第161号
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利便性とプライバシーの狭間に立つ顔認証 手軽さの一方で膨らむ懸念(その1)

2020年2月3日 楊智傑(『中国新聞週刊』記者)/吉田祥子 翻訳

顔認証企業は絶えずより多くの産業分野に進出する試みを続け、投資家に対し自社の企業価値を証明しようと焦っている。大学の教室への顔認証システム導入を巡る論争はまさにこうした大きな背景のもとに巻き起こったのである。

 地味な学校だったのにネットで炎上するなんて最悪だわ―。中国薬科大学4年生の周琪(ジョウ・チー)さん(仮名)は大学に関する記事を見てそう思った。

 8月末、「薬学界の清華大学」と称される同大学は顔認証技術を全面的に導入した。入退出の管理だけでなく、試験的に一部の教室にもカメラを設置して顔をスキャンすることで出欠を確認し、学生の授業態度も逐一モニタリングするというものだ。ひょっとすると「サボり」や「代返」は遠い昔の話になるかもしれないと報道された。

 6月、周琪さんのもとに大学から通知が届き、顔認証システム用に顔画像の提出を求められた。その2カ月後には校門や図書館などが「顔パス」で出入り可能になり、わざわざ学生証を取り出す必要がなく、周さんはその便利さを実感した。まさか嵐がすぐそこまで迫ってきているとは思いもしなかった。

 当初は大学による先進的AI技術の活用という触れ込みだったが、あっという間に風向きが変わったのだ。教室で四六時中監視されることに多くの人が恐怖を感じ始めた。

 今回の論争は顔認証技術を踏み込んで活用する際に避けることができない通過点だと見る向きもある。業界内では、2019年は顔認証が市場で検証される節目の年になると考えられており、多くの企業が自社の市場価値を証明し、より多くのビジネスチャンスを獲得しようと焦っていた。だが、業界全体が突然、批判の嵐に巻き込まれたのである。顔認証技術の利用はどこまでなら許されるのだろうか。

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2019年9月1日、本科新入生3000名余りを迎えた復旦大学の入学手続き。学生たちは大学が導入した顔認証システムで「顔をスキャン」して入学手続きをおこない、クラウド知能駆動型AIロボットがその場でテキパキと質問に答える。写真/新華社

キャンパスの情報化の功罪

 山世光(シャン・シーグアン)氏は中国薬科大学のニュースに接してもそれほど意外に思わなかった。中国科学院計算技術研究所研究員で知能情報処理重点実験室常務副主任の同氏は、顔認証技術を研究してすでに20年余りになる。

 技術者にとって、キャンパスでの顔認証技術を利用した学生の監視は目新しいことではないという。「業界内では、一部のテック企業がとっくにこうした構想や成熟期に近い技術を持っていました」

 教室への顔認証システム導入の試みが最初に注目されたのは2018年だった。その年の第75回中国教育装備展示会で、AI企業の曠視科技〔メグビー・テクノロジー。以下、メグビー〕がスマート教育ソリューションを提示した。顔認証や表情認識などの技術を用いて、学生の行為・表情・集中度・前列着席率など授業中の多角的なデータを記録し、成績評価の補助とするものだ。メグビーの他に、百度〔バイドゥ〕や騰訊雲〔テンセントクラウド〕といったテック企業も「授業集中度」分析ソリューションを提供しているが、技術と応用シーンはどれもさほど違わない。

 このシステムの仕組み自体は一般的に広く用いられているもので、一定時間ごとにカメラで学生の顔をスキャンし、座っている姿勢や表情のデータを収集・分析して、学生が授業に集中しているかどうかを評価する。山世光氏は、顔認証システムが学生の状態を把握する能力を「人への深い理解」と呼ぶ。これは入退出管理に用いる一般的な「顔のスキャン」による身元識別能力よりもはるかに高い水準が要求される。

