【23-58】中国プラットフォーマーのテクノロジー戦略(第2回)
岡野寿彦(NTTデータ経営研究所 シニアスペシャリスト) 2023年10月25日
デジタルと実体経済の融合(数実融合)の現在地点:アリババの戦略転換
中国政府は第14次五カ年計画(十四五)期間のデジタル政策の中核に「数実融合(デジタル技術と実体経済の融合)」を据えており、プラットフォーマー、ファーウェイ等企業がこれに貢献するべく技術・サービス開発を競っている。中国デジタル化は、2000年代からの消費者向けプラットフォーム構築 → 2010年代からのエコシステムによる多様性の取り込み・価値創出 → 2010年代半ばからの企業(Bサイド)の効率化、「ネットとリアルの融合」へのチャレンジを基礎として、「数実融合」で既存産業の最適化、社会変革(既得権益にも踏み込む)に本格的に取り組むステージに入ったと言える。同時に、融合が進むことによりプライバシー保護、データ漏洩やサイバーセキュリティなどリスクが高まり、「イノベーション創出とガバナンスのバランス」の難易度が高まっている。本稿は、「数実融合」が目指す姿を明らかにしたうえで、アリババの「数実融合」への取り組みをケース分析する。
1.「数実融合」の目指す姿:デジタル・ドリブンによる産業の最適化、社会変革
(1)「インターネット+」から「数実融合」へ
中国政府は2015年に「互聯網+(インターネット+)」で、2000年代からプラットフォーマーが牽引し消費者サイドで発展してきたインターネットサービスを支持し、これと既存産業や教育など社会領域を組み合わせることによる効率化、経済活性化・雇用創出とサービス受益者の拡大(インクルージョン)を目指す政策を掲げた。同じ2015年に中国のネットユーザー増加率が減少に転じて「規模の経済」が飽和したことで、プラットフォーマーはビジネスモデルの「量から質への転換」が必要となった。
アリババは2016年に、顧客ニーズを起点に既存産業で「ネットとリアルを融合」させて、より満足度の高い顧客体験を届ける「新小売(ニューリテール)」「新金融」「新製造」戦略を掲げた。そして、消費者データ、チャネルをオープン化し、技術やベストプラクティスの業務プロセスをクラウドから提供することで、小売など既存産業の企業のDXを支援するポジションを取った。
このように、2010年代後半から、中国政府のデジタル政策およびプラットフォーマー・IT企業の戦略の焦点は、世界最高水準と言えるまでに発展した消費者サイドのデジタル資産を活かして、非効率なまま残っている既存産業の変革を進めること(2Cから2B)にシフトした。そして、ネットとリアル、ソフトウェアとハードウェアの「融合」が試行錯誤されるなかで、コロナ禍の感染拡大防止で役割を果たした「健康コード」などの成果を生み出しつつある。
第14次五カ年計画期間中のデジタル政策
「十四五」第5篇「デジタル化を加速させデジタル中国を建設する」で、「ネットワーク強国の建設」、「デジタル経済・社会・政府建設」および「生産・生活・ガバナンス方式の変革(DX)」を進める方針を掲げている。さらに、国務院は2021年12月に「『十四五』デジタル経済発展計画に関する通知」を公表して、2025年までのデジタル化政策を具体化した。現状認識として「わが国のデジタル経済の規模は急速に発展しているが、発展の不均衡や規範化が不十分といった問題が残っている。伝統的な発展方式から転換し弱点を補強するとともに、デジタル経済のガバナンスレベルを向上し、高品質の発展経路を歩むことを迫られている」とし指摘し、これら課題の解決に向けて「数実融合」を中核とする8つの施策[1]を掲げている。
十四五のデジタル政策は、「インターネット+」、「中国製造2025」および「新基建(デジタルインフラ建設)」を深化させるものとして位置づけられる。経済の低成長と経済格差、対外的な米中対立など中国が直面する課題の難易度が高まるなかで、イノベーション駆動による発展の中核にデジタル化を位置付けてその質をさらに追求している。
(2)数実融合とは?
