【21-19】SARSと新型コロナウイルス感染症の比較からみる中国経済の動向について(その2)
2021年04月23日 魏加寧(中国国務院参事室金融研究センター研究員)
(その1 よりつづき)
第3節 景気循環での比較
3-1 SARSの発生と景気循環の関係
2002年から2003年のSARSの発生当時、中国の景気がアジア通貨危機後の回復に貢献していた。文化大革命以前で計画経済時代の中国では衣食問題が十分に解決されなかったため、文革後の1980年代において衣と食の問題の解決が最優先課題であった。1990年代に至って、モノの使用・利用が次の主要な課題となった。例えば、中国の各家庭で家電の使用が徐々に普及していった。21世紀に入ると、居住と交通の問題が主要な課題として重視された。SARSが発生したのは、中国の自動車産業と不動産産業の発展が加速していた時期である。
まず、自動車産業に着目して説明する。1980年代から90年代の間、日系自動車の米国での売上げが好調である一方、当時の『中国統計年鑑』のデータによれば、中国国民の収入がまだ低く自動車市場の規模は日本を下回っていた。そのため、日本の自動車企業は中国への投資意欲を持っていなかった。しかし、90年代末、日本の自動車企業が中国市場へ投資しようとした際、欧米の有名な自動車企業も既に中国市場に進入していた。中国の「市場を以て技術と交換する」戦略に対応するため、当時の日本における自動車企業は「技術を以て市場と交換する」戦略に出た。しかし、中国側の協力企業はほぼ国有企業であり、自動車産業の発展により当時の景気回復を重点に置いており、技術より売上高しか重視していなかった。
次に、不動産業界を見る。中国人民銀行は、SARSが終息する前に経済に関する政策を発表していた。当時中国において不動産への投資と商業銀行による信用供与が増加し過ぎていたため、中国人民銀行は規制を実施しなければならないと考えていた。しかし、この政策を発表した後、中国人民銀行は地方メディアと新興メディアからの批判を受けた。その後、国務院によるもう一つの政策が発表された。この政策では、不動産業界の良好な発展を維持し、不動産業界を国民経済の主要産業に発展させ、不動産への信用供与の適切な運用を保証することが強調された。そしてこの政策は、不動産政策の担当官庁である中国住宅・都市農村建設部で実施された。その結果、2003年の後半、不動産への投資と信用供与が増加し、不動産業界の発展が当時の中国経済の急速な回復を推進した。
さらに輸出から見る。中国は2001年に世界貿易機関(WTO)に加盟し、世界各国の中国との貿易が急激に拡大し始めた。SARSが発生した際でも、その傾向は変わらなかった。WTOに加盟する前、中国企業の経済輸出額の割合について、国有企業が6割、外資企業が3割、民営企業が1割に占めていた。WTO加盟後、現在、民営企業が6割、国有企業が1割、外資企業が3割となった。
全体としてみると、中国経済はSARSの影響を受けたことは事実であるが、自動車産業と不動産業の発展および輸出拡大のおかげで、中国経済は拡大していった。
3-2 新型コロナ感染症と景気循環の関係
それでは、今回の新型コロナ感染症が中国経済にどのような影響を及ぼすか。長期的にみると、中国経済の潜在成長率は低下している。図2-1に示すように、過去においては「第6次五カ年計画」から「第9次五カ年計画」にかけて、中国経済の潜在成長率は9%以上、または10%以上であった。しかし、現在の「第13次五カ年計画」で潜在成長率は7.19%であり、今後の「第14次五カ年計画」で6.35%、「第15次五カ年計画」で5.41%まで低下する見込みである。
図2-1 五カ年計画ごとの中国経済の潜在成長率
中期的にみるため、景気循環に着目して分析する。一般的に世界各国では、企業の在庫変動に起因する「キチン循環」、企業の設備投資に起因する「ジュグラー循環」および建設需要に起因する「クズネッツ循環」から景気循環を分析しているが、ここでは中国特有の「改革循環」に基づいた分析を行う。
表2-1に示すように、改革開放以来、中国では思想解放、改革開放、経済成長の三大循環が発生している。経済問題に直面する際、我々はまず思想を解放し、それを通じて改革開放を実施し、改革開放によって経済成長を実現している。
(出所)筆者作成 | ||
1回目 思想解放 | 2回目 改革開放 | 3回目 経済成長 |
1979~1989 | 1989~1999 | 1999~2013 |
対外開放および生産責任制 | 南巡講話および社会主義市場経済の導入と位置付け | WTO加盟、国家企業改革および住宅制度改革 |
最後に短期的な観点から、消費、投資、輸出に焦点を当てて分析する。新型コロナウイルス感染症が発生する前、平均可処分所得の増加が緩やかとなり、農民消費や都市消費が抑制され、消費拡大のスピードが遅くなりつつあった。新型コロナウイルス感染症が発生する前、投資環境が悪化しており、投資の規則および条件が制限されつつあったため、投資量の増加率も遅くなりつつあった。また、米中貿易摩擦の影響を受けて、輸出増大のスピードも遅くなっていた。
第4節 中国の新しい決断:計画経済に戻るか、市場化改革を継続するか
4-1 計画経済の復活?
