【06-01】中国の成長を促進する科学技術(上)~イノベーション政策とその背景~
2006年11月20日
岡山純子(中国総合研究センター アソシエイト・フェロー)
日本では2006年に入り、科学技術の成果を経済・社会の発展へとつなぐべく「イノベーション政策」が広く注目されるようになり、10月に発足した安倍内閣は2025年に向けた「イノベーション25」戦略を掲げた。一方、中国では長年「科教興国(科学技術と教育で国を興すの意)」のスローガンのもと、科学技術を重視した政策を展開、2001年の第10次五ヵ年計画では既に「創新(イノベーションの中国語訳)能力の増強」がうたわれていた。
そこで、中国におけるイノベーション政策とその背景について11月号及び12月号の2回にわたって報告する。
改革解放後の中国の発展と科学技術政策
急速な経済発展
中国の急速な発展は、1978年12月に鄧小平の「改革開放路線」が開始し(中国共産党第11期中央委員会第3回全体会議)、その後経済特区制を導入したことにより始まったといえる。この方針は江沢民、朱鎔基、更には胡錦濤といった強力なリーダーへと継承され、1992年に鄧小平が武漢、深セン、広州、上海など、南方の開放都市を訪問し各地の発展ぶりを目の当たりにした際、「改革開放を加速せよ」とした演説「南巡講和」で更に加速した(図1)。
2001年末のWTO加盟、2005年の人民元切り上げや、再来年に迫った北京オリンピック開催等の大イベントもあり、中国経済の急発展は今や世界中の注目をあびている。
科学技術で国を興す
鄧小平は1978年3月の全国科学大会で「4つの近代化(20世紀末までに工業、農業、科学技術、国防の4分野を近代化させる)」の鍵は科学技術の現代化であるとし、中国の科学技術教育事業の重要性について述べた。その後さらに「科学技術は第1の生産力である」とのスローガンを打ち出し、科学技術の世界レベルへのキャッチアップを目指して
- 1982年には経済・社会の発展に欠かせない重大な科学技術分野を対象にした「国家科学技術攻関計画」
- 1986年には科学技術を通じた農村の発展を目指した「星火(スパーク)計画」
- 同じく、1986年に4人の科学者が「中国国内のハイテク研究を振興すべき」と提唱したことを受けて、「863計画(ハイテク研究発展計画)」
- 1988年には、863計画を更に発展させ、ハイテク産業を振興させることを目的とした「タイマツ計画」
- 1997年には基礎研究の振興を目的とした「973計画(国家重点基礎研究発展計画)」
等の科学技術振興プロジェクトが次々と創設された。これらのプロジェクトは現在も継続的に実施されている。特に1988年より開始した「タイマツ計画」は「科教興国(科学技術と教育で国を興すの意)」のスローガンの柱となっており、同計画に基づき現在全国53ヶ所にハイテクパークが建設されている。
科学技術は経済成長の原動力として位置づけられている。
研究開発の伸び
中国の科学技術投資は近年急速に伸びている(図2)。R&D支出の対GDP比率は2005年には1.34%に達し、研究開発投資総額は2450億元(約3.7兆円)に達した。第11次五ヵ年計画では2010年までにR&D支出の対GDP比率を2.0%以上にすることを目標としている。もちろん、中国のR&D支出の対GDP比率は日本(3.41%)、韓国(2.63%)、米国(2.61%)などと比較すると低いが、今後の更なる伸びが大いに期待される。
また、中国最大の研究資金配分機関である国家自然科学基金委員会(NSFC)が提供している研究資金も1986年の設立以降、一貫して増加している。
このような背景もあり、宇宙、ゲノム研究、スパコン、ハイブリッド米、ナノテク等、一部の分野で世界の中でも注目すべき成果が出てきており、例えばナノテク分野では総論文数が世界1位となった(オープニング記念シンポジウム/中国科学院潘局長講演より)。
中国ではエリート人材育成や海外人材呼び戻し政策を政府が継続的に奨励していることもあり、研究開発を担う人材の数も増加傾向にある。特に、最近の傾向としては特に企業における研究開発人材数が伸びている(図3)。
ハイテク企業数も増加傾向にあり(図4)、ハイテク産業の付加価値や輸出総額も年々増加している。
中国はこのように急速な発展を遂げる中、様々な課題も抱えている。次号ではこれら課題への解決策を模索しながら持続可能な発展を目指す取組みについて紹介する。
注:本文中の人民元の日本円への換算は、全て1元=15円で換算。