【22-03】「中国製造2025」後の産業技術政策(その1)
2022年03月22日 丸川知雄(東京大学社会科学研究所 教授)
はじめに
2021年3月に中国の全国人民代表大会において「第14次5カ年計画(2021~2025年)と2035年までの長期目標要綱」が採択されたが、そのなかで注目に値するのは「中国製造2025」への言及がなかったことである。「中国製造2025」は2015年に国務院から公布され、そのタイトルに表れているように目標年を2025年と定めていた。すなわち、中国は2025年には「製造強国」の一員にのし上がり、2020年には「革新的な基礎部品と重要な基礎材料」の40%を「自主保障」できるようにし、2025年には「自主保障」できる率を70%とすることを目指していた。「中国製造2025」は第13次5カ年計画(2016~2020年)のなかでも産業政策の核心部分として組み込まれていた。「中国製造2025」の目標年が2025年であることから当然第14次5カ年計画でも言及があるものと思われた。いったい「中国製造2025」はどうなったのであろうか。これが5カ年計画から消えたことによって中国の産業技術政策にどのような変化があったのだろうか。本章ではこうした点を明らかにするために、中国の産業政策全般、およびICと新エネルギー自動車・自動運転という二つの産業のケースに基づき、中国の産業技術政策の最近の変化を明らかにする。
2.1「中国製造2025」は死文化した
5カ年計画に「中国製造2025」への言及がなかったということは、それがすでに死文化していることを示唆している。実は2018年の時点で、中国政府が中国のメディアに対して「中国製造2025」に関する報道を控えるようにという指導を行ったとされている[1]。実際、その後「中国製造2025」に党や政府の高官が言及することも激減した。中国政府が「中国製造2025」を引っ込めようとした動機は明らかで、それは米トランプ政権が「中国製造2025」に激しく反発していて、ポンペオ国務長官などは2018年10月の演説で、それが「世界のハイテク産業の90%を支配する野望」を示しているとまで非難していたからである。
ただ、「中国製造2025」はその下に産業や課題ごとに19の実施計画が作成されていた[2]。もし、それらが生きているとしたら、「中国製造2025」は実質的には継続されていることになる。19の実施計画の多くは2020年までの計画であったので、それらの2021年以降のものが公布されたかどうかをみれば、「中国製造2025」が実質的に生きているのかどうかが明らかとなる。19の実施計画のなかで最も重要だと思われるのが、産業や製品ごとに具体的な国産化目標を示した「重点領域技術ロードマップ」で、これは数年おきに更新されることになっていた。実際に2015年版と2017年版は作成されたものの、その後は更新されていない。このロードマップを作成している国家製造強国建設戦略諮詢委員会のウェブサイト(www.cm2025.org)を見ると、同委員会の活動は2018年以降低調になっており、ロードマップが更新される可能性は低い。
2021年11月から12月にかけて工業信息化部は9つの産業に関する第14次5カ年計画期間中の計画を発表した。そのなかで「中国製造2025」の下で作成された19の実施計画を引き継いでいるとみられるのはロボット産業に関する計画のみである。19の実施計画のうち14は2020年が最終年であったにもかかわらず、2022年1月時点でその後継となる計画が出ていない。その意味で、「中国製造2025」は実質的にもほぼ死文化したと判断できる。
ただし、それは中国政府がハイテク産業を発展させる手段を講じないということでは全くない。第14次5カ年計画のなかには「製造強国戦略」を実施することと「戦略的新興産業」を発展させる、という章がある。この二つの方針を結合したのが「中国製造2025」なので、その精神は名称と内容を変えながらも第14次5カ年計画の中に生きていると言えよう。
2.2 「中国標準2035」は存在しない
