林幸秀の中国科学技術群像
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【22-02】【現代編12】陳化蘭~感染症の最前線で活躍する女性科学者

2022年01月26日

林 幸秀

林 幸秀(はやし ゆきひで)
国際科学技術アナリスト ライフサイエンス振興財団理事長

<学歴>

昭和48年3月 東京大学大学院工学系研究科原子力工学専攻修士課程卒業
昭和52年12月 米国イリノイ大学大学院工業工学専攻修士課程卒業

<略歴>

平成15年1月 文部科学省 科学技術・学術政策局長
平成18年1月 文部科学省 文部科学審議官
平成22年9月 独立行政法人科学技術振興機構 研究開発戦略センター 上席フェロー(海外ユニット担当)
平成29年6月 公益財団法人ライフサイエンス振興財団 理事長(現職)

はじめに

 現在世界中で新型コロナによるパンデミックの状況にあるが、今回取り上げるのは、その最前線にあって日本の研究者とも協力している女性研究者の陳化蘭(ちんからん)である。

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陳化蘭

生い立ちと教育

 陳化蘭は、1969年に中国大陸北西部にある甘粛省白銀市に生まれた。中国の科学者を見る場合、文化大革命の時代に何歳であったかが重要となる。文革の時代に高校生や大学生であり、紅衛兵運動や下放などの影響により、ほとんど勉学や研究が出来なかった世代が存在するからである。陳化蘭が生まれたのは、紅衛兵の暴虐が革命派主流から忌避され、下放が始まった時期である。その後、2歳となった1971年には林彪事件が発生し、小学生低学年の時代であった1976年にいわゆる四人組が逮捕され、文革が終了している。従って、ほとんどその影響を受けなくなった時期に基礎教育を開始することが出来た世代である。

 1987年に陳化蘭は、蘭州にある甘粛農業大学の獣医学部に入学した。同大学は1946年創立の国立獣医学院が前身であり、1958年に甘粛農学院を編入して設立された。同大学で1991年に学士号を取得の後、獣医病理学を専攻して1994年に同大学から修士号を取得している。

中国農業科学院へ

 修士号を取得した後、陳化蘭は博士号取得を目指して中国農業科学院研究院に入る。中国農業科学院は、国務院の農業農村部が所管する農業科学全般を研究する機関である。中国の大きな国立研究機関は、大学でなくても大学院生を受け入れ研究を続けさせる制度を有しており、所属する研究者が博士課程および修士課程の大学院生を指導している。中国科学院が代表的な例であり、100以上ある傘下の研究所に多くの大学院生を受け入れている。中国農業科学院もそのような大学院生を受け入れる機関の一つである。

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現在の中国農業科学院

 陳化蘭は1997年に無事博士号を取得し、中国農業科学院の傘下の研究所で黒竜江省ハルビン市にあるハルビン獣医研究所に配属され、鳥インフルエンザの研究を開始した。1999年には渡米し、ポスドク研究生として米国疾病対策予防センター(CDC)で研究を行い、2001年に帰国している。専門は、鳥インフルエンザウイルスの異種間感染とその病原性の分子遺伝学的及び分子病原性メカニズムである。

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長期間継代培養した鳥インフルエンザウイルスの透過電子顕微鏡像

東京大学医科学研究所との共同プロジェクトに参加

 東京大学医科学研究所は2005年から、中国の研究機関と協力してアジア感染症研究拠点プロジェクトを実施している。東大の協力研究拠点は北京とハルビンの2か所にあり、ハルビンでは中国農業科学院ハルビン獣医研究所に設置され、その中国側の責任者として陳化蘭が当たっている。日本側の責任者は、東京大学医科学研究所の河岡義裕教授である。ちなみに河岡教授は、武田医学賞やロベルト・コッホ賞など内外の賞を受賞している日本が誇る感染症研究の権威であり、現在の新型コロナに係わる研究も積極的に行っている。

世界の科学者「今年の10人」に選出

 陳化蘭は、2005年に中国青年女性科学者賞を受賞したのを手始めに、国際的にも名声を高めていく。2013年には英国の科学誌であるネイチャーが、陳化蘭を世界科学界の「今年の10人」の一人に選出した。選出理由は、「中国のH7N9型鳥インフルエンザの感染を収束に向かわせた」ことであり、ネイチャーは陳氏を「最前線で戦うインフルエンザの探偵」と称した。

ロレアル・ユネスコ女性科学賞受賞

 さらに陳化蘭は、2016年にロレアル・ユネスコ女性科学賞を受賞している。ロレアル・ユネスコ女性科学賞は、フランスの化粧品会社ロレアルとユネスコが科学の進歩に貢献した優れた女性科学者を表彰する賞で、アジア太平洋地区を含めた5つの地域から生命科学と物質科学の分野から交互に毎年5名ずつを選出しており、受賞者には10万ドルの研究助成金が授与される。陳化蘭の受賞理由は、「鳥インフルエンザウイルスの優れた生物学的研究と有効なワクチンの開発」であった。

 なお陳化蘭は、香港出身者を含めた中国人のロレアル・ユネスコ女性科学賞受賞者として、李方華、葉玉如、任咏華、謝毅に続く5人目の受賞であり、その後2018年に張弥曼が受賞している。また日本からは、現在までに岡崎恒子博士、米沢富美子博士、川合真紀博士ら7名が受賞しており、直近では2021年に野崎京子東大教授が受賞している。

中国女性研究者の希望の星

 中国では新中国建国後の労働力不足もあり、日本などよりも遥かに女性の職場進出は進んでいる。とりわけ科学技術の面ではその傾向が強く、例えば中国各地の研究所を視察して研究者と懇談する機会があると、女性研究者が男性より多く在席している場合が多い。しかし、女性の幹部研究者となると非常に少なく、ほとんどがお手伝い的な立場にあるように見える。数が多いにもかかわらず指導者が圧倒的に少ないのである。

 そのような状況の中で、陳化蘭は中国女性研究者の希望の星の一人である。彼女は、すでに2017年に中国科学者の最高栄誉である中国科学院の院士に選出されており、また、今回のコロナのパンデミックでも活躍している。今後の益々の活躍を期待したい。