【13-05】中国社会の原動力
2013年 6月 6日
柯 隆:富士通総研経済研究所 主席研究員
略歴
1963年 中国南京市生まれ、1988年来日
1994年 名古屋大学大学院経済学修士
1994年 長銀総合研究所国際調査部研究員
1998年 富士通総研経済研究所主任研究員
2005年 同上席主任研究員
2007年 同主席研究員
日本から中国へ帰るたびに、静かな日本社会と喧騒な中国社会はいつも好対照のように感じられる。日本では、20年間もデフレが続き、失われた20年といわれている。通りに元気がない。中国は30余年に亘り10%近い成長を成し遂げ、人々の表情をみても何となく落ち着かない。
本来ならば、逆境にある者こそ危機感を抱き、頑張ろうとする。しかし、今の日本人、とりわけ日本人若者の表情をみてそのような気力が感じられない。一つの可能性は、頑張っても報われないからと思われている。それに対して、中国経済こそ成長を続けているが、若者の就職は難しく失業率は高いままである。それゆえ、若者の起業が増えている。
先日、中国出張の際、広東省の珠海市からマカオへ行ったとき、イミグレーションでパスポートコントロールのために1時間半も待たされ、大陸からマカオへ行く住民でごった返していた。不思議なことにマカオへ行く住民のほとんどは手ぶらだった。「マカオへ何をしに行くの」と聞いたら、「粉ミルクとオムツを買いにいく」といわれた。
実は、これもビジネスである。大陸で売られている粉ミルクやオムツの品質に問題があると思われ、信頼されていない。人々はマカオに行き、外国産の粉ミルクやオムツを買いにいく。大量の粉ミルクとオムツを持ち帰って高値で売るというのである。
1.ビジネスと生きる本能
実は、いつの時代も会社を起こすのは生きる本能から来る動因によるものである。ITの時代に入ってから人々の間で錯覚が起きている。すなわち、何か一つのアイディアで一攫千金で大成功すると勘違いされている。その幻想を作り上げたのはマスコミである。
中国人若者と比較して日本人若者のどこが弱いのだろうか。広東省の中山大学での講演会に参加して強く感じたのは中国人学生のハングリー精神である。すなわち、知的探究の意欲の強さである。日本の大学で講義しても、日本人の学生からほとんど質問が出ない。自分の講義の内容は学生が理解しているかどうか、いつも不安である。
人間は生きる本能を失ってしまうと、気力が出てこない。しかし、日本人は生まれつきで生きる本能がないわけではない。香港のある大学での日本人学生・研究者向けのセミナーに参加したが、議論が盛んだった。香港というところで生きていくためには、日本国内にいるような生活態度ではやっていけないからだろう。要するに、生活環境が変われば、日本人は外国人に負けないぐらい積極的になる。
中国である産業の見本市を見学した。世界各国の企業が集まり、来場者に自社製品を一生懸命アピールするが、そのなかで日本企業のプロモーションは何とも言えない静かで地味だった。外国企業は客を呼び込むのに必死だったのに対して、日本企業は客が来るのを待っている。
世界的に日本企業には元気がない。それは技術や品質の面で負けているというよりも、売り方で負けている。日本の自動車メーカーは北米市場でトップシェアを誇っているのに対して、中国市場では負けている、というのはセールス戦略に問題があるからである。種々の産業のなかで、日本企業が技術面において絶対的な強さを誇っていながら、世界市場でシェアを伸ばせていないのがウォッシュレットトイレである。日本企業では、技術レベルの向上に絶えず取り組んでいるが、売り方を磨くトレーニングは不十分である。
2.競争促進とグローバル化
実は、競争を嫌う日本社会のムードこそ日本人を無力化させてしまった。競争に参加すれば、絶えず緊張感を抱き、フィジカルとメンタルの両面において引き締まるようになる。日本では、金型などの産業について技術レベルを競うコンクールが開かれるが、製品プロモーションのプレゼンテーションを競うコンクールはなぜか開かれない。
中国では、地場企業も諸外国の企業も販売促進のための努力が強化されている。とくに、地場企業の場合、技術は外国企業から習得しているケースが多いため、自分たちの努力としてプロモーションのプレゼンテーションである。日本の家電量販店に行ってみると、すべてのメーカーは自社製品のセールスポイントがまったく同じもので省エネとエコである。これでは、他社製品との差別化はできない。中国人は人に羨ましがられるのを好む。この点は出る杭が打たれる日本と大きく異なる。中国市場で勝ち抜くために、出る杭のような製品とサービスを提供する必要がある。
中国などグローバル市場に進出している日本企業はもっとグローバル感覚を抱くべきである。世界の人々と同じように呼吸することこそ世界市場で勝ち抜く前提である。
そして、日本企業の一部は能力主義の評価システムの導入を試みたが、ほとんど失敗に終わった。なぜならば、企業経営においては能力が評価されるよりも、成果が評価されなければならない。能力を成果に結びつけることができなければ、その能力には何の意味もない。
日本企業を諸外国の企業と比較していると、一つ深刻な問題が存在することに気が付く。それは日本企業では成果主義の評価システムが徹底されていないため、その成果如何にかかわらず、同じ年次の従業員であれば、ほぼ同じ給料がもらえる。この点は社会主義国の国有企業とほとんど同じである。結果的に、一生懸命働かない従業員には給料を払い過ぎる、一生懸命働く従業員から税金などを取りすぎるという不公平な仕組みになってしまっている。このようないびつな仕組みこそ人々のやる気を失くしてしまっている。
こうしたなかで、企業経営が苦しくなるのを受け、日本企業の経営者は安易にリストラを実施する。しかし、従業員のリストラを実施しても、企業の業績を改善することができない。なぜならば、リストラの実施を発表すれば、有能な従業員からやめていくからである。その結果、企業経営はますます悪化してしまう。
3.成長の限界
しかし、中国社会の気力も限界に近づく可能性が高い。40年前に導入された一人っ子政策により、現在、40歳以下の年齢層のほとんどは一人っ子である。祖父母と親に大事に育てられた一人っ子は社会における協調性が乏しく、逆境に立ち向かう気力も弱い。
日本経済は20年前のバブル崩壊以降、景気低迷が続いている。中国の高度成長も限界に近づいている。李克強首相はこれからの経済成長について「改革こそ経済成長のボーナス」と述べている。人口ボーナスに頼る成長モデルはこれから徐々に有効性を失うと予想される。李首相の指摘通り、改革しなければ経済成長は望めない。問題はどのようなロードマップで改革を推進するかにある。
現在、中国経済の成長を妨げているのは肥大化している政府部門であり、また、政府は恣意的に経済に介入することも問題である。中国では、国民の税金を食い物にしているのは行政を担当する直接部門だけでなく、「事業単位」と呼ばれる種々の間接部門も税金を食い物にしている。そして、国有企業は政府によって守られ市場を独占している。市場経済化する中国経済は「国」によって浸食されている。
誕生したばかりの習近平政権にとっていきなり政治体制を改革することは難しいが、行政改革を実施し、より小さな政府を構築する必要がある。また、国有企業の市場独占を打破するために、国有企業の民営化を推進する必要がある。李首相の政治手腕が試されている。