ポスト五輪時代の中国スポーツ
ポスト五輪時代の中国スポーツ
(国家体育総局体育科学研究所スポーツ・システム・シミュレーション・ラボラトリー責任者)
鍾 明宝
(聊城大学教授、修士課程指導教官)
2008年のオリンピックは確かに中国人が永遠に深く心に刻みつけるだけの価値がある。というのも、オリンピックを開催することが中華民族にとっては1つのストーリーであり、中華民族が百年にわたり待望してきたものだからである。
1908年、中国の≪天津青年≫という雑誌は国民に向かって3つの問題を提起していた。すなわち、“中国はいつになったら1人の選手を派遣してオ リンピックに参加できるのか?中国はいつになったら選手団を派遣してオリンピックに参加できるのか?中国はいつになったらオリンピックを開催できるの か?”という問題である。現在、中国ではオリンピックの聖火は既に燃え上がっており、百年の夢は既に実現しているのである。オリンピックを成功させること が中国民族にとって大きな影響を与えることは疑う余地がなく、当然、中国におけるスポーツの発展にとっても大きな影響を与えるに違いない。2008年は中 国におけるスポーツ発展の1つの分水嶺となって中国のスポーツ発展史に記されるであろうし、中国のスポーツ事業の未来における発展に対しても長くて深い影 響を与えるであろう。
1. ポスト五輪時代に中国スポーツの“挙国体制”は大きな課題に直面する
中国の国を挙げてのスポーツ体制は既に中国人の心中に心理面・行動面で特定の状態を形成している。とりわけ2008年の第29回オリンピック大会を北京 で開催することは、挙国体制に対する依存を強めている。我々は既に挙国体制が社会主義市場経済という環境において体現している様々な弊害と不適応現象を目 にしているが、50年にわたるスポーツ事業における超国家的な経済的実力の発展と特定の社会環境において示される特定のスポーツの価値、とりわけ1990 年代に中国国家体育総局が制定・公布した“奥運争光計画(オリンピックメダル獲得計画)”では“中国のスポーツ、とりわけ競技スポーツの分野においてはオ リンピックを最高レベルの競技会と位置づける発展戦略路線を歩み、競技スポーツ事業の持続的で急速な発展を促進し、競技スポーツ強国という目標を基本的に 実現した”ことを示している。しかしながら、挙国体制は既に中国のスポーツの社会主義市場経済という環境における持続的・安定的で調和のとれた発展を制約 するものとなっており、ポスト五輪時代には必ずや明確な転換がもたらされるであろう。
“2008年の北京オリンピックの後、中国におけるスポーツ体制改革路線は発展観念の大転換に直面する。すなわち、オリンピックを中心としたスポーツ発展 観から人を基本としたスポーツ発展観への転換、競技スポーツ強国という目標指向からスポーツ大国という目標指向への転換、スポーツの利益(の受益者)を単 一主体から社会化・多元化することへ向けた発展観の転換、漸進的自然発展観から‘重点突破、全面推進’というシステマチックな発展観への転換である。” (高雪峰から引用)
この観念の転換という言葉に潜んでいる言外の意味は中国のポスト五輪時代における中国のスポーツ体制の転換である。というのも、この種の転換が必要なの は人々のスポーツ意識・スポーツ行動様式ひいてはスポーツ事業の発展と利益分配の面で既に非常に明晰なテリトリーが形成されているからである。この種の改 革断行の背後ではこのテリトリーの抵抗力が強化されているので、このテリトリーを打破しようとすれば、必ずさまざまな改革に対する抵抗を来たすのである。
50余年にわたり、政府は一貫して競技スポーツの当然にして最大の投資主体であり、中国が次々と多くの世界チャンピオンやスポーツ界のスターを生み出すの を支援してきた。しかし、(その実績を)巨大な経費・投入コストと比較すると、中国の競技スポーツにおける巨大な人的資源にかかったコスト・支払った代価 のほうがより一層多かったのである。同時に、利益の単一化をももたらし、中国の競技スポーツは国家的利益・政治的機能を中心とし、競技スポーツは国家的利 益を体現する重要方式として、スポーツ活動を評価する重要指標ともなったが、そのことによって中国における競技スポーツ・大衆スポーツ・学校体育という三 大主体活動のバランスも失われ、競技スポーツの優勢な地位とその他の二大主体活動との間に巨大なコントラストが形成されるに至ったのである。中国のスポー ツ界は既に競技スポーツ強国とスポーツ大国の区別を意識するようになり、同時に中国の競技スポーツの高投資低生産という粗放型管理効果に直面して、既に現 行のスポーツ体制を改革する必要性と必然性を認識しており、中国のスポーツ体制、特に競技スポーツの発展は必ず社会化の道をたどらなければならないという ことを明確にして、相応の改革を進めてきた。
