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【12-03】中国社会の安定のカギを握る道徳

柯 隆(富士通総研経済研究所 主席研究員)     2012年 3月15日

 久しぶり中国青島出張のついでにその郊外にあるろう山(Lao Shan、山へんに労)を訪れた。海に面するう山の冬はオフシーズンで観光客が少ない。その麓に道教の寺、大清宮がある。文化大革命の少し前に生まれた筆者は中国の古典文化や宗教に関する知識は皆無である。ただ、ろう山の岩山を見るのが楽しいうえ、この道教の総本山といわれる寺が静寂で千年以上の大木が多くてみればみるほどその味が出てくる。

 ろう山にはある有名な伝説がある。「老子」を勉強して修行して寺にある壁を通り抜けることができるといわれている。実際は、誰一人も通り抜けられていないはずである。寺の道長によれば、「老子」の教えの核心は「無」であり、修行して「無」の状態に達することができれば、そこにある壁も感じなくなる。このことは壁を通り抜ける本来の意味という。

 道教の教えの集大成は「老子」や「易経」などがある。普段はお寺に行ってもまったくくじを引くことはしない筆者だが、今回はなぜか一回くじを引いてみた。そこで寺に一冊の「老子」を渡された。よく読んでみたら、その中のほとんどの教えは道徳を守ることしか書いていない。いわば、「道徳経」である。しかし、数千年前から道徳を守らなければならないと教えられてきた中国社会では、いまだに道徳が守られていないのはなぜだろうか。

1.道徳と羞恥心

 日本では、車を運転するときも、電車やバスを乗るときも、譲り合うことは道徳であるが、中国では、譲り合うことは社会競争に負けるきっかけであると思われている。今回の出張で山東省の済南から青島までは高速鉄道を利用したが、日本と違って、中国では、電車に乗るとき、発車15分前にならないと、改札されず、すべての乗客が待合室で待機することになっている。高速鉄道は全員指定席だが、いったん改札が始まると、乗客が押し合いへし合いに改札口へ押しかける。互いに譲り合えば、もっとスムーズに改札を通り抜けられるのに、といつも思われるが、ほとんどの乗客は社会競争に負けたくない向上心からほかの乗客より少しでも早く乗り込もうとする。それゆえ、中国社会を統治する政治体制は専制政治でなければ、うまく行かないのではないかと思うときがある。

 3月初旬に開かれた全人代で元首相李鵬の娘李小琳代表は中国人がもっと羞恥心を感じないといけず、一人ずつ恥ずかしいことをした経歴を記した「羞恥档案」(羞恥ファイル)の作成を提案した。換言すれば、全人代代表の李氏は中国人が恥知らずといわんばかりである。

 振り返れば、おおよそ80年前に、アメリカ留学から帰国し蒋介石と結婚した宋美齢はファーストレディーとなり、国民運動を起こしたことがある。アメリカナイズされた宋氏は国民の不健康な生活スタイルにものすごく不満を感じ、正しい歩き方や座り方を推進する国民運動を行った。しかし、当時の中国では腹いっぱい食べられない民が多数存在するなかで、こうした「贅沢」な運動を推し進めても、ほとんど効果がなかった。

 今回の出張で済南から150キロほど離れた曲阜も訪れ、そこは孔子のふるさとだったといわれている。孔子は論語のなかで「衣食足りて、礼節を知る」と書かれている。すなわち、孔子の教えでは、衣食が足りなければ、人々は礼節を知らないということである。それが正しければ、宋美齢氏が推し進めた運動に効果がなかったのは当然の結果といえる。しかし、今日の中国では、高速鉄道を利用する者は全員衣食が足りているはずである。それでも、礼節を知らないのはなぜだろうか。

2.「雷鋒を学べ」の幻想

 中国共産党は政権を握ってから60年以上経過したが、繰り返して国民に道徳を守らせる運動を行ってきた。その常套手段の一つは模範人物を樹立し、国民に模範人物を学ばせるやり方だった。これまでもっとも有名な模範人物といえば、雷鋒という若者だった。わずか20代でなくなった雷鋒は生前が軍人だった。彼は常に他人のために奉仕活動を行っていたといわれている。たとえば、日曜日などの休日は休まず、交差点のところへ行って道を渡る老人を助けたりしていたといわれている。

 しかし、生前の雷鋒はなぜか模範人物ではなかった。彼がなくなってから、毛沢東自らが「雷鋒を学べ」とのスローガンを揮豪し、それをきっかけに雷鋒は模範人物となり、一気に全国的に有名になった。問題は、毛沢東自身は雷鋒がどんな人物だったか、必ずしも知らなかったようだ。すでになくなった雷鋒が模範人物に選ばれてから、生前に属していた連隊では、彼のやっていないことまで彼の功績とし、いわば、雷鋒が水増しして粉飾された人物になった。

 こうした模範人物を政治的に利用することで共産党への求心力を高めようとしても、国民の道徳心を向上させることができない。その原因は簡単である。雷鋒のような模範人物が粉飾されれば粉飾されるほど、国民の間では、奉仕活動は特別な存在である模範人物が行うことで、一般の国民が行うことではないと思われるようになり、かえってモラルハザードが助長される。本来は、奉仕活動は模範人物が行うものではなく、一般国民が行うものではなければならない。

 幸い、胡錦濤政権になってから、模範人物の樹立はほとんどなかった。胡錦濤国家主席は国民に対して「八栄八恥」を提唱した。その内容は筆者も覚えていないが、要するに、国民は国を愛することなど八種類の光栄なことをすべきであり、国に危害を加えることなど八種類の恥を知るべきということである。しかし、こうした説教は模範人物の樹立と同じように、まったく効果はない。

3.道徳心が向上しない中国のゆくえ

 なぜ中国で道徳心が向上しないのだろうか。

 おそらく道徳心の低い社会から道徳心の高い社会への進化はルール化の過程を経なければならない。中国にとってシンガポールのやり方は重要なヒントとなる。都市国家のシンガポールは華人人口が圧倒的に大きなウェイトを占めている。しかし、シンガポール社会の道徳水準の高さには定評がある。なぜシンガポール社会の道徳水準が高いかについて、社会のルールが厳しいことによるところが大きいと思われる。

 今の中国社会をみると、そのルールが厳格化されていないのは明らかである。ルール化されている社会では、ルールは守るものであるが、今の中国社会では、ルールは破るものとなっているようだ。ルールが守られていない社会では、道徳心が高まることはない。

 では、なぜルールが守られないのだろうか。その原因は簡単である。ルールを作る政府はルールを守らないからである。今の中国社会は特権階級の天国になりつつある。政府にとってルールや規則は国民を律するものだが、自らを束縛するものではない。

 全人代代表の元首相の令嬢が提案した「羞恥档案」はある意味では今の中国社会の痛いところを的中しているといえる。しかし、それをもっとも必要としているのは、草の根の国民というよりも、共産党幹部ではないかと思われる。というのは、草の根の民の交通信号無視よりも、共産党幹部の腐敗のほうが社会安定に与える影響が大きいからである。昨年、共産党中央規律委員会に連行され今も取締りを受けている山東省副省長黄勝は、中国のメディアの報道によれば、90億ドルを不正に着服し、46人の愛人を囲んでいたといわれている。ただ、これは恥というよりも、歴然とした犯罪である。