【18-05】卓球の上達には中国語が欠かせない?
2018年12月28日
青樹 明子(あおき あきこ)氏: ノンフィクション作家、
中国ラジオ番組プロデューサー、日中友好会館理事
略歴
早稲田大学第一文学部卒業。同大学院アジア太平洋研究科修了。
大学卒業後、テレビ構成作家、舞台等の脚本家を経て、ノンフィクション・ライターとして世界数十カ国を取材。
1998年より中国国際放送局にて北京向け日本語放送パーソナリティを務める。2005年より広東ラジオ「東京流行音楽」・2006年より北京人民ラジオ・外 国語チャンネルにて<東京音楽広場><日本語・Go!Go!塾>の番組制作・アンカー・パーソナリティー。
日経新聞・中文サイト エッセイ連載中
サンケイ・ビジネスアイ エッセイ連載中
近著に『中国人の頭の中』(新潮新書)
主な著作
「<小皇帝>世代の中国」(新潮新書)、「北京で学生生活をもう一度」(新潮社)、「日本の名前をください 北京放送の1000日」(新潮社)、「日中ビジネス摩擦」(新潮新書)、「中国人の財布の中身」(詩想社新書)、「中国人の頭の中」(新潮新書)、翻訳「上海、か たつむりの家」
2016年のオリンピック、ブラジル・リオデジャネイロ大会は、日本人にとって忘れられないいくつかのシーンがある。体調不良のなか、個人総合と団体で金メダルを獲得した、体操の内村航平選手、金メダルを次々と獲得していったレスリング女子の"大和撫子"たち、史上最も美しいバトン渡し、と言われた陸上男子・400メートルリレーの銀メダル(金は、あのボルト擁するジャマイカだった!)、そして、銅メダルをゲットした卓球女子団体である。
日本の女子卓球界を率いて来たのは、あの福原愛選手だ。
3歳から卓球を始め、泣きながら練習する姿は、"本場"中国でも有名である。我々は"愛ちゃん"を3歳の頃からずっと見守り続け、とうとう勝ち取った銅メダルに、本人と一緒に喜び、涙したのである。
これは本コラム でもご紹介したことがあるが、私が今もって忘れられないのは、表彰式で国旗掲揚の後、選手全員が最も高いところで記念撮影した時のことである。金の中国、銀のドイツ、銅の日本、それぞれの選手たちが入り混じっての写真撮影で、愛ちゃんは中国の劉詩雯選手と、肩を寄せ合って何事かを耳元でささやいていた。二人は肘をつつきあい、やがて愛ちゃんが、笑いながらぷくっと頬をふくらませた。何を言っていたのかわからなかったが、後の中国メディアによると、この時二人のやり取りは、こんな感じだったようだ。
福原愛「うわぁ、狭いね」
劉詩雯「あなたが太っているからよ」
福原愛「もうっ...!」
福原選手は、笑いながら肩で劉選手の肩をこづいた。愛ちゃんが頬をふくらませる表情がとても可愛いと、中国人ファンの間で評判になった。
人民日報の報道によると、表彰台に上がった9人のうち7人は、中国語を流暢に話すのだそうだ。
中国は卓球大国である。卓球選手たちが、中国に卓球留学したい、中国で技を磨きたい、と考えるのは当然である。しかし、技術習得ばかりではない。卓球を極めるには、中国語学習が欠かせないようである。
福原愛選手によって、日本の卓球はようやく世界レベルに達したといっても過言ではない。では何故福原選手は、抜きんでることができたのか。著名スポーツジャーナリストによると、理由は二つあると言う。"早期教育"と"中国語の習得"なのだそうだ。
早期教育で言えば、福原選手は、3歳から卓球を始めている。
「夏休み、冬休みの時期は、昼食休憩を除けば1日10時間。1カ月で300時間。学校がある時期でも、1日に5時間は練習時間を確保し、そこに週末の土日20時間を加えてざっくり計算すると1週間で40時間になる。つまり、1カ月で160時間ほど。
足し上げると、1年間でおよそ2000時間を幼少期から練習にあててきたわけだ」(スポーツジャーナリスト・生島淳氏 Number Web 2018/11/01)
雑誌『ニューヨーカー』の作家、マルコム・グラッドウェル氏は「スポーツに限らず、他者に抜きんでるためには、1万時間の投下が必要になる」と指摘しているそうだが、福原選手は10歳になる前に1万時間の練習時間を突破していたようである。
そして、中国語である。
彼女の中国語レベルはすでに周知のことなので、敢えて繰り返さない。中国語習得は、卓球のレベルとどういう関係があるのだろう。
福原選手は、雑誌のインタビューに、こう答えている。
「中国語は、卓球についての言葉が豊富なんです。たとえば、スマッシュについていえば、日本では『強い』、『弱い』それに『普通』の3種類くらいしかないと思いますが、中国では私の感覚として、30から10段階刻みで、120くらいまで表現する言葉がある感じなんです」(Number795号2012年1月)