2016年頃、当時のアリババCEOのジャック・マー(馬雲)は、「ビッグデータがあるからこそ計画経済を改めて定義する必要がある」、「市場経済が計画経済より良いわけではない」と発言していた。新型コロナウイルス感染症が発生して以来、計画経済の復活、計画経済のメリットを主張する文章が相次いで発表されてきた。
4-2 計画経済失敗の原因
最近になって中国国内で、計画経済と市場経済の比較に関する討論が行われた。長年の実践を通じて、計画経済を実行したソ連、東ヨーロッパなどが崩壊して失敗した。中国の改革開放前後の30年間の比較によると、計画経済で物の不足と大飢饉が発生したが、市場経済で衣食問題が解決され生活が豊かになったことが分かる。ここで計画経済が失敗した原因を探る。ちなみに計画経済は経済計画ではない。政府にしても企業にしても、中央にしても地方にしても、経済計画を実施できる。筆者の分析によれば、計画経済には以下の様な特徴がある。
一つ目の特徴は、指令的な計画だということである。計画経済時代、資源の配置は現在の国家発展改革委員会の前身である国家計画委員会が指令の形で実施した。生産物と生産量の決定は、それぞれの企業が自ら決定するのではなく、国家計画委員会が指示した計画指標により決定された。さらに、生産に係わる原材料の仕様、購入価格、販売価格などは、企業で決めることができず、国家計画委員会で調整の上決定され、地方計画委員会や企業に指示された。このような決定メカニズムは問題点がある。ハーバード・サイモンが提唱した「限定合理性」概念により、政策決定主体の情報、認識能力、対応案が限られているため、計画の策定者がなんでも分かり、なんでもできるわけではない。次に、「不確定性」概念により、政策決定の周囲には不確定性や予測できないリスクが存在している。さらに、開発されていない新商品への需要を勘案しにくくなる。最後に、報告から承認まで時間がかかるため、情報が停滞し、承認を得るまで市場の需要と供給の関係が変化するかもしれない。このように、計画経済時代には企業は政府(特に計画部署)の付属品にすぎず、日本の産業政策の専門家である小宮隆太郎東京大学教授は、80年代の中国経済を評価して「中国には企業がない」と指摘している。
二つ目の特徴は生産手段の公有化である。一般的に政府から独立している私企業は、政府の計画部署の指令には従わない。これを解決するために、1950年代に中国では「公私合営」政策を実施し、私企業を国有化して政府の計画経済の付属品とした。
三つ目の特徴は労働に応じた分配である。計画経済時代、あらゆる労働に応じた分配は平等主義が貫徹された。国有化が実施された後、供給の減少によるインフレーションが発生し、当時の政府は物価や需要をコントロールするため、給料の抑制を実施した。平等主義は意欲の向上を奨励するメカニズムが不足しているため、国民の生産意欲や革新意欲が低下した。
要するに、計画経済を実施した結果、物の不足が普段の状態になり、経済の発展が重大な影響を受け、発展の機会が失われた。
4-3 市場経済のメリット
市場経済とは、市場機能を通じて需給調節、価格調節および資源配置が行なわれる経済のことである。市場経済は、何をどれだけ生産し誰にどれだけ配分するかという経済の根本機能において、他の経済システムより優れていると考えられる。
まず、市場経済においては必要で不足している商品は価格が上がり、利益水準が高まるため、生産が増加する。価格の変動を通じて商品の不足が分かりやすくなり、企業は商品の不足を改善し、生産を増加させる。次に、市場経済には多様な所有制度が存在し、労働に応じた分配メカニズムと生産要素に応じた分配メカニズムが併存し、奨励メカニズムが構築されている。このため、会社の経営者と労働者の勤労意欲や革新意欲が向上し、生産力の増強・投資が誘発されて経済成長が起きやすくなる。さらに、市場経済の実施を通して、国内において「経済建設を中心とする」政策を強調しうるとともに、外国に対して「平和発展」の政策を強調し海外企業の投資を誘致できる。
1978年に中国の中央政府は、三つの代表団をヨーロッパ、米国および日本にそれぞれ派遣して、経済関係の施設等を訪問した。これらの代表団は、先進国における産業の近代化に感銘を受け、改革開放の実施を決意した。
4-4 計画経済理論の提起と決別
1950年代に中国の経済学者馬洪は、計画経済理論を提案し、国家計画委員会の設立と「第1次五カ年計画」の策定を強調した。しかし1984年に、馬は中国の国情を改めて確認した上で計画経済のデメリットを訴え、計画経済の代わりに市場経済の発展を提唱した。馬は、市場経済に関する論文を執筆して、中国共産党の商品経済の受容を推進した。これ以降、中国では計画経済から商品経済、市場経済に転換され、経済が急速に発展していった。
2020年5月開催された政治協商座談会で、習近平国家主席は「我々は計画経済の古い道筋に戻るべきではない」と発言した。また、国務院は「新時代の社会主義市場経済体制整備加速に関する党中央・国務院の意見」を発表している。それらの内容を見れば、今後中国は市場経済体制を堅持し、経済体制改革の効力を十分に発揮させて、社会主義市場経済体制を継続して整備していくことになると予想される。
(おわり)