 人類を深く理解することは、もともと人々が人工知能に期待したすばらしい能力の1つだったが、教室という場面で用いることに対しては社会の強い反感を買った。

 業界内では、一部の学校と教師は確かにこの技術に対するニーズを持っていると考えられている。中国薬科大学図書情報センターの許建真(シュー・ジエンジェン)主任はメディアの取材に対し、顔認証システムの設置は大学教務部の要求によるもので、学生の「サボり」「早退」「代理出席」「不真面目な授業態度」などの行為を減少させて教室の規律を引き締め、同時に教師の授業の質も評価することが目的だと述べ、次のような認識を示した。

 「一部の教師は授業のなかで、クラスの1人ひとりに目を注ぐことができず、全員の学習状態を正確に把握できないという難問に直面しています。補助として使える顔認証技術があれば、教師はよりよく授業方法を改善できます」

 山世光氏は、これについては教員の職位によって反応が異なると指摘する。学校の管理職はこの技術が授業の質を向上させるのに役立つと考える傾向があるが、一部の教師からは自分も監視されているように感じるとして、反対の声が上がっている。

 中国薬科大学は、今回の顔認証技術を使用する前に現地の公安部門および法務部門に問い合わせをし、「教室は公共の場に属するのでプライバシー侵害の問題は存在しない」との回答を得ていた。

 しかし、中国政法大学伝播法研究センターの朱巍(ジュー・ウェイ)副主任は、顔認証が学生の肖像権を取得しようとすれば、必ず学生のプライバシー侵害に関わるという考えを示す。「多くの場合、肖像権を使用する際に学校が学生の合意を取りつけるものですが、学生は通常弱い立場にあるため、このような合意は無効です。それゆえ、顔認証による監視行為は検討する必要があるのです」

 教育学者が注目しているもう1つの問題は、仮にプライバシーを論じないとしても、顔認証を用いて学生を監視するという状態そのものが、教育の根本的な価値観に関わっているという点である。

 顔認証が導入される前から多くの教室で監視カメラがすでに設置されていた。中国教育科学研究院の儲朝暉(チュー・チャオフイ)研究員は、「教室に監視カメラを入れることの是非は、教育分野で数十年にわたり検討されてきた昔からの問題で、教育業界での結論は『ノー』でした」と話し、その理由として次の2点を挙げた。第1に、監視システムを設置すると教師と学生が授業中に「演技」をするようになり、人格を偽装する習慣が染み付いて、いずれ深刻な社会問題になりかねないという点。第2に、これは教師と学生の基本的権利の尊重に関わる問題である点だ。

「顔認証技術自体に良いも悪いもなく、重要なのは技術がどう使われるかです」と山世光氏は述べ、それはプライバシー・(公共の)セキュリティー・利便性の3つの選択肢からなる選択問題であり、最良の答えは3項目のバランスを取ることだと説明する。「中国薬科大学の顔認証技術導入自体はさほど珍しいことではなく、それが社会的に物議を醸したのはこの3つの面でバランスがうまく取れていなかったためです」

 ほうぼうから疑問の声が上がっているものの、「教育+AI」はこれからの教育のトレンドになりつつある。政府系シンクタンク・前瞻産業研究院のレポートによると、2023年にスマート教育の市場規模は1兆元を突破する見通しとなっている。現在のAI分野において最も成熟した技術として、顔認証は教育業界に浸透しつつあり、顔のスキャンによる出欠管理・身元確認・校内防犯・授業モニタリングなど多くの場面で活用されている。

 だが、キャンパスでの顔認証の使用はどこまでなら許されるのかという疑問は解けていない。

 儲朝暉氏は、キャンパスで唯一顔認証技術が適している場面は防犯であり、外部の人間を識別して学生の安全を守るという目的以外では使えないと考えている。

 教育部〔日本の文部科学省に相当〕は中国薬科大学の報道についてすでにコメントを発表した。教育部科学技術司の雷朝滋司長は「(顔認証技術の利用に対し)規制と管理を強化します。学校は極めて慎重にこうした技術のソフトウェアを使用するように」と述べ、顔認証のキャンパス内導入はデータのセキュリティー面だけでなく個人のプライバシーの面でも問題があるとの認識を示した。学生の個人情報に対しては十分慎重に取り扱い、必要最低限の情報のみを取得するようにしなければならない。顔のような個人の生体情報に関してはなおさらだ。教育部は顔認証技術に対する関連管理文書を策定中としている。

その2へつづく)