国家体育総局が2002年11月19日に公布した≪2001−2010年奥運争光計画綱要(2001−2010年オリンピックメダル獲得計画綱要)≫で は、競技スポーツの効果的な投資体系を整備し、社会の各界の積極的な競技スポーツ事業への参加・競技スポーツ事業設立を奨励することを指摘している。その 中で特に“社会勢力(民間活力)が様々な形式の余暇トレーニング組織を創設することを積極的に促進・指導・奨励する”ことに言及している。そこには個人も しくは家庭におけるスポーツ選手養成を奨励することは明確に打ち出されていないが、少なくとも社会勢力が競技スポーツに参画することに対し支持する態度を 具体的に見て取ることができる。しかしながら、2008年の北京オリンピックという圧力のために、体制の改革など重要問題においては依然として非常に慎重 である。
中国はサッカーのプロ化からスポーツ産業の速やかな発展まで、出発点は低く、規模は小さく、行動に規範が欠けてはいたが、発展速 度は速かった。F1の国際レース、アメリカズカップのヨットレース場、中国国家馬術チームなどはいずれも既に民間資本の大々的な資金援助を得ており、丁俊 暉・潘暁○(女へんに亭) ・董荷斌・周勇・黄祖平など家庭の投資と民間資本によって養成されたスターも既に大勢現れて来た。“ビリヤードの神童” 丁俊暉がスヌーカーツアーの北京オープンでチャンピオンに輝いてからメディアや世論の注目の的になった。多くの新聞が紙幅を費やしてこの種の親が巨費を投 じての養成・海外での武者修行・自力更生によるチャンピオン獲得という“丁俊暉モデル”について報道をした。
周知の“挙国体制”と異なるのは、このモデルは中国の伝統的な“体育学校—省スポーツ活動チーム—ナショナルチーム”という養成モデル から完全に逸脱していることである。現在はこのモデルに対して国家は対応して解決する方法をまだ十分に準備できていないが、競技スポーツがますます娯楽 化・市場化している今日において、丁俊暉がチャンピオンになったことは“挙国体制”による発展プロセスにおける時代的意義を持つ重要事例である。中国にお けるスポーツ事業の発展は利益主体の単一化を次第に打破している局面にあり、社会主義市場経済と国際スポーツという大いなる環境において多元化の方向への 発展が既にポスト五輪時代の発展の主流となっている。
2.ポスト五輪時代における中国のスポーツ事業の重心は次第に大衆スポーツに移りつつある
古今を通じて、社会の調和を追求することが人類社会共通の理想である。現在“社会主義調和社会の構築”理念が提起されていることは、中国共産党が新たな歴 史時期に中国的な特色を備えた社会主義を構築することに対する新たな認識であり、中流社会を全面的に建設するための重要な内包および前提であり、金融経 済・政治・文化および社会を一つにまとめ上げるという発展目標の体系であるが、この歴史的観念の飛躍が、我が国における社会主義建設の新たな行動指針とな るであろう。一方、社会主義調和社会の構築は複雑なシステムプロジェクトであり、社会体系における各サブシステム及び諸要素の緊密な連携と相互調和が必要 であり、各種社会資源の効果的な整合が必要である。スポーツの価値と社会主義調和社会の構築理念というのは同じ流れを汲むものであり、スポーツの発展も必 ず社会主義調和社会構築のプロセスと同時に進められなければならない。社会主義調和社会の構築にはスポーツにおける調和のとれた発展が必要なのである。
第十期全国政治協商会議第三回会議では、初めて“調和のとれたスポーツ”の構築が提起され、“調和のとれた社会はスポーツ事業自身の調和のとれた発展と 切り離せない”ことについて全国的な研究討議ブームが巻き起こった。目下我が国の社会体育が置かれた不利な立場は、社会主義調和スポーツ構築プロセスにお ける最も不調和な要素である。コミュニティスポーツは目下我が国の社会体育活動の重点である。我が国の高度に集中したスポーツ管理体制、政府の競技におけ る金メダル効果重視とスポーツ社会における社会効果軽視、各スポーツ協会が大衆スポーツを顧みないこと、大衆スポーツ向け公共製品の供給制度の欠陥といっ たことのために、我が国の競技スポーツの力強い発展を社会スポーツの発展が追随するという関係が我が国のスポーツ発展における最も不調和な音符となった が、これはスポーツの調和のとれた発展の基礎をも根本から揺るがすであろう。それゆえに、長期的に有効なコミュニティスポーツサービスの供給メカニズムを 確立しなければならないということがコミュニティスポーツの現状を変える際の重要部分なのである。同時に認識を高め、指導強化を要求することで、大衆ス ポーツを真にスポーツ活動の重点とし、科学教育の進歩によって、大衆スポーツの科学的水準を高め、内部を改革しつつ外部と連携し、中国的な特色を備えた大 衆スポーツの組織体系を構築し、大衆のニーズに適応し、大衆スポーツの消費市場を大いに開発することで、大衆スポーツトレーニングの生活への浸透、スポー ツ年齢の均衡化、活動の多様化、管理の社会化、健康増進の科学化を促進する。これらもポスト五輪時代の中国におけるスポーツ事業発展の活動転換の重心であ る。
