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【16-013】中国的権利論③

2016年 8月23日

略歴

御手洗 大輔

御手洗 大輔:早稲田大学比較法研究所 招聘研究員

2001年 早稲田大学法学部卒業
2003年 社団法人食品流通システム協会 調査員
2004年 早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了 修士(法学)
2009年 東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学
2009年 東京大学社会科学研究所 特任研究員
2009年 早稲田大学比較法研究所 助手(中国法)
2012年 千葉商科大学 非常勤講師(中国語)
2013年 早稲田大学エクステンションセンター 非常勤講師(中国論)
2015年 千葉大学 非常勤講師(中国語)
2015年 横浜市立大学 非常勤講師(現代中国論)
2016年 横浜国立大学 非常勤講師(法学、日本国憲法)
2013年より現職

中国的権利論の課題

 中国的権利論は主張型権利論の程度以上に立法権が優位に立ち、人々に対する求心力を発揮します。そのため、その副作用として主張型権利論よりも立法作用に固有の限界と向き合う確率を高めることになります。立法作用の限界とは、立法は本質的に社会の発展を追い抜けないということです。社会の発展を精確に予測して先回りするように立法できると信じる人は、まずいないでしょう。ちなみに、主張型権利論に基づく社会である日本では、立法作用の限界について司法による救済を充てています。裁判官(司法)が、条文の解釈や判例に照らしてこの限界に対応しているのです。

 権利の普遍性を前提としないので、中国的権利論は、立法作用の限界について裁判官による対応を求めることが原則できません。このために考えられたのが既存の法令の規定しない権利を不断に取り込む種々の仕組みです。信訪制度 はこの目的を反映した一例です。また、人民代表大会の代表へ請願したり、社会全体で考える問題として討論会を開催する等の行為も、場合によってはこの仕組みを反映するものと言えるかもしれません。マスメディアによる問題提起や事実の報道も大局的に見れば非法的権利の発見という意義があると言えるでしょう。

 ところで、裁判による法創造すなわち裁判官による立法をこれらの仕組みの一つにできないことは、とても重要なことです。主張型権利論の下では権利の普遍性を承認するので、その権利がどのような内容を有するのかについて、裁判官が解釈等を通じて明らかにすること、すなわち解釈裁量による文字化を認める必要が当然あります。しかしながら、中国的権利論の下では三分類の権利を立法が決定するわけですから、裁判官の解釈裁量の必要を論理的に導けないのです。そのため、既存の法令が規定しない権利を不断に取り込む仕組みの一つとして裁判による法創造を取り上げることも原理的にはできません。これが、中国的権利論の根本的課題です。

「司法解釈」の意義

 とはいえ、現実社会において裁判官の解釈裁量を認めない裁判において、お金を入れたら商品が出てくる自動販売機のように、問題を提起したら答えが出てくる自動販売機型の裁判を実現できるのかと問われれば、できません(個々の事件がすべて特殊だからです)。実現できるとしたら、生身の裁判官を用意する必要もなくなりますね。この実際の限界を解消するために、現代中国法は「司法解釈」という仕組みを取り入れています。司法解釈は(現行法においては)最高人民法院と最高人民検察院のみが制定できるとされます。この司法解釈制度をめぐっては、これを上意下達の法だと評価する言動が先行研究において一般的です。しかし、それはこのような中国的権利論の原理的な限界と実際とをふまえた、現実的な妥協だったのです。

 そして、現在の司法改革(第二次司法改革)では裁判官に解釈裁量を付与すべき(既に与えられている)という議論が一般になりつつあります。この議論自体も現代中国の進化による現実的な妥協でしょう。中国的権利論の根本的課題に再び取り組んでいると言ってもよいでしょう。鶏肋と感じた主張型権利論へと転換するのか、それとも中国的権利論の進化として裁判官の解釈裁量を拡大させてゆくのか。予測するにはまだまだ情報が足りませんけれども、このように出発点の違いをふまえておけば誤読は生じないでしょう。

中国的権利論の習癖

 さて、非法的権利を不断に発見する仕組みが出来上がったとしても、合法的権利として立法するまでの所要時間を考えれば、現実的でないことは明らかです。この状況は足元が照らされるまでは歩けない暗闇の中に立っているようなものです。それでも社会は動いていますし、発展してゆきます(誰も遅れたくはありませんよね)。そこで、より効率良く足元を照らすために誘導灯を設置したり、街灯を設置することが求められて当然です。このうち、誘導灯の設置に当たるのが違法的権利です。何が違法であるかを示すことによって、そのように行動しないように、あるいはそのように行動する場合にはそのリスクも負担するという覚悟の下で行動するようにという行動原理を与えることになるからです。

