中国の病原菌迅速鑑定診断試薬研究・開発分野における進展
2010年10月12日
王磊(Wang Lei):
中国南開大学泰達生物技術学院 院長、長江学者特別招請 教授
1962年9月生まれ。1992年オーストラリアシドニー大学微生物学科卒業、理学博士学位取得。中国国務院学位委員会第6次学科評議グループ生物学グループメンバー、国家自然科学基金委員会「生命科学部」第13次審査グループ専門家、分子微生物学・技術教育部重点実験室主任。研究分野は、分子微生物学、病原細菌の迅速診断技術、微生物ゲノム・機能ゲノム学等。これまでに主管したプロジェクトと現在主管中のプロジェクトは、「エイズ、ウィルス性肝炎等重大感染症の予防」科学技術重要専門テーマ、国家第10次五カ年計画「863」機能ゲノム学・バイオチップ専門テーマ、国家傑出青年基金、自然科学基金重点プロジェクト、天津市科学技術イノベーション特別資金等国、省・部(省庁)レベルのプロジェクト約20項目。
21世紀、微生物が引き起こす感染症は、世界的に人類の死亡の主な原因となっており、しかも世界は「古い感染症が引き続き存在し、かつて一度は抑制された感染症が再び勢力を盛り返し、新たな感染症が次々に現れ、既知の病原の薬剤耐性が急激に高まる」などの厳しい状況に直面している。突発性の感染症は、突発的であり、不確実であり、伝播が早く、危害が大きいといった特徴を持ち、社会の安定性、ひいては国家の安全を著しく脅かしている。このことは、中国そして世界全体で感染症を予防・抑制していくための難点であり、また公衆衛生の安全にとって重大な課題でもある。人類と感染症の戦いにおいては、診断、治療、予防の3つが重要なポイントとなる。このうち速やかに正確な診断をすることが最も重要で、それは有効治療の基礎であるとともに、予防戦略を策定し、有効な措置を適時にとるための根拠でもある。このため、先進技術に基づく新世代の微生物検査製品の開発と製造が切に待たれる。
中国衛生部の『中国衛生統計概要』と国家統計局の統計データによると、2008年中国の病原微生物検査の市場規模は約20億元で、市場潜在力は巨大である。内訳としては、病院と疾病予防機関で毎年約10億元分(年間のべ約3484万人が検査)、出入国検査検疫部門で毎年約4.6億元分(年間のべ1560万個のサンプル検査)、食品・化粧品等の品質安全検査部門、メーカー、大型スーパーで毎年約5.4億元分の検査製品・技術が必要とされる。中国の経済発展と大規模イベント(2008年北京オリンピック、2010年上海万博など)の相次ぐ開催にともなって、公衆衛生面での応急処置能力についても重大な課題が提示されることとなった。
本文では、微生物診断血清試薬の研究と開発、分子生物学検査技術の発展、サンプル前処理技術の発展と製品開発の3方面から、中国の病原菌迅速鑑定診断試薬の研究・開発分野における進展について紹介する。
1. 微生物診断血清試薬の研究と開発
血清学検査は長い間、重要病原微生物検査のために必要な方法の一つであり、特に末端検査、検査機関ではなお幅広く応用されている。これまでの抗血清製造技術は複雑、煩瑣で、時間と労力がかかり、製造効率が低い。また交叉反応を排除することが難しく、標準化された一定規模での製造を実現することができていない。さらに種類、数量が著しく不足しており、実際の検査での需要を満たすのが難しい。国際的には、細菌抗血清の主なメーカーであるデンマークのSSI社、アメリカのBD社、日本の生研社、タイのS&A社等により提供される血清の種類は少なく、実際のニーズの20%に達していない。アメリカ疾病予防管理センターとイギリス国立感染症実験室にはすべての血清があるものの、これまで外部に出されたことはなく、新たな血清も再生産されない。
かつて中国では細菌抗血清を製造する機関は少なく、かつその品質は安定せず、検査と予防の必要を満たすのは困難であった。そのため、既存の抗血清製造技術に対して早急に改善を進めるとともに、新たな技術体系の下で種類のそろった高品質の抗血清貯蔵庫を設立することが必要である。
