第159号
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無錫「物」語(その1)

2019年12月13日 程昕明(『中国新聞週刊』記者)/江瑞(翻訳)

無錫市は国家センサネットワーク・イノベーションモデル区になってから10年、無錫市市長黄欽氏のいう始動期、試行錯誤期、発展加速期を経て発展を続けてきた。10年の節目を再スタートとして、IoT2.0へと引き上げていくことはできるのか。

「無人地帯」

 2009年8月、当時の温家宝国務院総理は無錫を視察に訪れた際、こう述べている。「国際競争が熾烈になるなか、直ちに中国のセンシングインフォメーション・センター、あるいは『感知中国』センターを完成させ、センサネットワークを発展させつつ、早急に未来を計画し、コア技術を攻略しなければならない。もし無錫に条件が揃っているなら、センターは無錫に建設するのがよいだろう」

 同年11月、国務院は正式に国家センサネットワーク・イノベーションモデル区の建設に同意し、無錫は中国IoT産業発展のモデル都市となった。

 これ以後、無錫はIoT「無人地帯」へと歩を進めることになる。

 過去10年間このプロジェクトに携わってきたある官僚は、当時について、モデル区に入居させる産業を探そうにも、どこから探してくればいいのか分からなかった、と振り返る。今思えば、「無人地帯」とは言葉のあやで、実はアメリカなどの先進国には、とっくに同じことを考える人間がいた。業界では一般的に、IoT(Internet of Things)という語は1999年、無線認識(RFID)に関する研究をおこなっていたマサチューセッツ工科大学のケビン・アシュトン(Kevin Ashton)教授が最初に提唱したとされている。

 業界の定義によると、IoTとは、情報センシングデバイスを通じ、プロトコルに従ってあらゆるモノをインターネットに接続し、情報のやり取りや通信をおこなうことにより、認識、位置情報サービス、追跡、監視や管理のスマート化を実現するネットワークの一種である。IoTはインターネットを基に発展・拡大したネットワークなのである。

「感知中国」の提唱に伴い、2009年は中国におけるIoT元年ともなった。2010年の国務院政府活動報告では、戦略性新興産業の育成に力を入れ、IoTの開発及び応用を加速させることが提示された。IoTという語にわざわざ注釈までつけられていたことから、新しい概念だったことが伺える。

 しかし、中国のインターネット勢力図において、無錫どころか江蘇省全体は、まったくもって要衝ではなかった。これについて、無錫IoT産業研究院院長の劉海濤氏は、インターネット分野での劣勢が逆にIoT発展の強みとなったと考えている。劉海濤氏の分析では、インターネット上のデータはほとんどが人為的に入力されたものだが、IoTはモノから情報が提供される客観的なシステムだ。したがって、両者は思考法もビジネスモデルも大きく異なる。世にはびこる「インターネット思考」はむしろIoTイノベーションの妨げになるとすら劉海濤氏は感じている。

 無錫市IoT発展弁公室副主任の左保春(ズオ・バオチュン)氏は、無錫が商工業・製造業で蓄積した財産、特に発達した集積回路産業がIoT産業の発展の基盤になったとみている。「集積回路はIoTのいしずえだが、IoTの発展により集積回路にも新たな成長の余地がもたらされた。両者は有機的に融合し、良い影響を与えあっている」

 そんな無錫だが、初期には遠回りしたり、失敗の代償を支払ったこともあると左保春氏は告白する。たとえば、最初の1~2年で19の高等教育機関が無錫にIoT関連の分校や研究機関を開設したが、政策の期限が過ぎたあと、その一部は撤退してしまった。「給料すら支払えないところもあったと聞く。『造血』能力がなかったのだろう」

 江蘇IoT研究発展センターは、最初期に無錫に拠点を構えた研究機関の1つだ。開設当初は予算も十分あり、最も多いときで1,000人以上の職員を抱えた。しかし、技術を有効に実用化できなかったことから、経営は瞬く間に困難に陥り、2013年ごろに一度は閉鎖の危機を迎えた。

