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【20-011】日本企業はコロナ後の中国にどう対応すべきか(その2)

2020年10月06日

和中 清

和中 清: ㈱インフォーム代表取締役

昭和21年生まれ、同志社大学経済学部卒業、大手監査法人、経営コンサルティング会社を経て昭和60年、(株)インフォーム設立 代表取締役就任
平成3年より上海に事務所を置き日本企業の中国事業の協力、相談に取り組む

主な著書・監修

  • 『中国市場の読み方』(明日香出版、2001年)
  • 『中国が日本を救う』(長崎出版、2009年)
  • 『中国の成長と衰退の裏側』(総合科学出版、2013年)
  • 『仕組まれた中国との対立 日本人の83%が中国を嫌いになる理由』(クロスメディア・パブリッシング、2015年8月)

その1 よりつづく)

「脱亜入欧」に走り続ける日本

 筆者の身近な中国進出企業では、周囲の日本人から中国の民主化がどうとか、尖閣がどうとか、独裁がどうとか、共産党がどうとかの足を引っ張る意見ばかり出て困ると、未だ嘆く人が多い。その状況は30年間、変っていない。足を引っ張る人の多くは中国に行くこともなく、日本で流れるニュースやいわゆる「右派言論」に左右されて意見を述べている。

 かつて福沢諭吉は「脱亜入欧」を語った。福沢諭吉の真意は、その四文字の直訳でもないと思うが、今も日本はその4文字に向かい走り続けているように見える。いや日本は「脱亜」でなく「忘亜」で「忘亜入欧」で走り続けている。

 筆者は日本の停滞の要因の一つにアジアの国としての矜持の希薄さ、そこからくるアイデンティティの欠如と思っている。政治も経済も企業も人も東シナ海、黄海に背を向けて太平洋の向こうばかりを気にしている。「亜」を忘れ、かといって「米国」に魂のすべてを移すこともままならず、魂が宙を彷徨っているようにも思える。

 企業は、太平洋の向こうから聞こえる「中国は怖い」という囁きに耳を傾けて片足だけを入れた半身で中国に対応する。

 日本が中国以上に活気のある社会ならいいが、日本もダメ、中国もダメなら、中国批判を繰り返す人はいったい何をせよと言いたいのだろうか、といつも不思議に思う。

 米国は中国に対立を仕掛ける一方、コロナ禍に関わらず中国投資を6%増加させている。しかし日本企業はマイナス情報に引きずられて投資を縮小させる。

 筆者には米国が画策して"恵みの雨"を独占しているようにも見える。

「実事求是」を基礎に実践の中を進む中国

 コロナ禍で中国は財政出動により公共事業を拡大し、金融面でも対策を強化しているが、決してそれだけに頼らず経済の構造改革を着実に進めている。

 私たち日本人が理解しなければいけないことは、中国が「実事求是」(現実を考慮し事実を探求する)を重んじる実践の国ということである。「イノベーション」の基礎にも「実事求是」の実践がある。だから掲げた政治、政策課題は必ず達成しなければならず、テーマや言葉だけでは終わらない。中央政治も地方政治も年度方針発表では必ず前年度の達成状況報告が先に来るし国民もそれを注視する。地方の新聞紙面もグラフを使いわかりやすくそれを報道する。中国では実践を離れて夢だけが語られることはあり得ない。

 改革開放も「実事求是」で進んでいる。さらにそれを進める「為政者」自身が変わっていることにも着目すべきである。中国の政治家の現場経験が政治に生きていることは前回の日中論壇で述べた。筆者は前述のシンポジウムの席で中国のある経済開発区の若い担当者が筆者に語った次の言葉を紹介した。

「私の開発区のリーダーは現在37歳です。そのリーダーは、私たちにいつも今日何をすべきかと、明日は何をすべきかと、話をします。だから、私たちは非常に仕事がやりやすい。一時代前のリーダーは、私たちに(頑張りなさい)とだけしか話しませんでした」。

 日本では大臣から「地方でホラを吹いてきた」の言葉さえ出る。こんな言葉が出れば中国では一時間を待たずに退任だろう。議員さえ続けられない。その言葉が14億人に伝われば大変なことになる。だから中国の政治家は人口圧力と対峙してその緊張下に置かれている。さすがに最近は日本の新聞紙面では中国の「権力闘争」の4文字が少なくなったが、多くの人は主席への権力集中と捉えて、中国政治を「権力」で読み解く日本人の傾向は変わらない。中国政治が「今日は何をすべきか、明日は何をすべきか」に変わっていることは日本では注目されない。

