第161号
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利便性とプライバシーの狭間に立つ顔認証 手軽さの一方で膨らむ懸念(その2)

2020年2月3日 楊智傑(『中国新聞週刊』記者)/吉田祥子 翻訳

その1よりつづき)

生き馬の目を抜く業界

 中国薬科大学が物議を醸していたとき、顔認証技術スタートアップのメグビーもまた批判の矢面に立たされていた。

 9月初め、メグビーの「スマート授業ソリューション」の動画がネット上に流出した。動画では顔認証技術が駆使され、学生の顔が四角い枠で囲まれて、その横に「集中度33%」と「嫌悪」という文字が表情の分析結果として表示されている。さらには「机に突っ伏す」「スマホをいじる」「居眠りをする」「講義を聞く」「教科書を見る」「手を挙げる」などの回数も表示される。

 この先進的「科学技術」に多くの人が戦慄した。だが実際のところ、中国薬科大学で使われたのはメグビーの技術ではなかった。それでも、この動画は顔認証システムが学生を監視している様子を生々しく説明するものとなった。

 メグビー側はすぐに公式サイトにコメントを掲載し、ネット上に出ている授業中の行為分析画像は技術の使用イメージを紹介するデモ動画にすぎず、教育分野における同社の製品は専ら学校内での子どもの安全を守るためのもので、ソリューションの内容は主に校門出入りの際の身元識別だと苦しい釈明をした。

 こうした騒動に巻き込まれることは、IPO〔新規株式公開〕を申請したばかりのメグビーにとって先が思いやられる事態だった。8月25日にメグビーは香港証券取引所にIPOの登録届出書を提出しており、IPOが成功すれば中国初のAI系上場企業となる。

 新進気鋭のAIベンチャー企業であるメグビーは、中国の顔認証産業の目覚ましい発展を象徴する存在だ。いずれも顔認証技術スタートアップの商湯科技〔センスタイム〕・依図網路科技〔YITUテクノロジー〕・雲従信息科技〔クラウドウォーク〕と共にコンピュータビジョン〔以下、CV〕の「四小竜」と呼ばれている。IDC(インターネットデータセンター)の統計では、2017年に「四小竜」合計でCVアプリケーション市場の69.4%のシェアを占めている。

 顔認証を含むCV技術は、自動運転、VR〔仮想現実〕やAR〔拡張現実〕、医療診断などのアプリケーションの背後にある基礎技術の1つだ。ディープラーニング〔深層学習〕のアルゴリズムに牽引され、CV技術はここ数年で飛躍的な進展を遂げた。数多くの巨頭やベンチャー企業が続々と参入し、顔認証は最も人気の高いAIビジネス分野の1つとなっている。

 すべてのCVベンチャーのなかで、顔認証関連は企業数が最も多く、技術の成熟度もかなり高い。現在、中国の顔認証の精度はすでに人間の目を凌駕している。

 「四小竜」は基本的にどれも顔認証技術のスタートアップだが、このような単独技術で起業したCV企業がまさに「CV」という殻を脱ぎ捨て、スタート時のアルゴリズムサプライヤーからプラットフォーマーまたはサービスプロバイダーに転換しようと努力している。メグビーのブランドマーケットチーム副総裁・謝憶楠氏は「こぞって勢力圏を拡大する段階は終了し、アルゴリズムが世界で一番かどうかを証明することはもう重要ではなくなりました。いまは商業的価値を証明する段階に入っており、技術が業界にどんな変革をもたらすことができるのかを見るべきです」と語った。

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2018年1月10日、比亜迪(BYD)とファーウェイが共同発表した「雲軌」自動運転システム。「雲軌」は全自動無人運転を実現し、顔認証・停電時自動運転・自動診断など複数の機能を備えている。写真/新華社

 メグビーは設立当初、主に顔認証技術オープンプラットフォーム「Face++」を提供していたが、現在は自社の公式サイトで「スマートIoTソリューションを提供する専門企業」であることを強調し、業務範囲はセキュリティー・金融・小売などの分野に及ぶ。他の「四小竜」各社もこのほかに自動運転やモバイルネットワーク から医療・教育・交通までさまざまな分野で事業展開を試みている。

