世界初の人型ロボットハーフマラソン大会が19日、中国北京市で開催された。ネット上では「中国のロボットはすごい」や「ロボットがよろめき、転倒し、バッテリー交換が必要だったりと、とてもハイテクには見えない」など、さまざまな声があふれた。今回のマラソン大会の開催に何を見出すべきなのだろうか。人民網が伝えた。
今回の大会においてロボット選手は、人間と同様に坂を登り、線路を渡り、カーブが14カ所ある21.0975キロのコースを完走しなければならなかった。人型ロボットがこうしたマラソンコースを走ったことで、その存在はもはや冷たい機械ではなくなり、観戦者から熱い視線を送られ、応援を受ける、期待が込められた存在になったと言える。
優勝したロボット「天工Ultra」のハーフマラソンの成績は2時間40分42秒だった。人間のトップレベルのマラソン選手であれば、42.195キロのフルマラソンを走りきるのにかかる時間はわずか2時間程だ。このように今回の人間とロボットの対決の勝敗は明らかなように見えるが、実はそこには生命の進化とテクノロジーの未来へのカギが隠されていると言ってもいいだろう。
ロボットがよろめきながら完走した映像には、実はそのタイム以上の価値がある。技術者たちが注目するのは、そのスピードではなく、ロボットの関節の協調性、センサーの感度、そしてエネルギー管理システムだからだ。これは歩き始めたばかりの幼児が転んでばかりいるのと同じで、今回のハーフマラソンがロボットにとって「機械的な運動」から「人類らしい生存」への重要な一歩となったのだ。
では、ロボットが走ることの意義はどこにあるのだろうか。それには次のようなシーンを想像してほしい。工場でロボットが24時間連続で疲れることなく、重い物品を運搬しているシーン。災害現場で瓦礫の中を進み、救助を行うシーン。そして家庭において、高齢者の散歩に付き添い、母親の育児を手助けするシーンなどだ。
今回の大会において、主な目的となったのは、ロボットアームに腕振りのリズムを学ばせ、アルゴリズムに地形の変化を理解させることだ。これらの技術のブレイクスルーは、やがてリアルな生産力に転化されることになる。
人類が百万年の進化によって手にした走る能力は現在、テクノロジーによって再構築されようとしている。ロボットが人間のような動きをマスターするのは、マラソンコースで人間を追い抜くためではなく、より人間に近いスタイルで、単調かつ危険で負荷の高い作業を担うためなのだ。
いつの日か、今回のやや稚拙さを感じさせた人間とロボットのレースに感謝する日が来るかもしれない。テクノロジーが人間に取って代わるのではなく、人間の能力のもう一つの延長であるということを我々に示してくれたからだ。
ロボットが人間の形態や歩き方を真似すること自体、すでに極めて困難なことだ。それが「走る」となると、ロボットの運動技術にさらに高い要求が求められることになる。マラソン大会はロボット選手にとっての試練だったが、結局のところ、それは人類の知恵に対する検証だったと言える。
つまり、21.0975キロのコースは「実戦試験場」だったと言え、企業が実験室の外に出て、複雑な道路状況下で技術の限界に挑戦したとも言える。人間がマラソンコースに足を踏み入れることは小さな一歩に過ぎないが、人型ロボットがコースを走りだすことは、テクノロジーと産業にとっての大きな一歩だ。
競技中、転倒しても再び立ち上がり、走り続けたロボットや、遅れをとってもゴールを目指し続けたロボットの姿が見られた。テクノロジーとスポーツの融合の道のりは遠くても、歩み続ければ必ずゴールに到達する。これこそが今回のマラソン大会の意義だったと言えるのではないか。
(画像提供:人民網)