 中国は「実事求是」で社会も経済も常に変化している。日本以外の諸国は中国の変化を評価し、先行きに希望を見て、それが外資投資に現れている。

中国生産、輸出型企業はどうすべきか

 それでは中国に関係する日本企業は今後、どう対応すればいいのか。企業の取り組み形態ごとに考える。先ず中国で生産する輸出企業である。

 産業構造の転換でハイテク企業やサービス業が人件費を引き上げ、中国の人件費上昇に拍車がかかることを先に述べた。

 単純加工企業は中国生産が成り立たなくなったが、人件費上昇の影響はその他の製造業に波及する。輸出拡大で人件費の上昇を吸収できる間は持ちこたえるが、コロナ禍で世界の市場も縮小し、何も手を打たなければ事業の維持は難しくなる。

 日本への輸出も日本経済の低迷が続き期待できない。首相が変わり"卓袱台返し"と思われるくらいの構造改革が進まない限り日本市場の拡大は期待できない。実体経済を上げる戦略と具体策があってこその金融と財政である。「三本目の矢」が先で、それを助けるのが金融、財政であり、日本は力の入れ方と進める順序が逆である。それでは世界三位の大きな経済は動かない。金融で30%の人が潤い、それで政権を維持するやり方では日本経済の浮上には繋がらない。だから前政権の政策が引き継がれるなら低成長も引き継がれる。リスク対策からは、そう考えて企業は手を打つべきである。

 そのため、中国に関係する企業の対応は次の三つと思う。一つは中国市場の開拓、一つは生産現場の省力化と効率化、一つは事業の見直しと集約化で有望分野に資源を集中することである。

 コロナ禍で日本への回帰も語られるが、日本の構造改革が進まないのにその選択はあり得ない。中国の人件費が上がり留まるのも地獄、帰るのも地獄なら、成長を続け、市場が拡大を続ける中国で打開策を考えるのが真っ当な経営判断だろう。

 また、効率化は生産現場だけではない。日本企業は現地化や中国人にマネジメントを委ねることが苦手なので管理コストも高い。考え方を改めて現地化によりマネジメント力を高めないと生き残れない。事業の見直しと集約は次に述べる市場対応と重ねて考える。

中国市場への対応企業はどうすべきか

 次に中国市場への対応の企業はどうすべきか。

 先ず中国市場の質的変化に注目すべきである。一つは産業構造の転換に伴う変化。電子関連や自動化、省力化などの市場が拡大する。さらにコロナの影響で止まっていた環境対策も動き出し、その関連設備や電気自動車市場も拡大する。

「新時代」の理念の基礎には2015年の中国共産党第18期中央委員会第5回全体会議で提起された「五大発展理念」がある。それは[イノベーションによる発展][調和による持続的発展][グリーン(環境)による調和のある発展][より高いレベルの開放型経済の発展][共に成果を享受する、分かち合いによる発展]である。

「五大発展理念」でグリーン、「環境」が強調されている。現政権の信念においても、またレガシーからもそれを実現していくと思われる。

 コロナが終息し、早速止まっていた自動車市場が急速に動き出した。特に優遇政策もある電気自動車の需要が拡大している。国産のBYDのスポーツタイプ、四輪駆動電気自動車の"漢"は理論走行距離が600kmと向上し、価格が23~27万元と安くもないが、まだ予約段階にも関わらずかなりの人気になっている。

 コロナ禍は思わぬ副産物を生む。インターネットによる各種サービスを拡大させ、飲食宅配サービスを一大産業にし、多くの国民に意義を納得させてしまった。医療従事者だけでなく、宅配に関わる人への感謝と共にその仕事への認知度も高まった。

 巣ごもり生活は弊害の反面、人が内面と向き合う機会を与えた。身体だけでなく心的健康への認識も高まった。何かにつけテレワークが持てはやされるが、人が社会生活を送る以上、人との接触、画面相手ではない生身の人間と向き合うコミュニケーションも不可欠で、もっと大切ということにも気づかせた。

 コロナ禍でこそ人と接触しなくても仕事も買い物も飲食もできると考えるが、いったんそれが落ち着くとそんな社会に寂しさ、侘しさを抱く人も増える。コロナ禍の生活で抑圧された心の反動もあり、生身の人との接触で成り立つビジネスも復活する。旅行も飲食も音楽ライブも演劇も遊園地もしかりである。殊に中国人のその思いは強く、人口との掛け合わせで膨大な市場が拡がる。既にそのための交通網も整備されている。自動車では電気自動車と共にSUⅤ車が市場で大きな伸びを見せるだろう。

 筆者が知るある中国人の社長は海外から中国に戻り2週間のホテル隔離で鬱症状に陥り、その回復に長い期間を要した。いかに身体が健康で日頃は活発な行動をしていても、お金があろうともたった2週間の閉ざされた生活で心も病んでしまう人もいる。

 コロナ禍は人々の価値観に変化をもたらし、今の時を大切にしながら、より質の高い消費、より質の高いコミュニケ―ションを求める時代になる。そこにも中国市場に対応する企業のチャンスが拡がる。