 しかし、トップ企業各社が模索するCVの用途からは、応用分野の重複や製品の同質化、熾烈な競争といったCV活用の課題が依然としてはっきりと見て取れる。

 多くの業界関係者が、顔認証技術の活用が「爆発的成長期」に入ると、「羊頭狗肉」的な製品も増え、大きな産業バブルも出現すると注意を促している。よく見かける「タイムレコーダー」を例に挙げると、価格は数百元から1万元までバラバラで、売れ行きの良い1000元程度の機械のなかには顔のデータが6割以上一致するだけで同一人物と認定してしまうものもある。市場は玉石混淆で、「AI」と銘打った顔認証技術の多くは真偽の見分けがつかない。

 国金証券股份有限公司〔シノリンク・セキュリティーズ〕のレポートは、CV技術は開発期間が長く、利益が出にくいという業界のもう1つのペインポイントを指摘している。セキュリティーや金融といった少数の場面を除き、ほとんどの分野でまだ明瞭なビジネスモデルが見つかっていない。

 メグビーはずっと赤字状態にあり、同社の目論見書によると、赤字額は2016年の3億4300万元〔約50億円〕から2019年1~6月期には52億元〔約800億円〕に膨れ上がっている。だがメグビーは、大幅な赤字の要因を上場に伴う優先株式の公正価値変動によるものと説明している。

 さらに目論見書には、メグビー設立以来8年間で合計13億5100万元〔約200億円〕の融資を受け、業界内でのメグビーの評価額は億ドル〔約4200億円〕前後になる見通しであると示されている。もう1つのユニコーン、センスタイムは「四小竜のトップ」であり、今年の企業評価額は75億ドル〔約8000億円〕を超えるという。投資ファンドの線性資本〔Linear Venture〕創業者の王淮(ワン・ホワイ)氏は「顔認証だけではこれほど高い企業評価を維持できない。こうした企業は、高い評価に見合うだけのさらなる業務の開拓が必須です」と説明する。

 顔認証企業は絶えずより多くの産業分野に進出する試みを続け、投資家に対し自社の企業価値を証明しようと焦っている。大学の教室への顔認証システム導入を巡る論争はまさにこうした大きな背景のもとに巻き起こったのである。ある業界関係者は「IPOを目前にしながら営業成績が芳しくないうえに赤字も抱えている顔認証企業としては、業績のプレッシャーもさまざまなルートを探し出して技術を切り売りしようとした要因であり、その結果、一部の製品設計のコンセプトが不適切なものになった可能性がある」と率直に指摘した。

顔認証は至るところに存在

 産業の将来性と資本の後押しにより、顔認証はとどまるところを知らない勢いとなりつつある。

 前膽産業研究院のレポートによると、国内のスマートシティーの発展段階が進むにつれて、都市の監視システムが高解像度化されて一段と普及し、カメラの設置台数が大幅に増加したことで、顔認証はデータ収集上の障害が著しく減少し、識別精度が向上するとともに応用範囲も広がった。今後5年間の顔認証の市場規模は年平均25%の成長率を維持し、2022年の市場規模は67億元〔約1000億円〕に達する見込みだ。

 大学・病院・地区コミュニティー・工業団地・観光地・空港・駅など至るところで「顔スキャン」による通行がますます広まっている。中国人は1日当たり平均500回を超える各種カメラの監視の目に晒されているという。

 2017年5月、上海で「電子警察」による信号無視の歩行者撮影装置の試験運用を開始した。赤信号を無視した歩行者を検知するとすぐに装置がその行為の一部始終を録画し、かつ当該歩行者を連続撮影して顔認証をおこない、直ちに周辺のバス停留所のディスプレイ上に公表する。現在この技術は深圳・天津・太原・済南など多くの都市ですでに広く運用されている。

 柔軟な発想による思いがけない応用場面も登場した。トイレットペーパーの持ち去り行為を根絶するために、公衆トイレに「顔認証トイレットペーパー配布装置」が設置された。オンライン配車サービス業界ではドライバーの身元確認に顔認証が用いられ、さらに、顔認証は逃亡中の犯罪者逮捕にもたびたび優れた功績を上げている。

 顔認証はSNSのなかにも入り込んでいる。AIフェイススワップ〔顔変換〕アプリ「ZAO」は、たった1枚の写真があれば、人気ドラマのなかの登場人物とユーザーの顔を差し替えることができる。他にも自撮り用美顔カメラアプリ、写真用の顔変換アプリなど、この手のSNS関連アプリはもはや至るところに存在し、いずれも顔認証技術に支えられている。

