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【19-10】《亜洲創客》「大衆創業・万衆創新」は、正解のないイノベーションへ

2019年8月23日

高須正和

高須正和: 株式会社スイッチサイエンス Global Business Development/ニコ技深圳コミュニティ発起人

略歴

中国深圳をベースに世界の様々なMaker Faireに参加し、パートナーを開拓している。
ほか、インターネットの社会実装事例を研究する「インターネットプラス研究所」の副所長、JETRO「アジアの起業とスタートアップ」研究員、早稲田大学ビジネススクール非常勤講師など。
著書「メイカーズのエコシステム」「世界ハッカースペースガイド」訳書「ハードウェアハッカー」ほかWeb連載など多数、詳細は以下:
https://medium.com/@tks/takasu-profile-c50feee078ac

 計画経済国家だった(今でも5カ年計画は行われている)中国は世界一巨大な官僚機構を持ち、トップダウン型の施策を行っていた。しかし2015年からの大衆創業・万衆創新施策は中国を大きく変えた。

 エリートに集中投資して生み出されるタイプのイノベーションもあれば、顧客の反応を見ないとわからないタイプのイノベーションもある。大衆創業・万衆創新は後者に向けた施策だった。

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深圳の小企業群が創り出した、コピーや独自改良が加えられた名もなき発明品たち。こうした携帯電話は山寨携帯と呼ばれる。

イノベーションを技術革新と訳した日本。正解のあるイノベーション

 イノベーションという英語の訳語に、日本では技術革新を当てる。技術革新という言葉から想起されるのは、スーパーコンピュータの性能向上、自動車の燃費や最高速度、材料の強度など、数値で測定できるタイプの成果だ。

 もちろん、それは今でも大事なイノベーションであり、半導体の微細化、通信技術の性能向上など、少しの工場でも社会全体の進化や、大きな富に繋がるものが多い。そうしたイノベーションは大学の研究室や企業の研究所など、多くの投資を受けた一部のエリートが主導する。「市井の発明家」がこうしたイノベーションに寄与することは少ない。よく聞かれる笑い話で、「市井の発明家から永久機関の申し出が特許庁に持ち込まれるが、すべて実際には動作しない」というものがあるが、エネルギーのように物理学に則った発明は一朝一夕には成立しない。

イノベーションを創新と訳した中国。正解のないイノベーション

 一方で、イノベーションには正解のないものも多い。スマートホンやソーシャルネットワークは世の中を進化させ、莫大な富をもたらした。しかし「どのようなスマートホンが最も優れているか」「どのソーシャルネットワークが最高か」の答えは人によって異なる、正解のないイノベーションだ。今現在の答えが明日も正解とは限らない。人間の好みは刻々と変わり、「他人が使っているから自分も使う」といった個人にとどまらない影響もあり、ヒットするものを事前に予測するのは難しい。この文章を書いている八月半ばではタピオカミルクティーのブームが続いているが、いつまで続くか、次は何がブームになるかを予測するのは難しく、そもそも予測そのものに意味があるかも怪しい。

 タピオカミルクティーは大ヒットしたことで幾ばくかの富を生み出した。しかし、それは日本語の技術革新という言葉には収まらない。これが、中国大陸がイノベーションに当てている「創新」という言葉だと範囲内になる。「創新」は、何か新しいこと全般を指すが、過去に紹介 したアリババのメイカーフェスなどを考えると、「新しい商売」ぐらいの意味合いで受け取るのが良さそうだ。

大衆創業・万衆創新とは

 商売は人間相手に行うもので、どういう製品が売れるか完璧に予測するのは難しい。もちろんある程度の傾向はあるし、すでに売れた製品の二代目など、数を最初から見込める製品も存在する。それよりも多くのトライをすることが、予測の精度アップ以上に重要だ。

 こうした正解のない分野では、市井の発明家の活躍が重要である。スタートアップが起こすイノベーションの多くがこちら側になる。メイカーフェアで見られるイノベーションも多くがこちらだ。

 情報の流れがマスメディアからインターネットに流れ、情報を制御してムーブメントを起こすのが難しくなった現代では、ますます「売れると思った製品をまず売ってみる」というトライの重要性が高まってきている。

 もともとトップダウン型のイノベーションを志向していた中国が、「大衆創業・万衆創新」を唱え始めたのは、そうしたスタートアップ主導のイノベーションを喚起するためだ。

マイクロイノベーションと深圳

 この図はJETRO「アジアの起業とイノベーション」研究プロジェクトで、JSTの周少丹研究員が、中国地方政府の施策をもとにまとめたものだ。

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北京ではトップクラスの大学への集中投資、深圳ではスタートアップへの支援が目出つ(出典:同研究プロジェクト内部資料)

 北京では特許申請や海外から戻ってくる留学生支援(中国語で留学生というときの多くは、海外にいる中国人が戻ってくることを指す。日本語と同じく、中国に留学に来ている外国人を指すこともあるのでわかりづらいが...)など、トップクラスの人材に社会実装への目を向けようとするものが多い。中国全土からタレントが集まる北京には優秀な人材が多く、何か支援策をするにしても「さらなる選考や抽選」へ向かいやすい。また、北京は技術革新の中心地でもあり、海外からのキャッチアップを含めて、それを引き続き伸ばしていくことは中国全体の未来を左右する。

 それに対して深圳ではスタートアップ関係への支援が目立つ。改革開放の中心地である深圳では、規制緩和の部分で中央政府は多くの仕事をした。その中では補助金よりも外資を含めた民間投資が経済を引っ張ってきた。今では深圳も中国全土の注目を集める都市となったが、エリートが集まると言うよりも起業家がチャンスを求めて集まる場所といえる。冒頭の写真に挙げた名も知れぬ発明家による多様な山寨携帯電話のような、正解のないイノベーションが、深圳では連綿と行われてきた。そうした細かいトライアルアンドエラーを指して、微創新(マイクロイノベーション)という言葉も聞かれるようになってきた。

 そうした「手を動かしてトライしてみる」速度が、今の深圳を支えている力である。