 違法的権利を法令が制定する主な目的は、前述したように人々の行動原理を明示するところにあります。しかし、この違法的権利は劇薬でもあります。違法的権利すなわち違法であると判断できることについては容赦しない習癖をもつからです。

 この思考過程では自己批判を伴う悩むという力を失いがちで、自己批判や自己吟味をする必要がないため非常に短絡的になります。例えば、孫志剛事件(2003年)や雷洋事件(2016年)について、逮捕拘留等の刑事事件における人権保障の問題としてクローズアップされることが多いですけれども、問題の根本は違法的権利という劇薬を抑制できていない点にあります。このため、違法的権利を抑えるために刑事手続きをいっそう具体化すべきと主張されることもありますが、上部だけの解決と言わざるを得ません。違法的権利について容赦しない論理・習癖の存在を無視するならば、人権問題であると百万遍批判したとしても現代中国の現実が変わるはずはないからです。

 さらに、現代中国と向き合う私たちがここで注意すべきは、中国的権利論の習癖を習癖異常であると判断してしまうことです。一般に、習癖異常の要因は、何らかのストレスによる情緒不安定が要因であると考えます。信訪制度を例に紹介したように、現代中国は双務的状況にあふれており、ストレスを与え続けています。このストレスを緩和するには行動を根拠づける法的事実という処方箋が必要でした。つまり、合法的権利という処方箋医薬品が習癖治療には有効なのです。

習癖治療のための合法的権利

 違法的権利に内在する劇薬とうまく付き合うためには合法的権利を拡充し、その攻撃性を抑制させればよいことになります。ここで問題となるのは合法的権利の正当性、言い換えればそれが多数の正義であるというお墨付きの有無です。この点について現代中国は、人民代表大会制度を採用しています。要するに、人民を代表する議会が立法作用を掌握し、多数の正義を反映させるという仕組みが構築されているのです。

 繰り返しとなって恐縮ですが、大事なことですので再度指摘しておきますと、立法という性質上、社会の発展よりも先回りして法令を制定することは必ずしもできません。そのため、合法的権利という概念を維持するためには不断の立法作業が不可欠です。私たちが住む日本社会は立法による救済の事後性という問題をクリアするために、司法による救済(具体的には裁判官が条文の解釈や判例に照らして立法作用の限界を補う仕組み)を用意しています。しかし、中国的権利論が合法的権利概念を維持する以上、司法による救済を前面に出すことはこの概念を否定することにつながるので、日本社会のような仕組みを完全に模倣することはできません。

 話を元に戻すと、習癖治療のための合法的権利の拡大として、孫志剛や雷洋のような悲劇を繰り返さないためにも、少しの違法行為を確認したとしても取り締まる側が自制できるように容疑者に対して合法的権利を付与する方向での助言を私たちは提案すべきではないでしょうか(問題だと指摘するよりは建設的な議論を期待できるでしょう)。

 しかしながら、中国的権利論は、意外なところで主張型権利論に対して優越性を誇示します。例えば、合法的権利概念の維持する理由を、現代中国の建国当初、それ以前に中華民国法の下で裁判を担当していた裁判官等を留用して失敗した歴史から、裁判官個人による解釈裁量を信用していなかったことが原因であると評価する見解がそれです。さらに、市場の暴走を調整し難くなっている今日の情勢の中でも中国的権利論はその優位性を誇示しているように思えます。合法的権利概念の維持が社会の変化に応じて合法的権利を拡大・縮小するための法的根拠について執政党が中心となって制定できることを保証しているからです。これが現代中国の政治経済を(私たちが想像する以上に)調整できるという彼らの自信につながっているのかもしれません。

まとめと補足

 さて、以上の内容をもつ中国的権利論について、まとめておくことにしましょう。私たちが根拠とする主張型権利論は個人が主張することを出発点に権利論を構築します。それに対して、中国的権利論は個人に主張させるというよりは、社会のあり方を予めさだめ、維持し続けることを出発点に権利論を構築するために、三分類の権利概念を組み込みました。中国的権利論はいわば維持型の権利論なのです。そして、現代中国における権利論の変質は、この半世紀以上をかけて、主張型権利論からの離脱と維持型権利論の確立という二つのアクセルペダルだけで進展してきたと言えます(自動車にアクセルペダルは一つしかないはずで、もう一つのペダルはブレーキペダルのはずなのですが)。