 だが、この技術に対する潜在的リスクの懸念は消えたことがない。顔とその他のバイオメトリック・データ(指紋など)との絶対的な違いは、顔は距離が離れていても認証可能という点だ。スマートデバイス〔ウェアラブル端末など〕やネットワークカメラはいつでもどこでも個人の映像資料を収集でき、長期にわたり大規模にユーザーのデータを蓄積しても本人に気づかれない。

 強制的に情報収集されるだけでなく、顔データの保管にも潜在的リスクが存在する。2019年2月、ネットセキュリティーを調査するオランダの非営利組織「GDI基金」は、深網視界科技有限公司(SenseNets)が大量のデータを漏洩させたことを明らかにした。250万人以上の身分証番号を始めとする詳細な個人情報が誰でも閲覧できる状態だったという。

 顔認証技術そのものにも多くのセキュリティーホールが存在する。ハッキングスキルの国際的競技会「eekPwn2017セキュリティ・ギーク大会」において、浙江大学でコンピューターを専攻した1990年代生まれの女子選手がわずか2分半で顔認証入退出管理システムに登録されていた審査委員の顔を自分の顔にすり替えてロックを解除した。これは顔認証システムを「騙す」ことができるということだ。

 「現在、虹彩や顔、指紋などバイオメトリクスの保護については現行の法律に記載がなく、情報保護の責任主体や責任範囲、情報の使用・処理・廃棄の方法について法律上の具体的規定がありません」。前出の中国政法大学伝播法研究センター・朱巍副主任はこのように述べ、法整備が追いついていない現状においては企業倫理が拘束力を持つべきであり、顔認証企業は技術の創出者および受益者として、ユーザーにリスク情報の把握という知る権利を与えるべきだという認識を示した。

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2019年5月7日、福建省福州市で開催された第2回デジタル中国建設成果展にて顔認証技術を体験する来場者。写真/視覚中国

技術の発展に対する倫理的・法的ガイドライン

 いまや中国だけでなく、世界中の多くの国で「顔認証による監視」への懸念が広がっている。

 最近の例では、米マイクロソフト社が同社最大の顔認証データセット「MSCeleb〔セレブ〕」を削除した。同データセットに収集されている画像は「クリエイティブ・コモンズ」のライセンスの条件下で使用可能とされていたが、そのうちの多くは本人の同意を得ていなかったことが問題視されたのである。

 アメリカでは2019年5月にサンフランシスコ市が全行政機関による顔認証技術の使用を条例で禁止したのを皮切りに、マサチューセッツ州サマービル、カリフォルニア州オークランドが相次いで同様の禁止条例を打ち出した。

 欧州ではさらに厳しく制限している。EUは2018年5月に「一般データ保護規則(略称:GDPR)」を施行した。同規定に違反した場合、最高で2000万ユーロ〔当時のレートで約26億円〕または企業の全世界売上高の4%の罰金を科し、史上最も厳格と言われる。

 アメリカ国立標準技術研究所(NIST)が実施した顔認証技術ベンチマークテスト「FRVT2018」の最新結果では、全世界から参加した合計39の企業と機関のなかで、顔認識アルゴリズムのトップ5を中国企業が席巻した。

 中国の顔認証の技術と産業の発展は、ネット上に公開されているネットユーザーの私的な画像や国内外の政治家・芸能人など公的人物の画像といった大量のデータを企業が顔認証システム開発に利用できるおかげだが、これも法的にはグレーゾーンだと山世光氏は考えている。

 「このようなデータを収集した後にどのように保存・伝送するのか、誰に転送し、どう使うのか、誰が閲覧でき、誰がデータを消去できるのか、ネットワーク上に置いてよいのかなど、いずれも純粋に法律の問題です」

 技術開発者として、山世光氏の内心は複雑だ。中国の顔認証技術とその応用はいずれも世界トップクラスだが、もしもデータとプライバシーに対する欧米並みの保護を完全に実施すれば、顔認証の発展に大きな障害となるだろう。

 しかし、顔認証技術がもたらすプライバシーとセキュリティーの問題はすでに直視すべき時期に来ていることは認めている。「プライバシー・セキュリティー・利便性の間の適正なバランスを見つけ出し、技術の適度な発展を許可するとともに公民のプライバシーを保護する必要があります」

(おわり)


※本稿は『月刊中国ニュース』2020年2月号(Vol.96)より転載したものである。