡のコンクリート台と1980年に設置された最初のEC。

 79年には張文裕高能研所長から三宅宇宙線研所長にカンパラ山におけるEC共同研究の申し入れがあり、日中共同研究は正式に発足した。共同研究の日本側窓口は宇宙線研究所、中国側は高能物理研究所であり、これに日本と中国の大学の研究者が多数参加した。日本側は高感度X線フィルム、原子核乾板、中国側はカンパラ山山頂に1000㎡のコンクリート平台と鉛板、鉄板(総量約500トン)を用意することになった。80年には面積15㎡のECが設置され具体的に実験が開始された。同年8月、文部省と中国科学院の日中混合会議が北京で開催され、カンパラ山における共同実験について合意がなされた。81年度からは宇宙線研究所の海外特別事業「国際共同研究」として推進されることとなった。同時に、これは「日中文化交流協定」(79年に締結)に基ずく「国際共同研究」の第一号となった。82年には中国側のデータ処理能力を加速させるために、X線フィルム解析用に開発された最新の自動光電濃度測定装置一式を高能物理研究所に持ち込んだ。この国際共同研究は当初5ヵ年計画でスタートしたが、その成果により、さらに3ヵ年の延長が認められ88年度まで継続した。この共同実験により、当時問題となっていたPeV領域での相互作用は加速器領域からのスムースな延長で説明できること、パミール、チャカルタヤ実験で報告されていた異常現象は検出されないこと、PeV領域の一次宇宙線は陽子、ヘリウムなどの軽い成分が少ないこと、などを明らかにした。一次宇宙線についてのこの結果は、当時は世界でも少数派であったが、最近の実験グループの多くはわれわれの結果を支持している。

コンピュータ制御できる高精度光電濃度計。

  カンパラ山のEC実験が軌道に乗りだした83年頃から、われわれは次の計画の検討とその予備実験を乗鞍観測所で開始した。これは空気シャワー観測装置をチベット高原に設置して、宇宙ガンマ線の研究とPeV領域の一次宇宙線の研究を行なうことであった。宇宙ガンマ線は活動的天体で加速された宇宙線と周辺物質と衝突によって作られるもので、ガンマ線は荷電がないため星間磁場の影響を受けずに地球に真っ直ぐに飛んでくる。これは宇宙線加速天体の同定が可能であることを意味し、二つの研究目的は互いに相補的な関係にあることが分かる。実験場所は、ラサの北約90kmの距離にある標高4300mのヤンパーチン(羊八井)は広大で平坦な平原であり、冬季も殆ど積雪が無く、電力も近くの地熱発電所から供給できるので最適であると判断した。しかし、当時の中国の事情と科学技術レベルを考えると、エレクトロニクスを使った大掛かりな宇宙線実験をすぐに始めのは容易でなく、スタートまでに双方の準備と粘り強い交渉が必要であった。

  86年秋に北京で超高エネルギー宇宙線相互作用に関する国際ワークショップが開催され、そこでヤンパーチンでの日中共同空気シャワー実験計画が具体的に議論され、予算の見通しがついたらすぐに開始することが合意された。まず、日本側が観測装置一式、中国側が用地(300m×300m)と実験用建物を用意することとなり、実験実施のための覚書が両研究所間で交換された。88年には科学研究費により、49台のシンチレーション検出器(各面積0.5㎡)からなる空気シャワー観測システムを製作し、89年春にチベットに送る準備をしていた。しかし、同年6月4日の天安門事件による中国への渡航禁止(9月中旬に解除)とハイテク製品の中国への輸出のための税関手続きの煩雑さにより、実験開始は大幅に遅れることとなった。それでも、同年12月に装置を現地に送り、翌年1月に設置して予備観測を開始することができた。   

2003年秋に完成したヤンパーチンの空気シャワー観測装置

 49台の検出器を15m間隔の碁盤目状に配置された小規模の空気シャワー観測装置(Tibet-I)は、その性能と観測効率の良さにより、これまでの空気シャワー観測の常識を変えることとなった。すなわち、10 TeV(1TeV=1012 eV)領域の宇宙線がつくる小空気シャワーの到来方向を1度以下の精度で観測できるとは当時誰も考えていなかったのである。また、空気シャワー現象を1秒間に約20例観測・記録できる装置性能は多くの研究者を驚嘆させた。この最大の理由は4300mの高地に高精度の空気シャワー装置を設置したことである。92年に、この装置により、キール大学グループの白鳥座X-3からのガンマ線観測結果を世界で最も厳しい条件で否定する結果を学術雑誌に発表した。

3TeVの宇宙線がつくる月の影

 この装置は予期せぬ結果をもたらした。地球から見る月と太陽の視直径はほぼ同じで約0.5度である。銀河宇宙線は月や太陽を貫通できないため、その方向からやってくる宇宙線の数は減少するはずである。すなわち、光と同じように月や太陽は宇宙線の影を作ることになる。しかし、装置の角度分解能が良くないと、この影はピンボケになり識別できない。高角度分解能をもつチベットの装置は月と太陽の影を直接観測することに世界で初めて成功した。しかし、太陽の影は太陽方向から大きくずれていた。太陽活動は11年周期で変動している。チベットの装置が稼動を始めた頃は太陽活動が活発な時であり、太陽磁場の変動が影を移動させていることが判明した。この結果は、太陽の影の変動を観測することにより、太陽磁場の変動を直接観測できることを意味する。新たな研究分野の発展につながる可能性が出てきたのである。 これら一連の結果により、チベットの空気シャワー実験は世界的に有名となり、その後の空気シャワー観測に大きな影響を与えた。