 筆者は2001年に出版した本で、今後の中国の都市マーケットを読むポイントとして次の8点を掲げた。「専門サービス化」「大規模化」「休日経済」「子供・教育マーケット」「金融・保険」「貿易・流通・物流マーケット」「情報化」「住」である。それから20年が経過した現在でもこれらの市場はなお進化し拡大が続く。内陸都市はもちろん、農村にもさらに波及して行く。

他力活用と水平のネットワークづくり

 その一方で、高度に発達した電子情報社会がコロナ対策に生かされ中国が歩んだ方向が間違っていないとの確信にもなり、一層、その活用と新ビジネスの開発が進む。

 中国市場に対応する企業は人々の消費の質を求める行動、生身のコミュニケーションも求める行動、一層の情報社会の進展をチャンスととらえ対応しなければならない。

 だが、その対応は一企業の展開では限界がある。コスト的にも難しい。

 産業間の水平ネットワークを強化して連携を図り、相互の協力の下で進めていかなければその市場に対応することも難しい。

 今は、例えばレノボのような電子関連企業が電子情報を武器に畑違いの靴まで開発しようとする時代である。どこからどんなビジネスチャンスが生まれるか予測も難しい。いろんな分野に視野を広げて網を張り、協力体制を構築する以外に方法はない。

 しかしそれは日本企業の中国ビジネスの取り組み方を変えることでもある。自力も大切ではあるが、むしろ他力活用へと向かわなければならない。他力の活用は「我(ガ)」を取り「あなた」に目を向けることである。それは素直でなければ達成できない。四角い棒の角を削って丸い穴に入ることである。

 関係社会の中国でネットワークを築くには、中国式のやり方、いい意味で「腹黒く厚かましく」の精神も学ばねばならない。異質を受け入れ、相手の長所を見て崩友にするしたたかさも持たねばならない。

 どこを切っても金太郎飴から、人との違いに価値を認める社会や企業に変わることが必要である。他人から厚かましいと嫌われるくらいに自分を前に押し出して行かなければならない。そうでなければ激しい競争社会でネットワークを築くことは難しい。

 ここでも現地化がつきまとう。激しい競争と関係社会で育った中国人幹部を活用し、しかるべき処遇を与え、契約方式も変えなければ現地化も難しい。日本的な古い人事制度や労働習慣に縛られていてはそれも難しくなる。

「日本は遅れている」ことの自覚

 1990年から2016年までの日本の実質平均経済成長率は幾何平均で僅か1.1%である。その間の中国の実質平均成長率は9.6%だった。2018年と2019年、日本はほぼゼロ成長である。政治の問題があるが、政治だけでもない。政治も企業も構造改革が進まなかった結果で、結局、日本は変わらなかったということである。

 この欄でも再三指摘するように、日本では30年以上前に地方のシャッター通りが話題になったにも関わらず、東京一極集中は加速した。首相が交替する度にリレーのバトンを渡すように地方創生が課題に掲げられる。コロナ禍で地方に移る人が増えたが、コロナが政治課題を解決するとは皮肉で、まるで「太平の眠りを醒ますコロナ」である。

 日銀の資金循環統計では民間非金融法人企業の金融資産残高は2008年の747兆円から2018年(9月)には1,186兆円と10年で1.59倍である。その間の日本経済がほとんど成長していないにも関わらず金融資産が大きく伸びている。これは構造改革が進まず、変わらない日本への企業の自己防衛の結果である。非正規社員の増加が問題視されるが、それも企業の自己防衛だろう。先の夢を持てないので、企業も人も保守的になり、守りに入って足もとを固めることになる。

 そんな日本とは逆に、この30年の中国の成長は構造改革の結果である。そんな社会への対応には物差し、考え方、取り組み方も変えなければならない。日本の経済成長率から考えても、一部を除いて日本式が世界に通用しないということである。中国は「失うものは何もない」意識で三十年を突っ走った。そんな社会に対応するのに失うことを気にしていては太刀打ちできるはずもない。

 先ず政治が率先して「過去を引き継ぐ」発想を捨てることだ。そもそもそんな言葉の後ろには、周囲を気にして波風をたてないとの思いも潜む。数十年間の日本の平均成長率は1%少しである。日本に必要なことは「日本は遅れている」という意識を持つことだと思う。日本が「ゆでガエル」になっていることを素直に認識すべきと思う。中国のいろんな現場を見て、中国の方が進んでいると思うことも多い。日本が中国に学ぶ時代にもなっている。「日本は一番」の意識を捨てないかぎり、中国と競争しても勝ち目はない。市場が拡大する中国に対応するには優れた他力をどう活用できるかにかかっている。

(おわり)