中国の産業技術政策に関しては、中国が技術標準を戦略的に使って技術覇権を目指しているとの見方が国外では根強い。例えば、2022年1月の『日本経済新聞』などでは、中国政府は中国企業の技術を国際標準にする「中国標準2035」という戦略を遂行して、先端技術における覇権を狙っていると主張している[3]。だが、この報道はいくつもの誤りを含んでいる。まず、中国政府が「中国標準2035」という政策が公布したことはない。たしかに、中国政府の国家標準化管理委員会が「中国標準2035」という研究プロジェクトを過去に進めていたことは事実であり、2018年にはまもなくそうした名称の政策を公布するという報道もなされた[4]。しかし、このプロジェクトは2020年1月をもって終了した。その研究を受け継いで「国家標準化発展戦略研究」が始まり[5]、2021年10月に「国家標準化発展綱要」が公布された。
つまり、「中国標準2035」の代わりに「国家標準化発展綱要」が公布されたので、「中国標準2035」が出てくる可能性はもはやない。中国政府が「国家標準化発展綱要」に変えた動機は、おそらく「中国製造2025」に対して中国が技術覇権を狙っているとの反発を招いたので、それと類似した名称の政策を出すことを控えたのであろう。
「国家標準化発展綱要」のポイントは4つある。第一に、政府主導による標準化から、政府と市場の両方から標準を生み出していく方向への転換、第二に、標準化を産業と貿易の領域だけでなく、経済社会の全般に広げていくこと、第三に、標準化を国内中心から、国内と国際の双方向で促進していくこと、第四に、標準化の数ばかり追求するのではなく、質と効果を重視することである。
綱要の大半は、どのような分野において標準化を進めなければならないかを、科学技術、産業、環境、都市・農村建設という4つの大項目に整理して列挙している。例えば環境関連分野では、二酸化炭素排出量を算定する基準、低排出製品の表示に関する基準、生態型循環農業や農産品の安全にかかわる基準作りが課題だとしている。
綱要のなかでは、標準化における対外開放も進めなければならないとして、例えば国連における民生や福利、ジェンダー平等、優良な教育に関する標準作りに参加し、SDGsの実現に貢献していくとしている。また、国際標準を積極的に採用し、中国と外国との標準の相互承認を進めることで、中国標準と国際標準の一致度を高めるとしている。2025年には国際標準を中国標準に転化する率を85%以上に高めるという目標も示している。
この綱要から「中国企業の標準を国際標準にする」という意図を読み取ることは難しい。むしろ国際標準を中国でも採用することによって貿易に対する技術的障壁を取り除いていくという開放的な立場を強調している。綱要の中には「積極的に国際的な標準化活動に参加する」という一文もあり、この一文をもって中国の国際標準に対する影響力を増そうという意図の現れだと解釈することは不可能ではない。
ただ、いずれにせよ、この綱要から中国の技術覇権に対する意図を読みとることはできない。日本は、携帯電話の2G時代に、世界的なデファクト・スタンダードとなったヨーロッパのGSMに対して日本標準のPDCで対抗しようとして失敗した。その結果、1990年代前半には世界シェア上位に入っていた日本の携帯電話メーカーは「ガラパゴス化」の道をたどり、国際競争力を失っていった。日本のマスコミの間ではその苦い経験がトラウマになって、技術標準というとすぐにその戦略的利用を考えてしまう傾向があるようである。しかし、綱要には技術標準の戦略的利用という観点はなく、むしろ内外の標準をなるべく一致させて市場開放を進めることが自国の競争力向上につながるという楽観的な姿勢がうかがえる。
( その2 へつづく)
1. South China Morning Post, June 26, 2018
2. 丸川知雄「中国の産業政策の展開と『中国製造 2025』」『比較経済研究』57巻1号(2020年)
3. 『日経産業新聞』2022年1月5日、『日本経済新聞電子版』2022年1月16日など
4. 『経済日報』2018年1月11日
5. 国家標準化管理委員会「"中国標準2035"項目結題会曁"国家標準化発展戦略研究"項目啓動会在京召開」、2020年1月15日