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【13-07】愛国主義とナショナリズムの台頭

2013年 7月30日

柯 隆

柯 隆:富士通総研経済研究所 主席研究員

略歴

1963年 中国南京市生まれ、1988年来日
1994年 名古屋大学大学院経済学修士
1994年 長銀総合研究所国際調査部研究員
1998年 富士通総研経済研究所主任研究員
2005年 同上席主任研究員
2007年 同主席研究員

プロフィール詳細

 中国の胡錦濤政権の時代、マスコミは毎日のように胡錦濤国家主席が提唱した「和諧社会」(調和のとれた)を宣伝していた。中国の高速鉄道もすべて「和諧号」と名付けられた。それに対して、政権が交替した途端、「和諧社会」はマスコミから姿を消してしまった。今、一番の流行語は「中国の夢」に変わった。習近平国家主席は国民に対して「中国の夢」の実現を唱えているからだ。

 しかし、「中国の夢」とはどういうものなのだろうか。習近平国家主席は「中華民族の復興」を強調し、中国では「中華民族の復興」こそ「中国の夢」であると理解されている。それに対して、国際社会では、民族の復興とは民族主義の台頭、すなわち、ナショナリズムの台頭を意味するものと理解され、それに対する警戒が強まっている。

1.なぜナショナリズムが台頭するのか

 そもそも中国でナショナリズムの台頭が始まったのは1919年の「五四運動」だった。五四運動は、学生と知識人が中国にとって不平等なヴェルサイユ条約に反対する反日・反帝国主義のデモだった。ナショナリズムが台頭する背景には、中国が列強に繰り返して侵略されたことがある。

 封建社会の歴史が長かった中国では、近代的な市民意識は低かった。中華民国時代の流行語の一つに「庶民は国の事を語るべからず」というものがあった。すなわち、国の事は政治家と役人が考えることであり、庶民は従順に自らの勤めを果たせばいいという考えだった。

 1949年、社会主義中国が誕生してから、幾度の反帝国主義運動や反米・反ソ運動が繰り広げられたが、そのすべては政府・共産党主導のものだった。のちに、そのほとんどは真の反米・反ソ運動ではなく、国内の権力闘争の延長線として群衆が利用された官制デモだったことがわかった。したがって、49-76年の毛沢東時代においてすべての運動やデモは毛沢東の号令に呼応するものであり、ナショナリズムの台頭を意味するものではなかった。そして、当時の愛国主義は換言すれば、共産党を愛し毛沢東を愛するムーブメントだった。それは毛沢東を一人の政治指導者から神様に祭り上げるためのものだった。

 1978年、最高実力者だった鄧小平は「改革・開放」政策を推進した。鄧小平時代、諸外国に敵対する毛沢東路線を修正し、米ソとも融和が図られた。当時、国民の最大の関心事は経済建設と経済発展だった。鄧小平の信念は、経済発展さえ実現できれば、共産党は必ずや国民に支持されるはずである。事実、80年代の中国では、国民の鄧小平への支持率は高かった。

 「改革・開放」政策について国民の間で疑問が沸き起こったのは、1998年ごろ推進された国有企業の民営化だった。国有企業の労働者は共産党の支持基盤であったが、国有企業改革において多くの労働者が何の社会保障がないなかで解雇されていった。

 中国経済における国有企業の位置づけが大きく変化したのは、経済の自由化に伴う経済環境の変化に由来する。国有企業が存続する前提は毛沢東時代の計画経済だったが、計画経済の運営は政府による経済活動への介入によりまったく活力が出てこない。したがって、いったん経済の自由化を推し進めれば、計画経済に逆戻りすることはもはや不可能である。問題は、市場競争を前提とする市場経済の構築では、国有企業はその比較優位を失い存続が難しくなる。要するに、自由化を推進する「改革・開放」政策の行きつくところは計画経済を終わらせ、社会主義の根幹を揺るがすことである。

2.カリスマ性が弱まる政治指導者と愛国主義

 いつの時代でも、ナショナリズムの台頭は政治指導者にとって脅威である。なぜならば、ナショナリズムは多くの場合において制御不能なムーブメントだからである。したがって、自らがナショナリズムを扇動する政治指導者は多くないはずである。

 中国では、ナショナリズムが台頭したのは江沢民政権の後期だった。そして、胡錦濤政権になってから、ナショナリズムは大きな潮流となり、政治に大きな影響を及ぼすようになった。日本では、中国でのナショナリズムの台頭は江沢民政権が推し進めた愛国主義教育の結果と指摘されている。実は、江沢民元国家主席の政治は古いスタイルであり、その愛国主義教育にはナショナリズムを扇動できるほどの力はなかったはずである。

 それよりも、江沢民政権の末期になって、「改革・開放」は行き詰るようになった。要するに、成果の出やすい改革はほとんど行われたが、残りの岩盤のような古い制度の改革は政治制度の改革である。しかし、共産党指導者の誰しも政治改革を推し進める勇気などない。考えてみれば、所得格差を縮小しようと思えば、民主主義の政治改革を推進する必要がある。環境汚染問題の解決に取り組むにしても、司法の独立性を認める必要がある。また幹部の腐敗を撲滅するために、国民による共産党幹部に対する監督・監視を認めなければならない。これらの諸問題について歴代指導者のいずれも直面することができなかった。

 結論的にいえば、中国では、ナショナリズムが台頭する背景には、政治指導者のカリスマ性の弱体化がある。国民の目線からみると、今の政治指導者が信頼できなくなった。かつて、毛沢東は国民において絶大な信頼があった。だからこそ毛沢東は政治指導者というよりもまるで神様のような存在だった。しかし、江沢民以降の政治指導者は国民からみれば、普通の人と同じような一個人にすぎない。彼らはテレビなどのマスコミを通じて談話を発表しても、乾燥無味の原稿を棒読みするか暗記するだけだった。

 こうしたなかで、対外的に何か問題が起きた場合、学生や市民によるデモは反政府抗議行動に発展しやすい。12年9月に起きた反日デモはその典型といえる。政治指導者にとり、こうしたデモや抗議活動は制御可能な範囲であれば、政権の基盤を固める一助になる。しかし、ナショナリズムの潮流は往々にして制御不能に発展しがちである。学生や市民の不満は対外的な問題というよりも、幹部の腐敗など国内問題に対するものが多い。

 習近平政権は国民に対して「中国の夢」を唱えているが、そのなかで「中華民族の復興」の提唱はナショナリズムを扇動するためであれば、自らの首を絞めることになる。現実的に考えれば、習近平国家主席はナショナリズムを扇動することよりも改革を推進するために、国民から支持を得る狙いがある。そのために、国民に「夢」を語っているのではないかと思われる。しかし国民から支持を得ようとするならば、その夢は実現可能なものでなければならない。