第29号:日中のインフルエンザ研究・治療
トップ  > 科学技術トピック>  第29号:日中のインフルエンザ研究・治療 >  日中におけるインフルエンザの共同研究

日中におけるインフルエンザの共同研究

2009年2月9日

河岡 義裕

河岡 義裕(かわおか よしひろ):
東京大学医科学研究所ウイルス感染分野 教授

北海道大学獣医学部卒業  獣医学博士

岩附 研子(いわつき きよこ)(堀本):

1968年生まれ。 平成10(1998)年3月 獣医学博士(東京大学)
職歴 :平成 9(1997)年4月 日本学術振興会特別研究員(東京大学農学部獣医微生物学教室)
平成10(1998)年4月 同上(大阪府立大学農学部獣医微生物学講座)
平成11(1999)年4月 大阪府立大学共同研究員(同上)
平成12(2000)年4月 日本学術振興会特別研究員(同上)
平成13(2001)年4月 同上(東京大学医科学研究所 感染・免疫部門ウイルス感染分野)
平成15(2003)年4月 科学技術振興機構(旧:科学技術振興事業団)CREST研究員(同上)
平成16(2004)年9月 東京大学医科学研究所 感染・免疫部門ウイルス感染分野特任助教
現在に至る

1.背景

 最近、新型インフルエンザの大流行(パンデミック)発生に対する危険性が日本のマスコミでも多く取り上げられるようになってきた。しかし、私 たちインフルエンザ研究者は10年以上前からパンデミックを危惧し、被害を最小限に抑えるために研究を続けている。
1997年、香港で18名が高病原性H5N1インフルエンザウイルスに感染し、そのうち6名が死亡した。この時は、香港中のニワトリ140万羽を殺処分することで感染の拡大は免れた。そ の後しばらくの間、H5N1ウイルスのヒトでの感染は見られなかったが、2003年2月に、中国本土の福建省に里帰りしていた香港在住の家族のうち2名がH5N1ウイルスに感染し、1名が死亡した。その後、ベ トナムやタイからも、相次いでヒトでの感染・死亡例が報告され、アジア各地で再び流行を始めたH5N1ウイルスは、急速に世界各地へと拡大していった。日本でも2004年以降、養 鶏場におけるH5N1ウイルスのニワトリへの集団感染が、繰り返し確認されている。日本ではこれまでのところH5N1ウイルスが発生する度に初期段階で封じ込めを行い制圧に成功しているが、今 や世界各地でH5N1ウイルスの感染は拡大の一途を辿っている。この様な状況下、鳥インフルエンザの流行状況の把握や、流行拡大の阻止、さらなる流行が起こったときに迅速に対応するために、国 際研究ネットワークを構築することが火急の課題であり、中でも日本と中国の共同研究の重要性が提唱される様になった。

2.中国との連携を基軸とした新興・再興感染症の研究

 2005年より文部科学省科学技術振興費の委託事業「新興・再興感染症研究拠点形成プログラム」の一課題として、東京大学医科学研究所アジア感染症研究拠点「中国との連携を基軸とした新興・再 興感染症の研究(拠点代表者:東京大学医科学研究所教授・岩本愛吉)」がスタートし、北京の中国科学院・微生物研究所、中国科学院・生物物理研究所、ハルビンの中国農業科学院・ハ ルビン獣医研究所に3拠点が設置された。この3拠点のうち、我々はハルビン拠点において、鳥インフルエンザに関する連携研究を行っている。
2006年2月19日に、ハルビン獣医研究所と東京大学医科学研究所との間で、連携研究に関する覚書を締結(図1)し、孔憲剛所長の協力の下、国家禽流感参考実験室(National Avian Influenza Reference Laboratory)の陳化蘭教授と共に本格的な連携研究を開始した。

0903kawaoka_2

ハルビン獣医研究所は、中国東北部に位置する黒龍江省の省都・ハルビン市の中心部にある。東京からは北京を経由し、合計7時間ほどのフライトでハルビンに到着する。新潟や、関 西国際空港からはハルビンへの直行便もある。 ハルビン獣医研究所は中国で唯一の国立獣医研究所であるため、中国全土で分離された動物由来インフルエンザウイルスのほとんどが集められてくる。ハ ルビン獣医研究所のP3実験施設(病原体を取り扱うための基準を満たしている実験施設)では、中国国内で分離されたインフルエンザウイルスの性状や病原性について、様々な動物を用いて解析を行なっている。P 3実験施設で実験をするためには、多くの検査や手続きが必要となる。ハルビン獣医研究所のP3実験施設を使うためには、中国での健康診断、感染症に罹っていないかどうかの検査(なんと水虫まで調べられる)、血 清の保存(感染事故にあった時のため)等を行なわなくてはならない。私たちは、これらの手続きを全て行った上で、ハルビン獣医研究所のP3実験施設での共同研究を開始した(図2)。以下に、こ れまでに得られた成果の一部について概説する。

3.成果

3-1.アカゲザルを用いた中国ヒト由来H5N1鳥インフルエンザウイルスの病原性解析

 図3.1  IBAD法によるY-123テープの基本構造。

 新型インフルエンザは、罹患者に強い肺障害がみられるのが特徴の一つであるが、人における本病態の病理発生機序は分かっていない。そこで、H 5N1鳥インフルエンザウイルス感染によるヒトの病態の病理発生機序の解明を目的として、サルを用いた感染実験を行なった。ハルビン獣医研究所のP3実験施設において、中 国安徽省でH5N1インフルエンザに罹患したヒトから分離したH5N1ウイルス(A/Anhui/2/2005)のアカゲザルへの感染実験を行い、病原性の解析を行なった(図3)。