現代の生物学技術、特にゲノミクス、バイオインフォマティクス、分子生物学の技術の発展によって、従来の抗体調製技術の革新が可能になっている。従来の方法を参考にした上で、各種技術を総合的に利用し、新たな抗体調製技術を開発し、抗血清交叉反応を効果的に排除し、標準化された製造工程を構築し、一定規模の生産を実現することで、抗血清製造技術の分野で高い地位を占めることができ、同時に各種免疫学技術を広範囲に応用するための基礎を築くことができる。
抗血清交叉反応の排除が難しいことと、種類の著しい不足が、抗血清製品の開発における二大問題になっている。
中国のこの分野でも際立った存在として、天津生物芯片技術有限責任公司は、長期間にわたり細菌表面の多糖抗原の多様性の遺伝基礎と分子進化の研究に携わってきたことから、診断血清間の交叉反応を排除するための主要な技術を把握している。細菌表面多糖抗原の合成メカニズムを理解したうえで、分子生物学技術によってカギとなる遺伝子をノックアウトし、同じ遺伝子背景をもちながら表面多糖抗原を発現しない実験用菌株を構築して、その実験用菌株を利用して抗血清を吸着し、交叉反応を効果的に排除する。それをもとにして、標準化された吸着技術と工程化された抗血清製造の一連の体系を構築する。そのほか、この会社では長期間の科学研究の蓄積を通じて、カバー範囲の広い標準菌株貯蔵庫を設立しており、そこには、大腸菌O抗原とH抗原の全標準菌株、赤痢菌O抗原の全標準菌株、サルモネラ菌O抗原の全標準菌、肺炎連鎖球菌カプセル多糖抗原の全標準菌株、レジオネラ・ニューモフィラO抗原の全標準菌株、プロテウスO抗原の全標準菌株等がある。このように、世界でも最も種類のそろった微生物抗血清製品体系を作り出すために、重要な基礎を打ち立てている。
この会社ではこれまで、重要病原菌の血清型455種に対する特異抗血清を製造しており、他社の製品種(デンマークSSI社の357種、日本デンカ生研社の293種、タイS&A公司の232種など)をはるかに上回っている。製品は中国疾病予防管理センター等の検査機関による使用を経て、反応速度が早く特異性が高いという特徴をもつことが実証されており、日本のデンカ生研社の同種の血清の品質に相当し、中国国内の同種の製品より優れている。
2. 分子生物学検査技術の発展
現在、PCR技術とバイオチップ技術を代表とする分子微生物技術は、国際的に認められている微生物検査の発展方向であり、その急速な発展によって、重要微生物に対する迅速、正確、高速スクリーニングによる検査が可能になっている。2000年にアメリカ疾病予防管理センターは世界各国の専門家と職員を招き、従来の血清学鑑定方法の改善方法について議論するための会議を開催したが、その主な結論は、「DNA分子に基づく信頼できる細菌鑑定方法をできるだけ早く研究する必要がある」というものであった。
現在、世界各国は分子診断技術の発展について非常に重視している。アメリカ、ヨーロッパ、カナダ、日本、シンガポール、韓国、キューバ、インド等の国ではそれぞれ生物技術発展戦略を策定しており、生物新薬の開発を自国の新たな経済成長ポイントと位置づけるだけでなく、分子診断技術の発展を国家医療レベルの向上に関する指標の一つとしている。中国政府は、第11次五カ年計画『国家中長期科学技術計画』の中で、各種分子診断技術・製品の発展を強力に支持していくことを明確に示している。2006年、中国発展開発委員会は、支援対象の生物技術産業化項目の中で、「中国の主要感染症と腫瘍等重大疾病の診断に必要な迅速診断試薬、免疫診断、分子診断等の新型検査試薬について、重点的な支援をしていく」ことを明確にしている。
種特異的分子マーカーのスクリーニングは、分子生物学病原菌検査の要点であるとともにボトルネックでもあり、また病原菌検査製品の開発のための基礎でもある。2004年から2009年の間には、種特異的分子マーカースクリーニングの分野で国際的に328編の論文が発表されている。しかし現在、大多数の機関では、そして市場で販売されている大部分の分子生物学検査製品は、すべてジェンバンク(Genbank)の順列を利用して種特異的分子マーカーをふるい分けており、系統性に欠け、種内の保守性と種間の特異性を保証することができず、また検査の正確性を保証することも難しい。