3.中国のスポーツ産業は発展の春を迎えるであろう
北京オリンピックは中国のスポーツ産業の発展を大々的に推進するであろう。ワシントンのシンクタンクであるカーター・センターの中国経済専門家・多恩は、 “中国経済の規模は比較的大きく、現在総生産額は2兆ドルを超え、毎年の成長率はいずれも10%を超えているが、その主な要因はオリンピック開催にあると いうわけではない”としている。北京オリンピック経済研究会の魏紀中会長は、中国のスポーツ産業が真に加速的に発展するのは2008年のオリンピック後で あると述べている。それによると、スポーツ産業の発展には相応する規模の消費集団がいなければならないが、北京オリンピックの前には、中国におけるスポー ツの消費需要と能力は依然として蓄積段階にあり、膨大な消費集団を迅速に形成する可能性は大きくない。しかし、期待できることはオリンピック後期の消費能 力の加速度的解放が実現されることである。“それゆえに私は中国のスポーツ産業の加速度的発展時期は2008年のオリンピック前ではなく、2008年のオ リンピック後であると予言する”と魏氏は述べている。
中国のスポーツ産業が2008年後に加速すれば、中国のスポーツ産業は発展の春を迎えるであろう。しかし、2008年のポスト五輪時代に、中国のスポー ツ産業化はまだ条件が整えば自然にうまくいくところまで成熟してはおらず、中国のスポーツ産業がポスト五輪時代に大発展を迎える見通しの明るさと同時に、 中国のスポーツ産業が大発展を実現しようとすれば、直面する困難もまた大きいのである。中国のスポーツ事業は最近20余年の発展において、“競技スポーツ を重視し、大衆スポーツを軽視する”という観念が主導的な地位を占めていたために、中国におけるスポーツ産業の発展を制限してきた。この観念を改めること ができなければ、中国のスポーツ産業はポスト五輪時代に根本的な発展を実現することは難しい。また、スポーツ産業関連の資源も十分に市場に向けられておら ず、スポーツの経済的機能・産業的機能が十分に開発されていないために、競技水準は低く、産業化の程度も比較的低いのである。さらには、体制の制約があ り、各レベル各種スポーツ団体は相応の法律上の地位と職能が不備なために、その機能を効果的に発揮できていないのである。これは、ポスト五輪時代に、中国 のスポーツ管理体制の改革に伴って、スポーツ産業が力強く発展する情勢にあるのみでなく、発展の潜在力が大いにあることを、側面から説明しているのであ る。
4.中国のスポーツプロジェクトが中国で勃興するであろう
スポーツの科学化が既にスポーツ発展の基本条件になっているが、中国の経済・社会の発展に伴って、スポーツの生活への浸透が次第に人々に受け入れ られている。これに伴ってスポーツの生産と消費に広大な発展空間ももたらされている。それはつまり、スポーツトレーニングから大規模なスポーツ競技活動の 管理まで、健康増進活動から身体運動プロセスのコントロール・健康管理まで、スポーツの基本活動の管理からスポーツ行政管理など各スポーツ活動分野まで、 すべてにシステマチックな科学技術の浸透が必要である、とりわけ中国のスポーツ産業のエンジンとしてスポーツプロジェクトの発展がいまだかつてない発展の 機会を得るであろうということでもある。
まず、オリンピックの実戦準備の需要が中国におけるスポーツプロジェクトの発展を促進した。科学技術オリンピックという理念が提起されたことで、国際社 会の各分野における科学技術の力が結集され、科学技術をオリンピックで提供するサービスとし、中国におけるオリンピック関連の科学技術プロジェクトの発展 も促進した。科学技術オリンピックの実施もスポーツプロジェクトの発展をさらに刺激し、広く重視されるようにもなった。例えば、ここ数年来国家はスポーツ 科学研究情報化の建設に対して大いに支援をしている。2005年、国家体育総局科学研究所副所長の馮連世博士が自ら主宰して我が国のスポーツ界始まって以 来最大規模のナショナルチームの情報化プラットフォーム建設活動を始動した。