「数実融合」は、デジタル技術と現実世界を融合することで、産業のデジタル化を推進することを目的とする。製造業など既存産業、経済社会の幅広い領域にデジタル化の対象を広げて効率化、競争力の向上を目指している。一見すると、上述の「インターネット+」(2015年~)と違いがなさそうだが、中国IT企業の経営者と意見交換すると、「数実融合」が目指す姿について次の発言が聞かれる。
●流通業、金融業、製造業など産業の本質的な機能に着目して、品質向上とコスト削減を行って顧客に最もフリクションなく提供するために、既存の業界の枠を超えたモデルの再定義を本気で行うステージに入った。
●消費者ニーズを起点に、サプライチェーンの源流までさかのぼって最適化する。中間事業者の排除を含む商流の短縮など、既得権益にも踏み込む経済社会変革を進めるものであり、この変化に適応するために企業に求められる経営力も高まっている。
このように、「数実融合」は、膨大なビッグデータと中国市場の豊富な応用シーンの優位性を活かして、デジタル・ドリブンで「顧客・市民ニーズ起点の新産業・新業態・新モデルを生み出す」取り組みとして位置づけられる。下支えとなる基礎的能力として、デジタルインフラの建設と普及、行政・公共サービスのデジタル化、データのオープン化と「データ取引所」による流通、セキュリティ・ガバナンス強化が挙げられている。
次節では、中国を代表するプラットフォーマーであるアリババのケース分析を通じて、「数実融合」への理解を深めたい。
2.アリババの「数実融合」への取り組み:テクノロジー企業として重要領域の変革を支援
アリババは「2022年数実融合動向報告書」(2022年8月)で、デジタル技術と実体経済の融合による価値創出の重点ターゲットとして、①消費者ニーズに基づく工業生産、②食卓と農業生産地を一気通貫でつなげる、③中小企業のデジタル化、④デジタルトランスフォーメーションからボーン・デジタル(デジタルが当たり前)へ、⑤デジタル化と脱炭素(decarbonization)を伝統的産業変革の二翼とする、の5つを掲げた。以下ポイントを見ていこう。
①消費者ニーズに基づく工業生産:サプライチェーンと生産管理
需要予測の精度を上げるなど「消費者と生産工場を直結」する、工場内のインテリジェント化により設備等リソースを最適活用することにより、生産リードタイムの75%、在庫の30%、水使用量の50%削減を目指す。
②家庭の食卓と農業生産地を一気通貫でつなげる:サプライチェーンの源流に遡る
農業生産地から家庭の食卓までのサプライチェーンに関わる研究、生産、輸送、販売の全プロセスをデジタル化し、「良い農産物であれば良い価格で売れる」ことを実現する。この一環で、全国1200か所に「菜鳥集荷センター」を設置して、タオバオ、餓了麼(フードデリバリー)などアリババの消費者チャネルと一気通貫でつなげる。また、全国12か所のIoT技術を活用した「未来果園[2]」で、気候、湿度、土壌に基づく最適生産をつかさどるAIアルゴリズムを開発し、農業における「生産管理の標準」を確立する。
③中小企業のデジタル化:企業DXの"ラストワンマイル"
一体型コミュニケーション&モバイルオフィスサービス「釘釘」に中小企業の業務に必要な機能を整えて、クラウドから2100万の企業に提供している。また、オープンソース開発プラットフォームを運営して「多様性」を取り込み、企業のペインポイント解決に資するアプリケーションを迅速・低コストで提供する。
④DXからボーン・デジタル(デジタルが当たり前)へ:「数実融合」を支える技術開発
「数実融合」を支える中核技術としてクラウド(ソフトウェアとハードウェアの融合)、「データ×計算能力×アルゴリズム」技術を開発・普及することにより、デジタル技術と実体経済を「融合させる」ことから、さらに、当たり前のように「溶け込む」世の中への進化をテクノロジーで支える。
技術開発・実用のファースト・フィールドとして自動車を位置づけ、そこでの成果・経験を他の領域に応用する。
⑤デジタル化と脱炭素を伝統的産業変革の二翼とする