南開大学の王磊研究チームは、長期間の研究を通じて病原菌迅速鑑定の分野で多くの重要技術を構築しており、相応する検査製品の開発のためにふさわしい基礎を築いて、この分野で国際的にもリーダー的存在である。
1) 病原菌種・属レベルの種特異的分子マーカーのスクリーニング
16S rRNAは、細菌に対して種属レベルの鑑定を行う際のターゲット分子として現在よく用いられるが、16S rRNAに基づいてふるい分けられた分子マーカーは特異性に劣ることが多く、特に類縁関係の近い種や属の鑑定が非常に難しい。このため、病原菌を特異的かつ正確に種属レベルまで鑑定できる新たな分子マーカーを見つけ出す必要がある。
16S-23S rRNAの遺伝子間領域の変異速度は、16S rRNAの10倍に相当し、より高い識別率をそなえているため、細菌を種属レベルまで鑑定するためのより理想的なターゲットである。しかし16S rRNAとは異なり、現在までに知られている16S-23S rRNAの遺伝子間領域の配列は相対的に数量が少ない。王磊研究チームでは、異なる病原菌についてこの領域の大規模な解読と分析を行うことで、未発表の配列データと種特異的分子マーカーを大量に(8000本以上)有している。多くの実験により、これらの分子マーカーは高い特異性と感度を備えることが検証されている。
2) 病原菌血清学レベルの種特異的分子マーカーのスクリーニング
研究により、一部の病原菌では種(属)全体が病原性を持ち、また、一部の病原菌では種(属)内の一部に病原性を持つことが証明されている。たとえば一番よく見られる大腸菌には合計180あまりの血清型があるが、そのうち53のO血清型は病原性に関連すると報告されている。また肺炎連鎖球菌はカプセル多糖の特異性により90の血清型に分けられ、うち23の血清型の菌は侵襲性感染の85%以上を引き起こす。そして病原性のない、又は人体に有益な血清型の菌が環境中には大量に存在している。こうした原因から、実際の検査時にはこの種の病原菌に対して血清型レベルまで検査して、それが病原性の型かどうかを確認する必要があり、種(属)レベルの検査だけにとどまってはならない。分子生物学技術をいかに利用し、病原菌を血清型レベルまで鑑定するかという課題は、国際的な微生物検査分野で現在の最大の難題の一つだが、適合するDNAターゲットポイントを見つけ出すことがこの技術のカギとなる部分である。
前段階での研究で、王磊研究チームは病原体表面の進化メカニズムを確実に理解したうえで、表面抗原遺伝子群中の一部の特定遺伝子がきわめて高い特異性をもつという理論をはじめて提示、証明し、さらにこれを基礎として病原体表面抗原の遺伝子群から種特異的分子マーカーをふるい分ける技術を構築した。現在、これを基礎としてふるい分けられた分子マーカーは最も優れた特異性をもつことが国際的にも認められている。この理論と技術はすでに、アメリカ農務省、アメリカ疾病予防管理センター、フランス食品衛生安全局、オランダ食品・消費者製品安全庁などを含む国内外の数十の機関で幅広く応用されている。本研究チームは、表面多糖抗原遺伝子群の中の種特異的分子マーカーをターゲットとして、完全で、病原菌を血清型レベルまで鑑定できる検査技術体系を構築した。この技術ではさらに、豚肉と水のサンプル中から関連の菌株を特異的かつ高感度に検出することができるとともに、臨床、環境、食品等多方面で応用することができ、高い特異性と高感度を持つ。大量の実験により、この細菌分子分類と検査技術は従来の血清学検査の高い特異性という特徴を引き継ぎながら、さらに従来の方法の感度の低さ、持続時間の不足というデメリットを補うことが明らかにされおり、細菌検査の中でも現在最も先進的で有効な技術となっている。
本研究チームによる前段階研究の成果は、これまでにFEMS Microbiology Reviews、Journal of Bacteriology、Journal of Clinical Microbiology等の国際的に権威ある微生物関連の刊行物で、SCI論文87編を発表されており、本分野で国際発明特許4項目、国内発明特許90項目を取得している。このように、これら病原菌の高品質検査製品をさらに研究開発していくための基礎が打ち立てられている。