 最後に、中国的権利論について三点ほど補足しておきたいと思います。第一に、合理的個人という前提との決別が、権利主体を個別に規定してゆくという愚直な対応で良いと割り切れる維持型権利論の確立を促した点です。この点が、紛争の発生に対処する際に法的身分の検証を強く意識する現象を際立たせています。ちなみに、ポスト合理的個人という課題について、主張型権利論は「再帰的近代化」という難しい論争の最中にあります。

 第二に、非法的権利において、あえて「非法」という中国語原文をそのまま充てる点についてです。日本法の理論に照らすと最も近い概念が「不法」なのですが、不法と訳すと誤読されがちだからです。一つの例として権利侵害責任法(2009年制定)を挙げておきましょう。当時、同法を「不法行為法」と訳す例がありました。日本法における不法行為は民事・刑事を問わず幅広いものを取り込み、その権利侵害を救済する法的根拠として重要な役割を果たしますので、権利利益を侵害する場合の救済を規定する権利侵害責任法を「不法行為法」と訳したとしても誤訳ではありません。

 しかし、「非法」に関する認識の不一致によって誤解を生むことがあります。ある研究会で日本側の質問者(後から聞いた話ですが、中国法研究者だそうです)が、来日した中国人法学者に対して「不法行為法なのに個別具体的な規定ばかり置くのはおかしい。運用上支障が出るのではないか」と質問したことがあります。中国民法典の母になるという願望を語ったこともあるこの法学者は一言、「不法行為法と訳すのがおかしい」と回答しました。さて、どちらがおかしいのでしょうか。

 問題の根本は、この質問者が「非法」=不法という認識に疑いを抱いていなかった点にあります。今回のコラムの復習として確認しておきましょう。中国的権利論に照らせば、不法行為は違法行為と非法行為を含む包括的な概念として整理せざるを得ません。そして非法行為は(法令が規定する範囲外だから)法的救済を与えないと割り切ります。権利侵害責任法の制定にあたっては、当然に日本法の「不法行為」から非法行為に該当する行為は除外されることになります。したがって、個別具体的な規定ばかり置くことで運用上の支障が出ることはないので、おかしくないのです。

 第三に、これは私たちが前提とする主張型権利論の直面する課題でもあるという点です。現代社会は、合理的な個人という前提を離れて生身の個人すなわち様々な欲求を其々が抱く人間同士が共に生きるという共生社会を秩序づけてゆく課題に直面しています。自由と自由が衝突する場合をどのように調整するかが問題なのですが、この問題に対して主張型権利論は後れを取っているように思えることがあります。例えば、「○○は生来の詐欺師」だとか、生きるために手記を出版して生活の糧を得ることは当然だとか、さらにはデモ行進の許可を得ているのだからどんなデモ行進をしようが自分の勝手だという、他人を顧みない言動を表現の自由(の行使)であるとして黙認する、そんな法治社会は誰も望んではいないでしょう。

 私たちの社会の一面として切り取られるこれらの場面を集約すると、主張型権利論が直面する根本の課題が浮かび上がってきます。端的に言えば、「自分勝手な前提を持ち込むな!」という言動が、他人の自由(価値)を否定していることに気付かない、そんな歪んだ法の支配を生み出す危険があるという危機意識の欠如、そして自分は正しく相手が100%悪いと考え攻撃性を強めることに力を注ぐ傾向に対する自制の喪失をもたらしてはいないでしょうか(法の支配を全員のコンセンサスにしようとする場合においても同じことがあてはまります)。普遍主義と価値相対主義の対立だと理解されても結構です。

 これと同様、現代中国法(ないし現代中国論)を学ぶことは主張型権利論と維持型権利論の共生という課題に取り組むことを意味します。そして、これは誰かの責務なのではなく、私たち一人一人の責務です。私たちがすべきこと、それは現代中国と正面から向き合い、彼の国を知ることにほかなりません。

 さて、これで現代中国法を研究するための基礎の部分について、そのソフト面とハード面をようやく全てお話しできました。次回からは個別の事例に焦点を当てて、お話ししていきたいと思います。


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