0903kawaoka_4

具体的には、アカゲザル12匹にA/Anhui/2/2005を感染させ、臨床症状や体温変化の観察と基礎的な血液検査を行うと共に、6時間後、12時間後、24時間後、3日後、6日後、14日後の組織( 咽頭、扁桃、気管、肺、心臓、脾臓、肝臓、腎臓、結腸、脳、血液)を採取し、各組織でのウイルス量測定や病理解析を行なった。A/Anhui/2/2005は、アカゲザルに軽度の臨床症状を引き起こし、ウ イルスは接種後6日目まで呼吸器を中心に分離されたが、接種後14日目には呼吸器領域からはウイルスが分離されなくなり、扁桃腺組織のみから分離されるようになった。ウイルスを接種したアカゲザルの肺には、剖 検で肉眼的に明らかな肺病変を認めた(図4)。顕微鏡学的には、終末気管支から肺胞を中心とした下部の呼吸器領域に主座するウイルス抗原分布と、細気管支炎および強い肺水腫を伴う肺胞炎が特徴だった。本 研究により、よりヒトに近縁な霊長目動物(アカゲザル)における重度の下部呼吸器疾患の初期感染像を把握することが出来た。また、本ウイルスのサルにおける14日間の体内動態が明らかになった。サ ルのH5N1ウイルス感染モデルは、ヒトにおける本感染症の病態解析に有用である。

3-2.中国で分離されたH5N1ウイルスの解析

0903kawaoka_5

 中国福建省のブタから分離したH5N1ウイルスに、ニワトリでの病原性が弱毒型のもの(A/swine/Fujian/1/03)と、強毒型のもの(A/swine/Fujian/1/01)の 2種類があった。この二つのウイルスは、遺伝子レベルでは非常に近縁であったことから、その分子機構を詳細に解析したところ、弱 毒型のA/swine/Fujian/1/03は強毒型のA/swine/Fujian/1/01と比べ、宿主のインターフェロンを抑えにくくなっていることが明らかになった(図5)。本研究は、H 5N1ウイルスの高病原性のメカニズムの一端を解明した重要な発見であり、国際的学術雑誌Journal of Virologyに掲載された(Zhu et al., Journal of Virology 82:220-228, 2008)。

0903kawaoka_6

 中国広西チワン自治区の健康な野鳥から2種類のH5N1ウイルス(A/Duck/Guangxi/12/03、A/Duck/Guangxi/27/03)を分離した。こ の2つのH5N1ウイルスはどちらもニワトリに対して高い病原性を示した。次に、マウスに対する病原性を解析したところ、A /Duck/Guangxi/12/03は肺でわずかに増殖したのみで感染マウスは回復したが、A/Duck/Guangxi/27/03は高い病原性を示し、ウイルスは肺、脾臓、腎臓、脳で増殖し、ウ イルス接種から8日以内に感染マウスは全て死亡した。この二つのウイルスは遺伝的に近縁で、8つのアミノ酸が異なるのみである。そこで、詳細に解析したところ、1つのアミノ酸の違いにより、ウ イルスに対する免疫応答の阻害機序が変わり、その結果マウスでの病原性が弱毒、あるいは強毒になっていることが明らかになった。(図6)。本研究は、哺 乳類での宿主細胞の抗ウイルス性免疫応答阻害機序を明らかにする新たな発見であり、学術雑誌Journal of Virology(Jiao et al., Journal of Virology 82:1146-1154, 2008)に掲載された。

4.日中鳥インフルエンザシンポジウム(中日双边禽流感研讨会)

 前述の研究プログラムとは別に、2004年10月、日中の鳥インフルエンザ共同研究の重要性を鑑み、中国科学院微生物研究所の高福所長(当時)と河岡が発起人となり、"第 一回日中鳥インフルエンザシンポジウム(第一届中日双边禽流感研讨会)"を北京において開催した(図7)。

0903kawaoka_7

 日本から9名、中国から63名が参加し、病原性解析、レセプター解析、診断法、ワクチン、疫学、日本での鳥インフルエンザ発生時の対処法、中国の研究体制の現状など、講演内容は多岐に渡った。シ ンポジウム終了後には、日中共同研究に関する会議も行なわれた。当初、この会議は代表者のみで行なう予定で小さな会議室が用意されていたが、参加希望者が多かったためシンポジウム会場に戻り、多 数の参加者のもと活発な討論が行なわれた。この会議では、日中共同研究を進める具体的な項目として「生鳥市場のサーベイランス」「さまざまな分離株のレセプター特異性の調査」「臨床サンプルの分与」「 パンデミックが発生したときの対策法」「研究者の交流」などを中心に多くの意見があげられた。この時の討議が現在の共同研究にも繋がっている。本シンポジウムは、2006年2月に第二回(東京:東 京大学医科学研究所、河岡主催)、2007年1月に第三回(ハルビン:ハルビン獣医研究所、陳化蘭教授主催)、2008年4月に第四回(北京:中国CDC、Dr. Yuelong Shu主催)と、年 に一回のペースで開催され、第四回目には、日本からの参加人数28名、中国からの参加人数100名以上となり、その規模は年々大きくなっている。第五回は日本で開催される予定となっているので、興 味のある方は是非参加していただきたい。