第1期プロジェクトでは、500万元を投入し合計17の我が国ナショナルチー ムについてプラットフォーム建設を始動し、それぞれにセンターを設立して主任が先頭に立ち、科学研究団体が協力し、ソフト企業が連携して、連続して2年近 い活動を行い、当初の目標に到達した。17ナショナルチームのトレーニングデータの監視測定・コントロールおよび整合という目的を本当に実現するために、 体教司と統一されたデータバンクのプラットフォーム建設を実現し、科学—トレーニング—医学の一体化を具体的に実施し、我が国の優秀なスポーツ選手のト レーニング監視・コントロール体系の持続可能な発展を保証した。国家体育総局科教司が組織的に管理し、スポーツ科学研究所スポーツ心理重点実験室が建設・ 運営する“オリンピック心理サービスネット”は、オリンピックまでのカウントダウン100日の時に正式に開通したが、その目的は我が国のオリンピックに備 える選手・コーチおよび関係者に必要な時に有効な心理的科学技術サービスと心理的なコンサルティング指導を提供することで、さらに一歩進んで選手が最良の “平常心”でオリンピックの競技の場に臨めるように支援することである。同時に、心理コンサルティングによる問題解決・選手に対するシステマチックな監視 コントロール指導の実施・大会心理の調節と選手のプレッシャー緩和およびリラクゼーション機能をオリンピック心理調節車へ集めて、いつでもどこでも選手に 随伴して流動的な監視測定トレーニングを行う。現在では中国のオリンピック代表団が全面的に応用するまでに普及し、現段階では主に北京オリンピックに備え る選手・コーチおよび関係者に対象を絞っているが、北京オリンピック後には、当該サイトは引き続きナショナルチームに心理的サービスを提供し、持続可能な 発展を実現するであろう。
2008年の北京オリンピック後には、これらのスポーツプロジェクトはオリンピックの検証を通して、絶えず改善され発展し、サービス分野を開拓し、ス ポーツの成績を高めるのと同時に、より多くの人々にサービスを提供するであろう。それのみならず、競技スポーツの高水準の成績に対するニーズに伴って、関 連スポーツプロジェクトの発展を促進してきた。例えば、今オリンピックの準備周期において、国家体育総局科研所スポーツシステムシミュレーションボラト リーはデジタル式テコンドー無線測定システム(図1参照)・飛び込みのシンクロ動作無線測定システム(図2参照)の研究開発に成功し、今オリンピックの準 備に一定の貢献をした。
この他にも、2008年のオリンピックのスポーツプロジェクトに対する影響はスポーツ健康プロジェクトの研究にも反映されている。例えば、オリンピック ブームが沸き上がるにつれて、人々の健康増進に関する科学技術についてのニーズも空前の高まりを見せた。人々の健康増進科学に対するニーズを満足させるた めに、国家体育科研所スポーツシステムシミュレーションラボラトリーのエンジニアが人体エネルギー消耗監視測定機器(図3参照)を研究開発した。こ れは3D加速度センサーを通じて人体の動作を捕捉、識別し、それによって使用者の毎日毎分の運動動作・運動強度および運動量を分析し、併せてデータ処理セ ンターを通じて個人別の運動処方箋を提供し、さらに個人が健康管理を行う際の個人別の運動アドバイスを提供するが、当該研究は既に各大企業で相次いで使用 され始め、良好な効果も挙げている。
スポーツプロジェクト実践の発展は学科の発展を促進してきた。関連資料が示すように、世界の60%のスポーツ用品が中国で生産されている。しか し、そのほとんどは中国製であっても、中国が創造開発したものは比較的少ない。中国による創造開発を実現し、スポーツ用品産業の付加価値を高めようとする ならば、科学技術のイノベーションが必要であり、中国自身の自主研究開発能力を高めなければいけない。目下、泰山グループ、好家庭、英派斯といった企業を 除いて、大多数のスポーツ企業の自主研究開発能力はやや劣り、相応の技術系人材が不足している。オリンピックの影響に伴って、人材育成分野でも、聊城大 学、瀋陽工業大学、武漢体育学院の3大学が既にスポーツ用品プロジェクトの専攻学科を開設している。これはスポーツプロジェクトの発展が既に軌道に乗った ことを告げている。
スポーツプロジェクトの発展について言えば、国際的な発展の中にあってはその着手が遅く、中国のスポーツプロジェクトの発展もこの十年ほどのことではある が、スポーツ市場の発展に伴って、スポーツプロジェクトの発展速度は速く、科学技術オリンピックの実現が、スポーツプロジェクトの発展を媒介、促進してい るので、ポスト五輪時代にスポーツプロジェクトは中国で勃興するであろう。