 どんなものでもそうだが、何かが誕生したばかりのとき、流行に群がるだけの人間が多勢を占めることは多々ある。しかし、一度大波に襲われれば、何の準備もしていない者、実力のない者が真っ先に脱落していく。精選に精選を重ね、メカニズムの刷新と産官学連携を通じて、真に生き残った機関や企業は、力強い生命力を放つ。「さすが中国科学院は、単独で企業65社を誕生させた。これら企業の資産総額は60億に達し、うち上場企業は4社に上る」と左保春氏は解説する

 2019年8月7日、無錫国家センサネットワーク・イノベーションモデル区設立10周年イベントの席上、元工業・情報化部副部長の楊学山(ヤン・シュエシャン)氏は、この10年で、無錫は中国IoTの「無人地帯」から見事に歩み出したと述べた。

「当時は先行き不透明だった」と楊学山は振り返る。「誰も足を踏み入れたことのない場所でどうすればいいのか必死で考えた。行き先が見えないなか、アプリケーション市場の調査から始めて、経済・社会の発展や、スマートシティ管理の問題を解決していった」

「応用なくして、発展はあり得ない」。無錫市副市長の高亜光氏も、この10年、無錫は全力でIoTの普及に取り組んだ結果、いまでは市民の衣・食・住・交通から、政府の政策決定や都市ガバナンスに至るまで、IoT技術が結集した「都市の頭脳」が支えていると胸を張った。

 2018年末時点で、無錫IoT産業の営業収入は2638億7000万元に達し、産業規模は江蘇省全体の2分の1に迫った。集まったIoT関連企業は2000社を超え、チップ、センシングデバイス、ネットワーク通信など、産業チェーン全体をカバーする。「感知中国」の概念は無錫から全国に広がっていった。

 無錫市市長の黄欽(ホアンチン)氏は、無錫IoTモデル区の発展を、2009年8月~2010年末の始動期、2011年初~2014年末の試行錯誤期、そして2015年から現在に至る発展加速期の3つの段階に区分した。

 10年の歩みの中で、無錫のIoT産業は、無から有、小から大、大から強への「三段跳び」を実現したのである。

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スマートシティ

 スマートシティはIoTの核となる応用シーンの1つだ。

 2008年、IBMが「Smart Planet」というビジョンを提唱したことが、スマートシティのスタートとなった。2018年、グーグルがトロントで進めているスマートシティプロジェクト「Sidewalk Toronto〔サイドウォーク・トロント〕」は全世界の注目を集め、そのフロントエンドを牽引する高度交通システム、物流ロボット、モジュール化住宅などの「超ハイテク」は、「21世紀型のシティライフ」ともてはやされた。

 では、中国で初めてモバイルIoTの接続規模が1,000万を超えた地級市〔省と県の間に位置する規模の市〕である無錫は、どのあたりが「スマート」なのだろうか。

 無錫スマートシティ建設発展公司総裁の華賢平(ホワ・シエンビン)氏は、スマートシティに対する解釈は都市ごとに異なると指摘する。世界に目を向けると、ニューヨークは保安面の「初期対応」システムに、シンガポールは高度交通システムに、日本の都市の一部はエコなクリーンエネルギーにそれぞれ重点を置いている。

 華賢平氏の説明によれば、無錫のスマートシティは主に「優政、興業、恵民」の3つを主眼に進められている。「優政」は政府の公務の出発点、「興業」と「恵民」は最終目標であるという

 スマートシティにはまず、スマートな「都市の頭脳」が必要だ。

 2016年6月、「スマート無錫」事業の中核プロジェクトとして、無錫「スマートシティ・ビッグデータセンター」が竣工し、政府部門間の完全なデータ共有が初めて実現した。2019年1月には、組織改革の過程で新たにビッグデータ管理局を無錫市政府直属部門として発足させ、スマートシティ建設を牽引する部門と位置づけた。