中国政府がカーボンニュートラル実現に向けた目標として掲げる「双炭(ダブルカーボン:2030年までにカーボンピークアウト、2060年までにカーボンニュートラルを実現)」に向けた企業の取り組みを支援するクラウドサービスとして「能耗宝」を、中国国内で2000以上の企業へ導入した。企業のオペレーションにおけるエネルギー消費管理と、企業が問われる二酸化炭素排出量の管理機能を提供する。
アリババの「数実融合」戦略の着眼点(私見)
本稿の最後に、アリババの「数実融合」への取り組みの何に着眼するべきか、私見を述べたい。
(1)経済社会の重要課題ではあるがITビジネスとして効率が良くない工場生産、農村、中小企業の変革を重点ターゲットとして据え、さらに、経済合理性とのバランス取りが難しい脱炭素を、デジタル化と共に既存産業を変革する二翼として積極的に位置づけている。アリババは、消費者サイドの規模を活かした技術の実装を通じて成長してきたが、2010年代後半からの「ネットとリアルの融合」の実践経験を基礎に、デジタル技術による産業最適化・社会変革への価値創出に本格的に踏み出そうとしていることに着目するべきだ。
今後実際に産業の最適化・社会変革が進むか予断を許さないが、中国政府は国内外の課題を乗り越えるエンジンとしてデジタル政策の中核に「数実融合」を位置づけ、これに呼応して本稿で分析したアリババなど多くの企業がソリューション開発を競っている。その中から真に社会課題解決に資するイノベーションが生まれる可能性、さらに東南アジア等日本企業の重要市場への展開をウォッチしていきたい。
(2)「ネットとリアルの融合」を実現するカギは、企業の「戦略と組織マネジメントの整合」にあると考える。ネットビジネスに必要なスピードと柔軟性、実験的アプローチと、リアルビジネスに必要な能力である現場力、ナレッジの蓄積と共有、継続性との「両立」が、企業経営に求められている。拙著(参考文献参照)でケース分析を行ったファーウェイ、小米、アリババなど中国先進企業は、デジタル化が進化する中での経営変革として「短期スピードと長期志向」、「トップダウンと現場力」といった相反するマネジメント、カルチャーの「両立」に試行錯誤していることが観察される。
2023年9月にアリババCEOに就任した呉泳銘氏は、社員に対するメッセージで、「伝統的なインターネットモデルは同質化によるストックの競争に陥っており、AIに代表される新技術がグローバルビジネス発展の新たなエンジンとなる」との基本認識を踏まえて、2大戦略として「顧客ファースト」と「AIドリブン」を掲げた。そして、これを実現する「4つの行動」の一つとして「長期主義」を挙げている。「今後5年以上の趨勢を洞察してイノベーション創出に果断に投資をし、より長期サイクルの事業を奨励するメカニズムをつくる」方針を社員に打ち出した。アリババが強みとしてきたスピード、トップダウンで一気にやりきる力に加えて、長期主義による技術開発、体制の新陳代謝をいかに「両立」していくか、日本企業のDXにも参考になると考える。
[注釈]
[1] 「『十四五』デジタル経済発展計画に関する通知」の8つの施策
①デジタルインフラのレベルアップ:ギガビット光ファイバーと5Gネットワークインフラ建設、6G研究開発、グリーン・データセンター
②データ要素の十分な活用:公共データの開放、データ市場の育成、不正取引取り締まり
③産業DXの加速:中小企業・農業デジタル化
④デジタル産業の強化:センサー、量子計算、ビッグデータ、AI、ブロックチェーン、新素材、オープンソース、創業支援
⑤公共サービスのデジタル化推進:インターネット+政府サービス、電子署名・証書、スマートシティ
⑥デジタル経済ガバナンス強化:規制緩和、監督管理能力強化、犯罪取締、統計整備
⑦セキュリティ強化:ネットワークセキュリティ、監督体制整備、セキュリティ技術・製品強化
⑧国際協力強化:デジタルシルクロード
[2] アリババが推進する「未来農場」プロジェクトの一環であり、持続可能な農業ソリューションを試験するために世界各地に開設されるモデル農場。
[参考文献]
- 阿里雲(アリババクラウド)HP「能耗宝」
- 岡野寿彦著『中国的経営イン・デジタル:中国企業の強さと弱さ』(日本経済新聞、2023年)
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