3. サンプル前処理技術の発展と製品開発
サンプル処理技術は、現代の分子生物学技術を病原体の実際の検査に応用するために解決しなければならない重要な問題である。病原微生物の細かな分離と富化はなお欠かすことのできないステップであり、また病原微生物検査技術の歩みを抑制するステップともなっている。病原微生物を複雑な環境からどのように効率よく分離し富化するか、また環境中の複雑な要素による病原微生物の培養と検査への影響をどのように減少するかは、病原微生物検査技術の実際の応用におけるキーポイントである。微生物免疫磁気ビーズ法は、磁性選別技術を利用して、環境、臨床、食品サンプルから病原体を富化するもので、高感度で迅速であるという特徴をもっており、幅広い承認を得ている。2008年に更新された中国の「大腸菌O157検査国家基準」では、免疫磁気ビーズによるサンプル富化方法が採用されている。
免疫磁気ビーズ法の基本原理は、以下のようなものである。免疫磁気ビーズは、活性タンパク質(抗体)と結合することができ、また磁気に引きつけられる。免疫磁気ビーズを特異な微生物抗血清とカップリングさせた後、磁気ビーズをサンプル処理液に入れると、磁気ビーズ上の抗体と特異抗原物質が結合し、抗原・抗体・磁気ビーズ免疫複合物が形成される。その後、複合物は磁場の作用の下で移動をはじめ、病原微生物が複雑な環境の中から効果的に分離される。一部の病原菌に対しては、各血清型の病原菌がすべて磁気ビーズに結合されるようにするため、また操作を簡便で取り扱いやすくするため、各血清型病原菌の抗血清を磁気ビーズとカップリングさせ、その後に抗体にカップリングした磁気ビーズに混合して、各病原菌種に対する免疫磁気ビーズを構成することもできる。
免疫磁気ビーズ法の研究開発においてカギとなる技術は、磁気ビーズと結合される特異抗体の獲得である。天津生物芯片技術有限責任公司は、病原菌特異抗血清の研究開発において独自の優位性をもち、自社の免疫磁気ビーズ法の研究開発のため確固とした基礎を築いている。
この会社ではこれまでに「大腸菌O157免疫磁気ビーズ法試薬キット」、「赤痢菌免疫磁気ビーズ法試薬キット」、「サルモネラ菌(A-Z、O51-O67)免疫磁気ビーズ法試薬キット」、「コレラ菌O1/O139免疫磁気ビーズ法試薬キット」等6種類の免疫磁気ビーズ製品を研究開発しており、大腸菌O157とサルモネラ菌(B-Z)の免疫磁気ビーズ法技術しかなかった国際的な市場の空白(Matrix社とDynal社のみがこの種の製品を製造)を埋めている。また6時間以内に増菌と吸着を完了し、9時間以内にPCRの結果を得、24時間以内に培養基鑑別結果を得ることを実現している。
「大腸菌O157免疫磁気ビーズ法試薬キット」を例にとると、純菌サンプルの吸着率について、この会社の製品では60-90%であり、海外の会社の同類製品では40%である。混合サンプルの吸着率では、この会社の製品は50%、海外の会社の同類製品では40%である。製品の主な技術性能指標は、すでに国際的にも最高の水準にある。
現在、中国では第10次五カ年計画、第11次五カ年計画の実施を通じ、「重点支援、統一計画、各方面への配慮」という戦略的指導の下、国内の多くの大学、研究所が国家重要科学技術特別プログラム、863計画、973計画、国家科学技術支援計画等のプロジェクト支援金を受けて、これまでに病原菌検査に関する研究とその関連製品の開発の分野で多くの成果を上げている。特に南開大学、天津生物芯片技術有限責任公司をはじめとする一部機関では、一通り整備された重要技術を構築しており、世界をリードする地位にある。近年の第二世代DNAシークエンシング技術の効率の大幅な向上とコストの大幅な低減など、生命科学技術の急速な発展に伴って、今後数年間にこのような全く新しい技術が病原菌迅速診断に用いられる可能性も排除できない。中国はゲノミクス分野ではスタートを切るのが遅かったとはいえ、ここ数年間の発展を通じて一連の躍進を得ており、世界の最前列に入ろうとする勢いを見せている。