 無錫のビッグデータは非常によく集積され、体制やメカニズムも整っており、普通の都市では短期間で追いつけないほどの優位性を有している、と華賢平氏は言う。

 基盤となる情報プラットフォームが整備されたことで、市民の満足感はどんどん高まるはずだ。例としては、住民健康情報管理システムがある。

 近年、無錫市は電子カルテの作成を進めており、市民には出生時に生涯を共にするカルテが作成される。現在は、全市民に対する電子カルテの作成が完了し、「分級診療」〔疾病の深刻度によって医療機関を分ける診療〕やホームドクターなどの制度の普及に大いに役立っている。

「どの病院にかかっても、個々人の病歴などの情報は一目瞭然。個人病院では治せない疾病でも、ワンクリックで大病院に転院でき、難病の場合でも遠隔診断が可能」とプロジェクト責任者の1人は言う。

 現在、「無錫スマートドクター」というアプリのベータテストがオンライン上でおこなわれている。他にも、無錫市では公共交通でも電子決済が可能になったり、スマート介護施設を約90カ所開設したり、4万世帯で水道や電気など種々のメーターが1つにまとめられたりといった変化が生じている。

 過去10年のうち、無錫市は何年も連続で中国スマートシティ建設のトップとして名を馳せていた。2018年には国際的な第三者機関が選出した「世界20大スマートシティ」で、中国のトップに輝いた。

 2018年8月、無錫市は「新型スマートシティ建設推進3年行動計画(2018-2020年)」を打ち出した。黄欽市長は、3年以内に全市民がスマート公共サービスを使えるようにし、輝かしい業績を真に市民に認められるサービスにしていくべく、市民の満足感をさらに高めていくことを誓った。

 コネクテッドカーはIoTの応用の中でも非常に重要な分野であり、無錫が全国トップの水準を誇る重点モデル応用プロジェクトでもある。

 2018年5月、都市レベルとしては世界初となるV2Xプラットフォーム――コネクテッドカー(LTE-V2X)都市級モデル応用プロジェクトが無錫で始動した。V2X、即ち自動車用無線通信とは、車車間・路車間通信とも呼ばれ、高速ネットワーク経由で車とあらゆるものをつなぐ仕組みである。

 華賢平氏の説明によれば、コネクテッドカーはその発展プロセスにおいて、いくつかの標準と方向性のせめぎあいがあった。欧米ではDSRC(専用狭域通信)技術が多く用いられ、「賢い車」を生み出すことに重点が置かれているのに対し、V2X技術は応用シーンがより幅広く、安定性も高い。「我々の目標は道路と車の両方とも賢くすること。賢い道路で賢い車をサポートすること」と華賢平氏は言う。この1年で、無錫はV2X運用インフラとスマート交通情報プラットフォームの改善・高度化に取り組み、170km2、即ち中心市街地の3分の1をカバーするV2X応用シーン30あまりを実現した。

 この重大プロジェクトに関わった公安部交通管理科学院研究所の関連責任者によると、無錫市は、国内最大規模の開放型都市級コネクテッドカーテスト・検証環境を完成させたという。コネクテッドカーにより、交通の便は大幅に向上し、市民は「スマート交通・無錫」というアプリを使えば、信号の状況や推奨スピードなどをリアルタイムで把握することができるようになった。だが、これはコネクテッドカーの無限の可能性のほんの一部に過ぎない。

 2019年5月、全国初の国家級コネクテッドカー先導区が無錫につくられることが決定した。計画では、2020年に無錫の主要地域をカバーするコネクテッドカーインフラが拡張工事を終え、ロードサイドインフラのアップグレードを完了し、可視化された維持管理システムを確立し、「ヒト‐クルマ‐インフラ‐クラウド」を基盤とするスマート交通システムを完成させることになっている。

「コネクテッドカーの本質は自動運転の一部。その最大の役割は未来のスマート交通に貢献すること」と華賢平氏は力説する。

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都市レベルとしては世界初となるV2Xプラットフォーム――コネクテッドカー都市級モデル応用プロジェクトが無錫で始動した。 撮影/朱吉鵬

その2へつづく)


※本稿は『月刊中国ニュース』2020年1月号(Vol.95)より転載したものである。