3 TeVのガンマ線で見たカニ星雲(中心方向)とそこから飛来する高エネルギーガンマ線のエネルギー分布。

 ヤンパーチンの日中共同研究は、93年度から文部省(現文部科学省)の海外特別事業「国際共同研究」経費で行なわれることとなった。空気シャワー装置の検出器の数は221台(検出器間隔は15mで有効面積約37000㎡)に拡充され、その中央に100台のECとバースト検出器(検出器の総実面積は80㎡)が設置され、空気シャワー装置と連動された。94年、中国科学院は中国の科学研究のレビューを行い、今後推進すべき科学として六つの重点研究課題を選び、その一つにヤンパーチンの日中共同研究を含めた(Science, 95年11月17日号、“中国之科学”特集)。99年度からは科学研究費「特定領域研究」により装置の更なる拡張が行なわれた。2003年秋には、検出器総数約800台(検出器を7.5m間隔に配置)、総面積約37000㎡の世界最大規模の高精度空気シャワー観測装置(Tibet-III)が完成し、現在まで順調に観測が行なわれている。一日のデータ量は約30GBで、全てのデータは宇宙線研究所の大型計算機システムに保管され、日本及び中国の各大学の共同研究者は誰でもこの計算機に直接アクセスし、自由にデータの解析ができるようになっている。また、数年前からネットワークを通じて装置の稼動をオンラインで監視できるようになった。これらの装置により、一次宇宙線のknee(1015 – 1016 eV)を含む広領域の全粒子エネルギースペクトルの観測、陽子、ヘリウム各成分のエネルギースペクトルの観測、銀河宇宙線強度の「天球分布図」作成と白鳥座領域での宇宙線強度の異方性の発見、かに星雲等点源からのガンマ線観測など着実に研究の成果を上げている。

展望と課題

 中国との共同研究も30年近く継続していることになる。これほど長期間に亘って続く国際共同研究も珍しい。もちろん、この間に観測場所、研究方法、そして研究内容も時代に応じて大きく変化している。宇宙ガンマ線の観測は1989年の米国Whippleグループによる解像型空気チェレンコフ望遠鏡(IACT)によるかに星雲からのTeVガンマ線の検出成功によって大きく変化し、以降IACTがガンマ線観測の主流となった。とくに、2003年から稼動を始めた南アフリカのナミビアのH.E.S.S.チェレンコフ望遠鏡は数多くのガンマ線天体を検出し、高エネルギーガンマ線天文学を飛躍的に発展させた。しかし、宇宙線加速の現場はまだ確実に捉えられていない。これを明らかにするには、広視野で100TeV領域まで観測できる新たな装置の建設が不可欠であり、次世代のガンマ線観測装置の検討がいろいろな研究グループによって行なわれている。

 日中共同研究グループでも、現在の空気シャワー観測装置内に総面積約1万㎡の水チェレンコフ検出器(面積850㎡の水プール12個を地下2.5mに建設)と20×20台のバースト検出器アレイ(総面積約4000㎡)を設置する計画が検討され、その準備研究が進行している。特に、水チェレンコフ検出器により空気シャワー中のミューオン数を検出し、ガンマ線シャワーの検出感度を飛躍的にあげることができる。この装置はIACTでは難しい広がった天体の観測や100 TeV領域のガンマ線をほとんどバックグラウンド無しで観測できるため、宇宙線加速源の探索に威力を発揮すると思われる。併設される大型バースト検出器アレイは直接観測では不可能なknee領域の一次宇宙線の化学組成を明らかに、この領域の宇宙線の加速・伝播モデルに強い制限を加えることができる。詳しい内容は省くが、これが実現すると、現在の共同研究はまだ10年以上継続することになる。 共同研究も30年近くも続けていると、カンパラ山やヤンパーチンの実験を先導的に進めてきた人たちの殆どは定年を向かえて一線を退いてしまい、現在の研究は次の世代の人達に引き継がれている。中国も文革後に教育を受けた新しい世代が中核となって研究をリードしているが、後継者の育成は必ずしも順調に行なわれているとは言えない。急速な経済発展とIT産業の隆盛の影響で、金に縁が無く、時間と忍耐が必要な基礎科学研究を希望する若者の数が減少しているのが大きな問題である。 事情は日本もまったく同じであり、近年、大学院の物理の博士課程に進学する学生の数は激減している。加えて、宇宙線研究のように、長い時間を必要とし、かつ地味で役に立たないような基礎科学の予算獲得は非常に厳しくなっている。他の科学研究と同じように、チベットでの宇宙線研究は大学院生や若手研究者の活躍なくしては成り立たない。また、国際共同研究は双方の信頼の上に成り立っているのであり、一度途切れるとその復活は非常に難しくなる。経済発展の追求は効率と実用化を重視するが、役に立たない基礎科学の発展はその国の文化の奥深さと広がりを示すバロメーターとなる。目先の利く効率の良さだけを優先していると、基礎科学は衰退の一途をたどることになる。中国との共同研究が今後さらに広がりをもって大きく飛躍することを期待している。

主要参考文献:

  1. 東京大学宇宙線研究所及びチベット宇宙線実験については、 http://www.icrr.u-tokyo.ac.jp/中国科学院高能物理研究所については、 http://www.ihep.ac.cn/ のホームページを参照。
  2. 特集: 中国との学術交流 「文部省が推進している中国との学術交流について」、 文部省学術国際局国際学術課、学術月報、49巻、9号、93頁(1996)
  3. 先端研究みてある記: 宇宙線シャワーで宇宙を探る ―チベット高原に展開する空気シャワーアレイ ―、菊池健、 学術月報、53巻、9号、64頁(2000)
  4. チベットにおける高エネルギー宇宙線の研究―日中共同研究―、湯田利典、日本物理学会誌、57巻、7号、483頁(2002)