福原選手の解説によると、スマッシュを中国語で言うと「発死力」で、バックハンドのスマッシュは「抜刀」なのだそうだ。ちなみに、卓球用語で言うスマッシュは、日本語では「強打」である。たしかに、中国語のほうが、強さが数倍違う。
そもそも、日本語の"卓球"は、英語の"テーブルテニス"の翻訳である。中国語では、"乒乓球(ピンパンチウ)" で、ピンポンを中国語読みにしたものだというが、漢字から見ても、戦闘意識がかなり高い。
いずれにしても、卓球用語の細かいニュアンスは、中国語の方が分かりやすいのである。福原選手は、中国語をマスターすることによって、中国における卓球の極意をつかんだともいえよう。
ご存知のように、福原愛選手は、選手引退を発表した。
せっかくここまで来た日本の卓球は、どうなってしまうのか、少々心配になるが、福原選手の功績もあって、次世代の選手が育ってきている。
リオオリンピックで、団体銅のメンバーだった石川佳純選手は、中国メディアの取材に、中国語で答えるほど高い中国語能力の持ち主である。石川選手も、やはり"中国卓球"の極意を学んでいると言っていい。
そして日本卓球界のホープと言えば、リオの団体銅の伊藤美誠選手である。
2018年10月に行われた卓球のワールドツアー、スウェーデン・オープン女子シングルスで、伊藤美誠選手の活躍はすさまじかった。
準々決勝で世界6位の劉詩雯選手に打ち勝ち、準決勝で丁寧選手、そして決勝で世界1位の朱雨玲選手を破って、優勝した。まさに世界中が驚いた、信じられない結果である。
この快挙を受けて、驚くようなエピソードが、日本のテレビで紹介された。伊藤選手の"早期教育"である。
福原選手は3歳から卓球を始めたが、伊藤選手はお母さんの胎教から始まっている。
それはこんな感じだった。
「トイレットペーパーの芯をつなげた自作のメガホンや、中が空洞になった長いゴムチューブをお腹に当てて口とつなぎ、『カットマンはとにかく拾ってくるから我慢して粘って攻めるのよ』など、卓球用語をおなかの中の美誠さんに語りかける」
「世界の名選手の映像を見ながら、プレーの実況中継をする」
などである。
生まれてからもすごい。
「寝ている美誠の耳元で毎日、『中国に勝てるのは美誠だけ』とささやき続け、潜在意識を変える訓練もしていた」
中国に勝つには、胎教から始めるものなのか。
もちろんこれらのエピソードは、中国のネットであっという間に広まった。
中国選手に打ち勝った伊藤選手、そして日本語の"鬼母"を訳した中国語"魔鬼妈妈"は、中国でも有名になった。ではその"魔鬼妈妈"は、中国でどのように受けとめられたのだろうか。
- 偉大な母親がいて、中国卓球を超えた。
- 彼女の精神面の強さは中国選手の上を行っているが、裏には母親のこんな支えがあったのか。中国が参考にする価値がある。
- 日本人は恐ろしいな。
- 強敵を倒そうと思えば、常人を超える努力が必要だ。彼女と母親は、それをやり遂げた。
- スウェーデンでの結果は、伊藤の母親を狂喜させたな。中国チームは、いち早く彼女の戦術を研究して、打ち負かして欲しいものだ。
- 賢い母親だ。この方法だと、中国チームに対する恐怖感はなくなる。しかし、もっと重要なのは、彼女自身に実力があったからだよ。
- この結果は良いことだ。ライバルがいてこそ、初めて進歩する。
- ライバル出現歓迎。これまでは中国が強すぎてつまらなかったからね。
まだまだ余裕か。
最後に、スウェーデン・オープンでの表彰台での出来事に触れたい。
伊藤選手は小柄なので、表彰台があまりに高く、上るのが苦労だった。すると、隣の朱雨玲選手が、さっと手を差し伸べて、伊藤選手をサポートしてくれたという。これに関して、伊藤選手は自身のツイッターで、こう記している。
「(敗戦した)試合終了直後なのに、優しく手助けしてくれる。こういう選手に私もなりたい」
伊藤選手のコメントは日本と中国のネットで転送されていき、二人のスポーツマンシップがおおいに称賛されている。
いずれにしても、卓球に言及する際、中国を避けては通れない。
東京オリンピックを控え、この風潮はますます高まっていくことだろう。
そんななか、かつて卓球愛好家の中国の友人から、日本で卓球のボールを買ってきて欲しいと頼まれたことを思い出す。
私が「本場中国のほうが、質の良いものが多いんじゃないの?」
と疑問を呈すると、彼女はううん、と首を振る。
「日本の卓球ボールのほうが、各段に優れている」
卓球に必要なのは、中国語と日本の技術なのかもしれない。